議会
牢屋生活にいた二日間、たまに人が来てお世話してくれるので、特に不自由がなかった。風呂もトイレも部屋にある。ご飯は時間になったら用意されるし、着替えは自動的に家から運ばれてくる。むしろ、こんなにゴロゴロしていていいのかなって思ったくらい。
マルクなんて、私に張り付いて始終ご機嫌に笑顔を浮かべていた。肌艶も明らかに良くなっている。まぁ、いつも朝早くから夜遅くまで働いていたから、彼にとっては休息代わりになったのかもしれない。
「ミーナ、きちんと髪をとかさないと、絡まっていますよ」
「あら本当? ちゃんとやったつもりだったけど」
朝、食事前に鏡台の前で椅子に座って身支度を整えていたら、マルクが背後にやってきた。
「ほら、ブラシを貸してください」
彼が後ろに立ち、渡したブラシで髪をとかし始める。あっという間にサイドを編み込んで、ハーフアップにしてくれた。前世でも、よくやってくれた髪型だった。
「ありがとう。懐かしいわね」
「できれば、現世でもあなたの髪に触れるのは、私だけでありたいんですけどね」
「あら、それは難しいわね」
即答すると、彼は少し固まっていた。
「……どうしてですか?」
「だって普段は、リナさんが髪を整えてくれるから」
マルクの屋敷で世話になっている使用人の名前を出した。
「なるほど。では、異性では私だけにしてください」
「うん」
私の周りで、わざわざ女性の髪に触ってくるような失礼な人はいないから、うなずいておいた。
家族でも、年頃になった女性の髪には触らないのよ。触れるのは婚約者とか、恋人や夫くらいなの。
まぁ、私はそんな風習は全然気にしないけど、誤解されるから止めておいた方がいいという、彼の助言だろう。
扉の向こうからノックが聞こえて返事をすると、解錠されて出入り口が開いた。
「サクスヘル卿。待たせたな」
現れたのは、王子のリスダムだ。本物の陛下に会ってからは、彼があまり怖くなくなった。
「本日、議会が開かれる。是非サクスヘル卿も出席してほしい。時間になったら迎えを寄越そう」
「ええ、お願いします」
チラリと王子が私に視線を寄越す。
「其方も出れそうか? 陛下もいらっしゃる。無理しなくてもよい」
その気遣いを聞いて、本当にこの人はあの男とは中身が違うとしみじみ感じた。
「私の話も出てくるんでしょう? それなら怖くても行くわ。今度こそ自分の意見を聞いてほしいから」
あの男には心底会いたくないけど、自分が何もしないまま勝手に決められるのも嫌だった。
「分かった。では、後ほど会おう」
「あの、待って!」
リスダム王子が背中を向けかけたので、慌てて呼び止めた。
「あの、この間は怖がって逃げてごめんね。もう王子のことは大丈夫だから」
すると彼は人好きそうな笑みを浮かべた。
「そうか。それは良かった。それなら今度、一緒に食事をしないか?」
「殿下、ミーナの髪型をご覧ください。可愛らしいでしょう? 私が整えたんですよ」
なぜかいきなりマルクが会話に割り込んできた。
「そ、そうか。確かに可愛らしいな。では、これにて失礼する」
王子が少し強引なマルクに引き気味だよ。気を悪くしたのか、そそくさと帰っていった。
「マルク、王子の会話に割り込んで、ちょっとまずかったんじゃないの?」
「いいえ、あれはさりげなく殿下の不適切な発言をフォローしただけです。あの場であなたを食事に誘うべきではなかったので」
「あら、そうだったのね。貴族のマナーって色々と複雑なのね」
あっさりとマルクの話に納得して、部屋の中を移動する。
「……全く、殿下の手の早さにはびっくりですね」
背後でマルクが苦々しく呟いていたことに私は全く気づいていなかった。
§
その日の午後、議会に呼ばれた私とマルクは、広い会場で同席していた。
入場したときは「大魔導士様だ!」と一時騒然としたけど、開会直前の現在は落ち着いている。
会場は上座に議長席があり、下座は円卓になっていて、そこに議員たちが既に着席している。中年の貴族ばかりで、若い人は少ない。私たちは議員席のさらに外側の壁際に用意された席に座っている。
いよいよ最後にあの男と王妃が登場して、一気に場は静まり返った。
奴を目に入れた瞬間、一気に恐怖が襲ってきて、呼吸が苦しくなる。思わず隣の席にいたマルクに手を伸ばしていた。彼の袖を掴もうとした瞬間、逆に彼によって手を握られていた。
彼の様子を窺うと、心配そうに私を見つめていた。
あの男が開議を宣告すると、さっそく司会進行役の比較的若い議員から議題が提示される。
