第二十話:それぞれの道-1
サン国の首都、グーリアンには二種類の練兵場がある。ひとつは場内にある練兵場。訓練用の巻き藁や案山子が一区画毎に並べられており、その数も豊富だ。雨天でも使用できるよう、訓練場を巨大な屋根が覆っており、ここではサン国の兵士たちが日々厳しい訓練に励んでいる。
もうひとつは、城外にある練兵場。城内に比べて訓練用の施設は乏しい代わりに広大な面積を持つ。その特性上、集団演習や、御前試合の会場として使われることが多く、普段は非番の兵士が自主的に鍛錬をするために利用するらしい。
その屋外練兵場で、僕は兵士に混ざって剣を振るっていた。
「はぁっ!」気合をこめて肩掛けに剣を振り下ろす。その勢いを殺さず、むしろ利用してすばやく踏み込み突き上げる。
「はっ!」今度は踏み込む足の反対から水平に薙ぐ。と見せかけ腕をたたみ、逆から切り払う。
次は斜めに切り上げながら斜めに踏み込み、身体を反転しながら振り下ろす。相手がいたら、円を描くように回り込みながら。
が、振り下ろした剣の勢いに振り回されバランスを崩す。
「うわわ!?」二、三歩片足ではねた努力もむなしく、地面に転んだ。
「いてて。踏み込みが甘かったかな? それとも剣の振りが大きくなりすぎた?」首をひねりつつも身体を起こす。なんにせよ皆がいないところでよかった。今のをヘイル南下に見られていたら、特訓だ、とか言い出しそうだ。
「イェリシェーン」そんなことを考えていたので、耳慣れた声が聞こえた時、僕の身体はびくりと小さくはねた。
振り向くと、クリスが柵の外から手を振っている。そのとなりには、懐かしい人物が立っていた。僕は自分のほほが自然と緩むのを感じながら立ち上がると、二人のほうに向かい、手を振り返した。
「久しぶり、ヤコブ爺!」
「一番近いのは西か。そのままあいつらの旅程をたどるか? いやでも、全体を回るには効率が悪すぎるな……」改めて全体を見るべく、かがめていた身体を起こす。
目の前のテーブルには大きな地図が広げられている。勿論サン国の地図だ。それもかなり正確な。町村の位置や名前だけでなく、街道に山河、森林や谷まで書き込まれている上に、隣り合う町村までの距離が徒歩での日数で記されている。
盗賊家業で地図は必須だったし、サン国には盗みに何度も来ていた。そのため俺は自作の地図を作って持ち歩いているが、それと俺の記憶をすり合わせて見て、全く誤差がない。
そもそも地図というのは大抵いい加減だ。勿論ピンキリだが、普通は名前と大まかな道のり、そして目印になるもんしか書かれていない。物によっては名前と方角しか書かれていないこともある。
それでも情報が正しければ上々だ。地図に従って骨折り損なぞしょっちゅうだった。情報屋でも地理の情報は一番高く、目的地の正確な位置を知ることは、盗賊家業でも一番大変だったかもしれない。
「……これ売ったらいくらするかな?」
「その瞬間貴様の命はないものと思え」俺の独り言に間髪いれず、ヘイルが部屋に入ってきた。
「盗み聞きかよ。いい加減ノックくらいしろよな」毎回入ってくる度にこれだ。兵舎とはいえ、そこそこ広くて温かい部屋をもらって最初こそうれしかった(カーテンに絨毯、上等なでっかい鏡まで購入した位だ)が、これじゃ手放しに喜べない。
「たまたま聞こえただけだ。その地図は貴重な資料なのだぞ。売ったことで貴様の懐に入るはした金では到底つりあわん位にな。そんなことのためにわざわざ借り受けてきたのではないぞ、ガウェイン」ノックの話は無視かよ。
「んなこた重々承知だよ。売るにゃもったいなさ過ぎる。それで? ワザワザ来たんだ、用があるんだろ」言いながら、もてなす為にテーブルを片付ける振りをしてかばんに地図をつめる。地図の下にはもう一枚、俺の手書きの地図があるのだ。複製しているのがばれたらまずい。
「察しがいいな。ついて来い」ヘイルはあごで部屋の外を指すと、こちらがついてくるか確認もせずに部屋を出て行く。俺はわざとらしくため息をついて、片付けの手をとめてポケットから鍵を出した。
「俺の都合は無視かよ」部屋の鍵をかけながら、さっさと歩いていくヘイルの背中に声をかける。
「お前はもう私の近衛兵だ。つまり部下だ」ヘイルは振り返りもせずに言う。
まあついていくんだけどな。不平不満も言わずに唯々諾々と誰かに従うのは、なんというか、俺らしくない。仮に本当に不満がなくてもな。
