第二十一話:分離
「グラム・・・・・・。それが僕の本当の名前・・・・・・。」僕は噛みしめるようにその言葉をつぶやいた。
グラム。それが本当の僕。記憶とともに失ってしまっていた名前。ずっと探してきた、そのために旅をしてきた。そしてついに知ることができた。なのに、何の感動も、涙も出てこない。
今や部屋の空気は目に見えるほど張りつめていて、一触即発の気配が漂っていた。僕を取り囲む兵士たちの顔は先ほどにもまして険しくなり、槍や剣を固く握りしめている。
横目でクリスたちを見ると、二人とも青ざめ、マリアさんにいたっては今まで見たこともないほどおびえた表情をしている。僕はグラムと言う人物を知らなかったが、二人も知っているほど有名で、かつ好ましからざる人物であるということは、聞かなくてもわかってしまった。
「貴様があれくらいで死ぬとは思っていなかったが、一体どうやって生き延びた。そしてなぜのこのことこの王都までやってきた。」ヘイル皇子が矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「どうやってと言われても、僕にも分かりません。僕は記憶を失っていて、記憶を探すために旅をして、ここに来たのです。」僕は簡潔に答えた。この答えに納得するはずもないとわかっていたが、他にこたえようがなかった。
「どうあってもしらばっくれるつもりか。まあいい、連れて行け。すぐにその首をはねてやる。」ヘイル皇子は兵士たちに僕を無理やり立たせようとした。
「待って!」クリスがそれを呼びとめた。
「ヘイル皇子、人違いです。彼が・・・・・・イェリシェンが、あの死神グラムのはずがありません。もしそうなら、どうしておとなしく捕まる必要があったのですか?わざわざ自分から死にに行くようなものです。たまたま似ているだけかもしれな・・・・・・。」
「私が間違っていると?」ヘイル皇子が冷たくクリスを睨みつけた。
「私はこの目で見たのだ、こいつの顔を、はっきりと!こいつが谷から落ちてゆくとき、兜が取れ、こいつと目があったのだ。私はあの戦いから、こいつの顔を忘れたことなど一度もない!」ヘイル皇子は先ほどの殺気を、今度はクリスに向けていた。まるで燃え立つ炎のような殺気を、並の人間ならそれだけで身をこわばらせるような殺気を。
「私だって見てきたわよ!イェリシェンがどんな人か、この目で、しっかりと!お人好しで、普段は頼りないけど、いつも誰かのために戦ってくれた。そんな優しい人を人殺しと一緒にしないで!」クリスは興奮のあまり立ち上がり、言い切るとはあはあと息を切らしていた。
その場にいる全員があんぐりと口を開けていた。先ほどから(僕がグラムだと言われた時も)何の反応も見せなかったガナ皇子でさえ、目を丸くしてクリスを見つめている。
それはヘイル皇子も例外ではなく、怒るどころか、クリスの思わぬ反撃に明らかに面食らっていた。
それもそうだ、まさかこの場では何の権利も持たないただの旅人、ただの女であるクリスに、王の次に偉い自分がまさか怒鳴り返されるとは、夢にも思っていなかったろう。これだけの暴言は、打ち首にされても文句は言えない。だがクリスは、何のためらいもなく言い返したのだ。それも僕のために。
うれしくなかったと言えばうそになる。だが、それよりも自分のせいでクリスが危険を冒してしまうことが、何よりも苦しかった。
だから、僕は言おうとした。彼女が僕のために何かして、これ以上立場を危うくしないためにも。「もういいんだ」と。だが、自分の口から出たのは全く違う、乾いた声だった。
「茶番は終わりだ」
「茶番は終わりだ」押し殺したように低く、冷たい声。それが兵士たちに囲まれたあの男から発せられたことで、少女の啖呵の驚きから、私は我を取り戻した。
