第十三話:わかれえぬ仲間
音が聞こえる。規則正しい電子音。それが何の音なのか、思い出せない。そもそも、電子音とは何だったか。
記憶が頭の中でぐるぐると回る。答えが現れかけては、また消えてゆく。そういえば、僕はなんで寝ているんだっけ。その答えはすぐに出てきた。そうだ、僕はまた気絶をして・・・・・・。
「−−−?」重いまぶたをうっすらとこじ開けると、そこには見慣れない光景が写った。
白い部屋。壁も、天井も、布団もシーツも、全部白。白以外の色がないその部屋は、窓に掛けられた、これまた白いカーテンからすかされている月の光が、唯一の明かりだった。薄暗い部屋の中、僕のベッドの傍らに、誰かが立っている。
背の高い、白い服を着た人。その人は、カーテンをすかして月が見えるかのように、じっと薄布の先に焦点を合わしているように見えた。ふと、その人が僕に気付き、僕の顔を覗き込む。何か言っているように思えたが、僕には聞き取れなかった。
「・・・は効いてるはず・・・・・・」「意識のかけらが・・・・・・。」などと言っていた気がしたが、僕は眠気に耐えられなくなり、重いまぶたを閉じて、まどろみの中へと沈んでいった。
ぱっちりと目を開け、天井を見据える。木の梁がめぐらされていて、隅のほうにクモの巣がはられている。太陽の光が窓から柔らかに差し込み、床に四角いタイルを張っていた。
布団を引きはがし、起き上がる。ベッドのわきには剣と着替えが置かれていたが、それは記憶にある置き方とは違っていた。
僕は昨日、意識を失った。それは、最後の記憶が迫りくる触手であること、そして僕はこうして生きているということから容易に思いついた。ということは、また僕の知らない僕になったということだ。
自分の手を見つめる。その手は一見すると何も汚れは付いておらず、きれいに見えた。だが、僕は知らない間に、この手を黒い血に染めている・・・・・・、そう考えると、背中に冷たいものが走った。
「マリアも大変なものを連れてきてくれたものね。」不意に、廊下から声がきこえた。
「本当よね、何だって黒魔法使いなんて・・・・・・。」
「そんなものを協会の中に連れ込むなんて、神への冒涜にはならないのかしら。」最初に言った一人が不安そうにつぶやいた。僕は知らず、息をひそめて聞き耳を立てていた。
「でも、アンネ達を助けたのも彼なのよね。」別の一人が言う。
「いやよ、私は認めないわ。そんなの、たまたま彼がそこにいたってだけでしょ。そもそも、彼が探してたのは、一緒にいた女じゃない。」
「クリスって言ったっけ、あのこ。もしかして、彼女も黒魔法使いなんじゃな・・・・・・」
その言葉が言いきらぬうちに、僕は扉を勢いよく開け放った。協会の人たちは突然のことに驚き、小さく悲鳴をあげる者もいた。
「クリスはそんな人じゃない。彼女を悪く言うのはやめてくれませんか。」僕は努めて冷静に言おうとした。だが実際は語気を荒げ、剣帯を手に握りしめたまま、彼らを睨みつけていた。
彼らは壁に張り付いてできるだけ僕から離れるようにしていた。僕は彼らをしばらくじっと見つめていたが、やがて視線を離し、クリスのいる部屋へ向かった。後ろで、彼らが声をひそめて会話を再開した。
クリスの部屋を軽くノックする。だが、返事はない。もう起きているのだろうか。
「お連れの方なら、食堂にいらしていますよ。」振り向くと、そこには白い服をまとった、男の人が立っていた。
ほっそりと女性のような体つきに、袖口に向かって袖が広くなっている服を着ている。僕と同じくらいの年齢に見えるが、目じりや頬のしわからして、見た目よりも年をとっているらしい。
「あなたは?」
「ああ、お会いするのは初めてでしたね、失礼しました。私は、ここの司祭を務めています、ヴァルターと申します。以後、お見知り置きを。」深々と頭を下げる司祭に、僕もあわてて頭を下げる。
