第八話:ボルノー
僕の危険な行動から二日後、僕らはイグリスからの道の合流地点についた。バルドさんたちが死んだ今、街に知らせを送るのは僕らしかいないため、出来得る限り道を急いだ。だが、幸いにも途中で街道の巡回をしている兵士に出会うことができた。パナズさんがくれた袋に入ってた、街に救援を要請する手紙を見せると、兵士は馬に拍車をかけてボルノーに向かっていった。その次の日、農夫のおじさんが荷物につぶされそうなくらいふらふらと歩いていたマリアさんを見かねて、街まで乗せてもらうことになった。おじさんはイグリスに自分の畑の野菜を売ってきた帰りだと言った。
「知ってるか?イグリスの井戸の中には化けもんがいたこと。」おじさんはどうもこの話がしたくてたまらなかったらしく、僕らを乗せるとすぐにその話をし始めた。
「牛を丸呑みできるぐらいでっかい口しててよ、ぎらぎらした歯がバーっと並んでるわけよ。そんで腹回りがちょうど井戸にすっぽり収まるぐらいで、、中から骨や溶けかけた死体が出てきたらしいぞ。」
「まぁ、そんなもの、いったい何でそんなとこにいたんでしょう?」マリアさんは言った。
「さあな。どうも夜中井戸を通るやつを襲ってたらしいが、返り討ちにあったってことさ。」
「え!?その怪物、もうたいじされたんですか?」
「俺が見た時は井戸の前にまだ置かれてたけど、誰かがどこかに飾るって言ってたな。まぁ、今度行ったら聞いてみな。それよりもよ、そいつを倒したのは若い男女の二人組って噂が飛び交っててな。まぁ、いくらなんでもふたりじゃむりだって、なぁ?」おじさんは会話に参加せずに固まっている僕らに話を振った。
「え、ええ、二人では無理ですよね、はは・・・・・・。」僕は知っているんじゃないかと内心ドキドキしながら、ぎこちなくえがおをつくった。そのとき、森が急に開けた。
「あ、見えてきた!」
クリスが唐突に揺れる荷車の上で立ち上がった。僕も反射的に立ち上がって、クリスが指し示す先を見た。
「大きい街・・・・・・。」クリスがぽつりと呟いた。僕はクリスのほうを見ずに、ただコクリと頷いた。
目の前に見えてきた街、ボルノーは、今まで見たことがないほど大きい街だった。イグリスも大きな町だったが、その三倍くらい広いすり鉢状の土地に、街を囲む外壁によって四角に抑えられ、家々が整然と建てられている。道はちょうどそのすり鉢に向かって緩やかに下り始めていた。
「大きいって?そりゃそうさ、何せこの国じゃ一、二を争う人と広さなんだからな。」農夫のおじさんははっはと笑った。
「あんたら、ボルノーに来るのは初めてかい?」おじさんは首をめぐらした。
「私は五度目ですね。よく協会に依頼が来るので。」おじさんの隣に座っているマリアさんは言った。
「そうかい。でも、最近のことだからから知らないかもしれないねえ。」おじさんは街に視線を移した。
「あの街にはいろんな宗教やらギルドなんかがたくさんある。ンだもんで、しょっちゅう集会をやっとる。まぁ大半は話し合いやらなんやらなんだが、中にはちぃっとおかしいもんもまじっとる。」おじさんはそこで言葉を切った。
「おかしいもの?」僕は先を促した。
「ああ、儀式とか称して人を生贄にささげとるらしい。」
「生贄!?それは、殺すということですか?」クリスは驚いて言った。
「詳しいことはわからん。あくまで噂だよ、譲ちゃん。ただ、夜中に変な奴がうろついてるってのは確かだ。あんたらが何しに来たのかは知らんが、日が沈んだらあまりうろつかんほうがええ。」おじさんはまるで子供に言いつけるかのような口ぶりだった。悪い気はしなかった。見ず知らずの人が好意を寄せてくれている、それだけでうれしいことだった。
「はい、おじさん。言いつけは守りますよ」
「それじゃあ俺は行くけンども、くれぐれも気ぃつけてな、わけぇの。」おじさんは別れ際そういうと、僕のほうを向いた。
