言い分
「おかしいと思ったのは、前日カーズ先生の殺意を感じたときです。引っ掛かりを覚える中、本日またもや同じ状況のときにカーズ先生から襲撃を受けたので、推測は当たっていたようですね」
マルクは修復魔導で寝室の修理をしながら、説明してくれた。私の前世で散々鍛え上げられたおかげか、慣れた手つきである。みるみる元通りに戻っていく。壁が見事に復活していた。
彼は長い銀髪を垂らしたままで、しかも寝間着はゆったりとしたワンピース。彼のくだけた姿は、かなり貴重だった。
「うーん、やっぱりよく分からないわ。どうして私が師匠に押し倒されたときにカーズ先生が師匠に怒りを覚えたの? もしかして、私が襲われていると勘違いしちゃったの?」
マルクが寝間着のままで働いている一方で、私は既に制服に着替えていた。戦闘が終わってすぐにマルクから真っ先に格好について指摘を受けたからだ。カーズ先生がいるから着替えなさいと。
今は壁際に立ち、二人の邪魔にならないようにしている。細かい作業は得意ではなかった。
「勘違いじゃなくて、本当に襲われていただろ! 俺が止めなかったら、ヤバかったぞ!」
カーズ先生が修復の作業の手を止めて、ぎょっと驚いていた。
でも、なぜ彼がそんな慌てるのか理解できなかった。
「えー、そんなことないわよ。彼に限って。あれはただ単に戯れあいだし。全然変な意味はないわよ」
マルクの黒薔薇の人への一途さをカーズ先生は知らないのかしら。
そう答えた途端、カーズ先生はまるでおかしなものを見るかのような目を私に向けてきた。
ケーキに間違って塩を入れたのに気づかず、そのまま焼いて一口食べてしまったあと、ケーキを二度見したときの顔に似ている。
「校長先生、大魔導士様がおかしなことを言ってるぞ」
「いつものことだから気にしないでください。私だけが彼女の良さを知っていればいいので」
「最後に褒めているけど、最初は否定するところじゃないかしら?」
変なところで一致団結しないで欲しい。
「とにかく、カーズ先生が私を狙っていたわけではなくて良かったわ」
「良かったじゃねーよ。どうして俺が恩人の大魔導士様を狙っているって話になっていたんだよ」
「あう」
避けて通りたかったけど、やっぱり当の本人は見逃してくれなかったようだ。
「ほら、前世の最後に会ったとき、あなたはすごく恐ろしかったでしょう? 戦意を剥き出しで、私を殺すってやる気まんまんだったじゃない。それで再会したら、深刻な顔で話しかけてきて、私を恨んでいるような口ぶりだったから、今でも私を殺したいのかなって誤解しちゃったのよ。ほら、前世で私が死んで下僕の呪いがとけちゃったし、元の下僕の呪いが復活したでしょう?」
「いやいや、元の呪いも張本人は処刑されて死んでるから消えているって。だから、今の俺は誰からも支配されてない」
確かめてみろよと言わんばかりに彼は胸をアピールするので、念のために調べると、確かに彼の体には何も魔導の痕跡はなかった。
「確かにさ、俺はお前を恨んでいた。病気の妹がいて、あの組織が妹のために薬を用意していたんだ。だから、組織がなくなったら妹が死んでしまうと必死だったんだ。でも、本当は組織が俺を駒にするために妹を利用していただけだった。大魔導士様は組織に囚われていた子どもを全部助けてくれただけじゃなく、病気の子たちもできる限り治してくれたらしいな。その中に俺の妹もいて、これで美味いものでも食えってお金もくれたって嬉しそうに話していた。薬だってずっともらったやつは効果の何もない偽物で騙されていたって分かって、俺はやっと目が醒めたんだよ」
そっか。あの中にカーズ先生の家族がいたんだ。知らなかった。光も入らない汚くて狭い部屋の中に子どもたちが押し込まれていたのよね。碌に世話をされていないのは明らかなほど不衛生だった。あまりにも酷かったから、こんな組織が無くなっても誰も困らないよねって壊滅を決意したのよ。私も魔導の力がなかったら、この子たちと同じ目に遭っていたような育ちだった。だからなのか、組織が許せなかった。我慢できないほどの憎悪がこのとき私を突き動かしていた。
完全に偽善な行為だったけど、救われた人がいたなら良かった。
「でも、図書館で私にエルフィン語で話しかけてきたとき、なぜあんなに恐かったの?」
カーズ先生は恥ずかしそうに苦笑する。
「これでも柄にもなく緊張していたんだよ。それで真顔になっただけだ。今となっては、馬鹿らしいけど。お前、なぜか大魔導士だと隠していただろう? だから、まずは大魔導士だとお前に認めさせないと話にならないと思ったんだよ。一応お前に合わせて人気がないタイミングで、会話も聞かれても分からないように配慮したんだぞ?」
「あーだからなのね。なんか追い詰められる犯人みたいな気分になったから、余計に怖く感じたんだわ」
「あんなに熱心に難しい本を初等部の生徒が読み漁っているのは不自然だったぞ」
「あう。じゃあ、恨んでいるような口調だったのは?」
「意を決して会いに行ったのに無視されたしなー。それに、お前を責めるわけじゃないけど、やっぱり辛かったんだよ。自業自得とはいえ、恩人に誤解されたままで、謝罪も感謝もできないのって。しかも忘れ去られたのか一度も会いに来てくれなかったから余計にな。恩人が困っているときに何もできないままお前が亡くなって、やるせない思いしか残らなかったんだよ」
