2.
「うっ......」
鼻に不快なにおいが混じりこむ。息を吸い込むたびに、血生ぐさいにおいがまとわりついた。
瞼を開けるが、爽快な目覚めとは到底言えない。
怠い体を動かし、立ち上がると予想通り辺り一面赤黒く染まっていた。足を動かすたびにぐちょりぐちょりと、嫌な音をたてている。
耳に残る不快な音と気持ち悪い感触。それらは全て自分が犯したことなのだと、わたしは知っている。
体に付着している乾いた血が動くたびにぺりぺりとはがれていく。まだ生暖かい血が前髪から零れ落ちた。目にかかりそうになった血をぬぐっていく。何度かぬぐっているが、結構な量を浴びていたらしくなかなか止まらない。うんざりしながら、前髪を上げることにした。血やらなんやらの液体でべっとりしているためかやりやすかった。
そこら中に散らばっている元生物たちを見渡す。なかなかの数が肉片となって転がっている。
殺したことは知っていたが、時間の経過までは把握していなかったらしい。既に一夜明け、日が昇っている。森の木々の隙間から空を見上げるとそれが分かった。
ならば、早く移動しないといけない。今まで人が通らなかったのがたまたまで、いつくるのかわからないのだから。
この惨状を放置するのは忍びないが、これを私がやったのだと知られることはまずい。それに、私は今全身血まみれコーデだ。早く血を落とさないと、ここでなくても会った時点で色々アウトだ。
川に向かって移動しよう。幸い、川への道のりは知っていた。
意識が落ちる前までのことが嘘のように今の私はとても落ち着いていた。深々と雪が積る冬の夜のように、私の心は冷たく冷え切っていた。あの激情は、あの叫びはいらないものだと知った。
全てを納得できるほど私は割り切ることはできないが、自分を貫き通し続けることは大変なのだと知っている。。
記憶をもとに歩いていくと、川のせせらぎが聞こえてきた。他の生物がいないといいなと思いながら、木々の隙間から様子を伺う。
川のそばには、見る限りではいなかったため、木の陰から出ていき川に近づいていく。川をのぞき込むと、水は透明で透き通っていた。川は浅く、小魚が底の石の上を泳いでいるのが見える。
顔を近づけ、水をかけると、水の冷たさが寝起きの少し火照ったにちょうどよく、気持ちがよい。そのままじゃぶじゃぶと髪まで洗い、血を流していく。血が私から離れていくたびに川の水が薄くにじんでいく。それを横目に見ながら髪を上げて手をさしこみ、流れが早くないことを確認する。そしてこのまま、体も洗ってしまおうかと、服を着たまま川の中に入っていく。
「――っ!」
冷水を全身に浴び、急激な温度変化に驚いていると、両足から鈍い痛みがはしった。どうやらわたしは裸足だったようだ。それに気が付かずにここまで来たせいか、両足とも擦り傷がついている。できている傷がさっきからのものだけだというのがせめてもの救いだった。
体からできるだけ血が流れたのを確認すると、一気に頭までつかるように川の中に潜る。ブクブクと泡を出しながら頭が冷えるまでじっとそれを見つめた。
起き上がり、川から出て、近くにあった大きな石の上に座り込む。
とりあえず、乾くまでここにいよう。そう決めた。
石の上からでも川をのぞき込むことは簡単にできた。太陽の光を浴びながら、キラキラと輝く水面をぼんやりとながめながら、私はわたしが知ったことを思い起こしていた。
私が、生殺与奪というスキルを得たその時のことはよく思い出せない。赤子が無意識のうちに呼吸を繰り返しているように、私はその存在を深く認識せずにいた。
だけど今振り返りどこでというのならあの声を聞いた時からだろう。その存在が不自然なほどになじんでいるが、確かに今まではこの能力は持っていなかったのだ。あり得るとすれば、変な声が脳内に響いてきたぐらいしか見当がつかない。それにこれを今追求しても意味がない。考えるにしたって、知識が足りなすぎるし、それよりもその能力をきちんと認識することが大切だ。
赤子は呼吸を本能的に行っているが、呼吸というものを認識していないから応用がきかない。いくら体が成人の平均になったとしても、マラソン選手のように呼吸法を使い長時間走れるようにはならないのだ。つまり私は、できるだけこの能力を把握しなければならない。
そして私がこの能力を認識したその瞬間が気絶する前だ。頭の隅にあった本能を認識し、全てを理解しようとしたのだから、それは気絶もする。未知なる本能を仕組みとしてすべてを一瞬でとらえようとするなんて脳の負担が大きすぎる。
現にあんなに長時間気絶したのはそのせいだろう。無理な使い方をしたパソコンのように脳がヒートしてしまったのだ。あの時間に熱が出ていた可能性だってありえる。つまりは、把握するのも慎重にということだ。