「あんたが守ってやりゃならんぞ、男は女を守るもんだかんな。」おじさんはクリス達に目配せをした。
「はい。」
「しっかりやれよ、坊主。」おじさんは足取りの重い馬の手綱を引き、自分の村に向かって歩き出した。
僕らはしばらくその背中に手を振っていた。
「さて、どこから取り掛かろうか?」クリスは手を振るのをやめると、辺りを見回していった。僕らはちょうど町の中心の広場に来ていた。
広場には大きな噴水があり、多くの人が噴水の縁に腰をおろし、誰かを待っていたり、詩を吟じている人までいた。小さい子供が噴水に入ろうとして、周りの大人に怒られている。おじいさんの話だと、街の道がすべてここからのびているらしい。、たくさんの人が行き交っており、イグリスのあの喧噪とはまた違った、にぎやかな場所となっていた。
「聞く人には困らなそうだね。そうだ、マリアさんは、協会に報告をしないといけないんだっけ?」
「はい、一応連絡をしないといけないんですけど・・・・・・。そうだ、もしよかったら教会にいらしては?食事とベッドくらいならご用意できますけど。」
「ほんと?助かるわ、資金はそんなにないし、このままだとどれくらいかかるのか分かんないから。」クリスは言った。マリアさんは僕の顔色を不安そうにうかがった。僕はうなづいた。
「僕も賛成です。せっかくの申し入れ、ぜひ受けさせてください。」
「そうですか、それは良かった。では私はこれから向かいますけど、お二人も一緒に行きます?」
「いや、後で行きます。少し街を回って、聞き込みをしようと思って。」
「そうですか。じゃあ、場所を教えておきますね。協会の支部は、このみちをまっすぐすすんで、・・・・・・」マリアさんは僕らに協会の行き方を教え、僕らと別れた。マリアさんはやがて人の波に交じって見えなくなった。
「よし、じゃあ行きますか。」おろしていた荷物を肩に担ぐと、人通りの多そうな通りに向かった。
「いや、きみと会ったことはないねぇ。」噴水に腰掛けた男はそう答えた。太陽はマリアさんと別れた時よりも西に傾いて、というより沈もうとしていた。噴水は夕日に照らされてきらめき、石畳が茶褐色を帯びている。噴水の近くにできた小さな水たまりには、早くも明かりをともし始めた酒場の明かりを映している。
「そうですか。ほかの人で知り合いがいなくなったという人はいませんか?」
「そいつはたくさんいると思うぞ。何せここ最近は女がしょっちゅういなくなってるって話さ。あんたも気ぃつけな。」男はクリスに言った。クリスはうなづいた。僕らは礼を言うと、協会へ続く道に向かった。
「だいぶ歩き回ったけど、結局収穫なし、か。」がっくりと肩を落とす。クリスは肩に手を乗せて、あきらめないで、といった。
「それより、人攫いのことが気になるわ。これだけ人の口に上るくらいだもの、いったいどれだけの人が・・・・・・。」クリスはそこで言葉を切った。
「そうだね。でも、どうして彼らは捕まらないんだろう?街ではいっぱい巡回の兵とすれ違ったし、夜はもっと増えるはずだよ。」クリスは口に手を当ててう〜むとうなった。彼女は何か考えるとき、小首をかしげる癖がある。それに眉を寄せた姿は、なんだか似合わない癖に、ひどくかわいらしい。
「確かにそうね・・・・・・。きっと何か、見つからない理由があるんじゃないかしら?」
「たとえば?」
「そうね・・・・・・透明になれるとかは?」
「確かにそれだったら見つからないだろうけど、そんなすごい魔法、使える人がいるのかな。それに、そんな人がなぜ人攫いなんか? もっとすごいことだってできそうだけど」
「そうかしら。人攫いの時点で普通じゃないんだし、考えることも普通じゃないんでしょ?」
「そんなものかな?」
「まあ結局、見てみないと分からないわね。あ、ここじゃない?」クリスは自分の右手に立つ建物を指した。
