第2話:情報求む
「――――――は百人を超えると言われている。N社は関与を否定しており、被害者の遺族は訴訟を起こしたが、裁判所は不当であるとしてこれを棄却する考えを示している―――――」はるかは前かがみになっていた体を青白い光を放つパソコンから離し、柔らかな背もたれにもたれかかると、メガネをずらして目がしらを押した。目が思ったよりも疲れている。自分でもわかっているけど、どうも集中すると前のめりになっちゃうのよね・・・・・・。
「先輩、お疲れですか?」声を掛けられて、はるかが振りかえると、後ろのデスクに座っている人物がこちらに椅子を向けている。後輩で同じく政治面を担当している、竹田だ。
「ちょっと目がね。私、姿勢が悪いのよ」はるかはメガネをかけ直しつつ苦笑する。
「先輩、記事書いているときいつも前かがみになりますもんね。それ、治したほうがいいですよ。目にもよくないし。うちの弟みたいです」竹田が席を立つ。向かう先はデスクから少し離れたテーブルにちょこんと置かれているコーヒーメーカーだ。
「竹田君、弟がいるの?」竹田がマグカップにコーヒーを注ぐのを見つめながら尋ねる。コーヒーメーカーのわきには紙コップがあるのだが、エコを意識している彼は、「そんなものはもったいない」と、愛用のマグカップを持参している。
「ええ。と言っても、八つも離れてるからそんなに親しくはないですがね。僕が帰ると、テレビを一人占めにして、ずっとゲームしてますよ。画面のすぐ前に座って、猫背でね。確かブラックでよかったですよね?」竹田は既に紙コップにコーヒーを注ぎながら尋ねた。
「ええ、ありがとう」
「それにしても、昼休みに何をそんなに熱心に見てたんですか?」竹田は湯気のたつ紙コップの口をつまむように持って運んではるかに手渡すと、コーヒーをすすりながらはるかのパソコンを覗き込んだ。そして、でかでかと黒い太字のトピックスで書かれた文字を音読し始めた。
「『被害者100人越え、なおも増える勢い』。ええっと、『大手ゲーム会社Nが先日発売し始めた新作ゲーム「Last Game」にて、最初の被害者が出て今日で一か月。被害者は増える一方で、現在確認されている被害者は百人を超えると言われている。N社は関与を否定しており、被害者家族は訴訟を起こしたが、裁判所は不当であるとしてこれを棄却する考えを示している。被害者は皆一様にゲームを始めた途端に意識を失っており、ゲームに何らかの視覚的問題があるのではないかと指摘されているが、会社側は『このゲームには問題を起こすような映像の演出はなく、被害者が意識を失ったスタート画面は背景を黒に設定している』と答えている。N社はこのゲームの製作に五年かけており、プロジェクトの総制作費は80億を超えるとされ・・・・・・。珍しいですね、先輩がこういう記事読むなんて」
竹田は画面から目を離し、部署内でも「真面目で堅物」と言われている先輩に視線を移した。
「・・・・・・ちょっと知り合いがね」
「え!?知り合いが、ですか?誰です?彼氏?」竹田は心底驚いて言った。人付き合いが悪いわけではないが、社内でこれと言って親しく話している友人を見たことがなく、飲み会でもそんなにはしゃぐことなく一人で過ごしている彼女を見ている竹田にとって、先輩にそんなに心配するほど親しい友人がいるなんて思いもよらなかった。こんなに美人なのに。
「そんなんじゃないの。親戚の子が、ね」はるかは後ろめたさを感じながら、つい嘘を言ってしまった。卓哉と後ろめたい関係ではなかったが、年の離れた、しかもネットゲームで知り合った人、というのは気恥ずかしいし、あまり他人に知られたくなかった。
幸い、竹田はそれ以上追及しなかった。
「それはお気の毒に。早く良くなるといいですね、何せ死者も出てるみたいですから・・・・・・」
「え!?」今度ははるかが驚く番だった。死者?