最初は先日の厄災による被害者たちの国葬についてだった。あっさりと話はまとまり、規定通りに弔慰金を支給すると決まった。
「次の議題は、陛下からの緊急の議案についてです。厄災を滅ぼし、我が国を救ったミーナという娘との婚姻をお望みです。そのため、現在の王妃殿下との離縁の承認を得たいとのことです」
身体に緊張が走る。小刻みに肩が震える。
前世では、私とあの男との結婚に賛成者ばかりだったと聞いている。だから、みんなの反応が恐ろしかった。
あの男を盗み見れば、勝ち誇ったようにほくそ笑んでいた。
「国を救った英雄との婚姻は歓迎すべきことでしょう。何も問題はないと存じます」
「陛下のご意思は尊重されるべきだと存じます」
議員たちが静かに挙手し、許可を得てから発言していた。
聞きながら吐き気がしてきた。このままでは、また他人の言いなりになってしまう。焦って立ち上がろうとしたとき、隣のマルクの手によって制止させられた。
思わず怒りに駆られて彼を睨みつけたら、冷静な眼差しによって静かに受け止められた。
彼は何も言わなかった。私を黙って見つめながら、うなずいただけだった。
信じろ。そう言われた気がして、浮きかけた腰を再び下ろした。
不安と緊張を抱えたまま、再び議員たちの意見に耳を傾ける。
「長年我が国に献身的に貢献してくださった王妃陛下に何も過失がございませんので、離縁に至る理由がないように思われます」
他にも議員が意見を述べる。
「ミーナという娘が厄災から我が国を守ってくれた事実が本当なら、恩賞を与えるべき功績ですが、その恩賞が陛下との婚姻である必要はないと存じます」
「大魔導士ほどの才能がある娘なら、妃ではなく、魔導士として貢献してもらった方が良いと存じます」
他にもびっくりするほど次々と反対意見が続出していた。
前世での悪夢のような議決が嘘のように。
慌ててマルクを見れば、彼は満足そうにうなずいていた。
「反対意見多数のため、否決といたします」
「其方たち、大魔導士ほどの優れた人間を王族に、いや我が国に取り込む必要性をなぜ理解できんのだ!」
結論に対して不満を叫んだのは、あの男だ。一人だけ取り乱して、怒鳴り散らしていた。
「陛下は今まで多くの魔導士を愛妾に望まれ、子が誕生しましたが、必ずしも母親の優秀な魔導の血を受け継いでいるわけではない現状では、積極的に婚姻を優先する理由が見当たりませんわ」
そう告げたのは、あの男の横にいた王妃だ。
「なぜそのようなことを言うのだ!? 其方は余との離縁に了承したではないか!」
「あら、厄災が現れたとき、国を捨てて逃げようとした陛下に愛想を尽かしただけですわ。ご覧ください皆様、この委任状を」
王妃が掲げた紙が、議会の天井近くの空間まで浮遊したと思ったら、急に拡大されたように見えた。
魔導だ。実際に存在するように見せる幻覚系の。
そこには国の統治権を王子に委任する旨が記され、日付と署名がなされていた。まさに厄災が現れた日だった。
「陛下は厄災が現れたと聞いた直後、誰よりも早く避難されようとしたのです。臣下と民たちを顧みずに!」
「貴様、裏切ったな!」
陛下は顔を真っ赤にして立ち上がり、激昂のあまりに手を大きく振りかぶった。
だが、その手は王妃に届かなかった。おそらく、王妃が自身に張った結界に阻まれたから。
「それと陛下。議会の決議を経ずに、ミーナという娘との結婚の許可を彼女の国籍があるエルフィン国に求めましたね? かの国から返答が届きましたのよ? 婚姻は本人の希望なしに許可しないと。どんな脅しが来ても、決して応じないと、厳重な抗議がありました」
「我が国との流通が途絶えてもよいと言うのか!」
「まぁ、エルフィン国を脅されたんですね? 陛下のお考え一つで、国交問題にまで発展してしまったのですね。一大事ですわ。陛下が議会を無視して行動したせいで」
「娘一人の結婚を許可しない相手が悪いのだ!」
「ちなみにエルフィン国だけではありません。抗議文が届いたのは。エルフィン国から話がすぐに広まったのでしょう。大魔導士への結婚強制に対する抗議文が周辺各国から届いておりますのよ。世界の損失とも厳しいご意見まで頂戴しました」
「内政干渉だ! 揃って我が国を陥れるつもりなのだ!」
「陛下、国内の魔導士労働組合からは嘆願書が届いております。王命による魔導士の婚姻は、廃止してほしいそうです。これが聞き入れられない場合は、魔導士たちの労働を一斉に停止すると組合から通達されております」
魔導士労働組合?
