王子との邂逅
牢へ降りる飾り気のない階段を昇ると、煌びやかとまではいかないが豪奢な廊下が続いていた。
広々とした建物を巨漢なわりにゆったりと進む男が案内したのは、ひときわ華美な広間だ。
「アルフライン…様の前だからな。一応頭は下げておけ」
扉の前で控えた男に促され、厳粛な雰囲気の中を進む。そのアルフラインと呼ばれた人物は、謁見の間の奥で王座に腰掛けていた。
遠目でも宝石の飾られた空間に負けない威光を放っている。
服装自体はシンプルな仕立てで、胸元を飾る百合を象った紋章以外は装飾品も付けていない。
ただ整い過ぎて冷たい印象すらある容貌せいか、彼の周辺だけ温度が違って感じるくらいだった。
真っ直ぐ視線を合わせられずルーシェも自然にかしづく。鮮烈なカリスマ性を持つ人物だった。
「……面をあげよ」
抑揚のない静かに通る声は逆らう事を許さない、施政者故の威厳があった。
恐る恐るその相手と目を合わせる。驚くほど綺麗な貌をした王子には何故か既視感があった。
だが一度会っていたら忘れない筈だ。
それくらい美しい、吸い込まれるような琥珀色の瞳をしていた。
シルバーブロンズの髪を左サイドに流していて、片目が隠れているのが残念で仕方ない。
その瞳から目を放せないでいると、何故か冷たかった表情に笑みを宿した。目を細めただけでも鮮やかに、柔らかい雰囲気を纏う。
「…………男だって聞いていたんだけど。君、女の子だよね?」
兄のツナギを着ている上に、髪も切ったせいで短くなっている。確かに男と間違えられてもおかしくはない格好だった。
だが、ルーシェが男でも女でも彼には関係ないはずだ。
返答を躊躇っていると、笑顔のまま立ち上がり軽やかな足取りで近づいてくる。
「やっぱり、女の子だ」
ひょいと真近で覗き込まれ、あまりの距離の無さに目を丸くする。
「これは君のだろう?」
「あっ、それっ……!」
見せびらかすように彼の顔の横で、指で摘まれたチョーカーが揺れる。
「返して欲しい?」
「…っ。もちろん!!」
反射的にチョーカーに向かって、伸ばした手を彼の手に組み取られる。
そのまま引き寄せられて、腕の中に抱き留められた。
「……そうだなぁ。返して欲しかったら、君の名前教えてくれない」
「な……んで………?」
息がかかるほど近くで囁かれて、耳まで紅潮していくのを止められなかった。
「真っ赤になってる。可愛いな。ねぇ。教えてくれる……?」
1本。また1本と、指を指の間に差し込まれる。大事そうにぎゅっと握られて、指から伝わる体温に身体から力が抜けていく。
「教えてくれないと、ほら、返してあげないよ?」
「なんで……?」
突然の豹変に翻弄されて、意味のない言葉を繰り返すしか出来ない。
「理由が必要? それなら、ひと目で君を好きになったからだよ」
揶揄うようにわざと耳元で喋ってくる。戯れか気まぐれなのだろう。
綺麗な顔に浮かぶ笑みは、恐ろしくにこやかだった。
名前を教えたら負けのような気がして、頑なに口を噤む。
せめて自由になろうと力の入らない身体でもがいた拍子に、彼の右の手首に巻かれたものが目に入る。
「……っ。なんで!!」
驚きすぎて固まり、本当に一瞬息を止める。
丁寧に編まれた水色のミサンガ。さすがに間違えない、ルーシェの髪だった。
「……その…髪」
「髪?………………俺が片目が隠している理由が知りたいの?」
「ちがっ。ってわざと隠してるの? …勿体ないなぁ。そうじゃなくて……。手に巻いてるの…………」
「あぁ、そっちね」
何かの儀式のように、自分の腕を口元に寄せて、そっと口付ける。
「ふふ。これはね。俺の命を救ってくれた女性が残していったものなんだ」
「…………命を……救って……」
――――何故この人なのだろう。
混乱し過ぎて過熱気味の思考の中でそれだけが反芻する。
「嵐の海で溺れていた俺を助けて、気を失った俺を陸まで運んでくれた。この髪の持ち主で、とても美しかった。……目にしたのは一瞬であまり覚えていないんだけどね」
海から助け出したのは長い時間ではなかったし、その後ずっと意識はなかった。それでもまるで恋人を自慢するかのような誇らしげな口調だった。
「君の瞳はこれと同じ色をしていて綺麗だね。……水色が良く似合っている」
上機嫌に褒められるほど、複雑な気持ちになる。髪の色が違うから別人だと思っているのだろう。
「私は……ルーシェ。ルーシェ・カユン。……貴方は?」
本人から名前を教えて欲しかった。
(元気になって良かった。それだけで充分)
「ルーシェ……良い響きだね。ルーシェか。嬉しい」
手入れはされていても男らしい手が 首に回されて、チョーカーが首にはめられる。
「余り似合っていないけど、約束だからね。……それにしても俺を知らないなんて君はこの辺の者ではないんだな。アルフライン・ハーク・ルギナス。このシンダルム王国の第7王子になる」
「アルフライン様……。シンダルム王国の……王子……」
助けた人物が一国の王子というは驚いたが、おかげで無事を確認出来た。
(チョーカーも戻ってきたし、彼の名前もわかった……)
これでもう、この国に留まる理由はない。
シンダルムはソダージュの隣国に当たる。かなり遠くまで魚釣りに来てしまったものだ。
「私はただのソダージュ共和国の漁師の娘です。漁に出ている間に難波してしまい、早く国に帰りたいのです」
家に戻るのを迷っていたはずなのに。
自分でも不思議なくらい、すらすらと口が回った。
「ソダージュ共和国か。それなら海路を使わないと難しいな。……残念だけど、しばらく欠航させるんだ。マレンカレンが近づいているみたいでね。俺の船も壊れてしまったし」
「人魚の領域…だから嵐が」
「そう。それに俺の恩人も人魚の可能性があるんだよ。じゃないと荒れた海で泳ぐのは難しいからね。人魚って皆ルーシェみたいに綺麗な瞳をしているのかな?」
「私と一緒にしたら、人魚に怒られてしまいますよ。色が一緒なだけですから」
「どうしてももう一度会いたかったんだ。会ったらどうするか決めていなかったんだけどね。……想いが溢れて止まらなくなるんだね。初めての経験だから困ってしまうな」
ルーシェを抱き締めたままの腕に力が籠る。溶けそうくらい甘い眼差しを向けられて、思わず身を引いてしまう。
「ずっと外にいて汚れてるし、もう離してっ」
ルーシェは人魚ではないし、漁師の真似をした上に遭難もして酷い有様だった。
彼の態度であの時の海の記憶をどれだけ大切にしているか解るけら、理想を壊してしまうのは忍びなくて。
「きっと逢えますよ。綺麗な水色の髪の人魚さんに」
ルーシェが助けた事は黙っていた。微かな胸の痛みには、気がつかない振りをした。