EP20 自由に捧ぐ闘争 ―1―
教会はグレゴリウスの見立て通り、半月ほどで降伏し、いくつかの騎士団は半壊状態にまで追い込まれた。
結局最初のコンスタンティノープル会議での条件に加えてイリュリクムの割譲まで呑まされての講和となった。
足元を見られた形だが、これ以上騎士団を損耗すれば派閥の維持すら危うくなる。元老院のハゲタカっぷりはともかく、その手腕は見事の一言に尽きる。
イリュリクム総督が新たに元老院によって任命され、今回の戦闘で勝ち取った奴隷が運び込まれて、ラティフンディアが各地に作られていく。
小麦不足は解消していないものの、帝国は安定した状態に戻ったと言えるだろう。
戦後秩序が徐々に形作られていく中、それを良しとしない組織があった。
七つの丘は闘志をたぎらせ、権力の座に向けての闘争を開始した。
ローマで落書きが増えた。そんなことに気が付けるのはローマに住んでいる庶民くらいのものだろう。
馬車から決して出ようとしない高位の聖職者にはわかるはずもないことだ。
その内容は、最初は変哲もない風刺だった。
「昨日息子にパンが無いって泣かれてな、だから言ってやったんだ。
『パンが無けりゃあケーキを食え』ってよ。
そしたら息子が『ケーキって何?』って聞き返すんだ」
よくあるジョーク。
誰が書いたかわからないよう、夜中の内に路地裏にそっと書いて逃げる。ポピュラーなストレス発散だった。
だが論調が変わる。
「パンが無い。 昨日も、今日も。 悪いのは誰だ?」
「息子を殺されて、どうして正気でいられるんだ?」
「騙されてるんじゃないのか? 貴族様の邸宅には今も、莫大なパンが眠ってるんじゃないのか?」
しかし、そんなバリエーションに富んだ罵倒も長くは続かず、いつしかローマの路地裏は一つの悲鳴で埋め尽くされるようになった。
曰く。
「地獄の門は開かれた! 貴族を街頭に吊るせ!」
ローマは異様な雰囲気に包まれ、そのような雰囲気が半島の他都市に伝播するのにそれほど時間はいらなかった。
「革命だな」
七つの丘の最後の幹部ロード・カエリウス。地上ではデモクレイトスを名乗っている若き科学者だ。
「ああ、地下の書庫で読みましたよ。民衆反乱の大規模なものという認識ですが」
カエリウスの責務は七つの丘の地下に併設されている幹部以外の閲覧が禁じられた書庫の管理。七つの丘唯一の公的な職務に就くことが許されない幹部だ。
「物理的な事象のみを見れば、そう取れるだろうな」
「その本質はそうではない、と?」
「違う」
デモクレイトスは強い言葉で言い切った。
「革命の本質は反抗と抵抗。被抑圧者が初めて権利を行使したことにある」
窓の外ではパン屋の行列に並ぶのを諦めた子供が見えた。たとえ並んだとしても、パンは彼が買える値段かもわからないが。
「絶望は怒りへと変わり、あらゆる貧民が武器を取る。国家を民衆の手に取り戻すためだ。これが反乱の枠に収まるか?」
「……どうでしょう」
当然のことながら、これは自然発生したムーブメントではなく、ルキウスの主導によって仕組まれた運動である。
後は引き金さえ引けば万事うまくいくだろう。
「――ただ、できるならば怒りなどなくなってほしいと思います」
パン屋の列に並ぶ一人が倒れた。人々が駆け寄って励ますが、動くことはない。
「ゴルゴダ、それは……」
「忘れてくださいロード・カエリウス。私はゴルゴダとしての責務を果たす。本来空席であるはずの8番目の席に座る資格を証明します」
七つの丘の幹部はローマの七丘から取られたコードネームを持っている。
ローマを構成する7つの丘、ウェリア、オッピウス、パラティウム、ファグタル、ケルマルス、カエリウス、キスピウスから取られたコードネームは組織自体の帝国への忠誠の表明だった。
だが、皇帝のその名は違う。
骸骨の丘。
救世主が打たれたその丘の名は彼の覚悟の証明だ。