そんな組織がこの国にあったなんて知らなかった。でも、ちょっと待って。マルクがよく会合に出席して会食していたのは、組合じゃなかった?
まさか。振り向いて彼と目が合うと、小さくうなずかれた。顔が近づいてきたと思ったら、「私が組合の会長なんです」と教えてくれた。どうやら全部彼は把握しているようだ。
「馬鹿な! そんなことをしたら国が崩壊するぞ!」
「他にも商人ギルドからも魔導士への待遇改善を求める嘆願書が届いております。上級以上の魔導士が激減して、輸送時の護衛確保も難しいと。ですから、陛下が魔導士を命令で娶るのを辞めればいいのです」
「何を言う! そんな身勝手な者たちに屈したら、国の尊厳に関わるぞ! 余に逆らう者は、全員処刑せよ! 特に首謀者は死刑とする!」
あの男がそう叫んだ瞬間、みんなの顔色が明らかに変わった。人によって様々だ。睨む者がいれば、呆れたような者もいる。一方で、顰めている者や、気まずそうな者もいた。
誰一人、あの男に同調はしていなかった。
「陛下のお考えはよく分かりました。どうぞ、お座りください。議会を続けますから」
「くっ……」
王妃に対してあの男はとても不満そうだったが、議会中だと思い出したのか、渋々着席していた。
「さて、次の議題に移りたいと存じます。魔導士法改正の議案についてです。意見がある方はいらっしゃいますか」
司会の議員が、何事もなかったかのように話を進める。
特に議員から質問は出なかった。不自然なほど静かだった。
「では、特に反対意見がないようですので、魔導士法改正を行い、それに伴って宣誓制度は廃止となります」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「宣誓制度の廃止? 本当に?」
「ええ、本当です。もう国から命令を強要されることはないのです。理不尽な命令を拒否することも可能になったんです」
横からマルクが説明してくれた。
「馬鹿な! 其方たち、自分たちが何に賛成したのか分かっているのか!? 魔導士たちが国を滅ぼしても良いと言うのか!」
議長席で、あの男が勝手に喚いている。
「陛下、魔導士たちよりも陛下ご自身が国を滅ぼそうとしているのが分からないのですか? この魔導法改正は、周辺各国に倣って魔導士の地位向上の目的もあったのですが、国や地位の高い者が宣誓を悪用して魔導士に理不尽な命令を強要することを防ぐためでもあったのです。陛下が死刑を含む処刑を命じたことにより、その必要性が完全に証明されたのですよ」
王妃の説明はとても分かりやすかった。この男が自滅したせいで、反対派が完全に消えてしまったようだった。
しかも、直前に王妃によって男が国を捨てて逃げようとしたと証言もあったので、あの男への忠誠心がなおさら低下したのだろう。
「さらに、国内外を混乱に陥れた陛下の振る舞いは、とても看過できるものではございません。陛下の退位を勧告いたしますわ! 王子ラクシルに王位を譲って隠居なさいませ」
「其方、無礼であるぞ!」
再び王妃に襲い掛かろうとしたが、今度は衛兵に背後から押さえ込まれていた。
若い男が議席から立ち上がり、上座に近づいていく。金髪で、明らかに王族だと分かる容姿をしている。
「父上、あとは私にお任せください」
「ラクシル、貴様も余を裏切るのか! 王位が目的か!」
「私ではない! 父上が母上を裏切ったのではありませんか!」
この親子に何があったのか分からない。でも、息子に言い返されるとは思ってもみなかったのか、男は明らかに怯んで口ごもっていた。
「離せ! 許さん、こんな振る舞い、許されるわけない! 余は国王であるぞ!」
男はみっともなく暴れながら、衛兵によって会場から強制的に下がらされていた。
「皆の者、父上に代わり、今までの魔導士たちへの理不尽なふるまいを謝罪する。これからは私が王位を継ぎ、国の発展に尽くそう。よき王となるためには、其方たちの協力が必要不可欠だ。どうか私に手を貸してもらえないだろうか」
議員たちが一斉に拍手し始めた。「ラクシル陛下、万歳!」とまだ即位の儀式を経ていないのに口にしている者もいる。
賛成ばかりの雰囲気で、反対を言える勇気のあるものはいないようだった。
私と言えば、まだ理解が追いついていなかった。
こんなに急に魔導法改正が可決されて、私を苦しめた宣誓がなくなるなんて、思ってもみなかったから。
横にいるマルクを窺えば、彼は嬉しそうに微笑みながら、私に「説明は後で」と言わんばかりの目配せをしてきた。