この声だ。この声こそ、戦場で響き渡っていたあの男の声。勇敢な我が国の兵士たちを震え上がらせる声。確かに目の前の男は奴だった。だが、しぐさ、表情、声音、全てをとっても、あの死神と恐れられた将軍、グラムその人とは到底思えるものではなかった。自分でやつだと断定したが、戦場でのやつの記憶とあまりにも違いすぎて、本当に別人なのかと迷っていた。もしくは、弁解の通り記憶を失っているのかも、と。
だが、ここにきて私は間違っていないとはっきり分かった。もはや目の前の男は先ほどの男とは違う。無論、顔が変わったわけではない。それどころか、腕を縛られ、兵士に囲まれて膝をつかされ、私に許しを請うようにこうべを垂れている。それでも、その全身からあふれ出るような殺気が、戦場で何度も感じたやつの殺気が、眼前の男から発せられているのを感じる。それは私だけでなく、兵士たちも同じだった。兄上の近衛兵はともかくとして(彼らは既に剣を抜いて兄上をかばうように前に出てきている)、グラムを囲んでいた兵士たちが後ずさり、おびえている。今にもこの部屋から逃げ出そうとしている者さえいる。
「ついに本性を現したな、グラム。」私は剣を抜き、階段を一段一段下って行った。その間もやつから視線は外さない。
やつはうつむいていた顔を上げ、目にかかっている前髪の間から私を見つめた。黒い瞳。漆黒の闇のように塗りつぶしたような黒。先ほども確かに黒い瞳だったが、墨よりも黒いと感じさせるほどではなかった。唇が広がり、ぞっとするような薄笑いを浮かべる。
「あの丘以来だな、ヘイル。俺がいなくなって、少しはやりやすかったろう?」笑っているというのに、全くぬくもりを感じさせない声。まさしく死神と呼ぶにふさわしい男の声。
「減らず口は結構。貴様、どうやって生き延びた?」階段を降りたところで立ち止まる。両手を封じられているとはいえ、やつの間合いにうかつに近づくわけにはいかない。やつには黒魔法がある。
「さぁな、おれは悪運が強いからな。だからこうして、お前の前に来れたわけだ。」
「貴様の演技には恐れ入った。それほど芝居がうまいとは思わなかったぞ。」一歩、ジワリとやつに近付く。
「何のことはないさ、あれはおれではないからな。俺自身であって、おれではない。」
「オマエではない?どういうことだ?」思わず、足を止める。やつの言っていることが全く分からない。
「後でじっくりと考えることだ。もっとも、そこにいる女は何となくでもわかっているかもしれないがな。」私からは目をそらさず、先ほど啖呵を切った少女を顎で指す。少女は男の変貌ぶりに驚いて・・・・・・。
「また出たわね。あんたはいったい誰なの?どうしてイェリシェンの体にいるの?今日こそ教えてもらうわよ!」・・・・・・いなかった。どうしてか、彼女は男の変貌にも全く動じてはいなかった。
「お前は話を聞いていなかったのか?俺がグラムだ。死神の異名を持つアングマル将軍、それが俺の正体だ。」
「そんなことはどうでもいいわよ!いい加減イェリシェンから出て行って!」
「ど、どうでもいい・・・・・・。」私は思わずそう漏らした。
グラムをどうでもいい呼ばわりするこの少女は、いったいぜんたい何者なのだろうか?もしかすると、ただの旅人ではないのかもしれない。
「・・・・・・全く、おれをどうでもいい呼ばわりするのは、恐らくお前ただ一人だろうな。いいだろう、この体から出て行ってやろう。ただし、」
「持って数分しか生きられぬだろうがな。」突然、やつの体から黒い霧が漏れ始め、やつはもだえ始めた。まるで何かを体から出そうとしているように。
「ひぃぃぃ!黒魔法だ、魂を吸われるぞ!」やつの後ろに控えていた兵士の誰かが叫び、部屋を飛び出した。他の兵士たちもあわてて後を追っかけてゆく。私は霧に体が触れぬように注意しながらも、霧に隠れてゆくやつの姿を見失わぬよう、眼を離さなかった。
やがて霧は現れた時と同じように奴の体に収束していった。いや、正確には奴の傍らの人物へと戻っていった。
