第十二話:闇より出でしもの
「許さないだと?貴様、状況が分かってないようだな。こっちは四十人いるんだぞ。それに比べて貴様らは十人足らず、しかも戦えるのは実際お前ひとりだろう。貴様こそ、儀式を邪魔したこと、その身に思い知らせてやる。」司祭はそういうと、こちらに信者を従えてゆっくりと歩み寄ってきた。僕はクリスたちの前にでて、剣を正眼に構える。
「やれ!」信者が一斉に襲いかかってくる。迎え撃とうと身構える。
突然魔方陣がまばゆいばかりの光を放った。信者たちは足元からの青みを帯びた光に目がくらみ、歩みを止めて目を腕でかばった。
「な!?これは・・・・・・なんということだ、召喚が成功したぞ!」司祭が叫ぶと、信者たちは一斉に歓喜の声を上げた。僕は目を細め、手でかばいながら、光が徐々に弱まり始めたのに気づいた。それと同時に、室内になまぬるく、まるで密閉してもなお洩れてきてしまったような、腐敗のにおいをかぎ取った。
「魔方陣から離れるんだ!」僕は急に危機感を覚え、弱り切って立てない人を抱え上げた。クリスやマリアさんも助けが必要な人には手を貸して、できるだけ急いで魔方陣から離れた。信者たちは僕らに構わず、皆一心に魔方陣に現れる魔物の出現を待ちわびている。中には、魔方陣に近付いて行く者さえいた。
今や光は誰の目にも分かるように弱くなってきていた。やがて、まぶたを閉じるように光が消えた。ここにいる全員が次に何が起きるのかと固唾をのんで見守っている。僕は先ほどよりも腐臭が強くなっているのに気づいた。
腐臭が唐突に強くなった。生き物が腐った、それも異常な数が、何百年も放置された時のような匂いが部屋中に蔓延した。あまりのにおいに、思わず鼻をふさぐ。だが。においは口から入ってきて空気を腐らせた。咳をしても、入ってくるのは異常な臭いのする空気のみ。信者たちでさえ、このにおいに耐えかねているようだった。つかまっていた人たちの中には、こらえきれずに吐く人もいた。
そしてそれはやってきた。魔方陣が描かれた床から、まるで水面から顔を出すかのようにそれはゆっくりと自らの世界から僕らの世界に入り込んできた。
それは塊だった。それはおおむね丸い形をしていて、巨大だった。水面に上がるのをやめたその塊は、今や魔方陣と同じくらいの大きさの半球体になっていた。たいまつの光が揺れ、塊が照らされた。とらわれていた中の一人が悲鳴を上げた。信者たちの中にもどよめきが起こった。僕は喉を鳴らしてせりあがる吐き気をつばとともに飲み込見、必死にこみあげてくるものをこらえた。
それは死体の塊だった。体中にウジのわいた死体が塊の全身をびっしりと覆っていた。その死体の隙間からは、さらに死体がのぞいていた。よく見ると、人間の死体だけではなく、獣のようなものや、明らかにこちらの世界ではない死体も混ざっている。腐臭は今や耐えがたいほどで、僕は一刻も早くこの場から逃れたい衝動に駆られた。だが司祭はその悪臭にも屈することなく、信者たちの前に出ると、大声で呼ばわった。
「見よ、皆の者!魔王イトペヨン様は、私たちの献身に報い、生贄を必要とせずに魔のものをわれらに使わせなさった!皆、感謝の祈りをささげるのだ!」信者たちは歓喜の声をあげると、両膝をついて、両手を投げ出すように祈りをささげ始めた。
「さぁ、魔王の使い、マンイーターよ。われらにあだなす奴らを喰い殺すのだ!」司祭は僕らを指差し、塊に命令した。僕は剣を握りしめた。手から汗が吹き出し、今にも剣が滑り落ちそうだった。
「ぎゃあああああああ!!!」悲鳴が上がった。それは魔物の近くにいた信者の声だった。周りから恐怖の悲鳴が上がる。死体の隙間から伸びてきた細長い触手が腹をつらぬき、信者の背中から飛び出していた。
触手は飛び出した時と同じようにものすごい勢いで信者を引き寄せた。触手の先は開いた花のようなかえしが付いていて、死体にぴったりとくっついた信者を逃がさない。信者はバタバタともがき苦しんでいたが、また突然悲鳴を上げ始めた。
「ああああああ!や、やめろ、やめてくれええ!!」
「見ろ、血を吸われてる!」信者の一人が叫んだ。確かに、触手がまるでポンプのように脈打ちながら、ドキュ、ドキュ、と音を立てて何かを吸い取っていく。