白色の木造づくりに、うっすらと赤い三角屋根。正面の大きな両開きの扉には、何やら袋らしいものが彫られていたが、長年人の手に触れているためか、凹凸がほとんどなくなっていてよくわからない。目線をあげると、扉の少し上に壁にも、同じような袋のレリーフがあったが、そちらのほうが形がよくわかった。袋は薬草を入れるものらしく、口から幾種類もの薬草がはみ出している。よく見ると、袋の横に空いた穴からも、いくつか薬草が飛び出している。
「あの袋はなんだろう?」見上げながら扉を押し開け、中に入る。
協会の中は、思ったよりも狭かった。数脚の長椅子があるほかは、小さな祭壇と、その先にある入り口に彫ってあった袋と同じようなものを腰に下げている男の偶像が祀られているだけだった。天井はいくつもの大きな支柱と、それを補うために天井付近でいくつもの小さな梁がめぐらされていた。
「あれは、薬の神であり、主神アルビオンの主治医パナケアの象徴である薬袋です。」マリアさんが入口の近くに立っていた。
「お二人とも、ようこそ癒しの協会ボルノー支部へ。そろそろ日も暮れるころでしたので、探しに行こうかと思っていたところなんですよ。ここについてから、皆が行方不明者のことを話すもので。」
「僕らもその話はさんざん耳にしましたよ。どうやら、それが何か宗教のようなやつらの仕業とも聞きましたが。」マリアさんはうなづいた。
「イトペヨンのことですね。」
「イトペヨン?」
「はい。悪魔崇拝者たちのことです。彼らはいくつかの宗派に分かれていて、それぞれ名称があるようですが、すべて魔物の神イトペヨンを唯一神とあがめています。それでも、この街は他宗教を認めることになっていますし、彼らも何か悪事を働くことはなかったんですが・・・・・・。」
「何かしたんですか?」
「ええ。一人の信者が、通りで女性を襲ってどこかに連れて行こうとしているのを兵士に見つかったのです。幸い、女性は軽いけがだけだったのですが、その信者が兵士に牢屋へ連れて行かれる前に、毒を飲んで自害しました。」
「毒を!?」
「彼はこと切れる間際、こう言ったそうです。『唯一神が召集なされた。魔をもってこたえよ』と。」
「召集?魔をもって答えろ?いったい何のこと?」
「分かりません。ですが、それ以後女の人、特にここの、協会のものが狙われ始め、それから街の若い女性が被害にあっています。イトペヨンの者たちも姿を見せていません。」
「ここのひともおそわれたのですか!?」マリアさんは悲しげにうなづいた。
「はい、四人が行方不明に。それも私と同じか、それより下の人たちが。協会はこれ以上被害を出さないために、夜間外出を禁じました。街の人も、ほとんど夜は出歩かないそうです。」そのとき、ふいにグゥ〜という音がした。僕は苦笑いを浮かべた。
「ごめん、思ったよりお腹空いていたみたい。」マリアさんとクリスは笑った。
「なんだか子供みたいよ、イェリシェン。」と、また違うところから、先ほどよりは少し高めのグゥ〜が聞こえた。クリスの顔がみるみる赤くなっていく。僕は声をあげて笑った。
「イェリシェ〜ン?」クリスが顔を赤らめたまま僕を睨む。
「さ、お二人とも。こんな話は終わりにして、早く食事にしましょう。」マリアさんはまだくすくすと笑いながら、僕らを食堂へと案内した。
協会の食事は建物と同じく質素だった。いくつもの野菜を煮込み、そこにハーブを加えたシチューにパン、それに木製の深皿に入れられたサラダ。協会の人たちはすでに食事を始めていた。皆静かにもくもくと食事をしている。マリアさんは僕らを彼らに紹介したが、それはよくあることなのか、彼らは僕らをちらりと見て、小さく会釈をすると、また食事に戻った。
「随分無愛想ね。」席に着きながら、クリスが僕にそっと耳打ちした。僕は小さくうなづいた。
「協会では、食事は静かにするものとされています。私語は厳禁です。でも、みんな無愛想なわけではないのですよ?食事が終わればわかります。」マリアさんは声を落して言った。
