第3話:NOW loading
その家は、都心から離れた団地の、アパートの一室にあった。八階建ての五階に位置するだけあって見晴らしはいいが、視界は他の同じようなアパートにほとんど遮られて、少し傾き始めた太陽と、下の駐輪場と一台しか通れないような道路しか見えない。
アパートの大きな濃い影に覆われた、そのしたの道路では子どもたちが遊んでいる。幼稚園ぐらいの子たちは小さな歓声を上げて追いかけっこをしているし、小学生くらいの子たちは携帯ゲーム機で遊んでいる。
「何を見ているんだ?」子供達をぼんやりと見下ろすはるかに小田が声をかける。
「少し考え事を」はるかは短く答えた。今日訪ねている平井氏は息子が被害にあっている。小学五年生だったらしい。今も病院のベッドで眠ったままのその少年も、駐車用のブロックに腰かけている子供たちのようにあそこに並んで座っていたのだろうか。
扉の開く音でもの思いから抜け出す。チェーンロックをかけたままの扉の隙間から、女性がこちらを覗いていた。
「どちらさまでしょうか」
女性はかすれた声で尋ねると、二人に目を走らせた。陰になっているため顔がはっきりわからないが、ドアの隙間からぎょろぎょろと目玉だけを動かしてくる目は陰気で、はるかは一瞬たじろいだ。
小田はそんなそぶりは見せず、女性に一度会釈して名刺を差し出した。はるかも仕事上他人の敵意には馴れているつもりだったが、その点では小田の方が一枚上手らしい。
「先日ご連絡させていただいた小田です。平井由紀子さんですね? お子さんの事故について取材を受けてくださるという約束でしたので、お尋ねしました。事前にご連絡もしたのですが、覚えておいでですか?」
「そちらは?」はるかに目を向ける。
「私は、え……」
「自分の部下です。新米ですが邪魔はさせないんで、気になさらないでください」
はるかが否定しようと口を開くと、小田はキッと睨んだ。
『俺に従う約束だ』小田は平井にきこえないよう小声で釘をさした。はるかは言い返そうとしたが、やめて言葉を飲み込んだ。これは私の取材じゃない。あくまで同行させてもらっているだけなのだから、意地を張ってはいけない。そう自分に言い聞かせる。
女性はしばらく反応を示さなかったが、やがて「今開けます」といったん扉を閉めると、チェーンロックを外して扉を開けた。
「どうぞ、上がってください」かすれた低い声でしゃべる平井由紀子は、何というか、普通の主婦だった。何処にでもいそうな、三十を少し過ぎた年の女性だった。ただ、健康的とはとても呼べなかった。
頬はやつれ、何日も徹夜したように目の下に深いクマができている。髪も途中でセットを投げ出したような格好だし、何より目に生気が感じられない。傍目にわかるほどに疲れ切っていた。病人でもここまでひどい人は中々いないだろう。
促されるままに家に入った二人は居間に通され、背もたれのついた椅子に座らされた。
居間は散らかっていた。掃除をしていないわけじゃない。ものを上に上げただけであったり、集めてあるだけで、なんというか、適当だった。平井が元々そう言った人物だと考えることもできるが、それは違う気がした。
「何を知りたいんですか」平井が席に着き溜息でも吐き出すように小田に問う。明らかにこの取材に乗り気でない。平井はどうやって彼女の取材を取り付けたんだろうか。
「事故のことについて知りたいんです。あの日、お子さんに何があったのかを」
「テレビで言っていることが全部です。家に帰ってきたら、あの子が倒れていて、それで、あの子は、あの子は……」平井の声が震え、涙がこぼれる。
「全部、ぜんぶあのゲームが悪いのよ!」平井が突然感情をあらわにして叫ぶので、二人はびくりと肩を跳ねた。
「おつらいでしょう、お気持ちはわかります」小田は役者ぶった憐れみの表情を浮かべ、声を和らげた。が、その口調はかえって平井を刺激したらしい。
