4話『新生活』
「そんなことだろうと思ったわい」
俺たちが「フラワーガーデン」に帰り着くと、それはそれは険しい顔をした店主...マリエルさんが店先で不機嫌そうに立っていた。
うん、めちゃくちゃ怖い。
そりゃもう空は暗くなりかけてるし、時刻はわからないまでも嫁入り前の娘がこんなどこの馬の骨ともしれない男と一緒に遅くまで出歩いているのだ。いい気持ちはしないのだろう。
どうしよう。
「今日からここでお世話になりたい」だなんて、めちゃくちゃ言い出しづらい。
サアヤも一緒に話をつけてくれると言っていたが、大丈夫なのだろうか。俺ならまず無理だぞ。
「あ、おじいちゃん。こちら、先ほど来ていた旅人さんなんだけど、この街が気に入ってくれたみたいだから、しばらく家に住むことになったけど、どうかな」
そう言い終えると同時、目を丸くするマリエルさんと俺。まさか、そんなに単刀直入に交渉を持ちかけるとは思わなかった。
おそらく向こうは違う意味で驚いているのだろうが。
「....」無言で睨むじいさん、身体が強張りながらも目を逸らせずにいる俺、穏やかな微笑みで事の顛末を見守るサアヤ。
三者三様の面持ちを抱えながら、ひたすら沈黙に耐え続ける。
どれだけそうしていただろう。沈黙を破ったのは、マリエルさんだった。
「名前はなんだ?」
「え?」
「聞こえなかったのか。名前はなんだ」
突然の問いかけに戸惑う俺を諭すように、マリエルさんが問い直す。
「えっと、僕は三浦新といいます。ご紹介の通り、よろしければここでしばらく住まわせてもらえればと思いーー」「もうよい」
未だ名乗ってすらいなかった俺が慌てて挨拶すると、名前を言った辺りでそっぽを向かれ、早々と家の中に入ってしまわれた.....。
ええっと。これはアウト、ということなのでしょうか。
いや確かに、こんなどこの得体の知れない男を家に泊めるのは俺が相手の立場であっても拒絶するだろう。
だがしかし、ただ追い返されるよりも、面と向かって顔を見合わせ、「帰れ」と表現されることの方が辛いものがある。
何か表現しがたい虚無感に襲われていると、いつの間にか傍によって来ていたサアヤがくすくすと笑いながら、「さあ、早く私たちの家に帰りましょう。今夜の夜ご飯はミウラさんが来られた記念に、奮発しちゃいますよ」
「え..」
一体この人は、なにを言っているのだろう。
たった今、その申し出はバッサリ断られたはずだ。
しかも私たちの家って、その言い方は何か照れるものがあるからやめてほしい。
そう言うと、サアヤは何が可笑しいのかくすくす笑いをかみ殺すように表情を崩していた。
くそ、からかわれているのであれば、これほど腹の立つものはない。
「いえ、あれは。...そうですね。もう少しおじいちゃんと暮らしてみればわかると思うのですが...あれはミウラさんの入居を許可していたんですよ」
...えっ⁉たぶん今の俺は、第三者からみるとこの上なく間抜けな面をしていたのだろうが、サアヤに自分の手が引っ張られたことで、表情もまた別のものに代わる。
「さあ、新生活の始まりですよ」サアヤが明るい声で言うのと、俺が新たな感情を自覚した瞬間は、おそらくほぼ同時。
曰く、彼女への信頼と、新生活への期待。それから---
俺はこれから、どう生きていくんだろう。そんな先行きの分からない、味わったこともないような高揚感を胸に抱えながら、俺の新生活は始まった。
夕食が食卓に並べられていく。
チキン、野菜、ケーキと、ずいぶん豪華な食事が二人暮らしには少々広めなテーブルにところ狭しと食べ物が置かれるのをみて、自分のために歓迎会を開いてくれていることを自覚する。
これからお世話になる身としてはむしろこちらから何か食事を提供すべきかと思うが、先ほどサアヤにそう伝えると「そんな、これは私が勝手にしていることなので」とやんわりと断られてしまった。
かくしてこの世界で初めての食事は、かなり贅沢なものになった。
