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ヘブンスの回想1

「稀にいるんです。強い魂を持つ者が、記憶をそのままに生まれ変わることが」


 私——ヘブンス・サクスヘルがそう疑いもなく口にしたのは、自分自身がそうだったからだ。


 前世でも魔導士で、有望な若手として周囲から評価され、女性からもチヤホヤされ、自分でも自惚れていた。だから、現れた厄災に周囲が恐れ慄く中、優秀な自分が負けるとは微塵も思ってもみなかった。でも、私もその他大勢のように亡くなった。


 それを現世で思い出したのは、私が七歳のときだ。魔導の講義が始まり、書物に見覚えがあると思った直後、前世の人生が走馬灯のように駆け巡り、あっという間に数十年の知識と経験を得た。


 いつだったか、誰かの随筆で書かれていた。偉大な魔導士が前世の記憶を持ったまま生まれたと。それと同じ体験をまさか自分がするとは思わなかった。


 でも、そのおかげで、陰謀と権力欲が渦巻く王宮で、王の庶子なのに正統な王の後継者よりも優れた魔導の力を持って生まれた危険性を認識することができた。


 王妃の息子の異母兄アーノルドは私よりも一つ上なだけ。しかも、その王子の全体的な能力は特に目立ったところがなく、王族にもかかわらず平凡だった。特に魔導は王族の割にいまいちだった。

 一方で私は上級の魔導も難なくこなせた。前世の知識もあり頭もよく回った。


 基本的に庶子に継承権はない。あくまで正妻の子が後継ぎだ。だが、あまりにも正妻の子が不出来で、庶子が優秀な場合、庶子を正妻の養子にして嗣子とする場合もなくはなかった。


 つまり、私はアーノルドにとって非常に目障りな存在だった。


 愛妾の一人だった母は既に病死していたが、本当に病いだったのか怪しい。

 元々王妃側に疎まれてはいた。ところが、私の魔導の力が広まってからは、さらに酷くなり、何度か食事に毒は盛られていた。手遅れになってからではまずい。このまま王宮にいるのは危険だと判断して、どこか外に出る計画を立て実行した。

 それが、ウィスターナ・オボゲデスの弟子になることだった。


 私の死後に誕生した、あの厄災を滅して無傷で生還した偉大なる大魔導士。

 直接対面したことはなかったが、王宮を訪れた彼女の姿を遠目で確認したとき、顔が割と整っている普通の若い女性のように見えた。


 だからなのか、無意識のうちに彼女を過小評価していた。

 実力は私よりは少し上くらいだろうと。


 あくまで目的は、王宮から出て身の安全を図ること。大事なのは彼女の大魔導士という肩書きだった。だから、僅差の実力であっても、彼女の弟子になっても構わないと考えていた。


 コネと実力と、少しばかりの権力を使って、弟子の地位を無理やり獲得した。

 彼女は弟子を今までとったことはなかったから、強引だったとはいえ、彼女の初めての弟子になれたことに少し誇らしげな気持ちもあった。

 でも、私の行動が大間違いだと気づいたのは、彼女の屋敷に弟子として初めて赴いたときだ。


 案内された応接室で、彼女の私を見る目つきは、友好とは真逆の、まるで汚物を見るようなものだった。


「へぇ、私の弟子とはお前のこと?」


 よく通る艶のある声と共に飛んできたのは、凄まじいほどの威圧。全身の皮膚が一瞬で粟立った。思わず跪いて命乞いをしたくなるほどの恐怖感。身体から血の気が引き、生きた心地がまるでしなかった。


 さらに信じられないほどの高密度のマナが一瞬で集まり、彼女の支配下に置かれている。普通なら耐えられず意識を失ってしまうほどの。


 厄災には敵わなかったが、私は魔導士の中では上位にいると思っていた。そんな私を赤子の手を捻るように涼しい顔で圧倒する。


 完全に負けた。彼女には小指一本敵わない。私の自惚れが完全に叩きのめされた瞬間だった。

 多量の汗が全身から流れる。手足は震え、気を抜けば、床にあっけなく倒れるくらいの眩暈に襲われていた。


 それでも立っていたのは、私に残っていた僅かな意地と矜持だった。ここで逃げたら、彼女の弟子にはなれない。


 歓迎されていないのは、瞬時に理解した。恐らく、私の強引な弟子入りに凄まじいくらい腹を立てている。でも、私は中身はともあれ見た目はまだ八歳の子供だ。そんな相手に大人気ないくらいな態度を向けてきた目的は、恐らく試練だ。ここで無様な姿を見せたら、それを理由に弟子入りを拒む気なのだろう。


