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7.

 廊下の奥に進むと、右側に引き戸が見えた。その部屋は、資料室と書かれている。ここのようだ。

 引き戸を開けると、図書館や資料室独特の本の香りが鼻をかすめる。室内に入ると、よりいっそう香りが広がり、私の心を落ち着かせた。木や森の自然の、不思議と懐かしく感じさせるこの香りが私はとても好きだった。この香りと静寂の中にページをめくる音が落とされていくこの瞬間が好きだ。

「ご利用の方ですか」

 ふいに、言葉が落とされた。

「あっ......」

 声のする方を向くと、男が椅子に座り、本を読んでいる。男の頭上には電灯が下がっていて、その明かりを頼りに本を読んでいた。

 ほとんど日が沈んでいるだろう空は、厚いカーテンに遮られ、見ることはできない。

 薄暗い部屋の中で、一つの人工的な明かりに照らされているその男の横顔は、月の化身のようにとても美しかった。月の光や深い夜空のもとにあるわけでもないのに、不思議とそう感じた。それは、その男が、漆黒の夜空を髪にまとい、青白い月の光を瞳に秘めていたからかもしれない。

 男でいて、女よりも艶美で皆を惑わす。それでいて神々しくもあり、触れることが恐れ多いように思わせた。

 伏せられたまつ毛は、陶器のように白い肌に影を落としている。

 

 影が、暗い色が一番似あう男。まるで、地に堕ちた神のようだと思った。


「何の本をお探しですか?」

 男を観察して思考に潜る私を気にせず、男は淡々と言葉を紡ぐ。

 男は私のぶしつけな視線に気づいていただろうに、そ知らぬふりをしてページをめくった。

 私は、何かを言おうと口を開く。

「ここの方ですか?」

 神秘的なこの男が、普通に生きているのかと思うと少し笑えた。

「いいえ、違いますよ」

「......え?」

 だから、この答えに私は驚いた。私の今の問いは、疑問というよりも事実を確認するためのものだ。男がここの関係者だとほぼ確信していた。

 それなのに、この男は違うという。

 なら、なぜこの男は私に話しかけたのだろうか。この男が理由もなしに話しかけるとは到底おもえなかった。

 その疑問をこめ、訝しげに男を見た。

「お困りのようでしたので......」

 男は、やっと本から視線を外し、こちらを向いた。

「お手伝いして差し上げようかと」

 男は、私の目を見て、微笑んだ。

「......っ!」 

 自然な笑みのはずなのに、その表情にどこかうすら寒いものを感じた。重ねられた視線から、こちらの奥底まで見通しているかのように思えた。

 背中に冷たいものが走り、男の視線から逃れようと瞳を伏せる。

 男はそれを見て、いっそう笑みを深めた。


 ぞっとした。

 この男は何かが可笑しい。私の本能が告げていた。


「何をお探しですか」

 男が声をかけるたびに、私の中の恐怖心が湧き上がる。


 カタッ

 男が椅子から立ち上がった。


 男はゆっくりとこちらへ近づいてきた。男はじらすかのように、私の恐怖心をなぞるかのように、ゆっくりと歩いている。


 男との距離があと一歩というところまできて、私は思わず後ろに下がってしまった。

「あっ......」

 漏れた声はひどくかすれていた。


 男はその声とともに歩みを止めた。

 そのことに安堵し、こわばった体にほっとひと息ついた。瞬間、腕がのばされたのが視界に入る。とっさに動けず、硬直した。

 男は、私の髪を一束取り、優しくなでた。肩にかかるぐらいの長さの男と同じ漆黒の髪。

 男のこの行動の意味が分からず、固まったまま男の表情を盗み見た。


「えっ......?」

 顔が驚愕の色に染まっていく。

 な、なんで?

 なんで、私をそんな目で見ているの?

 男は、私のことを心の底から愛おしいもののように見ていた。まるで、愛した人を見るかのように、その目には隠し切れない愛が込められていた。

 さっきまでの恐怖心が嘘のように、私は心のうちには困惑の文字しか見えなくなっていた。この人が私を害することはないだろうという可笑しな考えさえ浮かんでくる。

 そんな私の考えに気づいたのか、男はクスリと笑った。

 その笑みに、今度は私の心にはおだやかな思いが広がっていった。


 男は、私の髪をもうひと撫ですると、触れられなくなるのを惜しむかのようにゆっくりと手を髪から離した。

 手が離れるとともに、男に感じたさっきまでの感情は霧散し、恐怖が戻る。

「......あなたが読みたいのはこれかな?」

 この男は二重人格かなんかだろうか。まるで違う。あれは、なんだったんだ。

「冒険者ギルドの案内、かな?」


「......へ?」

 男の手にしていた本は、確かに私が借りに来たはずのものだった。

「あれ?違うの?」

「い、いや、当たっていますけど......」

 当たってるからおかしいんだろ。なんで、知らない人が、自分の読みたい本を知っているんだ。

「な、なんで、知っているんですか?」

「ん?」

「だ、だから、その本、なんで......」

 っ、流し目で見るなっ。

「ああ、....しりたい?」

 なんか、この人キャラ変わってません?いつの間にか、ためぐちになってるし。え?三重人格?

「いえ、いいです」

 ......まさかね?

「ふーん、まぁいいか」

 こ、怖い。あっさりとしすぎて。

「はい、どーぞ」

 男から、この部屋にきた目的物を渡される。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」

「ではっ」

 私は男がこれ以上何かを言う前に、踵を返して去った。部屋を出た後も、後ろを振り返らずに自分に与えられた部屋まで駆け足でいった。

 やっとのことで、寝室につき、ホッと肩を下ろした。さながら、亡霊に追いかけられた被害者だ。あの人の消えそうなぐらいの儚さを思い出して、背筋を凍らせた。


「っ、あー」

 そのまま、ベットの上にダイブした。ベットの上で、ゴロゴロしたあと、あの人から貰った本の表紙をなぞる。指先から伝わる本の感触に、あの人がいたことを実感させられた。

 "冒険者ギルドの案内" この世界の文字で書かれたこれを、私はもう難なく読むことができる。受付の青年からとったからだ。もちろん返した。

 段々と、スキルを使うことに抵抗がなくなってきている気がする。いつか、そのことに気づきさえしなくなるかもしれない。私は、それが怖いな、と思った。この先、段々と自分のスキルで人が死ぬことにも、感情が動かなくなるのではないかと。


 布団の温もりに眠気を誘われ、段々とうとうとしてくる。

 せめて、この本はと思い、隣の棚に置いた。

 安心したためか、体が一気に重くなる。

 まぶたを閉じ、眠りにつく。


「おやすみなさいませ」

 遠くで、あの男の声が聞こえた気がした。

 ......まさか、ね。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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