兵舎を出ると、ヘイルは俺に一言もしゃべらなかった。俺も自分から話す事はしない。肩書きだけといっても、ヘイルが言うように俺はこいつの近衛兵なのだ。いつもの調子でしゃべっているのを他の兵士に見られるわけには行かない。おまけに俺はヘイルがお忍びで行った旅の途上で雇った護衛ということになっている。ユピテル出身だということも知られている。逆にそれ以外は知られてないわけで、近衛兵になった謎の男ということで意外に注目されていることを俺は知っている。流言飛語の類がさまざまあることも。……頼むから『皇子とそういう関係』って言うのだけはやめてくれねえかなぁ。
ヘイルは俺を城の敷地内あちこちへとつれて回った。練兵場、中庭、詰め所、核防衛施設、etc...。
一時間以上が過ぎたろうか。今は城内の地下、狭い廊下を歩いている。俺たちのほかには誰もいなかった。が、相変わらずヘイルは黙ったまま並んで歩いている。
「なあ、いい加減用件が何なのか聞いてもいいか?」たまりかねて聞いてみる。
「お前が城の施設を知らないと思ったから案内している。仮にも近衛兵のお前が城内のことを知らないわけに行かないだろう」
あちこち歩き回ったのはそのためか。俺はため息をついた。そんな事、この城についてからとうに済ましてある。俺は盗賊だ(今は頭に元がつくが)。城の構造は頭に入っているし、脱出経路もつかんだ。ヘイルの部屋の暖炉がどこに出るかも知っている(正確には、どこから入ったらヘイルの暖炉に出るのか、だが。男の部屋をあさる趣味はない)。が、流石にそれを言うわけにもいかないので、俺は話題を変えることにした。
「そういや、あの地図を作ったのはどんな奴なんだ?」
「気になるのか?」となりに並んだ俺に、ヘイルは意外そうな顔をした。
「そりゃあな。さっきも言ったが、売るにはもったいなさ過ぎる地図だ。物の価値には人一倍敏感なんでね。人によっちゃ財宝よりも価値がある。だが、書いた奴のサインに見覚えがない。誰なんだ、G.Fって。知っているんだろ?」
今度は俺が意外そうな顔をしていただろう。珍しくヘイルが笑ったのだ。
「兄上だ?」
「兄上って、あのおっかない顔した?」俺は一度だけヘイルの兄に会ったことがある。そのときは鬼の形相でヘイルを叱責していた。外野の俺でさえ少し怖かったのは内緒だ。名前はガナだったか。王家の性はフォルゲオだから、確かにG.fで説明はつく。
「おっかないとはなんだ。兄上はとても優しく穏やかな方なのだぞ」
「はいはい。で、何でまたお前の兄貴が地図なんか作ったんだよ。それもあんな正確な。ありゃ相当な手間だぜ?」
「趣味だそうだ」
「は?」
「サン国の王位継承者の慣習として、15になると国内を旅する風習がある。普通は主要な都市を旅するだけだが、兄上はサン国全土を歩いたのだ。費用がかさみすぎるからと数名の護衛のみを連れて、六年の年を掛けてな。あの地図は旅の暇つぶしに書いたそうだ」
「暇つぶしだと? そんなちんけなものじゃねえぞ」
「同感だ。が、本人は『戯れで描いた拙い落書きに等しい』といって憚らない。だから借りるにも苦労したのだ。人に見せるには拙すぎるといって渋られたからな」ヘイルは大きくため息をついた。
「兄上は自分を卑下する嫌いがある。政治面辣腕を発揮されているのと同様、他にも絵画や詩にも造詣が深いのだが。拙いからと見せてくださらぬ」
「お前もいろいろあるんだな」
そんなことをしゃべっているうちに、廊下は終わりを告げた。行き止まりのそこには両開きの扉があった。俺もこの部屋が何なのかだけ知らない。鍵穴もないのに開かなかったからだ。閂でも掛けていたのだろうか。
俺の予想は当たっていたようで、ヘイルが扉を強くたたきながら大声で名乗ると、しばらくして閂の抜ける音がして扉が開いた。あけたのは兜の面頬をあげて鎧を着込んだ兵士で、こちらに略式の礼をとった。
「リシャール。皆の調子はどうだ?腕は鈍っていないか」ヘイルは親しげに肩を叩いた。
「元気ですよ。皇子こそ、旅のせいで鍛錬できてないのではないですか?」リシャールと呼ばれた兵士も親しげに軽口を叩く。年はヘイルよりも上に見える。
「それを証明したいところだが、今日は違う用件できた」ヘイルはそういうと、視線で俺を指した。リシャールは俺を見て得心したようにヘイルにうなづくと、部屋の中へと俺たちを招き入れた。
