第十五話:抗い
若者が知らせを伝えたまさにそのとき、腹の底を震わすような重低音とともに、地面に震えが走った。家にいくつもおかれている彫刻が揺れ、小さいのはいくつか倒れた。
「今のはいったい何ですか?」マリアさんが声を震わせて言った。
「オーガです。村長、早く何とかしないと。村が、銅像がつぶされてしまいます!」頭に包帯を巻いた若者は、いすに座ったまま動かない村長をせかした。
「何とかといったって、どうしろというんじゃ。相手はオーガ、わしらじゃ歯が立たん。皆に逃げるよう伝えよ。王都に向かうのじゃ。」老人はため息交じりに漏らした。その顔には、あきらめがにじみ出ている。
「村が、銅像が壊されるのを黙ってみていろ、と言うんですか!?」若者はいまにも老人につかみかかる勢いだった。実際、クリスに銅像を渡した男が止めに入らなかったら、そうしていただろう。
今や足音はすぐそばまできていた。外で村人が悲鳴を上げるのが聞こえる。
「デック、村を作ったのは誰じゃ。銅像を作ったのは誰じゃ。物はいつか壊れる。そしてわしらが、また物を作る。銅像はまた作ればいい、村はまた直せばいい。わしらは職人、作る者じゃろう。戦う者ではない。」老人は若者にそう諭した。
突然、足音が家の前でとまった。次いで、かつて聞いたことがないほどの雄たけびが上がった。びりびりと響くその声は、家を揺らし、鼓膜を破らんばかりで、思わず皆が耳をふさいだ。
「オデノ像ハ、ドコダー!」まるで岩が山を転がるような声が叫んだ。思わず体がすくんでしまうようなその声に、デックと呼ばれた若者はたじろぎつつも、腰に下げたポーチから彫刻用のハンマーを取り出し、扉に向かった。
「やめろ、デック!村長の言うことが分からないのか!?」銅像の男が若者の腕をつかんで引きとめた。デックは振り返り、男と向き合って言った。
「確かに村長の言う通りだ。でも、同じものは作れない。たとえそれが、おれたち職人でも。俺は今の村が、英雄アーサーの像がある彫刻の村、グロックが好きなんだ!」デックは男の腕を振り払い、外に飛び出して行った。
「デック!」男は呼びとめたが、若者の耳には届かない。
「あの馬鹿!あいつ一人でどうにかなるわけがないだろう。」男はもどかしげに家の中をうろついているが、外へ飛び出そうとはしない。いや、一度扉に手をかけたが、すぐに離してしまった。その手と膝は小刻みに震えていた。
「客人、どちらへ!?」村長が突然席を立って扉に向かう僕を引きとめた。僕は剣がすぐに抜けるかどうか確かめながら答える。
「彼を助けに。僕がどれだけ役に立つかはわかりませんが。」
家を出た僕は、一瞬自分が馬鹿なことに首を突っ込んでしまったのではないかと思った。
「なんて大きさだ、家と同じくらいあるじゃないか。」
オーガは僕が想像していたよりもはるかに大きく、そして今まであった中で最も魔物と呼ぶにふさわしかった。
長く、大きな手足に、丘のように出っ張った腹。体色は灰をかぶったようで、腰布のみを見につけた体は、長年ためた垢のにおいが離れている僕にも流れてきた。肩幅は通りの幅ぐらいあり、家ほどもある体のてっぺんには、赤ん坊のように産毛の生えた頭が、とってつけたようにちょこんとすえられている。それは、まぎれもなく、生物の範疇を超えた大きさだった。
「オマエ、オデノ像ハ、ドウジタ?」オーガは足もとで小さく震えているデックを見下ろして言った。その声はガラガラとくぐもって響き、聞き取りづらい。
「う、うるさい!お、おまえなんか怖くねえ、ただでかいだけだ。おまえなんかに、この村を、像を壊させるものか!」デックは自分を鼓舞するように雄たけびを上げ、オーガのむき出しの足に向かっていった。
「あぶない!」僕は叫び、走りだした。オーガがその長い腕をゆっくりと振り上げたからその手には、手で枝を折ったように無骨な、だが恐ろしい力を持つ巨木が握られている。
オーガが腕を完全に振りかぶり、力を込めた一撃を小さな人間に振りおろそうとしたその時、弦が震える聞きなれた音が聞こえ、オーガの顔に矢が突き刺さった。オーガは予想だにしなかった痛みに襲われて、思わず顔を手で覆った。音のしたほうに振り向くと、クリスが次の矢をつがえている。
そのすきに、デックが足もとにたどりつき、ハンマーを足の甲にたたきつけた。オーガはさらなる痛みにうめき、デックはその声を聞いて調子づいた。
