ヘブンス、王宮にて1
王宮は虚構でできている。
私——ヘブンス・サクスヘルは、富と権力で煌びやかに飾られた建造物に来るたびに感じる。
ここに住む者の多くは、自分が尊い存在だと信じて疑わない。ただ運よく王族に生まれたから、人々に傅かれているだけなのに。
特にこの国の王が、その愚者の頂点にも君臨しているから救いようがない。
「ヘブンス。あなた弟子をとったそうじゃない。ミーナという十六歳の女性だとか。今度はどんな子なの?」
王妃ベルダがワインを飲みながら話しかけてくる。随分と楽しげだ。真っ赤に塗られた彼女の唇が弧を描く。
彼女の魔導の資格は上級だが、資質は高いと聞く。実際の年齢は四十半ばだが、それよりはひと回りは若く見える。
今日は王妃から食事に呼ばれて王宮に来ていた。
彼女の息子である王子が私に会いたがっているという名目だったが、これが本来の目的だったようだ。
ミーナを弟子として国に届けてから一ヶ月経ち、誰にも話していなかったが、書類を受理した誰かから王妃の耳に入ったようだ。
いつかはバレると思っていたが、意外に早かった。
「学校に入学したばかりの手がかかる生徒です。資質は高そうですが、不安定さもあったので、私が面倒をみることにしました」
まぁ、そういう建前にしている。
「あら、そうなの。あなたが弟子を、特に女性をとるなんて珍しいから、陛下が気にされていたのよ。今度、私も会ってみたいわ」
彼女はそう言って紫の瞳を細めて意味深に私を見つめる。
彼女の夫である国王陛下の魔導への執着が異常なことは、広く知られている。
有能な魔導士の女性たちを陛下は自分の愛妾として召し抱えている。高い魔導の資質を持つ子を求めているからだ。
三年経っても孕まない女を捨てては、さらにまた新しい女を囲っている。
愛妾で王の子を産んだ者は何人かいるが、魔導に長けた子は一人だけ。
その男子を産んだ女性を陛下は最初から気に入っていた。他の女とは違い、三年以上も子を孕まなくても決して解放しなかった。王妃よりも足繁く彼女の離宮に通って寵愛している。黒い髪と瞳を持つ彼女によく似た女性を。
王妃としても、私の弟子になるくらい有能な女に陛下が興味を持ったから、さらに厄介な愛妾が増えるのを警戒しているのだろう。
「恐れながら、弟子は未熟な庶民ですので、国王陛下の御前に上げられるほどの礼儀作法を知りません。王妃殿下にも不快な思いをさせてしまいます。また、彼女は目立つことも出世も望んでおりません。状況が落ち着いたら、師弟関係は解消するつもりです」
陛下の犠牲には、二度とさせるつもりはなかった。
「そう、それなら仕方がないわね。そっとしておきましょう」
私の弟子が王妃の脅威にならないと理解されたおかげか、彼女はあっさりと引き下がった。
「母上がダメでも私ならいいですよね? なにせ私は兄弟子ですし」
黙って話を聞いていたリスダム第二王子が口を開く。
一昨年前まで、彼を私の弟子として世話していた。ちなみに彼の兄の第一王子も私の弟子だった。彼らの魔導は幸いにも父に似ず、若くして初段の魔導の資格を持つほど優秀で、国軍の魔導団長として活躍している。
彼は両親譲りの美しく長い金髪を優雅にかき上げ、二十歳の若々しい面差しをこちらに向けている。その目は好奇心に溢れていた。彼も私の弟子に興味があるらしい。
だが王子、お前もダメだ。若くて、彼女と年が近い。しかも、彼は人懐っこくて親しみやすい。今の割と気さくな彼女なら、あっという間に仲良くなってしまう恐れがあった。危険すぎて正直彼女に会わせたくなかった。
この端正な顔つきな王子は、多くの女性を魅了し、絶えず浮名を流している。その来るもの拒まずの節操のなさに王妃がたまに愚痴をこぼすくらいに。