「どういうこと、それ?初めて聞いたわ」はるかは目を丸くした。
「まだ記事になっていませんからね。この雑誌記事書いたの、俺の大学時代の友人でしてね。この前久々に飲み屋であったんで、一緒に飲んでたら教えてくれたんですよ」これ、内緒ですよ、とはるかに口止めをする竹田。だが、はるかは聞いておらず、眉をひそめて考え込んでいた。
「ねぇ、その人と会わせてもらえないかしら」
「いいですけど・・・・・・。そんなに気になるんですか?」竹田は珍しがった。
「ええ。出来る限り力になりたいの。よくお世話になっている親戚だし」はるかは、『親戚』を強調した。
先輩がこんなに興味を持つとは、その親戚はよほど親しいんだろう。もしかしたら、本当は恋人(いや、愛人か?)かもしれない。堅物で通ってるけど、先輩は美人だし、仕事もできるからなぁ。竹田は湧きあがる好奇心を抑えつつ、懐ののポケットに手を入れた。
「分かりました。僕から伝えておきますよ。一応彼の名刺を渡しておきます。」竹田は名刺入れから名詞の束を取り出すと、その中から一枚抜き取ってはるかに手渡した。
はるかは名刺を受取ると、そこに書かれている名前をじっと見つめた。
「小田武さんね。ありがとう、今度奢るわね」そういうと、机の上の荷物をカバンに詰め始めた。
「ちょ、先輩どこにいくつもりですか!?もう昼休み終わりますよ!?」竹田は驚いてコーヒーをこぼしそうになった。
「編集長には取材にいってくるっていっといて。じゃあ、連絡お願いね。」はるかは荷物をすばやくまとめると、コーヒーを一気に飲み干して、まるで取材にでも行くように部屋から出て行った。
「・・・・・・。」竹田は茫然と立ち尽くした。
「少なくとも、ただの親戚ってわけじゃないな・・・・・・。」
男はキーボードを打つ手を止め、打ち込んでいたものを見返すと、一つのキーを押した。連ねられた文字は瞬時に消え、発光する画面には白紙だけが残った。
パソコンのわきに置いておいた煙草の箱を手に取る。が、のぞいてみると、中身はからだった。中身はすでに灰皿を満たしていた。
「あ~!」男は椅子の上でのけぞると、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。もともと癖っ毛の髪が、さらにこんがらがる。男はいらいらしながら自分のデスク、そしてあたりをぐるりと見回した。
縦長の十畳足らずの薄暗い部屋に机が八つ。埋まっているのは男も含めて四人のみ。皆手を休めて煙草をふかしている。煙の先を見れば、天井に黒ずんだ染み。おそらく長年住人たちの紫煙を吸ってきた所為だろう。
机はと言えば、他の者たちと同じく、資料が散乱して机が見えない。パソコンの周りに書類が散乱し、その上に灰皿が置かれている有様だ。この建物が火事になったら火の回りは速いだろう。
「どうした武、スランプか?」向かいの席の男がけらけらと笑いながら覗き込んできた。乗り出した拍子に重ねてあった書類の山が崩れ、床にブチまかれた。
「ああ、坂下さん、それ大事な資料なのに!」小田は咄嗟につかんだ灰皿を持ちながら、椅子から立った。危うくさっきの夢想が現実になるところだった。
坂下はすまんすまんと言いながら、拾うのを手伝うために席を回ってきた。
「ん?ああこれ、今話題の意識不明事件のか?」坂下は書類の一枚を手に取り、読み始めた。その手から小田が書類を取り上げる。
「読んでないで手伝ってくださいよ。結局全部拾ったのは俺だし」悪態をつきながら、広い集めた資料を整える小田。
「いや、資料が気になってな。意識不明者から死人が出ているって、本当なのか?」
「まだ数える程度ですがね。でも、世間は余計注目すると思いますよ」
「まぁ、これだけ騒がれればな。でもな、小田。この事件には、あんまり深入りしないほうがいいぞ」坂下は立ち上がって自分の後輩を見下ろした。
「なんでです?」小田はずんぐりとした体格の先輩を見上げた。入社した当時より出っ張った腹が、ベルトによってかろうじて抑えられている。
「記者の感ってやつだ。この事件は、なんだか得体が知れん。やばいのに巻き込まれる前に手を引いておけ」坂下はそういうと、自分の席に戻って行った。
「記者の感・・・・・・ですか」小田は立ち上がり、資料をもとの場所に置いた。大した記事を書いたことない癖に。
「なんか言ったか?」坂下がちらと小田のほうを見る。
「いえ、何にも」小田は平然と答えた。第六感より、五感のほうが優れているんじゃないのか?