「やれる、おれはやれるぞ!」デックはさらにもう一振りたたきつけた。オーガは叫びながら足をけり上げた。デックは巨大な足にけり上げられ、ボールのように宙に浮いた。彼の体が放物線を描きながら僕のほうに飛んでくる。
僕は落下点を予測してデックの体の下に入った。受け止めた勢いで地面に倒れたが、彼を落とすことは免れた。
「だいじょうぶですか?」
「畜生!腕が折れた!」デックは自分の右腕を見て、先ほどの勇敢さとは打って変わった、子供のような悲鳴をあげた。彼の右腕は、前腕の途中から肉を突き破って骨が飛び出している。血がとめどなく流れ、彼の服が血でみるみる赤黒く染まっていく。
「マリアさん、手当てを!」僕は痛みに呻く彼を支えながら、村長の家に向かって叫んだ。マリアさんはすでに家から飛び出してきてくれていた。
「巻き込んですみません。」僕は駆け寄ってきたマリアさんに謝った。マリアさんは大丈夫ですよ、とデックに声をかけながら、首を横に振った。
「いえ。私はお二人が飛び出すのを黙ってみていることしかできませんでした。こんなことでも役に立てるのなら。」
「そんなことは。あなたがいるだけで、随分心強いです。・・・・・・後は頼みます。」僕はけが人をマリアさんに任せると、オーガのほうへ向きなおった。オーガは先ほどからクリスの矢に悩まされていたが、致命傷には至らないと気がつき、腕で顔を守って近付き始めた。
僕は剣を抜いて駆け出した。オーガは顔を隠していたので僕に気付かない。足に達すると、毛むくじゃらの巨木のような脛に切りつけた。だが、剣は澄んだ金属音を響かせただけだった。オーガが声を上げ、足をけり上げる。が、先ほどの戦いを見てそれを予測していたので、僕はすでに駆け抜けてかかとの後ろあたりにいた。
「なんて硬さだ。まるで岩みたいだ。」切りつけた感触は今まで闘ってきたどんな相手とも違っていた。骨ごと断つつもりで裂帛の気合を込めて切りつけたのに、骨をたつどころか肉を切り裂くことさえ満足にできず、脛にかすり傷ほどしかつけることができなかった。これでは痛めつけることはできても、致命傷にはならない。これを一人で、しかも群れを相手に戦ったなんて、クリスのお父さんはどれほどの手練だったのだろう。
オーガは自分の足に切りつけた新たな敵がどこにいるか足元を探し、僕と目があった。巨大な黒目が喜色をたたえて僕を見つめ、その巨大な足を持ち上げた。
巨大な影が僕を覆い日差しを隠した。そのあまりの大きさに、思わず息をのむ。
「イェリシェン!」クリスが叫び、はっと我に返る。灰色の足裏が既に頭上に迫っていた。
とっさに横っ跳びをするのと、足が地面に踏み降ろされるのはほぼ同時だった。巨大なその足が地面に踏み降ろされると、建物が揺れるほどの地鳴りが響いた。立っていることができず、思わず尻もちをついた。
体勢を立て直し、攻撃に備える。真下から見上げると、その体は山のようで、果たして倒せるのだろうかという疑問が沸き起こり、臆病風に吹かれて逃げ出したくなる。実際、自分ひとりなら、とっくに逃げ出していただろう。だが、逃げればこの村は壊されてしまうし、何よりクリスが戦っているのだ、自分が戦わないわけにはいかない。
クリスがまた一射放ち、オーガがひるむ。そのすきに、今度はかかとを切りつける。オーガが怒り、また足を踏み降ろす。今度は余裕を持ってかわす。
クリスが矢を放つ、ひるむ、切りつける、よける。オーガが単純なせいか、そんな流れができ、戦いに余裕ができてきた。これが続く限り、負ける気がしなかった。そのうち、オーガも痛みに屈して倒れるだろう。そんな希望さえ抱き始めた。
しかし、それは愚かな希望だった。オーガが突然、足踏みを始めた。僕はあわてて足元から離れ、オーガに向きなおった。すると、オーガはすでに巨木を振りかぶっていた。
「よけて、イェリシェン!」クリスが叫び、いつの間にか集まっていた村人からも悲鳴が上がる。
振り下ろされる巨木。それは死、そのものだった。よけられない、という思いが頭をよぎった。その瞬間、急に視界が真っ暗になり・・・・・・。
「ああああああああ!」僕は必死になって前に頭から飛び込んだ。髪の毛を巨木がかすめる。巨木が地面にめり込み、大地を揺るがす。
