マルクの挨拶
「お父さんお母さん、この人は私が通う学校の校長先生なの」
「初めまして。ヘブンスと言います」
気を取り直して隣にいるマルクを紹介すると、二人とも目を丸くしていた。
「いつも娘がお世話になっております。あの、何か学校であったんでしょうか?」
お父さんが不安そうな顔をしている。いきなり校長が家に来るなんて、何事かと思ったのね。
「えーとね実は」
「ミーナ」
言いかけた私をマルクが制止してくる。彼の顔色を窺えば、彼は任せろと言わんばかりにうなずいていた。
そっか。校長先生らしく、ビシッと紳士らしく挨拶をしたいのね!
言葉を尽くして両親を説得するって馬車の中でも言っていたしね。
きっと校長として働いている彼のほうが慣れていて交渉事は得意なはずだから、私は素直に引き下がることにした。
「あの、本題に入る前にお聞きしたいのですが、ミーナさんに先ほどのような結婚の申し込みは初めてだったんでしょうか?」
マルクの質問は完全に予想外だったので、何事かと彼を見つめる。
それって弟子入りに関係ある?
「本格的な申し込みはサムが初めてでしたけど、冗談めかしてうちの息子の嫁にどうだいみたいなことは言われるようになりましたね。おかげさまで」
そう話すお父さんは少し嬉しそうだ。
そうだよね。私は今まで家事が近所で有名になるくらい致命的に苦手で、結婚相手として不適格の烙印を押されていたから。
声がかかることは全くなかった。
でも、魔導学校に通うようになってからは、有望株として一気に立場は逆転したみたいね。
「そうだったんですね。それなら事は早く進めたほうがいいみたいですね」
「ん?」
マルクは私に同意を求めるように話しかけてきたけど、内容は意味不明で完全に独り言のような呟きだった。
「改めて、ミーナさんのご両親にお願いがあります」
マルクが姿勢を正し、顔つきを急に改める。
これから彼は弟子入りの承諾を得るつもりなんだ。固唾をのんで彼を見守る。
「ミーナさんを幸せにするので私にください」
「え?」
私だけではなく両親の戸惑いの声も重なっていた。
まるで結婚の承諾を得るような台詞を急に言うから。一瞬慌てちゃったけど、こんな言い方をしたのは、きっとマルクに考えがあってことだ。
そう気づき、黙って見守ろうと口を閉じる。
面食らったお父さんは、マルクの次に私を見て、意志を確認してくる。
「ミーナはどうなんだ?」
「うん、私も彼と同じ」
もちろんうなずく。彼に協力するのは当然だから、彼の話に合わせた。
「そうか……。でも、出会ったばかりなのに」
お父さんの顔がみるみる渋面になる。急な話にやはり納得いかないようだ。
マルク一体どうするつもり?
心配していると、彼がずいっと身を乗り出してお父さんを見つめた。
「あの、ミーナさんはまだ未成年なので、私が学校だけではなく、私生活の面でも彼女の後ろ盾になりたいと考えています。彼女の資質は高く、私が保護した方が結果的に将来彼女のためになるんです。私は彼女の意志を無視したり、利用したりはしません。彼女が彼女らしく生きることを私は願っているんです」
マルクの真剣な言葉を聞いて、私は深く心を動かされていた。
『私らしく』
前世で意に染まぬ結婚をさせられそうになり、それまでの生き方を全否定され、絶望しかなかったからこそ、その言葉は重要だった。
私は魔導を極めたかった。その過程で知識を得る対価として国を裏切らないと若く浅慮だった私は契約しただけだった。それなのに、その契約を盾に王家に優秀な血を残すための道具になれと、当時の王太子が私に望んだのだ。
法律にない王命は、不正な圧政を防ぐために議会によって審議されるが、そこでも賛成多数で可決され、私の意志に関係なく私の結婚が決まった。
だからこそ、私らしくいられることを現世では優先に考えていた。
それをマルクは誰よりも理解してくれていた。
いつだってそうだ。彼は私の望みを叶えようとしてくれていた。
だからこそ、私は前世の記憶を思い出したとき、真っ先に彼に会って謝りたいと思ったんだ。
思わず彼の肩に触れていた。
