先輩は施設を案内する
3月1日。ゲーム開始日。
ーー何も起こらなかった。
夜まで自分のデスクで待ったが、襲撃は起こらなかった。
学校から帰ってきたフロルに物騒なことは起こらなかったか尋ねれば、
「モテモテな先輩方のボタンを巡って修羅場が起きてたよ。最後は私物渡してなんとかおさめたみたいだけど。あ、シオン先輩からあとで冬服も貰えるんだ!楽しみー!」
という青春話を聞かされた。
まさか【ゲーム】の序章から頓挫するとは思わなかった。これでこれからヒロインを中心としたイベントは起きなくなるはずだ。
この初日の襲撃によりゲームでの真のラスボスがこの世界に訪れ、ヒロインの物語が始まる。
卒業式の最中、時空の歪みより異世界からドラゴンが迷い込む。3階建ての校舎程のドラゴンは、手負いのせいか気が立っていて辺りを魔法で壊し始める。このシーンでヒロインの能力である無効化がわかる。そして駆けつけた【機関】の人間によりドラゴンは倒されるのだ。
――が、このドラゴン、最後の力を振り絞り魂だけ逃げ延びたのだ。その後に魂の相性がよかった人間に取り憑き、その人間が様々な事件で糸を引き、ゲーム終盤で真のラスボスとして登場するのだ。
そのドラゴンが訪れないだけでほとんどのイベントはなくなるだろう。様子見は必要だが、ラスボスを相手にしないなら大規模な戦闘は減るはず。
憂鬱だったゲームの戦いがなくなっただけで鼻歌を歌いたくなる。危ないことが減るのは良いことだわ。
これからはそのゲーム上のボスがいなくても起こる事件の対策。あとやはり数人はは協力者が欲しい。
一人は友人であり、話が通りやすそうな北見 リラ。ツバキちゃんの力で未来がわかったと言えばある程度信じてくれそうだ。根回し、情報に関しては彼女に頼りたい。
あと現場で動けるような人員が欲しい。自分が現場に行くことは今の部署では難しい。起こりうる事件まで時間があるとはいえ、早めに目星をつけなければ。
考えに耽っている間に職場に着いた。
今日は3月2日。ゲームではヒロインと同じ学校の男子生徒が【機関】に連れてこられた日だ。ヒロインとオルフィスが出会う日でもある。案内で登場するのが私、城音寺 サラ。今日はヒロインもいないしオルフィスだけを案内するかもしれない。
「あ、サラ!おはよう!」
噂をすれば、だ。相変わらず気の抜けそうな笑顔を浮かべ、【機関】から支給されただろう戦闘服を着ている。
「おはようございます、オルフィスさん。」
「オレ、今日からここで働くことになったんだ。これからよろしく。」
「ええ、よろしくお願いします。」
「……前会った時よりよそよそしくないか?」
「そんなことありません。私はいつもこのような話し方ですので。」
調書とった時はつい素が出てしまったが、これご私の仕事用スタイルだ。大体の機関の人間も私と変わらない。あくまで仕事と割り切って接している。だからこそ、ヒロインの自然な分け隔てない態度に誰もが惹かれたのかもしれない。
「お、サラ、オルフィス。ちょうどいいところに」
「おはようございます、円城寺課長。」
「おはよう、お二人さん」
猫背のまま歩く従兄弟はニヤニヤしながら近寄ってきた。セクハラ親父みたいな表情にわざと冷たい視線を向けることにした。
「サラ、お前にはこの期待の新人であるオルフィスに施設の案内をしてくれ。」
「はい、わかりました。」
やはりか。本来なら私の仕事ではないが、ゲームの強制力なのかしら。そもそも新人は研修が半月は必要なのにゲームのせいでゆるゆるな職場みたいじゃない。
「ちなみに彼はどこの所属ですか?」
「オルフィスは俺と同じく組織犯罪対策課、だ。昨日一通りどんな仕事するかは説明した。」
「そうですか。では、終えたらそちらに送ります。」
「あとついでに、こっちはプライベートだ。今日の夜あけといてくれ。」
「夕飯でも奢ってくれるわけ?」
「ああ。だが俺じゃなくて本家様がな。」
「!わかったわ。」
「仕事が終わったら連絡くれ。んじゃあとよろしくなー。」
その背を見送ってから私はオルフィスに向き直る。
「そういうわけですので、施設の案内をさせていただきます。」
「よろしく。サラに案内されるならすぐ覚えれそうだ。」
爽やかな笑顔に促され、私は一階から彼を案内することにした。
「昨日は仕事内容の説明とあとは何を聞きました?」
「うーん、誓約書を書かされたり、あ、寮の説明されたな。」
ならば一通り聞いたくらいだろう。ならばと復習がてら説明し直すことにした。
そもそもこの【機関】は対異界に特化した公務員、公安組織だ。世界にも同じような機関があり、縦より横の方が繋がりがあったりする。
仕事内容は様々で、異邦人の保護であったり、警察から要請があれば異邦人の検挙にもあたる。そのためこの機関には能力者が多く存在し、異邦人のスカウトも積極的だ。あまりに能力が強力であれば半強制で機関に所属してさせられる場合もある。オルフィスは後者だろう。