彼女から大切な存在だと思われていたのは嬉しい誤算だったが、彼女から家族としか見られていない以上、油断は禁物だ。
「そうね、たまには市井の者と触れ合う機会も大事でしょう。リスダム、身分を伏せて振舞うのなら構わないわ。ヘブンス、頼んだわよ。その代わり、頼まれていた議案について、私から上手く貴族たちに話しておくわ」
「……畏まりました」
この王子は高貴な地位ゆえに女性からチヤホヤされるが、それを自分自身の魅力だと思い込み過ぎているらしい。それがこじれて陛下の愚行を真似をされても困る。それもあって、王妃は身分を伏せた際の皆の態度を王子に経験させたいのだろう。
自惚れた経験は私にもある。
王妃に他で世話になっている以上、素直に引き受けるしかなかった。
王妃との食事会を終えて、王宮内を移動していると、最も会いたくない人物に会ってしまった。
国王アーノルドは、侍従以外や護衛以外に貴族を連れていた。
「ほう、ヘブンス。来ていたのか」
王族に多い金髪をした中年男が、私を探るように見つめ話しかけてきた。
昔は美青年と持て囃されたときもあったが、今は四十後半の年相応に老いていた。
「陛下の麗しき御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
膝を曲げて、家臣として挨拶をする。
「構わぬ。面をあげよ。其方、弟子をとったそうだな。なんでも女子とか。其方が目に留めたのだから優秀なのであろう」
さっそく来たか。女の敵め。
「まだ分別の付かぬ庶民の新入生でございます」
「年が十六だと聞いているぞ。それなら余の傍に置いても問題あるまい。今度連れてくるが良い」
「恐れながら陛下。先ほども申し上げたとおり、弟子は礼儀も分からぬ庶民です。殿下のお側に仕えるにはふさわしくありません」
陛下のお側に仕える人間は、貴族のみと決まっている。
「そうか。なら、一年待ってやる。それまでに準備しろ」
貴族の家に養子に入れて、礼儀作法を習わせろと命じてくる。
大魔導士を王太子妃にと望み、それを議会で可決されたせいで、この男の欲望を止めるすべがなかった。
当時、この男の母の前王妃が、議員である貴族たちに根回ししたせいだ。
彼女は王太子として息子の力不足さを感じていたのだろう。大魔導士を娶った点を政治的に利用したかったに違いない。
この議決があるせいで、魔導で優秀な女性を王族に嫁がせることは是だと、この国で認められてしまっていた。
「ですが、」
「口答えするとは、陛下に無礼ではないか!」
「庶民なら十六で結婚もしている。素直に頷けば良いではないか!」
私が何か反論しようとしたら、侍従や貴族が間に割り込み邪魔をしてくる。
「私の発言を遮るとは、礼儀作法も知らないのですか」
彼らは私の睨みに押し黙った。貴族の身分は、運が良いことに私のほうが上だった。王の庶子なので、一代限りだが爵位として伯爵を得ていた。
「陛下、成人は十八歳と数年前に議会で決まったばかりです。国の決定を国王が無視される訳にはいかないでしょう」
「ふん、確かに其方の言うとおり成人でしか結婚はできない。だが、愛妾なら問題あるまい。先ほど他の者が言ったとおり、十六なら庶民は平気で所帯を持っているのは余でも知っているぞ。其方の気にしすぎだ」
陛下はこれ以上私が反論できないと自信があるのだろう。顔に勝利の笑みを滲ませていた。
「陛下のおっしゃるとおりではないか」
「早く従わないのか、見苦しいぞ」
陛下の取り巻きたちが、尻馬に乗るように加勢してくる
確かに陛下の言い分は間違ってはいない。まだ庶民にまで成人年齢は広まっていなかった。せっかく陛下の愛妾対策で成人年齢を制定したが、効果が現在では残念ながら全くなかった。