マルクは私を振り向き、どうした?と問いかけるような優しい眼差しを向けてくる。じんわりと胸が温かくなり、自然と笑みが浮かんでいた。
「ありがとう」
「はい」
改めて礼を言うと、彼は照れくさそうにうなずいた。
「実はミーナから校長先生の話は少し聞いていたのよね。すごく良い先生だって」
お母さんの言葉にお父さんはすかさず反応する。
「そうなのか?」
「ええ、銀髪で青い目のすごく綺麗な先生と聞いていたので、一目見て気づきましたよ。仲良さそうに入ってきたから、私はもうそこでピンと来ましたけどね」
お母さんがフフフと意味ありげに微笑んでいる。
いや、マルクとは師弟関係で付き合いは長いけど、そんな勘繰られるような仲じゃないんだけどね。
彼が私の肩を抱いていたのも、サムが私と婚約したって言ったせいだったし。
守ろうとしただけで、全然深い意味はない。
「でも、本当にミーナで大丈夫ですか? あの、ミーナはすごく優しくて大らかなんですけど、その大雑把というかズボラなところがあるんですが」
お父さんがすごく心配そうだ。そうだよね。お父さんはまだ私たちは出会ったばかりだと思っているから、まだ私の欠点をマルクが知らないと思っている。
「はい、存じております。予想外のことをするので彼女を見ていると面白くて飽きないですね」
言葉って実に言い方次第よね。前世で人を珍獣みたいに彼が評していたのを思い出して懐かしかった。
「それなら、ミーナ自身が望んでいる以上、私からはこれ以上は特に反対する理由がありませんね。先ほど娘のために怒ってくれた彼なら、大事にしてくれると思いますし」
「ありがとうございます」
マルクは見るからにホッとした表情をしていた。
サムの騒動で見せたマルクの態度が、偶然両親の説得に一役買ってくれたみたいね。
「それでですね、まず手始めに私の弟子になってもらい、今後は私の屋敷で彼女に暮らしてもらいたいと考えております。実は、彼女には強い魔導の力があるのですが、制御が不安定なところがあり、日常でも熟練者の助けが必要なのです。もちろん経済的な面でミーナさんの家に負担はないのでご安心ください」
「ミーナにそんなすごい力があったんですね」
「そういうことならお父さん、ミーナをお任せした方がいいんじゃない?」
私の両親が驚いた顔で私を見つめる。
なるほど。そういうことね。
私はマルクが最初わざと誤解をさせる言い方をした理由にようやく気づいた。
彼の弟子になって一緒に暮らすなんて、いきなり要求しても、両親が受け入れづらい可能性の方が高い。なので、最初にその目的以上の要求を相手にまず言うのよ。当然、相手はそんなこと無理だと拒否するだろう。そこでマルクが譲歩したように見せかけて、本来の目的を伝える。
最初より抵抗の低い要求なら、心理的に相手は受け入れやすくなる。その方法をマルクは利用したのだろう。
彼は昔からそうだ。狙った獲物がどれほど強かろうと、決して諦めない。一見、それって何の意味があるの?って思うような行動でも、標的を追い詰めるための確実な手段となっている。
外堀を埋めるような地道な攻略方法は、彼の得意分野だ。
彼にムスカドラゴンの逆鱗の採取を頼んだときも、正攻法ではドラゴンに敵わないからと、何日もかけて奴らの生態や行動を観察し、発見した習性を利用して落とし穴にまで奴らを誘い込み、窮屈で動けなくなり火炎ブレスを封じたところで、冷却魔道で冷やして動けなくしたらしい。
それを声変わりもしていない子どもがやり遂げたのだから、魔導の力は私ほどではなくとも、その執念に近い不屈の精神に対して、当時の私も素直に感服していた。
ただ、マルクが私の結婚相手として両親に受け入れられたのは、彼も予想外のことだったと思うけど。まぁそれはあとでどうとでも誤魔化せるだろう。
「ミーナも校長先生の屋敷で住むのは大丈夫か?」
「うん」
私が素直にうなずくと、両親は弟子入りと同居の件をすんなり了承してくれた。
それから少し雑談をしたあと、マルクは帰ることになった。
「馬車まで送るわ」
「いや、」