その時、ふいにドアノブが回される、ガチャリという音がした。反射的に全員の視線がそちらに集まる。
ショートヘアーに黒ぶちの眼鏡。すっとしまった顎は、凛とした印象を与える。ピッチりとしたスーツをまとった姿は、『できる女』そのもので、メタリックフレームのメガネがよりその印象を強めていた。
その美人は、自分を見つめる視線を(驚くこともなく)一つ一つ見つめると、口を開いた。
「ここに小田武さんはいらっしゃいますか?」全員の視線が一斉に小田に向けられる。
『誰だこの美人は』
「小田は自分ですけど・・・・・・どちらさまで?」小田は自分に移った視線を目で返事をしながら答えた。
『知りませんよ』
「申し遅れました。私はこういうものです」女性は内ポケットから名刺を取り出し、小田のほうへ行こうとした。が、通路にゴミや資料やらが積み重なっていて、とても通れそうにない。
「あー、外でお聞きしましょう。立ち話もなんですし」小田は提案した。
「A新聞社政治部担当井上はるか・・・・・・で、大手新聞社の方がどうして自分を尋ねに来たんですか?」武は渡された名刺から顔を上げ、向かいに座る人物に視線を移した。女性は店員にコーヒーを注文していた。坂田も同じものを注文した。
「竹田君からまだ連絡は来てませんか?」
「ああ、そういや新聞社で働いてるって言ってたな、どこでかは酒の席だったんで覚えていませんでしたが。で、あなたは竹田の?」
「同僚です。彼の先輩にあたります」
「成程。それで、要件はなんです?」小田は座りなおしてポケットに手を伸ばした。が、その手を途中で止めた。煙草を切らしているのを思い出したのだ。小田は顔をしかめた。
「竹田君から、あなたが今書いている事件の話を聞きました。まだ記事にしていないことを。」はるかは淡々とした口調で言った。いや、そうしたつもりだった。小田は片方の眉を吊り上げた。
「あいつ、他言無用って言ったのに・・・・・・」
「本当なのですか、それは」小田は迷った。情報を易々と教えていいものか、と。だが、結局言うことにした。既に竹田が洩らしてしまっているんだ、今更隠しても無駄だろう。
「まだ数は少ないが、確かに死者は出てる。これからはもっと増えると自分は見てますがね。で、それを聞きにわざわざ会いに来たんですか?」
「・・・・・・実は、そのことでお願いがあってきました」
「・・・・・・何でしょう?」
はるかは、一呼吸間をおいてから、言った。
「記事の取材に、つき合わせてはいただけないでしょうか。」
店員が、盆を持ってやってきた。コーヒーを二人の前に順々に置く。そして伝票を小田の前に置くと、戻って行った。
小田はコーヒーを一口すすった。
「訳をきかせてもらってもいいですか」
「私の親戚の子が意識不明になったんです。出来る限り力になりたくて」
「・・・・・・成程」小田は瞬時に気がついた。相手が嘘を言っていることを。だが、それが『言いたくない』からか『言えない』からかはわからなかった。
コーヒーを見つめる小田。その間、じっと相手が口を開くのを待つはるか。コーヒーはゆらゆらと、絶え間なくちいさな湯気を上げている。
小田がおもむろに口を開いた。
「条件が三つある。一つ、取材で得た情報はどこの出版社にも、誰にも流さないこと。わかった時点でやめてもらう。二つ、取材では俺の指示に従うこと」
「わかりました」はるかは悩まず答えた。小田は硬い表情のままうなづくと、コーヒーを一気飲みした。
「よし、今から取材に行く。ついてくるか?」言いながら、掛けてあったスーツを着る。
「行きます」はるかも椅子から立ち上がる。
「じゃあこれ」小田ははるかに一枚の紙をさし出した。
「伝票。払っといてくれ、今持ち合わせないから」
更新したと思ったらしてませんでした。大変申し訳ありません。