「こちらこそ、二日も泊めていただいて、ありがとうございました。」
「いえ、助けを求めるものに手を差し伸べるのが、私たちの使命ですから。それに、あなたはそのお返しに信徒たちを救ってくださった。協会を代表して、お礼を申し上げます。」司祭はまた深々と頭を下げた。
「そんな。僕はただ、クリスを助けたかっただけです。」
「でも、結果信徒も救ってくださった。たとえそれがあなたの意志でなくても、私はあなたに感謝します。」司祭は柔らかな笑みをたたえ、僕を見つめた。僕は居心地の悪さを感じ始めていた。幸い、それは長く続かず、司祭は僕がここに来た目的を思いださせた。
「そうだ、連れの方を探しているのでしたね。どうぞ、私には構わず。」
「それでは、お言葉に甘えて。教えてくれてありがとうございました。」僕は足早に食堂へと向かった。僕は背中をじっと見つめている、司祭の視線を感じていた。
クリスはすでに食事を終えていた。食堂では、まばらに散らばって談笑する人たちの姿があった。
僕が入ってきた瞬間、その声が一瞬途切れた。だが、また何事もなかったかのように会話を始める。しかし、明らかに僕が気になるようで、チラチラと見ては、僕がそちらを向くと、何も見てないかのように視線を泳がせる。
「おはようイェリシェン。」クリスは席についてマリアさんと何か話していたようだった。
「おはよう、クリス。もう食べ終わったのかい?」
「何言っているの、もう朝食の時間はとっくに過ぎてるわよ。」クリスはあきれ顔で言った。
「そうだったのか、全然気付かなかったよ。」
「そうだと思いまして、ちゃんと残しておきましたよ。」マリアさんは自分の席に置いてあったパンを僕に差し出した。
「私の分はもう食べたので、遠慮しないでくださいね。」マリアさんは付け足すように言った。僕はパンを受け取ると、遠慮なく食べた。パンをみて、急に空腹をおぼえたからだ。
パンをほおばっていると、ネイさんがほかの信徒と部屋に入ってきた。
「おはよう、ネイさん。」ネイさんと目が合い、僕は声をかけた。だが、ネイさんは僕から露骨に視線をそらした。意識を失った次の日、人が僕に見せる表情を浮かべて。
僕がどういう顔をしていたのかはわからないが、クリスは言った。
「イェリシェン、気にすることないわ。」僕の答えはこうだった。
「クリス、僕が昨日何をしたのか、何をしてしまったのか教えてくれないか。」途端、食堂の声が絶えた。今度は静寂が長く続いた。
「イェリシェン、それは・・・・・・。」
「聞かせてくれ。」クリスはまだ何か言いたげだったが、あきらめたように首を振った。
「イェリシェン、あなたは昨日、魔物に殺されそうになって、それで・・・・・・」
クリスが話し始めると、その場の話し声がやんだ。僕が魔物を召喚する場面や、司祭を殺した下りでは、小さく悲鳴を上げたり、僕に魔よけの印を結ぶ者もいた。マリアさんはうつむいたまま、顔を上げない。クリスは淡々と、事実を語った。僕はじっと、うなづくでもなく、クリスの話を聞いていた。
クリスが話し終えると、席をたち、戸口へと向かった。
「イェリシェン、どこに・・・・・・」
「散歩に行ってくる。大丈夫、すぐに帰るよ。」僕は振り返らず、その部屋を後にした。
うつむいて、代わり映えのしない石畳の道を、ぼんやりと歩く。協会を逃げるように抜け出し、あてどもなく。街は昨日地下で起きたことがなかったことのように、明るく、平和だ。人々は日々の仕事に精を出す。自分の役割をこなしてゆく。
僕はまた、人を殺した。それが僕の役割であるがごとく、当然のように。意識を失うたび、誰かを傷つけている気がする。そのうち、まったく関係のない人まで手に掛けてしまうかもしれない。そのとき手にかけてしまうのは、きっと・・・・・・。
