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EP5 夕暮れのローマへの道で ―2―

「いや、それはおかしいでしょう」


 部下から待ったがかかる。


「申し遅れたマリア嬢。私はフィッシャーマンズ商会会長、ピーター・フィッシャーマンと言います」


「いやいや、会長。人で増やすのはもっと計画的にやらないと。経費がかさんで大変なことになりますよ」


 部下が食い下がるが、少し黙れと手で示す。部下はそれを見て諦めたように黙り込んだ。従順だが、脆い。優秀な人間ではあるのだが。


「先ほどの魔術は、魔術ではありませんね?」


「……なんのことでしょう。たまたま魔術が発動しただけと言ったはずですが」


 根拠はいくつかあった。魔術という割に、結局光っただけ。そういう例もないではないが、魔術の本質は破壊である以上気になる点だ。


 もう一つは、彼女が特別賊に敵意を持っていないらしいという点。もっとも、訓練によってある程度魔術発動のハードルを下げることはできるが。


 その二つは単体で見ればさして大きな違和感ではないが、重なれば、かまをかけるには十分な理由になる。


「松明に油をかけたとか、そんなところですかね」


 マリアは目を細めて、間合いを詰める。この間合いは恐らく短剣でも持っているのだろうか。用意周到という言葉がよく似合う女だ。


「もう一度言いますが、私はあなたにフィッシャーマンズ商会に入社してほしいと言っているだけです。別に奴隷にしてやろうだとか殺してやろうとか言っているわけではない」


「信用できませんね」


 まあ、そうだろうが。マリアはまだ若い。帝国での女性の地位はまだまだ低いが、商才さえあれば這い上がれるのが商業の世界でもある。このポテンシャルは見逃せない。


 そして何より、松明と油をあらかじめ用意しておき、もしもの保険の短剣をしのばせておく狡猾さ。女が一人で出歩くというリスクを冒すにあたって、最適な準備を尽くしている。


 ピーターはもう一度彼女の振る舞いを観察し、静かに覚悟を決めた。今はリスクを踏むべき時だ。


「……1400年と少し前、救世主は十字架にかけられ、その一生を終えました」


「?」


 マリアは怪訝な表情をし、部下が後ろで息をのむ。


「しかし、その方は死んでなどいない。事実、キリストは死人の内から蘇り、天に昇った」


 それは魔術などではない。はるかに高尚で、はるかに誇り高い。常識への挑戦である。


「私はこの帝国を再び正しい道に立ち戻らせる機関に身を置いています」


 光も発しない。音も出ない。しかし、『それ』は確かに起こっている。


「マリア。あなたの力が欲しい。生きようとあがく人に希望を与えたいのだ」


「どうして会ったばかりの私にそんなことを?」


 ――この国に希望などないのだと知ったのはピーターが11の時だった。ピーターはブリタニア出身のゲルマン人で、その頃はヒスパニアに亡命したいわゆる亡命ブリテン人だった。


 当時のブリタニアは荒れに荒れており、同時に起こった飢饉で庶民の多くが死んだと聞いている。しかしそこから逃げおおせた自分のような亡命者も亡命先で強い差別にさらされるのは必然だった。


 縋りついた宗教には決定的に『何か』が不足していた。あの頃はうまく言語化できなかったが、今ならば言える。希望が足りないのだ。塵に過ぎない人間が塵に還ると、そう言われてもあの頃の自分の絶望を拭うことなどできなかった。


 死んだだけのキリストにどうして希望が持てるだろう。


 その頃だっただろうか、当時のパラティウムに同じように声をかけられて七つの丘に入った。だからか、彼にはわかるのだ。絶望している人、そして、そのような困難な状況の中でも、何かを変えようとあがいている人の眼が。


 マリアは確かに絶望している。しかし諦めず、生きようともがいている。この国に希望がないことを知りながら戦える才能は貴重だ。みすみす逃す手はない。


 ピーターは歪んだ笑みを浮かべて、言った。


「神がそれを望まれた」


 マリアは一瞬押し黙ると、それでも声を出して答える。


「マリア・アークトゥルス。私の名前です。ミスター・フィッシャーマン、是非とも私を雇ってください。実のところ、今日の宿にも苦労していたのです」


 この勧誘は今までに一度も失敗したことがない。別に催眠能力があるだとか、洗脳の魔術であるとかいう話ではない。単に断らなさそうな人にしか勧誘しないだけだ。


 だが、先人たちの信仰がこの勧誘の一言、一言に息づいている。ピーターはその息遣いを感じていた。


「good!」


 ピーターは故郷の言葉で彼女の決断を祝福する。七つの丘はこうして改革の意思を継いできた。

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