「ここまでは頭に入ってますか?」
「ああ。」
物覚えは良いのか迷いなく頷いていた。
一階は広いロビーがあり、多数の受付がある。
「ここは【住民課】が担当する受付です。貴方もお世話になりますよ。」
「どんなことをしているんだ?」
「主に異邦人の住民登録から異邦人が暮らせるよう生活をサポートする研修を行ったりしてます。あとは同じ異世界から来た人同士暮らしたいのであればその要望を伝えて認可されれば移住できたりします。」
「へー!同じ世界から来た奴がいるのか!オレにもいたりするといいんだが。」
オルフィスの表情がぱっと明るくなる。やはり同胞がいるいないでは心持ちが違うのかしら。そんなことを考えていると受付の奥から褐色肌の金髪美少女がこちらに近寄ってきた。
「あ!やっぱり噂の勇者さんじゃないですか!」
「私のことは無視かしら、リオネル?」
「おはようございます、城音寺先輩。気付いてましたけどぉ、イケメンがいたらそっちに目がいっちゃうんです!」
てへ、と上目遣いで舌をだす姿は可愛らしくて大抵の男性は許してしまうほど、このリオネル・セレニーラは美少女である。実際、この娘が受付で仕事すると口説かれたり、ご飯に誘われるなど多々ある。機関の広告ポスターにリオネルを起用すればこの美少女をテレビで紹介させて欲しいと連絡が殺到した。
ゲーム上の役割はヒロインの親友であり、攻略対象の好感度を教えてくれたりする。
「はじめまして、あたしの名前はリオネル・セレニーラ。この職場では先輩ですから困ったらなんでも聞いてくださいね、勇者さん!」
「この世界では勇者じゃないから、オレのことはオルフィスって呼んでくれ。」
「わかりました、オルフィスさん。あと、部署に届くとは思いますが、異邦人には一定の研修に参加してもらいますので案内書をよくご覧くださいね。」
ただイケメンだから寄ってきたわけでなく用事があったようだ。リオネルはポケットから小さめの冊子を取り出した。
「あと、これは特別にオルフィスさんにあげます。」
素直に受け取ったミニ冊子を横から覗き込む。機関や国で発行した雑誌やチラシではなさそう。
「リオネル、これは何かしら?見たことないのだけれど。」
「これは受付のみんなで考えた身の回りに用意した方が良い消耗品や道具を教えた手作り小雑誌です!試作ですからあとで役に立ったか教えてくださいね?それでは仕事戻りますね。また会いましょうね!」
手を振って受付に戻っていくリオネルにオルフィスは律儀に手を振り返した。リオネルよりこのミニ冊子の中身が気になる。
「少し見せてもらってもいいかしら?」
はい、と渡され適当なページを開く。そこには場面ごとに必要なものが素朴なイラストと共に描かれていた。
例えば外出する時は身分を証明する【異邦人証書】や保険証を持っていくと安心。ハンカチ、ティッシュはエチケットであり、怪我した時や汚れを拭ける、と丁寧に説明されていた。
機関で発行されているものは生活に必要なものは一覧で書かれているからこれはこれで優しい指南書としてあっても良さそうだ。
「ありがとうございます。では次に行きましょう。」
次の行き先は一階の奥に位置する場所で、戦闘があるなら覚えた方が良い。
医務室と立札がある部屋をノックする。
「先生、新人の紹介をしたいのですが、部屋にいますか?」
『……どうぞ。』
なんとか聞き取れるか細い声を拾い、ドアを潜る。
日差しの入る窓辺に寄りかかるように座る白衣の美人がそこにはいた。流水のような長い髪と開かれることのない目蓋は神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「先生、こちらが組織犯罪対策部に配属となったオルフィスです。オルフィス、この方はこの医務室を管理し、この機関の主治医でもあるクレイン・リード先生よ。とても腕が良くて治癒魔法を使うことができます。」
「オルフィスだ。よろしく、クレイン先生。」
先生は長い、長いため息を吐いた。
「わたくしは、よろしくなど、したくはありません。」
「え?どうしてだ?人付き合いが苦手なのか?」
「そうではありません。……ここは怪我人や病人が集う処。そんな場に居座るわたくしに【よろしく】など、不吉ではありませんか。」
先生の言葉の意味に気づいたオルフィスはにこやかに頷いた。
「いいや、むしろここから健康になって出て行く奴も多いんだろう?なら不吉どころか幸運じゃないか。腕が良いなら尚更大勢の人が笑顔になった場所でもあるよな。オレなら有難くて一生恩を感じるぞ。」
うんうん、と一人納得しているオルフィスに先生の目蓋が少しだけ上がった。