出店の店員が僕に声をかけようと近づいてきた。だが、彼は何も話しかけずにそそくさと逃げるように去って行った。ふと、噴水に近付いて、自分の顔を見る。写ったのは、恐怖と怒りの交じった、狂人のそれだった。僕はため息をついて噴水の縁に腰かけた。
どうすればいいのだろうか。僕が僕であり続けるために、自分でなくならないために。僕は意識を失った時の場面を思い起こしてみた。それはどれも、僕の命の危機に関係している。それはどういうことか。
もしかして僕は、潜在的に死の危険に直面した時、それに頼っているのではないのだろうか。死にかけても、彼に、もう一人の自分に任せれば大丈夫だと、心の奥では思っているのだとしたら?知らず、歯をかみしめた。
とんだ甘えだ。その甘えで、僕は人を殺している。そう、僕を知っていた人さえも。このままではだめだ。このままでは、前に進めない。
面をあげて、太陽を見上げる。真上に上がった太陽はしっかりと、まばゆい光を地上に放っていた。
僕は立ち上がり、来た道を戻り始めた。一つの決意を胸に秘めて。途中、先ほどの店員が話しかけてきた。
「兄さん、あんた、昨日街中駆け回ってた人だろ。その顔だと、あんたの恋人は見つかったみたいだね。」
「恋人だなんて。ただの仲間です。」
「まぁまぁ。で、再開した記念に、この指輪をプレゼントしたらどうかね?二つあるから、その人と一緒につけなよ。」僕は苦笑いを浮かべた。
「すいません、お金がないもんで。」
クリスは協会の礼拝堂にいた。僕は信徒たちの祈りを見ているクリスの隣に座った。
「ただいま、クリス。」僕は声をひそめて言った。
「イェリシェン!?どこに行ってたの?あれから二時間以上たつのよ?」クリスも声をひそめた。
「心配掛けたみたいだね。大丈夫、本当にその辺を散歩してきただけだから。・・・・・・そろそろ街を出ようと思う。」
「もう?だってこの街にはまだ少ししか・・・・・・。」
「司祭が僕のことを知っていたということは、僕がそういう人物だって言うことだ。彼のような人間が、この街にこれ以上いるとも思わない。」
「イェリシェン、そんなことは・・・・・・」僕はクリスの言葉を遮った。
「それに、これ以上マリアさんに迷惑はかけられない。出来れば今すぐにでも出たいんだ。」
「今から!?だって、食糧とか荷物が・・・・・・。」僕は自分のわきに置いておいた袋を持ち上げた。
「食糧なら買っておいた。僕の荷物は五分もあればまとめられる。」僕はクリスの目をじっと見つめた。しばらくして、クリスは観念したわと苦笑いを浮かべた。
「十分。私だって女よ、それくらいは頂戴。」
「並んでからどれくらいたつかしら。」クリスは目の前の行列をうんざりした目で見つめている。僕が協会に戻ってからすぐに発ったというのに、関門の荷物の点検で、えらく時間を取られていた。
「太陽の位置からして、一時間くらいかな。」僕は空を見上げた。太陽が、のろのろとして全く進まない僕らをくすくす笑っているように思えた。
「まったく。これじゃあ、日が沈む前に街を出れないわ。入るときはあんなに早かったのに。」
「それはマリアさんがいたからじゃないかな。それだけ協会の信頼は高いんだよ。」ふと、本当にこれでよかったのかという思いがよぎった。せめてマリアさんに、一緒に旅をした仲間に別れぐらい言えばよかったのかもしれない。紙切れ一つを部屋に置いてくるのではなく。
「いい人だったね、マリアさん。マイペースで、ちょっととろい感じがしたけど。」クリスは言った。
「そうだね、でも、けがを治してもらったり、それに料理もおいしかった。」旅の間に作ってもらった食事を思い浮かべる。思わず、顔がほころぶ。
「料理のつくりかた、教えてもらえばよかったかも。」クリスは思案顔でうなづいた。
「そうなると、毎晩の食事が随分と楽しみになるね。」
「何、私のは楽しみじゃないってこと?」クリスがきっと僕を睨んだ。
「そんなことないよ、クリスの料理はいつも楽しみにしてるよ。」僕はあわてて言った。