「聞こえてたんですね・・・・・・。」
食事が終わり、食器が片づけられると、食堂には声が満ちた。うるさいほどではないが、先ほどの静寂と比べると、随分な変わりようだった。ふと、僕らの向かいに人が座った。
「こんばんわ、旅の方々。今日はどうしてこちらに?」話しかけてきたのは、僕よりも年の若い、そばかすの女の子だった。いかにも好奇心旺盛といった目をしている。マリアさんは言った。
「友達のネイです。これでも、私より年上なんですよ。」
「え、年上?」僕は驚いて言った。
「もう20は超えてるよ。年下に見られがちだけど。」ネイさんはニッと笑ったが、そのいたずら好きそうな笑い方は、どう見ても子供のそれだった。
ネイさんはその見た目通り、子供のような好奇心で、僕らのことを根掘り葉掘り聞いた。僕らは質問にはできるだけこたえたが、モンスターやゴブリン達の話については伏せておいた。
「ふ〜ん、記憶を探して旅を、ねぇ。でも、災難だね、この時期にこの街に来ちゃうなんて。」
「それは、行方不明のことですか?」
「そ。きっとイトペヨンのやつらの仕業よ。今頃さらわれた人たちを黒魔術の生贄にしてるんじゃないかしら。」
「ネイ、不謹慎よ。」マリアさんはぴしゃりと言った。ネイさんはハイハイ、と手のひらをひらひらさせた。
「黒魔術!?それは、黒魔法と関係があるんですか?」
「黒魔法?ああ、そういう言い方もできるけど、厳密に言うと違うわね。一般的に、魔法とは自らの魔力が原動力だけど、魔術は何か別のものから魔力を取り出すの。まぁ、そのためには複雑な魔方陣やら呪文やらが必要らしいけど。それにそれだけのことができるのには、黒魔法にも精通している人物じゃないと無理ね、詳しいことは分からないけど。私は魔法使いじゃないし。」
「協会の力は魔法ではないんですか?」クリスが聞いた。
「私たちの力は信仰なの。神に祈り、力を貸していただく。一応魔力は私たちからだけど、それを癒しという形にしているのは神の力よ。それでも、この子みたいに信仰が強いと、その魔力も少なくて済むみたいだけどね。」ネイさんはマリアさんの頭を軽く小突いた。
「マリアさんは特別なんですか?」
「そうよ。あなた、この子の力みたことない?普通は、この子ほど傷の治りが早くないわ。そりゃ、出血を止めたり、毒を癒すなんてことはできるけど、この子ほど完璧じゃない。傷跡が残らないなんて、そんなにいないわ。」僕は自分の手に視線を落とした。あの時の傷は影も形もない。
「さて、そろそろお祈りの時間ね。お二人とも、興味があるならご一緒しますか?」ネイさんは席から立ち上がっていった。ほかの協会の人々が礼拝堂へと向かっている。クリスは頭を横に振った。
「遠慮しておきます。もう歩き通しで足が棒になっちゃって。」
「あなたは?」
「僕も、明日の準備をしておきたいので。」ふと、マリアさんがしょんぼりとした気がした。
「そうですか。部屋はもうマリアに聞きましたよね?では、また明日。」ネイさんは立ち去ると、マリアさんもそのあとについて言った。部屋を去り際振り返ると、
「おやすみなさい」といった。
「おやすみなさい、マリアさん。」マリアさんは小さく会釈をすると、そっと扉を閉めた。
僕らはしばらくしてから席をたち、教えられた部屋へ向かった。僕らは別々の部屋で、少し離れたところだった。
「じゃあお休み、イェリシェン。」
「お休みクリス。」僕はクリスと部屋の前で別れると、自分の部屋へ向かった。小さくなったろうそくが点在する廊下の途中まで歩き、教えられた部屋の前でとまる。
ベッドと小さな窓だけが置かれた小さな部屋だった。僕は荷物をベッドのわきに置くと、ベッドに腰かけた。祈りの言葉が、礼拝堂から歌うように小さく聞こえる。僕は目を閉じ、その調べに耳をすませた。