僅かに見えたアメジストのような瞳がオルフィスを捉えた、かと思えばすぐその目蓋は閉じられる。
「……そうですか。」
「ああ。先生も不吉じゃないからな?そしたらオレ達みたいな奴は、いく先々で勝手に暴れる厄介者になっちまう。」
「それは、困りますね。」
頬を緩める先生に、空気も軽くなるのを感じる。
いつも自分は哀れな存在、と言わんばかりに悲壮な空気をだすのに。普段からこれくらいなら親しみやすいのに。
とはいえ、簡単に親めたら【攻略対象】としてはつまらないのかもしれない。確か彼は追加コンテンツの攻略対象だ。初期の攻略対象一名とエンディングを迎えれば攻略可能となる。儚げで綺麗な顔は良いのだけど、性格が面倒で私は攻略しなかったと記憶している。今でもその感想は変わらない。
「そろそろ次に行きましょう。」
「ああ、そうだな。それじゃ、クレイン先生、またな!」
拒絶の言葉がないからオルフィスは受け入れられたのだろう。私達は医務室を後にして二階に向かった。
「なあ。」
「なんですか?」
「逆に考えるって楽しいな。」
「は?」
「サラがオレに教えてくれただろ?調書とった時にさ。」
そんなこと言ったような、どうだったかしら。本人も曖昧なのによく覚えてるわね。
「どうだったかしら。それより質問はありますか?」
「サラっていつもはどこで仕事してるんだ?」
「私は【会計課】です。いつも二階にある部署で働いてます。」
「会計?金銭のやりとりを管理するのか?」
「ええ。他にも仕事はありますが大まかにはそうなります。」
当初は別な部署に配属される予定だったが、当時怪しい金銭の流れがあったため言霊の能力を持つ私が会計にまわされた。能力で『横領してないでしょうね?』と問えば簡単に自白してくれた。それ以来、会計課では重宝されている。
お金の流れを把握してると、このゲームのイベントは補修費かさむわね。別に私がお金を払うわけではないけど、元々は税金なわけで。あまり実費が膨大になるといろんな方面から口出しされてしまう。
それは会計課としても、能力者としてもまずいこととなる。
「あまり物品を壊さないようにしてくださいね。」
「?オレ、そこまで乱暴に物を使わないが?」
「ならそれを続けてください。あ、経理課はそこです。さ、次行きますよ。」
「え、それだけ?!説明はないのか?」
「場所さえ覚えておけば後からわかります。」
二階にいるのは会計課だけだ。小会議室や、資料室もあるが普段は会計課しか人はいない。
3階は大会議室のみ。
4階は【警備課】と、仮眠室がある。
「警備ってことは誰かを護衛するのか?」
「そうです。主に政治家や国賓の警備を担当します。」
「それにしては人数少なくないか?」
「そうですか?」
「ああ。偉い人って行列作るくらい守られてるじゃないか。」
オルフィスは剣と魔法の世界に暮らしてたし、中世を舞台にした映画やドラマみたいなものだったのかしら。
「ここの人たちだけでなく、一般の警察や個人で雇われた護衛もいますから。あと貴方の思う警備とは少し違うと思います。」
「そうか?」
頷いて5階にのぼる。5階はオルフィスが配属された【組織犯罪対策課】と物品室がおかれている。
「組織犯罪対策課は近年増員されつつあります。」
「え、そうなのか?」
「はい。それだけ反政府の動きが活発化しています。」
それがゲームのストーリーにも関係しているが、それ以前からも問題にされている。
能力者を至上の存在と考える組織や、逆に能力者に排他的な組織。
異邦人を愛玩に売り出し、そしてそれを手に入れようとする汚い連中。
逮捕しても湧き出るかのようにキリがない。
「オルフィスさんも気をつけて仕事をしてください。命がけな仕事ですから。」
「心配してくれるのか?」
「当たり前です。」
怪我をして喜ぶような人格ではない。
「6階は……まず立ち寄ることはありませんが、署長室、副社長室、来賓室があります。今日は案内しませんが覚えておいてください。」
「この中で偉い奴ってことだな。」
「そうですね。いつかは会えると思います。正式な辞令は必ず手渡しで行いますから。」
「どんな人が署長なんだろうな。」
「知りたいですか?」
「うーん、いや、まだやめておく。」
「そうですか。なら案内の続きをしましょう。」
「え、6階が最上階だろ?なら、終わりじゃないのか?」
いいえ、と首を振り窓の外を見るよう促す。
この本館とは別な建物が二つ並んでいるのがここからでもわかる。
「あちらもです。」
「……結構広いんだな。覚えきれるか不安になってきた。」
「徐々に覚えていけばよろしいかと。」
「そうする。」
それから更に1時間案内し、オルフィスを組織犯罪対策課に返し、ようやく私は解放された。
急いで仕事を片付けなければならない。
本家の方を待たせるわけにはいかない。
その一心で自分の仕事を着々とこなしていった。