「わかる? あなたに何がわかるっていうの!? 息子がいきなり意識不明になって、もしかしたら二度と起きてこない気持ちが、あなたたちにわかるっていうの!?」平井は身を乗り出して小田に掴みかかった。小田は、とにかく落ち着いてとなだめる事しかできなかった。
「わかります」はるかの言葉に、平井が怒りの矛先を変える。だが、はるかは平井に見つめられてもひるまなかった。
「私も友人が同じ目にあっています。何もできないことに憤りを感じてるのはあなただけじゃない。でも、だからこそ皆知りたいんです、なんでそんなことになったのか。どうすれば解決できるのか。原因が分からなければ、解決もできない。だから、教えてください、あなたの知っていることすべてを。もしかしたら、息子さんを救う何かが見つかるかもしれない。私達はその手助けをしたいんです」
平井はじっとはるかを見つめた。はるかも平井を見つめた。小田は襟元を掴まれて中腰に立ち上がらせられたまま、どうなるかハラハラして二人の顔を交互に見比べていた。
平井は深く息をついて椅子に座り直すと、口調を和らげた。和田の襟からも手を離した。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。何度も警察やテレビの取材が来るものだから、少しまいっていたみたい」
「そうなるのも当然のことです。お疲れでしたら、また日を改めてお伺いします」
「ばか、何勝手に決めて」
「大丈夫よ」立ち上がろうとするはるかを、平井は引きとめた。相変わらず疲労の色濃い顔つきだったが、目からさっきのぞっとするような雰囲気はなくなっていた。
「ありがとう、おかげですっきりした。私も前を見なきゃ。お話します、あの日のことを」
子供部屋は、居間と違って掃除が行き届いていた。八畳ほどの部屋には、一組の学習机とベッド、漫画ばかりが収まった小さな本棚が置かれている。そして部屋の中で一際存在感を放っているのが、テレビ台と型の古い液晶テレビだった。地デジに移行する前のモデルだ。
入ってすぐ、はるかは違和感を感じた。何かが変だ。部屋の景色と、自分が感じているものとで、何かが足りない気がした。しかし部屋を見る限り、別におかしなところはなかった。
「子供部屋にテレビがあるなんて豪華ですね。いや、最近はそうでもないのかな?」小田が部屋を一瞥して率直な感想を漏らす。
「夫が以前単身赴任していた時のものなんです。普通のテレビは映らないから捨てようとしたんですが、あの子がまだ使えるって言って。今はゲーム専用のテレビにしてるみたいです」と平井。
「私は買い物から帰ってきたところで、荷物を運ぶのを手伝ってもらおうと玄関から声をかけたのに、返事がなかったんです。それでまたゲームに夢中になっているんだろうと部屋をのぞいたら、息子がゲームのコントローラーを握ったまま倒れていて……」
「そのゲームが、『Last Game』だったと」平井の言葉を、小田が引き継いだ。平井は力なくうなづいた。
「その時、ゲームはどういう状態でした? 電源が入ったままでしたか、それとも」
「ついていました。私はゲームに詳しくないですけど、ゲームの途中だったと思います」
「なるほど。他におかしなところはありませんでしたか?」和田はさらに尋ねた。
「おかしなところですか? 特に何もなかったですが、敷いて言えばゲームの電源が消えなかったことでしょうか」
「ゲームの電源が消えない?」和田がおうむ返しに問う。平井は自信無げにうなづいた。
「あの子を病院に送ったあとのことです。ゲームがつけっぱなしだったので片づけようと電源を切ろうとしたのだけれど、どうしても消えなくて。私も詳しくはないので、もしかしたら消し方が間違っていただけかもしれないですけど」
「そのゲーム機はどこにありますか?」何となく気になって尋ねる。ただフリーズしていただけかもしれないが、先ほどから感じる違和感につながる気がした。
