先生の手紙
深夜バスは動き出した。白水法子は車窓を鏡にして、透き通る自分の顔とその後ろを移ろう深夜の街を眺めていた。隣りの座席には誰もいない。電車の中には女子高生がいたな、彼女はふと思い出した。そして、肩にかけたままのバッグの中に右手を入れて、手紙があることを確認した。
高2の担任だった浅瀬洋一から死ぬ前に渡された、宛名も差出人の名前もない手紙。
なぜこの手紙を仕事の際にいつも持ち歩いているのか、彼女は自分でもわからない。いつの日か誰かに自分の罪がバレることを望んでいるのかもしれない。あるいは、この手紙が見つかったところで、自分と浅瀬洋一の死をつなぐ証拠は何一つ残っていないし、そもそも自殺として処理した数年前の事件をもう一度洗い直すほど警察も暇ではない、そんなことを確かめてみたいと願う気持ちがあるのかもしれない。
それでも、仕事を終えた後は、彼女は浅瀬洋一のお墓の前でひとりたたずみ、この手紙を読み返すことにしていた。
もう何度も読んだ文章、それでも読むたびに少しずつ印象が変わる。
最初に読んだときは、まったく頭がついていかなかった。
少したって読み返したら、これほど身勝手な手紙はない、そう感じた。
身勝手な言動の裏には、体裁をとりつくろうとか、保身のためとか、弱さを隠したりとか、たいてい何かしらかの「嘘」がある。先生の文章は少しカッコつけていた。でも私にしがみついて、服を着たまま性器にも触れずに射精して、涙まで流した。そこに「嘘」はない。
明日の朝この手紙を読んだときに、何を思うのだろう?
彼女は考えることをやめて目を閉じた。
「君がいまこの手紙を読んでいるということは、君はすでに一線を越え、僕はもう二度と君には会えないということだ。 (こんな書き出しで始まる手紙を書く人間はフィクションの世界では珍しくはないが、僕は現実に書いてしまった、なんて感慨深いのだろう!)
ひとりで一線を超えるのは簡単なことじゃない。世間を騒がす犯罪者の中には、ひとりで思い悩み一線を越えてしまう人はいる。でも、その何百倍か何千倍もの人が、一線を越えずに踏みとどまっている。
僕は君の背中を押した。このことを僕は後悔しない。君は僕と同じ種類の人間だ。普通の生き方をするより、きわめて特殊な生き方をすることで希望を持ち、自分を保つことができる。いまは理解してくれなくてもいい。いつか必ずわかる日が来る。
君を可哀想だと思う人間がいまはたくさんいるだろう。でも、そのうちの何人かはいつか必ず君を羨ましく思うようになる。
僕のことを書こう。
僕は大学の薬学部に進んだが、研究者や薬剤師にならず教員免許を取って高校の化学の教師になる道を選んだ。その理由はただ一つ。自分の性癖のためだ。伝統的に、薬学部は理系の中では最も女子の比率が高い。僕の周りは女子の方が多かった。そんな環境だったから、数人の女子と付き合うことができた。でも、僕は気づいてしまった。どうやら20歳を超えた大人の女性にまったく興味を持てないことに。大学時代の僕は女子に囲まれているような生活を送っていたが、通勤電車で女子高生を見かけると、本当に眺めているだけで幸せな気持ちになってしまう。僕は大人の中で生きていくのが嫌だった。それが高校教師という職業を選んだ理由だ。もう一つ考えたことがある。僕はいずれ生徒に対して性犯罪を犯すだろう。それが発覚して、高校教師をクビになったら、僕はきっと生きる喜びを失って死んでしまうのではないか、…これは想像というより確信に近いものだった。つまり、この仕事を選んだ以上、僕が定年まで勤めあげることなど絶対になく、どこかの時点で僕は死ぬことになるだろう。
僕は対策を思いついた。
性犯罪に手を染める時期をできるだけ遅らせるには、何か別のモチベーションを見つけなければいけない。先ほども書いたように僕はいつかこの仕事をクビになり、死にたくなるだろう。その時に一番困るのは、死ねないこと、死なせてもらえないことだ。人はみんな違う。誰にでもできることとできないことがあり、99.9%の人が当たり前のようにできることでも、必ずできない人は存在する。僕のように人生を全うできない人間は、ある時点で終らせるのが一番幸せだ。それに、人間の命がなによりも大切だなどという意見には同意できない。生き続けることで本人や周りの人間が苦しむ例はいくらでもある。不老不死が実現できない以上、病気を治すことは対症療法でしかない。薬は対症療法のためだけに使われるべきではない。人を楽に死なせる薬と、生きることに何の意味も見いだせない人を生かす薬、どちらが本当に必要かは後世が判断するだろう。