「チッ、私の威圧を食らって立っていられるなんてね」


 彼女が舌打ちしながら、忌々しそうに見つめてくる。


「でも、少しは骨があったみたいね」


 そう意外そうに呟いた彼女の視線に少し自分への興味が含まれた気がした。弟子入りを許されたのかと安堵した瞬間、彼女が腹黒くニヤリとほくそ笑んだ。


「私の弟子として志願したくらいだから、さぞかし腕に自信があるんでしょう? ちょうどムスカドラゴンの逆鱗が必要だったから、とってきてもらえない? 弟子としての初仕事よ」


 彼女の作り笑いが、死の宣告のように思えた。

 ムスカドラゴンは、ドラゴン種の中でも焔に覆われた火炎系に特化した魔物だ。巨体から繰り出される物理攻撃も厄介な上に炎まで吐いてくる。生息域の活火山も有毒ガスが漂い、自殺願望者でなければ近づかない。師匠はそこへ挑発するように容赦なく行けと命じてくる。


 思わず舌打ちしそうになった。


「分かりました」


 拒否すれば、弟子入りが断られる。そう思って私が即座に引き受けると、案の定彼女は怪訝な顔をする。これも予想外だったのだろう。


 どうなることか分からないが、彼女の思惑どおりにさせたくなかった。

 弟子として絶対認めさせてやる。

 このとき私を動かしていたのは、子ども相手に情け容赦ない彼女への怒りと、不屈の反抗心だった。




 §



 師匠にムスカドラゴンの逆鱗採取の依頼を受けてから一ヶ月も経っていた。

 あの魔物に近づくためには念入りな準備が必要だった。現地では有毒ガスのせいで、満足に活動できない。失敗の連続で、少し離れた安全地帯との往復の日々だった。それでも苦労の末にやっと逆鱗を得て、師匠のもとへと戻れる日が来た。

 これで彼女は私を弟子として認めてくれるはず。疲労困憊だったが、ようやく彼女の鼻をあかせると、意気揚々と彼女の屋敷に戻っていった。


「師匠、ただいま戻りました」


 使用人から師匠は自室にいると聞き、彼女の部屋を初めて訪れたのだが――。


 扉を開いた直後、目を疑うような光景が広がっていた。

 物だらけだった。奥に机があり、そこに向かう細い道が辛うじてある以外、床の上に物が雑然と積み重なって置かれていた。それこそ部屋中に。

 ゴミとしか思えないような物まであちこち床に落ちている。


 その汚部屋の中に師匠がいたのだが、その彼女の格好も異様だった。

 タオル一枚身体に巻いただけの姿だったからだ。風呂上りなのか、濡れた黒い艶のある長い髪から雫がしたたり落ちている。火照った肌は張りがあり、瑞々しい女性の柔らかな肉体の曲線に視線が強く吸い寄せられる。

 思わず息をのんだ。


 彼女は私に気づかず、散乱した物の中から探し物をしていた。


「師匠、何をされているのですか?」

「え?」


 間の抜けた声と顔で彼女が振り向く。


「誰? 私は今、パンツを探すのに忙しいのよ。子どもに構っている暇はないの」


 虫を追い払うみたいにシッシッと邪険に手を振られた。すごく面倒くさそうに。


「もう、パンツどこよ? 確かここに買っておいたパンツがあるはずなのに」


 苛々とパンツを連呼した師匠は、確かにまだ下着すら着用していないようだ。

 タオルの生地は、股下を辛うじて隠す程度の丈しかない。

 大事なところが見えそうで見えない。いや、見るつもりはないが。


 私は師匠に報告という大事な使命のために滞在しているだけだ。当時私は八歳の子ども。決してやましい気持ちは持ち合わせていなかった。


 彼女の豊かな胸がタオルの中で窮屈そうに収まっているが、彼女が動くたびに胸がたゆんたゆんと弾むように揺れる。タオルの巻き目が少しずつズレている気がした。


「もしかして、ここかしら?」


 師匠が一番上に乗っていた箱を持ち上げたとき、ついに胸を支えきれなくなったタオルがハラリと床に落ちていった。


「し、師匠!」


 私は下を向き、目を隠しながら叫んだ。決して見ていないと、相手に分かるように。


「師匠って、ああああっ!」


 向かいから彼女の驚く声が聞こえてきた。それから近づいてくる軽やかな気配も。


「すっかり忘れてたー! そういえば弟子がいたわね。今まで見かけなかったから辞めたと思ってたわ。そっかー、まだ辞めてなかったんだーチッ。ところで、どうしてそんな汚い格好をしているの? まぁ、ちょうど良かった。パンツが見つからないから、買ってきてくれない? 今度はなるべく早く。百数えるうちに」