「その棚にしまってあります。どうしても電源が切れなかったのでコンセントから抜いてしまったので、もしかしたら壊れてしまったかもしれませんが」平井はテレビと同様部屋の中で圧倒的な存在感を放っているテレビ台を指した。成程、観音開きのガラスの戸棚にそれらしき黒い機械が見える。
和田が使ってもいいかと許可を取り、戸棚から取り出す。
和田が怪訝そうな顔をしてゲーム機を取り出して初めて、はるかは違和感の正体を突き止めた。
「ゲーム機が、動いている?」
「何だって!?そんな馬鹿な」
はるかの言葉に和田が声を上げる。はるかはゲーム機の主電源ランプの部分を指した。ランプは起動中を示すほたるのような緑色の光を放っている。耳を澄ませば、排熱の為のファンも静かに回転していた。はるかの違和感は、このファンの音によるものだったらしい。
「これは一体、どういう……?」思わず疑問を口にする和田。平井は問われていたわけではないがかぶりを振るった。自然、和田の視線ははるかに移る。
はるかは和田の持つゲーム機に視線を落とした。
コンセントがついていないのに起動しているゲーム。都市伝説ともいえる事態に直面して、正直はるかはぞっとしていた。
もしかしたら飛んでもないことに首を突っ込んでいるのかも知れないという根拠のない、だが本能的な不安が沸き起こる。今なら引き返せる。やめよう。はるかの中のどこかが警鐘を鳴らしている。
視線を上げる。
「つないでみましょう。何かわかるかもしれない」鐘の音を無視する。ここで立ち止まったら、卓哉はきっと目を覚まさない。何のためにここにいるのだ。
ゲームの準備はすぐに終わった。和田も平井もやり方を知らなかったので、はるかが全部やった。和田ははるかがゲーム機の扱いに慣れていることに驚いていたが、はるかからしてみれば、和田がゲームをしないことの方が驚きだった。
「テレビ、つけますよ?」平井がリモコンを手に取る。なぜか声を潜めてしまう平井に、二人がうなづく。知らず、皆固唾を呑んでテレビを見つめている。奇妙な予感じみた感覚を覚えていたのは、何もはるかだけではなかったのだ。
ブラウン管特有のブゥンという機動音がして、電源が入る。パリパリと静電気が立ち、映像が表示される。
最初は何も映らなかった。
が、しばらくして画面下に別な文字が表示された。
「なう、ろーでぃんぐ?」和田が声に出して読み上げる。相変わらず黒一色の画面に、白の丸いフォントでNow Loading......の文字が浮かび上がっている。
「ゲームが、始まっているってこと?」疑問を口に出すはるか。ゲームのことをよくしらず、はるかに答えを求めようとした和田と平井はそのことが何を意味するのかよくわかっていないようで、和田にいたっては首をかしげている。
不意に、黒一色の画面が切り替わる。出てきたのは実写とみまごうようなゲームのCG。緊張感を与えるアップテンポのBGMと共に現れた画面には、ゲームのキャラクターがどこか恐竜めいた姿かたちをしたモンスターと戦っている。
「これは、一体どういうことなんだ?」和田がはるかに問いかけるが、はるかは首を横に振る。ゲームのことが分かる分、はるかは二人以上に今自分が見ていることに困惑していた。
ゲームが勝手にうごきだした。それだけじゃない、プレイヤーがいないのに、ゲームのキャラクターが勝手に動いている! ある程度設定したら、後は状況に応じて勝手に動いてくれる戦闘システムなのか? その仮定を否定するように、画面の端に表示されていた小さなメニューウィンドウの矢印が動き、コマンドを選択し、アイテムを使用する。それに呼応するように、画面中央のキャラクターが指定されたアイテムを使って別のキャラクターを回復した。これはプレイヤーが自身で選択しないとできない行動だろう。なら、これはデモムービーなのだろうか?