僕の考えは今の常識では決して受け入れられない。しかし、幸いなことに薬学を志す者の中には同好の士がいた。僕は薬を手に入れた。僕の望みは、この薬を使って僕の夢を実現してくれる女子高生の出現を待つことだった。その日までは決して性犯罪に手を染めて職を失うようなことは絶対にしない、僕はそう誓った。そしてその女子高生に僕の性的な願いを叶えてもらい、何も思い残すことなく人生を終わらせたい。15年教師を続けてやっと出会えたのが君だ。
僕の死は自殺だ。君には何の関係もない。僕の家に来たことは黙っていればいい。でも、もしここに来た痕跡が見つかって問い詰められた場合は、「怖くて気持ち悪かったから、言い出せなかった」と言えばいい。僕は変態教師と呼ばれ、君が咎められることはないだろう。どれだけ非難されようとも、死んだ僕の耳には届くこともない。
僕は君より20年ちょっと長く生きている。僕が君の年齢だった頃と比較して、世の中は大きく変わった。なかでも最も悪い方に変わったのは自然環境だ。この20年で地球は温暖化し、異常気象が過去に例のない災害をもたらし続けている。これからの20年、事態は悪い方向にしか向かわない。温暖化をもたらしたのは人間だ。人口が増えて寿命が伸びたことで、人間の数が適正な水準を超え、生態系を破壊してしまった。その根本にあったのはモラル。「人間の命は何よりも大切だ」というモラルこそが、医療を進歩させ、人間の存在をかつてないほど大きくし、地球環境を破壊してしまった。時計の針はもう戻せない。人類が生き延びるには環境に適応して進化するしかない。
経済学には「合成の誤謬」という言葉がある。景気が悪くなって誰もが支出を切り詰めれば、経済がさらに悪化するように、各々が正しいことをした結果、全体が悪い方向に進むことを、表現する。温暖化も「合成の誤謬」の結果だ。個々の人間の命を大切にすることで、人類全体を危機に追い込んでいる。人類が環境に適合して進化するためには「人の命は何よりも大切」というモラルは書き換えられなければいけない。
もとはと言えばこれは僕の考えではない。大学で出会ったKという友人の受け売りだ。この20年でKの予言通り地球環境は劇的に悪い方向へ変わった。次の20年で人間のモラルが変わるだろう。
僕は夢を叶え、君という後継者を見つけた。僕は十分に満足した。いまの僕にできる人類への最大の貢献は退場することだ。そう考える人はまだ少ないけれど、僕だけではないはずだ。ところがひとつ大きな障害がある。生き延びるためにDNAに刻まれた死への恐怖。この恐怖を克服するために必要なのは安楽死。安楽死には需要がある。ただ、その需要を満たすだけの供給がない。だからきわめて割の良い商売になる。そしてもちろん、安楽死の薬は殺人にも使える。
殺人の多くは経済的要因による。強盗殺人や保険金殺人は、他にお金を手にする手段があれば起こることはない。お金が十分にあって、面倒を見てくれる人を見つけることができるか、あるいは自分が逃げ出して生活できるお金があれば、自分の親や子供を殺すこともないだろう。生きるはお金がかかる。
では、経済的要因ではない殺人の動機は何か? それは怨恨や復讐。目的は相手に苦しみを与えること。でも、この動機による殺人が実行されることは極めて少ない。捕まるのが恐いから。つまり、怨恨や復讐による殺人は、潜在的な需要が多い。しかし殺人のプロなど世の中にはほとんどいない。需要と供給が全くバランスしないのだ。こういう仕事はとても割がいい。そして、この仕事は家族がいる人間にはできない。
「人の命は何よりも大切だ」というモラルは書き換えられる。その時に。復讐や恨みを晴らす手段は、殺人のままだろうか? そんなはずはない。脳を委縮させ記憶障害を引き起こすことで、これから先どうやって生きていけばよいのか、と恐怖を与えながら、「死ぬ」という選択肢を奪ってしまう。こんな復讐に対する需要は今後確実に増えていく。
君はいずれ何らかの職業に就き、生きていかなければいけない。僕は君のような生徒の出現を願って、職業人として生きてきた。そこに君が現れた。感謝の気持ちしかない。だから、僕は君に、普通の人にはできない人生をプレゼントしたいのだ。そのために二種類の薬を託す。
生きるにはお金が必要だ。君はすでに一線を越えた、大丈夫、君は君らしい人生を歩いて行ける。
ひと月もすれば僕の自殺のことなど誰も口にしなくなる。その頃にKから連絡が入る。これからはKが君を助けてくれる。彼は信頼できる男だ、そのことは僕が保証する。それに、Kは同性愛者だ、僕のような性癖はない。
僕には後継者が見つかったんだ、もう十分だよ、生きていてもこれ以上の満足を得ることはないだろう。