「ほんとうに?」
「ほんとうに。」クリスがじっと見つめる。ぼくは視線をおよがせた。しばらくそうしていたが、やがてクリスは視線を離し、はぁ、とため息をついた。
「まあいいわ。それより、これからどこにむかうつもり?」
「たしか、このまま東にむかうと、グーリアンに着くと思ったけど。」
「王都か。ずいぶん遠くまで来たものね。・・・・・・そうだ、王都に行く途中に、グロックっていう彫刻で有名な村があるの。寄ってみない?」
「彫刻の村か・・・・・・。いいけど、どうしてそこに?」
「旅人がよく立ち寄る村なの。もしかしたら、イェリシェンのことを知ってるかも・・・・・・。」クリスは最後まで言い切らなかった。遠くで、呼んでいる声が聞こえたからだ。
「ま、待ってくださ〜い。」
「マリアさん!?」僕らはあわてて後ろを振り返ると、重そうな荷物をガチャガチャと音を立てながら、急いで走ってくるマリアさんの姿があった。
マリアさんは僕らに追いつくと、疲れ果てて荷物をドサッと地面に下ろした。
「マリアさん?どうしたんです?この荷物は?」マリアさんは答えようとしたが、息が切れてまともな会話ができなかった。しばらく息を整えたのち、マリアさんは何とか聞こえるほど小さな声で言った。
「実は、ラビさんのことを、第二皇子のヘイル様にお伝えしたところ、彼の最後と、私に直接礼がしたいと、王都まで来るようにとの連絡がきまして。」クリスが驚いて叫んだ。
「第二皇子ですって!?」クリスが突然叫んだ。その言葉に、周りの人が驚き、注目を集めた。クリスは顔を赤らめ、下を向いた。
「あの、第二皇子ってだれですか?」僕はためらいがちに尋ねた。
「ヘイル様を知らないんですか!?」マリアさんはすごい勢いで僕のほうに向きなおった。
「え、ええ。」マリアさんは心底驚いた顔をしていたので、何かおかしなことでも聞いたかと思った。
「ヘイル様は、この国の第二皇子にして、アングマルとの戦において、常に先陣に立って武功を立てていらっしゃいます。加えて、容姿端麗にして、常に民を気に掛ける姿は、国中に届いております。」
「本当に私たちを気にかけているか、わからないけどね。」クリスは幾分ひねくれたように言った。
「お会いになればわかりますよ。非常にやさしいお方です。」マリアさんはクリスに受け合った。
「で、その方とラビさんにどんな関係が?」
「それが、ラビさんの治療を頼んだのは、ほかならぬヘイル様なのです。ヘイル様は、ラビさんが傷ついた現場に居合わせて、それを哀れに思い、私にラビさんを癒すように頼まれたのです。」
「なるほど。じゃあ、これからダブールにいくんですね。」
「ええ。それで、以前東に向かって旅をしているとお聞きしたので、もしかしたらご一緒できるかと思いまして。」
「確かにグーリアンにはいきますが、先にグロックに立ち寄りますよ。それでよければ・・・・・・。」
「構いません。実は、一人で旅するのが不安で・・・・・・。でも、お二人と一緒に旅をしたら、全然怖くなかったんです。だから、お願いです。一緒に旅をさせてください。」マリアさんは深々と頭を下げた。僕はあわてて言った。
「そんな。こちらこそ、よろしくお願いします。マリアさんがいると、心強いですから。」
「料理が楽しみなだけなんじゃないの?」クリスが意地悪く笑って言った。
「ちょ、クリス。そんなことは、まあ、あるけど・・・・・・。」僕はつぶやくように言葉尻を濁した。マリアさんは僕らのやり取りを見て、くすくすと笑い始めた。
更新が二日も遅れてしかもかなり適当ですいません。それで、大変恐縮ですが、一週間か二週間ほど、更新を休ませてもらうかもしれません。実は私、学生の身で、課題やテストなどが山積み状態なんです。出来るだけ早く更新するようにしますが、少なくとも来週は更新できないと思います。読者の皆様、本当に申し訳ございません。