間一髪、巨木をよけることに成功したが、うつぶせに着地したため、したたかに腹を打ってしまった。歯を食いしばって痛みをこらえていると、急に巨大な影が覆いかぶさった。見上げることなく、横に転がって踏みつけをよける。服の裾が足を掠め、やぶけた。回転の勢いを利用して素早く立ち上がり、次の踏みつけをよける。その後もオーガは躍起になって僕を踏みつけぶそうとしたが、僕はすんでのところでよけ続けた。途中何度も目の前が真っ暗になり、そのたびに自分を奮い立たせ、諦めることに抗った。
「お前には頼らない。僕は僕自身のものだ、お前になんか渡さない!」そう自分に言い聞かせながら。
しばらくして、オーガが攻撃をやめた。僕は息を切らしてオーガを見上げる。オーガはクリスのほうを向いていた。そして歩き始めた。
「クリス、逃げろ!」僕は叫んだ。だが、クリスはとどまって矢を放ち続けている。僕がもう一度叫ぼうとすると、クリスの後ろで村人があわてて逃げようとしているのに気づいた。
僕は毒づき、オーガの足に飛びかかると、ふくらはぎのあたりに柄まで通れと剣をつきたてた。
「−−−−−−−−−−!!」オーガの凄まじい咆哮に、体の内側がビリビリと震えた。オーガが悲鳴を上げながらがっくりと膝をついた。村人が歓声を上げる。
僕は剣を引きぬき、さらに深く突き刺した。オーガがまた悲鳴を上げる。
「イェリシェン!にげて!」クリスがふいに叫んだ。だが、僕はなぜ呼ばれたかわからず、左右を見渡してしまった。その結果、巨大な手が視界に入った瞬間、僕の体はオーガの足から弾き飛ばされた。
時間がゆっくりと流れているように感じた。太陽の光が眼に入ったが、目は眩しさに細くならなかった。
壁にぶつかった瞬間、時は速さを取り戻し、感覚も戻った。衝撃が内臓を急激に押しつぶす。息がつまり、動けない。
「イェリシェン!」顔を上げる。巨木が足元から迫ってくる。目の前が真っ暗に・・・・・・。
地面すれすれから振りあげられた巨木は、民家の壁をまるで紙でできたようにたやすく粉々に砕いた。破片がバラバラと空に巻き上げられ、音を立てて落下した。破片の雨が風に乗って離れている私たちに降り注ぐ。
「そんな、イェリシェンさんが・・・・・・。」マリアさんが絶望したようにつぶやくのが聞こえた。オーガがさも嬉しそうに岩が割れるような笑い声をあげた。
怒りが私の心に満ちる。残り少なくなった矢をつがえ、力いっぱい引き絞ると、相手の一点に集中し、離す。矢はオーガの目に見事に命中した。オーガの笑い声が悲鳴に変わった。
「きなさい化け物!まだ敵は残ってるわよ!」私は叫び、さらに矢をつがえた。オーガは目に刺さった矢を引き抜き、涙の止まらぬその目で私をとらえた。オーガには目に矢が刺さっても、小さなとげが刺さったのと同じようだった。それでも、私は二射目を放った。オーガが手のひらで平然と受ける。
「だめだ、矢ではあいつは倒せない!」「もうおしまいなのか!?」「早く逃げるんだ!」村人が慌てふためいて騒ぎたてる。オーガは立ち上がり、こちらに歩き出そうとしている。
私にだって弓ではオーガを倒せないのは頭ではわかっていた。だけど、逃げることは思いつきさえしなかった。
「イェリシェンを・・・・・・!よくもイェリシェンを!」知らず、私は泣きながら叫んでいた。その私に誰かがしがみつく。
「クリスさん!だめです、早く逃げないと!」マリアさんは必死になって私を引っ張る。私はそれに抗う。オーガが一歩歩き出した。そのときだった。
「こっちだ、木偶の坊!」突然聞きなれた声が聞こえ、オーガが声のほうを振り向く。私たちもそちらに視線を移した。
「・・・・・・があ!」気合を振りしぼってがれきをどける。あたりは粉塵に満ち、よく見えない。どうやらオーガは僕を殺したと思っているらしい。だが、実際は、巨木は僕を掠める程度で上にそれ、壁を粉々に砕いただけだった。僕はその下敷きになったのである。それ以上の追撃はなく、煙の先にいる灰色の体がたちがるのが見えた。
何とかがれきから抜け出そうと左腕を動かそうとしたとき、激痛が走った。見ると、自分では絶対に動かない方向に腕が曲がっている。
だめなのか。僕ではだれも守れないのか。彼に、もう一人の僕の力がなければ、僕はこんなにも無力なのか。絶望に力が抜け、首を後ろに垂らす。と、二階に上る階段が眼に入った。そのとき、ふいに考えが浮かんだ。荒唐無稽だが、こうしてがれきに埋もれているよりはましな作戦が。