 あまりに情け容赦ない発言につい苛立ってしまった。


「私が長く不在だったのは、師匠が無理難題な命令を下したからです。それをすっかり忘れて、しかも弟子ごと存在まで忘れるなんて信じられません!」


 師匠に吠え面をかかせる——いや、認めてもらいたい一心で、心が折れそうになりながらも、命の危険に晒されながらも頑張ったのに。当の本人に忘れさられていたなんて。


 うつむきながら、悔しさのあまりに涙が出そうになった。

 視界の先に彼女のサンダルを履いた足元だけが見える。


「ドラゴンと過酷な環境にどれだけ私が苦労したのか想像もできないのでしょうか」

「できないわよ」


 目の前に立つ相手が吐き捨てるように答えたせいで、我慢の限界が来た。

 思わず顔を上げて相手を睨みつける。

 目が合った瞬間、驚くことに師匠の姿が一瞬で消えた。


「——え?」


 突然の異変に間抜けな声しか出せなかった。ありえない。いきなり人が消えるなんて。


 初めて常識を超えた現象が起きたせいで、頭が真っ白になっていた。


「おまたせー」


 何事もなかったように再び師匠が目の前に現れたとき、私は驚愕のあまり後退り、もつれた自分の足でよろめいて尻もちをついた。私は自分がおかしくなったのかと半ばパニックになりながら感じていた。


「ほら、とってきたよ。見てよ」


 師匠は真っ裸のまま、堂々と私の前に立ち、何か投げて寄越してきた。


 私の服の上に落ちてきたのは、薄っぺらい手のひらサイズのもの。わずかに異臭まで感じて、一ヶ月ほど滞在した過酷な場所を思い出す。手に取って詳しく確認すれば、それは鱗だった。赤い色をした魔力を帯びた貴重な素材。私が師匠から命じられたムスカドラゴンの鱗と同じに見えた。


「あの、これは」

「だから、とってきたって言ったでしょ? あなたが一ヶ月かけたものが、私には一瞬で手に入れられるの」

「は――?」

「だから、できない人の気持ちなんて私には分からないし、人に教えるのに究極的に向いてないの。私の弟子になっても不幸なだけよ」


 彼女は存在感のある胸の前で腕を組み、言葉を失くしている私を冷たく睥睨する。

 何度目かになるか分からない拒絶の態度に言葉を失う。けど、回らない頭の状態でも、答えはすでに決まっていた。


「弟子を辞める気はありません」

「――ちょっと!」


 師匠が何か反論しようとした気配を察して私は続けて言葉を続ける。


「あなたが想像できないのは、よく理解しました。パンツですね、パンツを買ってくればいいんですね。それより早く服を着てください。痴女ですよ。では、失礼します」


 まくし立てるように言って素早く立ち上がると、相手から逃げるように彼女の部屋から飛び出した。


 背後から「痴漢はお前でしょ! 勝手に部屋に入ってきて!」と罵声が延々と迫ってきたが、全て聞こえないふりをした。


 廊下を歩きながら、胸の中は様々な感情で渦巻いていた。

 もう笑うしかない。彼女から見れば、私もその他大勢の無力な人間の一人に過ぎなかったのだから。

 実力差がありすぎた。私なんて地面を歩く小さなアリみたいなものだった。

 恐らく、「そんな簡単なこと、どうしてできないの?」と彼女は常々感じているに違いない。


 でも、不思議と弟子を辞めようとは思えなかった。


 彼女が私の気持ちが分からないように私も彼女の気持ちを全く分かろうとしていなかった。

 非凡な彼女の気持ちを。


 ただ一方的に私は自分の都合で彼女の弟子になった。彼女に恨まれるのも仕方がなかった。だから、彼女のぞんざいな態度に恨みを抱く資格すらなかった。


 私の胸は、騒がしく高鳴っていた。

 脳裏に焼きついて離れない。先ほど一瞬で鱗を手に入れた恐ろしいほどの魔導の技術。

 それを彼女の間近で観察し続けたいと願ってしまった。自分には彼女ほどの才能はないが、側にいることならできるはずだと。


 彼女への弟子入りは、初めは生き延びるはずの手段だった。でも、私は彼女の優れた技に強く魅入られていた。

 自分の矜持は、既に修復不能なくらいにぼろぼろになっていたが。


 正直、悔しく妬ましかった。あんなに魔導の才能に恵まれた彼女を。


「それにしても、鱗は一瞬で手に入るくせにパンツはどうして人任せなんでしょうね」


 廊下を歩いている最中、使用人がいたのにもかかわらず、彼女の慎みのなさを思い出して、思わず失笑していた。


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