男の悲鳴はだんだんと小さくなり、顔も急速に白くなってゆく。やがて男の声はやみ、触手をつかんでいた手がだらりと下がった。触手はなおも血を吸い取っていたが、やがて音はやみ、触手が男の体から引き抜かれた。男は不思議とそのまま塊にくっついたままだった。
触手はその数をまして信者に襲いかかり始めた。信者たちは泣き叫びながら部屋を走りまわった。僕らは信者たちが逃げ回り始めて、やっと我に返った。
「今のうちよ!はやくここからにげましょう!」最初に我に返ったのはクリスだった。僕らはマンイーターの触手から逃れようと狂ったようにあちらこちらへと走りまわる信者たちを尻目に、出入り口へと向かった。
だが、そこは信者たちが押し合いへしあいしていて、とてもじゃないが僕らが通る隙間はなかった。後ろでは、つかまってしまった信者たちの悲鳴が聞こえる。
「あああああああ!す、すわれる!血が、血がああああ!」
「ひ、やめ、やめて、あぎゃあああああ!!」
「ど、どうして、なんでこんな目にいいいい!!」耳を覆いたくなるほどの断末魔が部屋中に響き渡る。
「やばい!こっちに来るぞ!」入り口に固まっていた信者の一人が叫んだ。つられて振り返ると、なんと塊がナメクジのようにゆっくりと、音も立てずに向かってきていた。
「ど、どけ!早く通せ!」
「やめろ、押すな!つっかえるだろうが!」
「はやくしてええええ!」信者たちは自分だけでも助かろうと必死になって入口に群がっている。前の何人かが後ろから押されて倒れた。その上を走る者たち。僕は焦っていたが、この騒ぎで助けた人たちを傷つけるわけにはいかず、そわそわとしながら彼らが行ってしまうのを待たねばならなかった。
「伏せろ!」僕はとっさに叫び、近くの捕らわれていた人の身を伏せさせた。信者の大半は僕の言葉が聞こえていなかったが、クリスたちは素直に身を伏せ、信者たちの幾人かが振り返った。
次の瞬間、十数本もの触手がこちらに伸びてきて、群集を串刺しにした。僕らの頭の上の触手から、ぼたぼたと血が滴り落ちて、髪やら腕やらにかかった。
触手が引っ張られると、団子のようになった信者たちが塊に引き寄せられていく。
「た、たすけてくれええ!」信者たちが必死になって手を伸ばし、他の信者たちをしっかと捕まえる。
「や、やめろ、離せ!」つかまれたものはもがいたが、他の何人もの信者がけて必死になって一人につかまってくる。つかまれたものは踏ん張ったが、やがて一緒になって引きずられていく。
「た、たすけて!」信者たちが僕らにも手を伸ばしてきて、座り込んでいた一人の体をつかんだ。
「やめろ!連れて行かせやしないぞ!」僕は信者たちに飛びかかって彼らから引き離そうとした。信者たちから彼女を引き離したが、今度は僕がつかまってしまった。
「イェリシェン!」
「イェリシェンさん!」クリスとマリアさんがほぼ同時に叫び、引っ張られていく僕の腕にしがみついた。
「こっの、離しなさい!」クリスとマリアさんが僕の両腕をつかみ、懸命に引きはがそうとする。だが、信者たちの手は僕をしっかとつかんで離さず、指が僕の体に食い込むほどだった。マリアさんとクリスも引っ張られ始めた。
「離すんだ二人とも!道連れにされてしまうぞ!」
「いやよ、離さない!あなたを見捨てたりしない!」
「みんなで生きて戻りましょう!」二人は頑として離そうとしなかった。そうしているうちにどんどん魔物に近づいていく。
「くっそ、は、な、せ、ええええ!」僕は渾身の力を込めてつかんでいる手を振りほどき、もんどりうって倒れた。二人もその拍子に転げた。信者たちが手を伸ばすが、その手はもう届かない。
僕らはもう魔物のすぐそばに来ていた。信者たちが魔物に血を吸われ始める。
「早く逃げて!」僕は二人のほうを振り向き、叫んだ。
「!イェリシェン、後ろ!」クリスが鋭く叫んだ。
僕が振り返ると、触手はすでに目の前に伸びてきていた。とっさにけんの平で腹をかばう。触手が剣にぶつかり、そのまま僕を押さえつけたまま壁まで突き飛ばした。壁に当たる瞬間、頭を下げて頭をぶつけるのは避けられたが、まるで牛が突っ込んできたかのような衝撃が背中に走った。衝撃は体の中に伝わり、骨がきしむ音が耳に響き、内臓がせり出すような吐き気がこみ上げ、空気と一緒に声が吐き出される。