「ちょっと話したいこともあるから」
多分マルクはこちらに気を遣って遠慮したそうだった。でも、強引に彼の腕にしがみつき、有無を言わさず私も一緒に外へ出る。
すぐに彼の腕から離れたが、なぜか彼の手が伸びてきて、逆に彼が私の手を掴んだ。
彼の手と顔を交互に見つめて意味を問うが、彼は嬉しそうに笑みを浮かべたまま歩き出すので、彼と手を繋いだまま歩く。
私の手を包み込む、私よりも大きな頼もしい手。
彼の成長をしみじみと感じて嬉しかった。
気がついたら、あっという間に馬車に着いていた。
ここまで私たちは無言で歩いていた。
「そういえば、私に何か話があったのでは?」
「そ、そうだった!」
慌てて彼から手を離す。
思わずほのぼのしていたせいで思考が停止していたけど、確かに彼に言いたいことがあった。
「さっきマルクが言ってたことだけど」
「さっきとは、どれのことですか?」
「私が私らしく生きることを願っているって、マルクは言ってくれたでしょ?」
「はい、本心ですよ」
マルクがにっこりと微笑む。彼は本当に私のために尽力してくれている。
「それはすごく嬉しかった。けど、それはマルクもだからね?」
「……それはどういうことですか?」
一呼吸置いたあと、彼は不思議そうに首を傾げる。
「マルクも自分らしく生きてほしいと、願っているってこと。ほら、前世では師匠だからって、弟子のマルクにばかり無理をさせていたでしょ? マルクの都合も考えず。あれってよくなかったなって反省しているの。だから、マルクも幸せになれるように私もできることがあったら協力したいと思っているのよ。言いたかったことって、このこと」
前世では他人にそもそも関心がなかったから、好かれようが嫌われようが興味がなくて、まさに自分勝手で傍若無人な人間だった。
だから、自分の人生を他人に好き勝手されてしまったんだろう。
こんな人間だったのに私を見捨てなかったマルクは慈悲の塊みたいな人だ。だから、校長という重要な役職を任されて、みんなから好かれている。とてもいい人だ。
「まさか、あなたからそんなことを言われるとは思ってもみませんでした」
マルクはよほど驚いたのか、目を丸くしていた。
彼は放心したように立ち尽くして私を食い入るように見つめている。
「そんなにびっくりしたの?」
私が苦笑すると、彼は素直にうなずいた。
彼にも私の成長を感じ取ってもらえたようで嬉しかった。でも、彼は何か戸惑っているような表情だった。
「あなたは、私にそれほど興味がないと思っていたんです。別に責めるわけではないのですが、以前私に呪いをかけて距離を置こうとしていたので」
マルクは申し訳なさそうに説明する。私を気遣ってくれる気持ちが、とてもありがたく、逆にこちらこそ申し訳なかった。
「あのときはごめんなさい。でも、あの選択を平気でしたわけじゃないよ。マルクが本当にどうでもいいなら、そもそも会いに行かないよ」
そう説明したら、彼はハッと顔色を変えた。
「そうですよね。すみません」
やっと分かってくれたようだ。誤解が解けたみたいで、本当に良かった。
そう安心したけど、彼の表情はまだ晴れてなかった。むしろ、なぜか暗くて、眉間に皺を寄せて考え込んでいる仕草を見せる。
しばらく彼は無言だった。その沈黙が、私の予想外だったから、少し怖かった。
「……あなたは本当に前世のあなたとは違うんですね」
彼はしみじみと残念そうに言う。まるで今の私が何か彼の期待を裏切ったみたいに感じた。
なぜ、そんなことを言うの。
気持ちがざわめく。
息が止まったように何も言えなくなった。
「お話はそれだけですか?」
「う、うん」
「すみません。暗くなるので、そろそろ行きます。わざわざ見送りありがとうございました」
そう別れを告げる彼の様子は、いつもと変わりはなかった。
彼はすぐに馬車に乗り込むと、窓から顔を覗かせる。彼の浮かべた笑顔が、先ほどの気まずさを薄れさせる。でも、決してなくならなかった。
「じゃあ、また明日」
彼の馬車が角を曲がって見えなくなるまで、私は足が縫い付けられたように動けなくて、ただ見送り続けた。