大きな円形状の部屋だった。入り口近くは少し階段があり、そのおかげで部屋全体の天井を高くしている。天井も放射状に広がっており、中心には強い光を放つ光源があった。まぶしくてよく分からないが、松明の類でないことは確かだ。昼間の日差しのようにまばゆい。その明かりで部屋全体を照らしているようである。床は建物に使われている切り出した石ではなく、普通の土だ。
部屋にはリシャールと同じ格好をしたものが十名ほどいた。彼らは各々の武器を振るって仕合をしている最中だった。使っているのは模擬武器でなく、鉄製だ。刃引きはしてあるのかもしれないが、それにしても苛烈だといえるほどに激しい仕合を繰り広げていた。
「皆、ヘイル皇子がいらっしゃったぞ」リシャールが言うと、仕合をしていたものたちがいっせいに手を止めた。かとおもうと、リシャールと同じように略式の礼をすばやくとった。ヘイルが身振りで小さく示すと、皆礼を解いた。
「皆、紹介しよう。今回新たに皆の仲間になった、ガウェインだ」ヘイルが俺を指すと、皆の視線がいっせいに俺に向いた。
「ガウェインだ」俺は名乗るにとどめた。別に大物ぶったわけじゃない。礼の仕方なんか知らないだけだ。
「ガウェイン。もう気づいていると思うが、紹介しよう。近衛兵の皆だ」
ヘイルが言うと、端から順番に名乗ってくれた。が、俺はあんまり聞いてなかった。それより、ヘイルが何をしたいのか分からなかった。
俺の仕事は調査だ。肩書きこそ近衛兵だが、護衛の仕事はしないはずだ。近衛兵の奴らと無用なトラブルを起こす可能性すらありそうなものだが。
「もう知っているものもいるかもしれないが、ガウェインが近衛兵というのは肩書きだけだ。彼には私がいけない調査に出てもらうことになっている」ヘイルがその説明をしている。が、俺はどこか違和感を覚えていた。俺の嗅覚が、嫌なにおいをかぎつけている。トラブルのにおいだ。
「しかし、肩書きだけといっても彼は確かに近衛兵でもあるのだ。だから、彼を正式な仲間として紹介するためにここにつれてきた」俺は左右に視線を走らせた。だが、出口にはさっきのところ以外ないらしい。
「しかし皇子。いくら肩書きだけといっても、実力がないと他の兵士に示しがつきませんよ」近衛兵の一人が言った。頭のはげた奴だ。名前はなんと言っていたか、ヘッジだったか? どこか棒読みな口ぶりだ。
「その通りだ。だから今、存分に確かめてみてくれ。君たちが認めるまで、全員で」対するヘイルの口ぶりもどこか棒読みだった。
「は?」俺は思わずヘイルに聞き返した。
「おい、どういうことだよ」
「今言ったとおりだ。近衛兵と認められるために、皆と訓練するのだ。全員と」ヘイルは言いながら帰ろうとする。
その顔で分かった。こいつ、嵌めやがったな。
「おいおい待てよ。俺の格好見てみろよ、丸腰だぜ?」両手を挙げて無力をアピールする。
「貴様が丸腰な訳なかろう。鎖帷子を着込んでいるのも分かっている」悔しいが図星だった。音の出ないようにしているはずなのに、なぜ気づいた。
「では、訓練に励みたまえ」ヘイルはそれだけ言うと歩き出した。それを合図に近衛兵が一斉に俺に襲い掛かった。一人目のすさまじい勢いで繰り出された槍の突きを寸ででかわす。かすった服の一部が破れる。ああ、こっちに来て買った新しい一張羅が。気に入ってたのに。
間髪いれずに別の方向から斧が振り下ろされる。地面に転がってそいつをかわし、扉に向かって走る。こいつら強い上に本気できてやがる。逃げないとまずい。
「お前も今日から近衛兵だ。諦めて一緒に訓練しろ」
が、背後にはリシャールがいた。リシャールはハルバードを脛めがけて振るった。俺は飛びのいてかわしたが、はずしたハルバードは地面を大きく抉り取っていった。
「だったら模擬武器でやれ!」あわてて短剣を抜く。あんなの食らったらひとたまりもない。
「大丈夫。刃はない」ヘイルが階段を上りながら返事をする。
「突いたら刺さるだろうが! てか刃なくても死ぬわ、あんな一撃!」
「ほめても手加減しないぞ」
「ほめてんじゃねえ、責めてんだ!」
「皇子から財布奪ったそうじゃないか、ええ!」
「あ、てめぇ! 財布盗んだことまだ根に持ってやがったのか!」
「てめえ呼ばわりとはいい度胸だな!」
「せめて一人ずつにしろお!」
俺の叫びは、近衛兵の叫びと剣戟にかき消されていった。ヘイルはご丁寧に扉を閉めて帰って行った。
長くなったので分けました。中途半端だけど、なるべくならコンスタントに上げたいですし。
あーTRPGやりたい。