何とか触手をどかそうともがくも、まったくびくともしない。と、視界にさらにこちらに伸びてくる触手が映った。
「イェリシェン!」クリスの悲痛な叫びがこだまする。触手が目の前に迫る。
その瞬間、僕が感じたのは、死んでしまう恐怖より、僕でなくなる恐怖だった。
「イェリシェン!」私は叫ぶことしかできなかった。今まで何度、こうして彼の名を叫んだのだろうか。そして私は知っている。次に彼に訪れるものを。
どうやったのかはわからなかった。だが、イェリシェンは触手の呪縛から逃れ、明らかに面倒そうな声を出した。
「まったく。どうしてこう厄介事にばかり巻き込まれるのか。どうやら神はよほどおれのことが嫌いと見える。」イェリシェン、いや、男はゆっくりと魔物に歩み寄る。その手にはダマスカスの剣と、もう一方の手に黒い、禍々しい闇を纏ったものが握られていた。
「まぁいい。もともと神に好かれようなどと毛ほども思っちゃいない。おれは眠いんだ、とっとと終わらせるぞ。」瞬間、男ははじけるように魔物に突進していった。魔物は触手を出して応戦する。男はそれを二本の剣でいなしながら、さらに加速していく。
魔物まであと一歩のところで、一本の触手が男の正面から繰り出された。男はダマスカスの剣を突き出し、触手を縦に裂きながら、そのまま魔物の体に突き刺した。
「はあああ!」裂帛の気合とともに切りあげると、一気に魔物の体を駆け上がった。伸びてくる触手ごと、ふた振りの剣を眼にもとまらぬ速さで振りつづけ、死体の塊を切り裂いてゆく。頂上近くまで上がると、トン、と飛び上がって地面に軽やかに着地した。魔物の体には今やくっきりと男が切り裂いた跡が残っていた。
「やはりこれくらいでは本体には至らないか・・・・・・。」男はふうむとうなって、自分が作った切り口を眺めていた。
切り口の下には、肉の体ではなく、さらに死体が覆われていた。深くえぐられたところでも、まだ死体が内側にあった。
「まったく、面倒な奴を呼び寄せたものだ。まあいい」男は触手を交わしながら魔物の横を通り過ぎると、魔方陣の前に立ち、
「これだけ大掛かりな魔方陣だ。使わせてもらうぞ。」黒い何かを魔方陣につきたてた。
すると、先ほどと同じようにまばゆい、青みがかった光が魔方陣から放たれ始めた。魔物は光が苦手なのか、魔方陣からもぞもぞと離れてゆく。男が呪文を唱え始めた。それは司祭が唱えていた言葉に似ていたが、その声は朗々と響き、力強く高貴な歌だった。
「呼びかけにこたえよ、死者の城の主よ!」男はそう言って、歌うのをやめた。そして答えはすぐに現れた。
魔方陣から冷たい風が吹き始めた。その風に触れると、なぜか体の芯から熱が奪われるようだった。風にたいまつの炎が揺らめき、急に小さくなった。
魔方陣の上に黒い靄が現れ、そこからそれはやってきた。
それは、全身黒い装いをし、金の刺繍の施されたマントに身を包んでいた。姿かたちは人間で、手にはおごそかな装飾を施されながら、確実に死を見舞う力を持った大剣が握られていた。顔はフードが深くかぶされていてよく見えない。
そいつはまるで羽のようにふわりと地面に足をつけると、男に向き直り、貴族が王にするように、深々と礼儀にかなったお辞儀をした。男もおごそかに礼をしてこれを受けると、魔物のほうを指差した。
そいつは魔物のほうを向くと、大剣を両手で持ち直し、後ろに携えるようにして構えた。塊は危機を察したのか、触手をそいつに伸ばす。そいつは大きく、だがすばやく剣を下段から上段へ斬りあげた。
それは嵐だった。振りあげられた大剣は、耳をつんざくような爆音を伴い、突風を巻き起こした。風はのばされた触手を吹き飛ばし、塊に張り付いた死体を天井へ巻きあげた。突風の射線上にいた人たちが、哀れにも天井や壁にたたきつけられるのが見えた。あたりに骨や肉片が拡散し、私は身を伏せてそれを避けた。背中にいくつもの生暖かいものがぶつあった。
ふと眼をあげると、塊の本体が姿を現していた。それは巨大な種だった。巨大な深紅の種から、いくつもの芽が出ていて、そこから枝を伸ばすように触手が生えている。
種は無防備な姿を必死に取り繕おうと、飛び散った肉片に触手を伸ばした。黒装束が振りあげたままの姿勢から、今度は大きくその大剣を振りおろした。
