プロポーズと身代わりの妃
お気付きかも知れませんが、童話の人魚姫をモチーフにしています。
悲恋ではないと思います。
レナインとサイフォスは寝室には立ち入らず、ルーシェだけが残された。
貝殻を挽いた粉が混ぜられたパールホワイトの壁をベースに、黒でまとめられた部屋は格調高く落ち着いている。
その奥に造り付けられたバルコニーで、ルーシェとアルフラインは見つめ合っていた。
「うん。やっぱりアクアブルーが良く似合うね。チョーカーも外したんだ」
否、ずっと俯いたままのルーシェが見つめているのはアルフラインの腕だ。
アルフラインは白いブラウスに黒いズボンというラフな格好で、いつものようにミサンガを巻いていた。
「顔をあげてくれると嬉しいんだけど?」
「無理!!……です。……こんなドレス…………初めてで……恥ずかし……い……」
くすくすと甘やかな鈴のような笑い声が、頭の上から降ってくる。
「凄く可愛いのに。俺が街まで出向いて選んだんだよ」
だから留守にしていたのか。自由になる時間が少ない中で探してくれたのかと思うと、益々顔が赤くなっていく。
「ほら。これならどう?」
まともに顔を見れずミサンガをじっと凝視していた。
それを察したのか、アルフラインがひょいと腕を上にあげたから、吊られて視線もあがる。
「君がこの世界にいてくれて良かった」
はにかんだ幸せそうな笑顔が目に映って――。
その背面に何処までも突き抜ける蒼い空と、透き通る水色の海が拡がっていた。
恋をせず結婚するなんて冗談ではないと家を飛び出すほど、爽やかなその空と海のような恋に憧れていた。
「……アルフライン様に恋をしました」
どうしようもない、この人が好きだ。
初めて会った時から恋に落ちる予感はあった。
ただ憧れておきながら、自分で止められなくなる想いが怖かった。だから逃げ出したかったのだ。
でももう逃げたくない。溢れる想いから目を背けたくなかった。
「……嬉しいな。ねぇ、俺の妃になってくれる?」
ルーシェの告白に琥珀色を艷やかに揺らして、アルフラインが何かの儀式のようにミサンガに口付ける。
「ルーシェはこれの持ち主に似ているんだ。人が泳げるような海ではなかったから、人魚だった可能性が高いのだけど」
似てるも何もない。ただそれがルーシェだとアルフラインは知らないはずだ。ずっと気を失っていたのだから。
言い出せずにいたが伝えた方が良いのだろうか。それは自分だと。
しかし助けたのを黙っていたのは事実だが、ルーシェは人魚など会った事もない。
「その人魚にひと目惚れをしたんだ。俺を救ってくれた。全身全霊をかけて……愛している」
まるでルーシェに対して愛を囁いているかのようだ。
ただルーシェを介してあの嵐の海を思い出す眼差しに、幻想を重ねられているようで不安が過ぎる。
「…………私は人魚じゃ」
「っ…………君が違うなら!!」
ひととき激昂して。
それを押さえつけるように弱々しく吐き出される。
「この気持ちは…………間違いなのか?」
「違っ……!!」
幸せの絶頂から叩き落とされた衝撃に血の気が引いていく。水平線がぐにゃりと歪んで、立っているのがやっとだった。
(……間違い? ……何が間違い?)
「……あまり頑なにならず、君のままで良いんだ。……髪の色が違う君が人魚とも違うのは理解している」
まるで大した事ではないと、すげなく流す台詞がルーシェの胸を抉る。
ああ、なんだ。そういう事か。
王子が好きなのは死の淵から彼を助けた人魚であって、ルーシェではないのか。
ずっと身代わりだったのだろうか。
優しくしてくれたのも。幸せそうな笑みも。
向けられたのは自分であって自分ではないのか。
人魚の中には人を拐かし、誘い込んで溺れさせる者もいるときく。本物の人魚はさぞ美しいのだろう。
そうしてアルフラインの前に現れたら、その人魚にこそ真実の愛を囁くのか。
恋を自覚した途端、恋敵が人魚だなんて。
しかも理想にはどう足掻いても勝てる訳がない。
(……身代わりで愛されるなんて)
あの嵐の夜にアルフラインに出逢わなければ良かったのか。
だが助けなければ確実に命を落としていた。
(……それは嫌!!)
―――生きていて欲しい。
海の底でも、たとえ報われない恋だとしても。何度繰り返しても助けに行く。
「俺の妃になって欲しい。ルーシェ・カユン」
アルフラインが膝をついてルーシェの手を取り、愛おしい者にするように指先に口付ける。
その手のひらにそっと、王子と対になる百合の紋章が置かれた。
「ルーシェ…………返事は貰えないの?」
「……返事………………紋章は受け取ったの……ですから」
紋章を握る手は震えていないだろうか。ちゃんと笑えているだろうか。
本来なら本物の人魚が受けとるべき愛だ。返事など烏滸がましくて返せなかった。
けれど身代わりでも、アルフラインの側に居られる証が欲しかった。