「陛下が愛妾とする条件は優秀な魔導士だと以前から仰っておりましたが、それに間違いはないでしょうか?」
「そうだが?」
いきなり何を言うのかと陛下は怪訝な顔をする。
「なら、その陛下の条件に私の弟子は当てはまりません。なにせまだ弟子は魔導士ですらないので」
「どういうことだ?」
陛下は不信感を露わに眉を顰める。
「はい、弟子はまだ初等部に入学したばかりです。まず初等部を卒業しなければ下級の魔導士としても名乗れません」
「なんだと!? 余を騙したのか!?」
弟子が十六と聞いていて、高等部の入学と勘違いしていたのだろう。それなら優秀だと誰しもが考える。
「陛下を騙すなんてとんでもないことです。ところで、私が弟子をとることが、なぜ陛下を騙すことになるのでしょうか?」
「くっ……!」
とぼけた口調で尋ね返すと、陛下は見事に口籠った。
私の弟子というだけで、よく調べもせずに愛妾として求めたのは、陛下の過失。軽率な行為だったのだから。それなのに騙したなどと、八つ当たりみたいな反論をしたのだ。自分でも幼稚な返しをしたと自覚があったのだろう。矜持だけは身分並みに高い彼は、恥ずかしさと怒りで真っ赤になり、もう口論できる状態ではないようだ。
「陛下、以前から申し上げておりますが、すでに陛下には立派な王子が二人もいらっしゃります。これ以上お子を望まれる必要はないかと存じます。魔導士は魔導を学ぶために相応の時間をかけております。その貴重な人材を失ってしまいますと、魔導の発展の妨げになる恐れがあります」
「ふん、余が声をかければ、女が喜んで愛人になりたがるだけだ」
まぁ、そういう女は、魔導の資質や身分を問わず確かにいた。
夫を若くして失くし財力的に不安がある女性や、陛下の寵愛を得て贅沢な暮らしを夢見るような野心を持つ者だ。
「上級の資格を得るためには宣誓が必要ですが、同時に国の命令に逆らえなくなるため、陛下が愛妾にと望まれれば拒否できません。愛妾の辞退を願った魔導士も過去にいたと記憶しておりますが、覚えておいででしょうか」
「うるさい! あの大魔導士さえ生きていれば、もっと素晴らしい子が生まれていたはずだったんだ! 余はそれを取り戻そうとしているだけだ!」
私の反論に陛下は顔を真っ赤にし、肩で息をするほど呼吸を荒くしていた。
その彼女を追い詰めて死なせたのは、お前だろう。喉までその言葉が出かかった。怒りで爆発しそうだったが、理性がそれをギリギリ押しとどめた。
私の鋭い視線に気づいたのか、わずかに陛下はたじろいだ。
「ふん、もうよい!」
陛下は感情を露わに不快そうに立ち去って行く。
しかし、これで諦めるような可愛らしい性格を奴はしていない。私の弟子というだけで、ここまで食いついてきたのだから。
安堵とは心中はほど遠い。今後も用心は必要だと気を引き締める。
「王妃の犬が」
「何様のつもりだ」
陛下の後を追う他の貴族たちから、侮蔑の言葉を投げつけられる。私より下位の身分の者が躊躇せず平然と侮ってくる。
陛下の愛妾の多くは、庶民出身の魔導士だ。このとき愛妾の養親として散々お世話した貴族の家が陛下に気に入られ、このように笠に着るようになっていた。
それを愚かなことに陛下自身が咎めるどころか黙認している。あの男に都合の良い甘言ばかり囁くからだ。
本来なら喧嘩を売ってきた相手の名前を確認して覚えておくと脅すくらいはするべきだが、今は揉め事を起こす気はなかった。
そのまま王宮の正門へ向かって歩みを進める。
そういえば、彼女の弟子となった直後にも、こんな風に絡まれたことがあった。あの国王陛下が、まだ王子のときだ。師匠が王宮に用があるからと、私まで連れて行ったのだ。