今自分の目で見ているのにもかかわらず、何が起こったのか、何が起こっているのか全く分からない。
突然イェリシェンの体から黒い霧が湧きあがった。それは見慣れた、イェリシェンがイェリシェンでなくなったときに出す剣のようなものを覆っている黒い靄とまったく同じものだった。ただ、それが剣ではなくイェリシェンの全身を隠してしまっただけの違い。これだけだったら、私は動揺すらしなかったかもしれない(以前の私なら動揺してしまったろうが、旅の間にいろんなことがありすぎて、予想外のことに対しての耐性がついていた)。
だが、そんな私でも、目の前で起こったことが信じられなかった。
「イェリシェンが・・・・・・二人・・・・・・?」私はつぶやいた。イェリシェンの体からわきあがった靄は、イェリシェンの傍らに集まりだし形をとったかと思うと、イェリシェンそっくりの、いやイェリシェンその人となった。ただ、靄の名残のように体が幾分はっきりしない感じがした。そして何より、既にふさがってはいるが、何かに深くえぐられたような傷跡がお腹の右側に生々しく残っていた。
「・・・・・・ふぅ。何とも言えない感覚だな、やはり完全になるには足りないのか・・・・・・。」黒い靄のイェリシェンは手足を動かしたり、こぶしを握ってみたりしたあと、自分の体を(まるでどこか欠けているところがないか確かめるように)眺めると、不満そうにつぶやいた。
「グラム、覚悟!」突然イェリシェンの後ろから若い兵士が数名飛びだした。一番最初に躍り出た兵士がたいまつにきらめく長剣を大きく振りかぶる。
「待て!早まるな・・・・・・!」ヘイル皇子がとっさに叫んだが、それが間に合うことはなかった。
ヘイル皇子が皆まで言い切る前に兵士は剣を振り下ろした。・・・・・・はずだった。少なくとも私にはそう見えた。だが実際は、彼は剣を振り下ろしきらないままに地面に倒れ伏していた。
私には何が起こったのか分からなかった。ただ霧のイェリシェンの右手には、柄から刀身まで全て真っ黒の、見たことのない片刃の剣がいつの間にか握られていた。
仲間が刹那にも満たない間に殺されて、足が止まりそうになる兵士たち。しかし、そこはすでに相手の間合い一歩手前で、彼らには立ち向かうしか選択肢は残されていなかった。
私に見えたのは、彼の表情だけ。口の端を釣り上げているその表情は、間違いなく笑みだった。人の心を凍らせる、残忍な笑みだった。
一瞬のうちに、五人の兵士が悲鳴を上げる間もなく深紅のじゅうたんに倒れ伏した。皮膚がピリピリとして、全身の毛が逆立つ。恐怖が人々に伝染し、部屋を満たしてゆくのを感じる。
これだ、これこそが、やつが数々の異名を持つにいたったゆえん。携えた黒き刃をふるうたび、やつの足元に屍が転がる。その姿は、まさに・・・・・・。
不意に、聞き取れないほどかすかな声が聞こえるのに気づいた。意識せずにいたなら、気付くことさえもないように小さな声が。それに気づいたのは、まったくの偶然だった。
私は警告の声を発しようとした。だが遅すぎた。奴は私に振り向きざま、あの人を見下すような笑いにゆがめられた口の端から、呪文を吐きだした。
「夜の靄」
突然、あたりは真っ暗闇となった。まだ日は落ちてないというのに、窓からの光さえ失われた。私はとっさに目をつぶり、五感を研ぎ澄ました。
足音が向かってくる。それはほとんどじゅうたんにかき消されるほどの小さな音だったが、私は聞き逃さなかった。
「グラム!」私は裂帛の気合を込めて渾身の一撃をふるった。そのひと振りが何かを掠めると同時に、小さな舌打ちが聞こえた。
私はし止めそこなったと思い、反撃に備えた。だが、足音はだんだん遠ざかってゆく。しかしそれは出口とは逆の方向だった。
「しまった!兄上!」
最後の文句をつぶやきながら、おれは走り出した。唱え終える直前、ヘイルは気づいたようだが、それくらいは予想の範疇だ。