大剣が地面にたたきつけられると、地面を大きくえぐり巻き上げながら、視覚化された風の刃が深紅の種に炸裂した。
種は人間のような悲鳴を上げ、その体から鮮血をほとばしらせた。触手がうねうねとうねり、そして力尽きたように地面に落ちた。種はやがてしぼんでいき、人の大きさくらいまで干からびると、そのまま地面に溶け込んでいった。残ったのは、血の海と化した床だけだった。
黒装束は、大剣を片手に持ち替え、イェリシェンに向き直ってまた先ほどと同じように礼をした。イェリシェンも同じように返礼すると、またたいまつの光が弱まり、黒装束の周りの闇が濃くなったかと思うと、いつの間にかその姿を消していた。
あたりはしんと静まり返っていた。皆、今自分が見たものが信じられず、理解できない様子だった。と、そのとき、部屋の隅から何かが崩れる音がした。
積み上げられたつぼや祭事用の道具の中から現れたのは、司祭だった。魔物が出てきてからずっと、その場所に隠れていたらしい。
司祭は乱れた髪もそのままに、驚愕を顔に浮かべて男によろよろと近づいて行った。
「ま、まさか生きているとは・・・・・・。」
「ちょっと、あなたイェリシェンのこと知っているの!?」私は思わず叫んだ。
「お前は知らなかったのか?闇のように黒い髪、卓越した剣技に黒の刃を携え、いくつもの黒魔術を使いこなす・・・・・・。おお神よ、あなたはなんという人物を遣わされたのか!」司祭は男の手を取ると、その場のすべての人に聞こえるように朗々と叫んだ。
「魔王を崇拝する同胞たちよ!私は召喚に成功した!この方こそ、どのような魔もしのぐもの、その名も」司祭の言葉が途切れた。周りの時がとまったように思えるほど、司祭はゆっくりと、自分の腹を貫いている刃を見下ろした。
「気安く俺の名を呼ぶな、下郎。」男は歯をむき出しにして怒りをあらわにし、司祭の体にさらに深く闇に覆われたものを突き刺した。
「あ、ああ、すわれる、私の、魂、が・・・・・・。、こ、これが魔剣・・・・・・。」司祭は言葉を吐ききらぬうちにこと切れた。
信者たちはパニックに見舞われ、逃げ出したり、その場に頭を抱えてうずくまったりした。男は司祭の体から黒の刃を抜き取ると、剣をどこかに消し、ダマスカスの剣を鞘におさめ、こちらに向き直った。そしてゆっくりとこちらに歩みよってくると、私の目の前でとまった。
「こうして話すのは二度目だな、娘。」
「あなたとなんて二度と会いたくなかったわ。」私は相変わらず傲岸な態度で見下してくる相手を睨み返した。
「それは俺も同じだ。貴様などと話す無駄は避けたい。だが、今回は貴様のせいで巻き込まれた。前にこいつとかかわるな、と言ったが、どうもこいつが貴様とかかわりあいたいらしいな。困ったものだ。」
「何が言いたいのよ?」私は食って掛かった。
「こいつの前から姿を消せ。貴様がいるとこいつが危険だ。貴様がイェリシェンと呼んでいるこいつは、貴様がいなくても問題ない。俺がいるからな。」
「いやよ、あなたの言うことなんか聞かない。」
「そうか。だが、貴様といると危険だということは真実だ。貴様も、おれも、こいつも。よく考えるんだな。」
「ちょっと・・・・・・!」私は反論しようとしたが、突然倒れかかってきたので、あわててイェリシェンの体を支えた。イェリシェンは例の如く意識がなかった。
「クリスさん、だいじょうぶですか・・・・・・?」マリアさんがおずおずと尋ねてきた。
「私は平気よ。イェリシェンもけがはないみたい。」私はなんでもない風を装って答えた。
「今のは誰だったんですか?イェリシェンさん?それとも別の人?」
「私にもわからない。でも、イェリシェンが何者かを知っているのは確かだと思う。考えても仕方ないわ。早く戻りましょう、地上へ。」私は助け出した人たちを見やった。皆傷つき、疲れきっている。
「そうですね。戻りましょう、光のある場所へ。」
どうもこんばんわ、じょんです。実は(おれにとっての)うれしいお知らせが。なんと、ユニークが1500人を超えました!
別にすごくもないことなんでしょうが、僕にとってはすごくうれしいことです。こうなったのも、僕の拙い小説を読んでくださる読者の方々のおかげです。
これからも日々精進し、皆さんに愛されるような物語を作っていきたいと思っています。これからもがんばります!