先輩は心の準備を終わらせる
1日の勤務は無事終了し、明日にまわす仕事がないことを確認してから帰路についた。
明日はゲーム開始日。ヒロインの学校は卒業式。そこに異次元の穴が開き、魔物に襲われるという流れ。私はその場に居合わせないが、攻略対象である従兄弟と実兄の二人がヒロインと初顔合わせとなる。
「ただいま。」
「おかえりなさいませ!ニャ!」
パタパタと慌ただしく迎えてくれたのは二足歩行した三毛猫だ。
「今日はお早いのです、ニャ。たまにはゆっくりしてください、ニャ。」
「ええ。そうさせてもらうわ、ミーニャ。」
自分よりも頭一つ小さいミーニャを撫でる。ふわふわした体毛と、撫でられ気持ち良さそうなミーニャの微笑みに癒される。
彼女――ミーニャは異邦人として三年前に保護された。立猫族と言うそうで、語尾にニャ、とつけるのが伝統なのだそうだ。
海外でも種族登録されており、日本で異邦人登録した彼女は行くあてがなかったため城音寺家で働いてもらうことにしたのだ。住み込みで、家事全般をお願いしている。
「あ、サラさんにお手紙が届いていました、ニャ。」
「手紙?」
「中は見ていませんが、時期的に主家定例会議のお知らせではないかと思います、ニャ。」
ミーニャから和紙でできた白い封筒を受け取る。送り主は東雲家。
「ありがとう。先に手紙を見てくるわ。晩御飯ができたら教えてちょうだい。」
「わかりました、ニャ。ごゆっくりです、ニャ。」
恭しく一礼するミーニャに見送られ私は書斎に入った。
2畳もない部屋にはデスクと椅子、テーブルランプとパソコンのみ。狭く、物も少ないため落ち着ける場所だ。私は荷物を床に置いてから簡素な椅子に座り、手紙を開封した。
手紙には次回の定例会議の場所、日時、案件が記されている。
「年度末だから一日かかるわね。」
宿泊場所と泊まる場合の連絡方法も記載されていることから長くなることが簡単に予想できる。
主家定例会議。この日本でも裏の権力を握る四つの主家及びその分家八家による会議のことだ。政治ではなく、司法でもない、能力者を統治する者達、というのがゲーム設定。
実際、統治などしていない。能力者としての血統が先にできてしまったため、先導する立場になっただけだ。この先よりよい血筋ができれば、能力者の名家が生まれることだろう。
「あ、まずいわ。 そろそろ身を固めろとか言われるわね。」
血筋を残すのは義務だ。今までは初恋の彼のところへ嫁入りを目指していた。血筋も悪くないのだから決して無理な話ではないと信じて。しかし兄だと知った今は叶わない。現実を見据え、この城音寺家の存続のため伴侶を探さねば。
乗り気でなくても、決めなくては。
嘆息するとノックの音が3回なった。
『サラ姉さん、ここにいる?』
サラ姉さんと呼ぶのは一人しかいない。我が家に住み込みで働いている学生だ。
「開いてるわよ、フロル」
現れたのは地元の高校の制服に身を包んだ少女がいた。
「何か用?」
「もー、サラ姉さん、これ見て何か言うことないの?」
くるりとその場で一回転したフロルに合わせてスカートがふわりと浮く。
白い半袖のセーラー服はフロルの可憐な見た目を際立たせ、浅葱色のプリーツスカートは爽やかなイメージを私に押し付けてくる。
「……そうね。見てて寒くなるから早く出て行ってちょうだい。」
夏ならともかく、明日には三月になる冬の季節。夏用のセーラー服など見ているだけで寒気がする。
「えー!いいじゃん!せっかく明日卒業する先輩から譲ってもらったのにー。」
ぷくっと頰を膨らませる少女は文句なしに可愛い。新芽を思わせる癖っ毛と、くりっとしたあと菫色の瞳。童顔でシミひとつない肌は同世代から羨ましがられているらしい。凹凸がしっかりした肢体は不埒者が現れそうなほど魅惑的だ。だが、
「そもそもあんた、男なのに女の姿になってんのよ。」
呆れている私にフロルは無邪気に笑った。
「こっちの方がセーラー服に合うでしょ?でも、サラ姉さんが望むなら戻るよ。」
そう口にすると同時にフロルの体がぐにゃりと歪む。少女にあった胸と臀部の膨らみはなくなり、肩幅が少しばかり広がった少年がそこにいた。男に戻っても華奢で可愛い顔立ちは変わらない。
このフロル・メレンチェフも攻略対象だ。所謂、後輩枠だ。
「あんた、そっちの姿でも似合ってるわよ。」
「ほんと?!嬉しいなー!」
「で、何の用?」
照れたように笑っているフロルに再度問いかける。
「可愛いでしょ?」
「セーラー服見せたかっただけなのね。 今のうちに宿題でもやりなさいよ。」
「サラ姉さんも着てみる?」
「話を聞きなさい。」
「あ、そうだ。 こうしよー!」
フロルの体がまたグニャリと歪む。すると次の瞬間には目の前にセーラー服を着た私の姿があった。
今更ながら私の容姿は兄に似ている。
夜の帳のような群青色の髪に琥珀の瞳はつり目気味で気が強そうだ。しかし今はフロルによって小悪魔の笑みを形作っている。
「どう? あ、違った! どう、似合うかしら?」
「あのね、もう25歳なのよ?ただのコスプレ女にしか見えないわよ。 早くその姿解きなさい。」
「えー、せっかくセーラー服もらったのにー。」
「そもそもなんでセーラー服なんて受け取ったのよ。 強請ったわけじゃないでしょうね?」
こいつだとあり得る。
「違うよー。 本当に卒業するからいらないってもらったの! シオン先輩に!」
シオン先輩。
それは前世の記憶でよく知っている。
デフォルト名は、無藤 シオン。
ゲーム【越境恋奇譚】のヒロインの名前だ。
乙女ゲームのヒロインにありがちな、心優しく、芯のある凛とした少女だ。
能力の珍しさと有用性から強制で機関の人間となった。【能力の無効化】という対能力者戦で使えると判断された。それ故に、元々一般人だが矢面に立たされる。ボロボロになりながらも懸命に立ち向かう姿に彼等は惹かれていくのだ。
「毎回シオン先輩ね。 仲がいいわね。」
「シオン先輩は誰にでも優しいからねー。サラ姉さんもきっと気に入っちゃうよー?」
「はいはい。」
少なくともゲームでは必死に生きる姿に感動したが、実際会ってみないとわからない。
恋愛するなとは言わないが仕事はしてくれないと困る。そして平穏のためにも変な選択しないよう見張らなければ。私は明日から始まる乙女ゲームの損害を阻止するため、改めて気合いを入れた。
その気持ちはすぐ無駄になることを今の私は知らない。