何とか右手と体をくねらせてがれきから抜け出すと、ふらふらしながら階段にたどりつき、手すりにもたれながら一歩一歩のろのろと上がる。人々の悲鳴が聞こえ、クリスの声が聞こえた。体の底から力が湧きあがり、階段を駆け上がる。
二階に上がり、さらに屋根裏部屋のはしごを登る。片手では登るのが大変だが、顎を使って何とか上がりきった。
クリスの声が聞こえた気がし、窓に駆け寄って外に出た。
予想した通り、オーガの頭が目と鼻の先にあり、ほとんど同じ高さだった。しかし家からは約二メートルほど離れている。その間には当然空があるのみだ。よせばいいのに下を見てしまい、足がすくんでしまう。やはりぼくには・・・・・・。
「・・・・・・逃げないと!」逃げ惑う村人の阿鼻叫喚の中、マリアさんの声がかすかに聞こえた。そちらに目をやると、マリアさんがまだ弓を構えて戦う意思を捨てないクリスを無理やり引っ張っていこうとしている。足の震えが止まり、ためらいが消えた。
「こっちだ、木偶の坊!」僕は叫び、そしてとんだ。もう前しか見なかった。
オーガがこちらを振り向く。僕は雄たけびを上げながら、渾身の力を込めてオーガの額に剣を柄まで突き立てた。骨が砕け、柔らかい脳みそに達したのがつかに伝わる。オーガの動きが止まり、僕は剣にぶら下がった。
オーガは糸が切れたように突然力が抜けて膝をつき、そのままゆっくりと横に倒れ始めた。迫りくる民家。僕は剣を握る手に力を込め、ギュッと目をつぶった。
ズシーンと音を立て、オーガが家に倒れた。バリバリと雷のような音を立てて家がつぶされ、粉塵が舞う。シーンと静まり返る群衆。
「やったのか・・・・・・?」「今、一体何が・・・・・・?」「さっきの男が飛んで・・・・・・。」
私は走り出していた。私は、自分の見たものが信じられなかった。突然屋根の上に現れ、そしてオーガに向かって飛んだイェリシェンの姿を。涙がほほを流れ、風に吹かれて飛んでいく。真実を一刻も確かめたくて、足を速める。
オーガは民家に頭から倒れていた。あたりには破片が舞い、どうなっているのか分からない。マリアさんが追い付き、ぞくぞくと村人が押し寄せてきた。
「イェリシェン!」私は叫んだ。お願い、返事をして。
「・・・・・・。」沈黙が答える。村人たちがため息を漏らす。わたしはあきらめきれず、粉塵に包まれたがれきの中に踏み入ろうとした。
そのとき、煙の中に人影を見出した。イェリシェンが体中に着いた粉を払いながら粉じんの中から現れた。彼は私を見つけると、いつもの照れているような苦笑いを浮かべて言った。
「ただいま、クリス。」
「イェリシェン!」感極まって、私は彼の体に飛びついた。
「いで!」突然イェリシェンが叫んだ。私はあわてて彼から離れた。
「ごめんなさいイェリシェン、痛かった?」
「ごめん、ちょっと左腕が折れてるみたいでさ。」イェリシェンは本当に申し訳なさそうに言った。その言葉を聞き、すぐにマリアさんが人々の間を縫ってあらわれた。彼女はすぐイェリシェンの左腕を診た。
「少し時間がかかりますが、すぐに治せます。とにかく、どこか安静にできるところに移動しましょう。」マリアさんがイェリシェンの手を引いて、村人たちの中を進んでいく。村人たちは二人を通すようにさっと道を開けた。
「なあ、あんた、名前はなんていうんだ?」村人の一人が尋ねた。
「イェリシェンと言います。」
「この村に新しい英雄が生まれたぞ!その名もイェリシェン、オーガ殺しのイェリシェンだ!」訊ねた村人が声高に叫ぶと、村人たちは歓声を上げた。
「イェリシェン!イェリシェン!イェリシェン!イェリシェン!」村人たちは足をふみならし、彼の名を叫ぶ。イェリシェンはまた恥ずかしそうに苦笑いを浮かべている。その姿を、私は笑顔で見送っていた。
その歓声の中、一つだけ異なる声を上げたものがいた。
「おい、あれを見ろ!」最初は数人が見るだけだった。だが、男の言葉に振り向いた隣が固まっているのに気付き、やがて皆がそちらを向いた。そしてその光景に言葉を失った。
「・・・・・・うそだろ・・・・・・?」誰か一人がつぶやいた。
森が村に向かってきていた。いや、オーガの群れが、村に向かってまっすぐ進んできていた。