呪文を唱え終えた途端、部屋から明かり一切が失われた。たいまつの光も、沈みかけた太陽の日の光も。当然俺も全く見えないが、ひかりがなくなる直前に相手の位置は把握している。
この呪文は長く持たない。時間が惜しく、あらんかぎりの力で走る。
殺気を感じ、走ったままの無理な体勢で体をよじる。瞬間、わき腹を刃がかすめ、思わず舌打ちをする。ヘイルめ、この闇の中でも俺を感じ取ったか。つくづくこの平和ボケした国には不釣り合いな将だ。
確かにお前は将としては優秀だ。武芸に関しては天賦の才があるだろう。だが、それだけだ。貴様は優秀な将でこそあれ、優秀な王ではない。この国を実際におさめている者、それこそ俺がここに来た理由。
靄がはれ始め、うっすらと人影が見える。俺に感づき、皇子をかばうように前に出る護衛兵。さすがだ,この暗さで俺に気付くとは。
俺は顎が地面に掠めそうなほど体を傾けて間合いに入り、そこから体を起こしざま剣を切り上げた。
超低空からの俺の奇襲は、相手に敬意を表してのものだったが、皇子の護衛兵はかろうじてそれを受け止めた。これを止めるとは、ますます持って惜しい。結局、三人の護衛兵を屠るのに八度剣をふるうことになった。だが、もう皇子を守る者はいない。
無防備になり、一人追いつめられた皇子に剣を振り上げ、そして振り下ろす。その刹那、横から何かが飛び出し、皇子の前に立ちふさがったのは・・・・・・。
「・・・・・・ぐあああああ!」
突然叫び声が聞こえ、次いで霧が晴れて行った。声のする方、先ほどまで兄上がいたところだ。
自分の予想が違ってくれと願いながら、どこかで違うはずがないと思いながら、そちらに目をやる。
兄上の護衛兵が倒れている、その先には・・・・・・。
その先には、兄上の無事な姿と、立ち尽くすグラムの姿。そして、ずっと倒れたままだったグラムの分身が、兄上とグラムの間に片膝をついていた。
「グラム!」私は叫び、やつに向かって走った。周りの兵たちもあわてて続く。
グラムは私のほうをさっと振り返り、自分の状況を見て取ると、玉座の後ろにある窓を突き破って外に飛び出した。
私はあわてて窓に駆け寄り、下を見た。ここは三階、下は堀だ。助かるはずが・・・・・・。
「・・・・・・くそ!」私は思わず毒づいた。奴はいつの間にかカーテンを切り取って、それを広げて落下の速度を遅くしていた。それはわずかな減速で、奴は堀に落ちたが、じっと見ていても上がってくる気配はなかった。
「堀のどこかにいるはずだ。城壁の兵は堀を警戒。お前たちは船を出して探せ! 絶対に逃がすな!」素早く集まっている兵士たちに命令を下した。
「は、はい!」兵士たちはあわてて外へとかけてゆく。廊下に命令を伝えてゆく声が響く。
「イェリシェン!」声に反応して振り返ると、先ほどの少女が分身に駆け寄っていた。分身はふらついていて、少女が来ると彼女に倒れかかった。
「待て、お前には聞きたいことが・・・・・・」と、そこで誰かに手首をつかまれた。見ると、兄上だった。
「彼は私の命を守った。敵ではない。誰か、彼を手当てしてやれ」兄はそういうと、小声で私に耳打ちした。
「話がある。ついてこい」私は兄の後をついて部屋を出た。最後に部屋を見たとき、協会の女性が分身の治療をしていた。
こんにちは、じょんです。あげるのが遅くなり、申し訳ありません。ですが、自分の中ではこの回は山場だと思っていたので、どうしても中途半端にしたくなかったため、少し日にちを多くとらせてもらいました(まあ、後半少しだけ適当になってるかも知れませんが)。読者の方々があっと言ってもらえたら、とてもうれしいです(え?のほうが多いかもしれませんが)。
次回ですが、今週末に私用で家を留守にするので、来週はお休みさせていただきます。次はさ来週。この章も、本当にあとわずかとなりました。まだまだ物語は終わりませんが、節目となるのは間違いないので、次回もしっかりと書いていきたいと思います。応援、よろしくお願いします。