カーズ先生は、今は落ち着いて話してくれるけど、あのときの声の調子は、苦渋の深淵を感じて恐怖を覚えるほどだった。
「ごめんね、色々と誤解して。むしろ会いに行ったら嫌がられるくらい思っていたのよ」
「あーそうだよな、そんな態度だったよな俺」
カーズ先生がしょんぼりと首を垂れた。
あのとき、絶対私を殺してやるって、凄まじい殺意だったのよ。まさか勝手に誤解が解けているなんて考えられなかった。
「無視もごめんね。あなたも気づいているとおり、大魔導士だってことは隠しているの」
「それもおかしいと思ったんだよ。なぜ校長の弟子になったんだ? 隠したいなら、余計目立つだろう? だから、校長に何か脅されて無理やり弟子にさせて、襲われているのかと心配していたんだぞ?」
余計に目立っている。そう改めて指摘されて、自分の見込みが甘かったと思わずにいられなかった。
「校長の弟子については目立つんじゃないかと、私も懸念はしていたの」
チラリとマルクを見ると、彼はいつの間にか部屋を完全に元通りにしていた。
「でも、彼女はうっかりなので、つい普通ではないことをしてしまうんですよ。中途の入学試験の結果もそうですし、図書館での出来事も。それをフォローしやすいように師弟関係を結んだんです。私の弟子なら、彼女の優秀さを誤魔化せると思ったのですが」
マルクが説明を引き継いで話してくれた。
「彼女が大魔導士だと分かった決定打はなんだったんですか?」
「俺の気配に気づいたのと、エルフィン語を理解した点だ。あと、校長の手記に書いてあっただろう? 彼女が生まれ変わることを祈っていると。俺もずっと待っていた」
二人が見つめ合う。しばらく言葉なく。でも、彼らの視線が、何かを訴えるようにお互いに視線を向ける。どちらも動じることはなかった。
やがて、マルクが視線を逸らして、クローゼットらしき扉に向かう。
「私も着替えるので、二人は先に食堂に向かってください」
そう言われたので、素直に部屋を出た。
ところが、廊下に出て食堂に向かおうとした途端、カーズ先生がいきなり私の行き先を塞ぐように膝をつき、床に手をついて頭を下げていた。
「その、今まですまなかった! ずっと大魔導士様に謝罪とお礼を言いたかった! 助けてくれてありがとうございました!」
「あの、正直に言うと、あの組織に腹を立てて勝手にやったことだから、気にしなくていいのよ。そこまで重く受け止められると、私も困るわ」
「いいや! 恩知らずになりたくないから、是非ともあなたの元で働かせてくれ!」
どうやら彼には何か信義があるらしい。決して私の言葉に流される様子はなかった。ずっと頭を下げている。
「そんなこと言われても。あっ、そういえば妹さんは元気なの?」
都合が悪くなったので慌てて話題を逸らした。
「妹は、去年亡くなった」
「そんな……」
「いや、妹は俺とは違って魔導士の資質はなかったから一般人だったんだ。老衰だ。大勢の家族に囲まれて大往生だったらしい。俺も葬式に行ったけど、安らかな死に顔だった。この幸せも全部、大魔導士様のおかげなんだ!」
あら、話題を変えたはずなのに戻ってしまったわ!
「それなら、あなたにさっそくやってもらいたいことがあります」
マルクがドアを開けて出てきた。早い。もういつものスーツ姿に変わっている。髪型もすっかり決まっているわ。
「俺、校長先生には用はないんだけど」
突然会話に入ってきたマルクをカーズ先生が顔を顰めて見ている。
「もちろん、彼女のためです」
「なら、なんだってやるぜ。とりあえず、しばらく俺もここで世話になるわ。大魔導士様が心配だしな」
「まぁ、打ち合わせも必要ですから構いませんが、用が済んだら早期のお引き取り願いします」
「意外にしょっぱいな、校長」
「正直、邪魔ですから。馬に蹴られますよ」
「俺には蹴られる要素はねぇよ。亡くなったカミさん一筋だしな」
「カーズ先生はとても好感の持てる人ですね。好きなだけご滞在ください」
マルクは手のひらを返したようにカーズ先生に対して友好的になった。
なるほど一途仲間ってことね!
二人の間に火花が散っていたみたいだけど、すっかり意気投合したみたいで良かった。
今朝の食事はマルクもいたし、カーズ先生もいたから、賑やかで楽しかった。
やっぱり一人で食べるより、ずっといい。マルクは無理しなくいいって言っていたけど、少しは早起きを頑張ろうと思った。
でも、平穏な雰囲気がカーズ先生から出たある話題で打ち消されてしまった。
「そういや、王宮から高等部に問い合わせがあったぞ。ヘブンス校長の弟子について。そんな生徒はいないって回答したけど、本当にこのまま師弟関係を続けて大丈夫なのか? あの国王、才能ある魔導士の女を愛妾にしまくっているだろう?」
「えっ、それってどういうことなの?」
「ほら、前に図書館で言っただろう? 俺の故郷では宣誓がないから、女子に人気だって。あれって国王の異常さを女の魔導士が嫌がっているからだよ。この国で高等部にいたら陛下に狙われるから女子だけ極端にいないんだぜ」
突然こめかみを殴られたように、頭が真っ白になった。
思わずマルクに視線を送ると、彼は沈痛な面持ちで首肯していた。
「不安はあると思いますが、あなたは私が守ります。絶対に」
「うん……」
まだこの国は自分勝手な王のせいで、苦しんでいる者がいる。それを知って、暗澹とした気分が胸の中でとぐろを巻いた。