料理もそうだが、こうやって食卓を囲んでいると、不思議なことに先ほどまで酷く不機嫌そうに見えたマリエルさんとも気兼ねなく会話することが出来るものだ。
場の空気が温まり、腹の方も満腹に近い状態になったところで、いつからか会話は家賃や部屋の話題に移行した。
この家に住むにあたり、俺が負担する出費は、なんとマリエルさんが「月払いで食費+3000sでいい」と言ってくれた。
しかも一部屋使っていない部屋があるので、そこを自分の個室にしてよいとのこと。
先ほどサアヤが言っていた通り、このじいさんは結構なツンデレキャラらしい。
一般的に考えて、こちらが気おくれしてしまうくらいの親切設計。
今のところ1000シルバーしか持たない俺は、食事を済ませた後、サアヤの家に住むにあたって、なんとしても家賃分の金くらいは稼ぎたいと、今は俺の部屋となった個室で勉強することにした。食事を終えたサアヤが「この国のお勉強になれば」と渡してくれたモンスターやらダンジョンやらの情報が載った書籍を読みながら、情報を入手していく。
風呂がまだだが、集中力的な理由から俺は勉強がひと段落してから済ませようと考えた。
今風呂に入ると、どうしても睡眠欲が出て集中できなくなってしまうだろう。
「オーク、ゴブリン、ゴーレム...か」
この世界のモンスターは、幸いなことに俺が知っているモンスターの情報と酷似していた。
目新しいのは、人型モンスター。これは人間とモンスターとの混血種である。
別名では亜人種とかで見ヒューマンとかいうやつだ。
亜人種といえばエルフやドワーフが挙げられるが、この本によると、もっと別の「擬人」という種族がいるらしい。
この種族は普段は人間の姿をしていながら、自由にモンスターへと変身することができ、自ら攻撃することはめったにないが、他のモンスターへと情報を流してより効率的に人間を攻撃させる、非常に厄介な存在だとか。
しかもこれは人間の姿でいる場合、普通の人間と見分けがつかないので、同種のモンスターでさえも見分けがつかず、擬人種同士が生殖行動を起こすことが稀なため、どうやって測ったのかは知らないがその数は確実に減少しているらしい。
「むしろよく今まで生き延びてきたな、こいつら」この世界の生態系は謎だ。
モンスターの名前に一通り目を通し、こちらは子ども向けらしい「初めてのダンジョン」という本を手に取る。
児童向けなのか、大きめの文字で書かれた本だ。いい大人が子ども向けの本を読んでいるというのもシュールな光景だと思う。
ダンジョンには大きく分けて2つの種類があるらしい。
1つ目は、自然系ダンジョン。ダンジョンの多くは日本の四季のように4つに分かれ、何故かは知らないがそのどれもが春夏秋冬をなぞった気象なのだそうだ。それから自然系ダンジョンには建物が存在しないのも特徴的だと思う。行の最後の方に、『畑を見つけると、その季節に合った植物を育てることができます。ただしモンスターに食べられないよう注意』と書いている。モンスターに食べられないように植物育てろとか、ムリゲーじゃん。
2つ目のダンジョンは、ノルマーレ。普通のダンジョンだ。これはダンジョンの難易度に比例して階層が増し、ざっとみたところ大体3∼10階層が相場っぽい。これはレベルが上がってから挑戦することにしよう。
また、ダンジョンにはそれぞれボスが存在し、ボスを倒すとたまにランダムで「神器」という特別な道具が手に入こともあるようだ。中身は蓋を開けて見なければ分からないが、役に立つものもあれば使い道に困るものもあるという。
『ボスは非常に強いので、挑戦する時はバランスの取れたパーティーで挑みましょう』と赤文字で目立つように示してある注意書きが目に映る。「いよいよ冒険者らしくなってきたな」一言で言うと、わくわくしていた。明日は時間を見てギルドへ行ってみたい。
ベッドに横たわると、急に瞼の重みが増すのを感じていた