答えの出ないまま、三人は映像に釘付けになる。ぱっと見てすぐに分かるほど、主人公側は劣勢で、すでに主人公以外の仲間は死亡している。その主人公も瀕死で、ふらついているところをモンスターに噛み付かれ、地面に倒れた。画面には無常なGAME OVERの文字が浮かび上がる。
そして、したのウインドウに「AKIRAは死亡した」という文章が表示される。
画面はすぐに消えたかと思うと、同時にゲーム機の電源も落ちた。
「今のは、何なんだ? ゲームってのはこんなものなのか?」小田がはるかに問いかける。はるかは首を横に振った。デモムービーだったのだろうか? だとしても、なんだか変だ。それに、ゲーム機が勝手に消えたのも説明がつかない。
はるかがそれ以上答えないので、小田は平井のほうを向いた。が、平井は額から汗を滲み出して、震えていた。
「平井さん?」小田の問いかけに平井は振り向くと、おもむろに口を開いた。まるで、その事実を口にしたくないかのように。
「明は、息子の名前よ」
「え……、それじゃあ、今のは――――――」はるかが言い終わる前に、電話の着信音が言葉をさえぎる。誰かの携帯ではなく、家の固定電話にかかってきているようだ。
部屋にいる誰もが、嫌な予感を感じ取っただろう。少なくとも、平井は電話が鳴っても、部屋から出ようとせず、立ちすくんでいた。
「平井さん、どうぞ僕らにかまわず」何度目かのコールで、小田が平井に促す。平井は硬直から解けたように駆け出し、電話を取りに居間へと向かった。小田とはるかは部屋で待っていることにした。
しばらく平井が電話で応答する声が聞こえていた。しかし突然、ドンという鈍い音とともに声がやんだ。
「平井さん?」はるかが部屋から呼びかける。しかし、返事は無い。不審に思って小田と一緒に居間に戻ると、電話の前に立ち尽くしている平井の姿があった。受話器が床に転がっている。平井は二人を見ると、嗚咽を漏らしながらなき始めた。
「平井さん!? 一体何があったんです!?」はるかは崩れ落ちそうにふらついた平井の体を抱きかかえた。平井は嗚咽の中、ひとつの言葉を紡いだ。
「息子が……死にました」
日は既にとっぷりとくれ、風がスーツの隙間を縫って体を冷やしてくる。季節は春に差し掛かっているはずだが、肌寒さには冬の名残がある。せめてマフラーでも持ってくればよかったと思いながら、はるかはかじかんだ指に息を吹きかけた。
「ほら」いつの間に戻ってきたのか、小田がとなりに立って缶コーヒーを差し出す。
「……ありがとうございます」はるかは受け取ると、缶コーヒーを両手で包み込んだ。やけどしそうな熱さが、指先にぬくもりを与えてくれる。
電話は平井の息子が入院する病院からだった。泣き続ける平井をそのままにするわけにもいかず、彼女の夫に連絡し、病院にも連れて行った。明と呼ばれた息子は霊安室に運ばれていて、白い布をかけられていた。二人は平井の夫が来るまで彼女の面倒を見て、夫が来るとその役目を引き継いだ。小田が事情の説明と取材の延長として医者の説明を一緒に聞いている間、はるかは上司からの電話のため、病院の外に出ていた。
「死因は心臓発作だとさ。もっとも、その原因はわかってないみたいだが。……他の被害者も同じだった」
「……そうですか」そも、意識不明の時点で原因不明なのだ。死因も原因不明なのは、至極当然といえた。
「なんだったんだろうな、あれは」小田がコーヒーをすすりながらつぶやく。その視線ははるかではなく、明かりがともる町並みをさまよっている。
「さあ。見当もつきません」手の中で缶コーヒーを回してはるかが答える。そう、見当もつかない。でも、きっとあれが、事件そのものなのだ。この、事件であるかどうかすら分からない事件の現場に、私は居合わせたのだ。問題は、それを見ても何が起きていたのか分からないことだった。
二人はしばらく会話も無く、時折どちらかが缶コーヒーを傾けるだけの時間が続いた。
「俺は会社に戻るが、お前はどうする? 駅までなら乗せてやるぞ」缶を振りつつ、小田が尋ねる。音からしてからのようだ。
「助かります。私も、会社に戻らなければいけないので」さっきの上司の電話はそれだった。昼に出たっきり、連絡もよこさずにどこかへ行ったのだから、当然といえば当然だが。上司の剣幕を思い出し、肩が重い。もうかえっているといいが。
「そうか。じゃあここで待ってろ。車をまわしてくる。」そのかわりというように、小田は空になった缶をはるかに手渡し、駐車場へと向かった。はるかは病院の自販機へと向かおうとした。
不意に携帯が鳴る。相手を見てみると、卓哉のお母さんからだった。
おなかにつめたいものが落ちる。血の気が引いていくのが自分でよく分かった。
出たくなかった。このタイミングで、この電話は出たくなかった。だが、出ないわけにも行かなかった。
震える指で画面をタップする。
「……もしもし?」
「もしもし、はるかさん? 聞いて、卓也が――――――」
もう読んでくれる人もいないだろうけど。気分が乗ったら続けます。