ちょうど気絶しているなか頭が冷めたので、ヒートするまで考え抜いたことを確認しようと思う。
この能力、生殺与奪というスキルは他者の全てを握ることができるというものだった。他者の能力や知識、美貌、権利、生までもが私は奪えるし、与えることができる。数値として奪うこともできるし、そののまま奪うこともできる。
例えば、美女がいるとすると、私はその顔をそのまま貰うこともできるし美貌という名の数値をもらい私の顔の数値、いわゆる顔面偏差値を高めることもできる。つまり、まったく知らない顔になるか自分の顔の系統のままであるかということである。他者に与える際も同様である。
しかし与える際においては、私がそれを奪っていない場合与えることはできない。無から創造することはできず、必ず私が保持しているものでなければならない。奪ったものは、私に反映していなくても消えたりせずに残るのでそれを与えるのだ。
だが、こんな神にでもなれるような能力も完全ではなかった。欠点があった。それは、自分で死ぬことはできないというものだった。この世界で死が確定したその瞬間私は他者の死と引き換えに生き延びる。それは、どんな状況下においても変わらず繰り返される不変的なものとなってしまった。
殺された場合には、その殺した相手の死によって。複数いた場合は、その中で一番私にダメージを与えた者の死によって。私が自害した場合は、私の近くにいた者の無差別な死によって。
つまりどんなに痛い思いをしたとしても、何らかの理由で死にたくなっても、他者の命と引き換えに生き続けなければいけないということだ。怠惰に生きてきた私は、そこまでして生きたい思わない。ましてや、他者の命を背負ってまで生き延びる価値が私にあるなんて到底思えない。
この状況は、とても窮屈で耐え難い。
だが、嘆いても私は死ぬことはできない。なんとも厄介な能力を得てしまったものだ。
私は痛みは感じるし、傷も負う。だけれども、命を奪った後には傷も含め私が死んだという事実は消えるのだ。私が流した血も何もかも。
そして、私の傷は、命を奪われた者に全て引き継がれる。まるで、自分の汚いものを他者に押し付けるかのように。
そして死ねないことに関連するような現象がもう一つある。それは、老いないということだ。これに関しては老死を防ぐためなのではないかと思っている。スキルである程度までの年齢まで達することはできるけれど、制限がある。
結果、何が何でも私を死なせてはくれないらしい。
まぁ、死ぬ方法はあるにはあるのだが、この世界の生物を全て殺した後自分で自害するか、会ったこともない神に死を請うという荒唐無稽なことだけだ。
前半は、流石にそこまで自分の死のために全てを巻き込むほど狂いたくはないし、全ての生物を殺すというのはいくら何でも無謀な試みだ。
後半は、死にたいのならば、この世界のいるかも分からない神様の存在に縋りつくというわけだ。しかし、神に奇跡的に会うことができたとしても、ただの一人間である私の願いが聞き入れられるだろうか。可能性はないに等しい。
仮に神がいたとして、神はなぜ私にこのような能力を与えたのだろうか。ただの気まぐれでも、何らかの意図があったとしても、私が永遠の命を持つことには変わらない。神の采配でもなんでもなく、偶々というどうしようもない場合もあるのだ。
色々考えた所、結局今のところ、私は死ねない。それだけは分かった。
この先、長い時を経た後なら、新たな方法を見つけ出すことができ、死ねる。そんな未来も確かにあるかもしれない。きっと、長い、長い時を生きるのだから、今は考えつかないようなこともあるだろう。
けれど同時に、何も見つけることができず、悩み、苦しみ、己の運命をを呪い、全てを憎み、闇に落ちて、全てを巻き込み死ぬ。そんな未来も確かにある。もしかしたら、永遠に感じる時の中で気が狂うかもしれない。例え、希望を見出したとしても、それは間違えていたと気づくかもしれない。
私の道は、茨の道だ。深い霧に隠された迷路のような薔薇の庭園にさまよいこんでいる。
歩くたびに、少しずつ、少しずつ、棘が私を傷つけていく。血が流れる量は少ないから死ぬことはないが、出口は見つからず、霧に隠され自分の行く末も見通せない。
この庭には何かが潜んでいるような不気味さを潜んでいる。止まったら、全てを食われるかのような、大事なものを失うような、そんな恐怖が私の胸の中にある。
止まってはいけない、そんなことは分かってはいるのに、いつかは止まるだろうと私は予感していた。
きっとそれが、ゲームオーバーなのだと。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。