1話『無一文』
自然溢れる街中を、馬車が颯爽と駆け抜ける。
「どこだよ...ここ」
明らかに日本とは別の、やや見慣れない景色が目の前に広がっていた。
一見どこにでもありそうな街並み。けれどもところどころで変なオブジェや仏像のような置物が飾られていたりで、ここが日本ではないことが分かる。
というかよく見たらほとんどの家がレンガ造りだし、なんかもう雰囲気が絶対に日本じゃない。
立ち上がって辺りを見渡しながら足に付いた埃を落としていると、耳元で声が聞こえた。
人がいるような気配は全然なかったので、驚きつつ声の聞こえた方を振り向くと...何かがいた。
まるでホラーゲームに出てくる火の玉のようなものが、悠然と中に浮いて、こちらを観察するように俺の周りをうろちょろしている。
くっそ、なんだかわからんが、凄く鬱陶しい。
「ふーん、君が私の担当する、初めての人かぁ...。顔は少しかわいい感じだけど、あんまりタイプじゃないな。あはは、残念!!」しゃべった⁉つーかおい、今なにを残念がった!俺の顔に文句があるなら聞こうじゃないか。
「あ、ごめん。このままじゃ会話しづらいよね」
火の玉が意外と可愛らしい、少女のような声をしている。
そのことに感慨を抱く暇もなく、それはいきなり姿を変え始めた。
小さな火の玉がだったものが炎の様に大きくなり、やがて人の形を纏い、最後には人間そのものの形に変わっていた。
あれ?その顔、その姿は...
「おい、何で....なんでお袋なんだよ!」思わず突っ込んでしまった。喋る火の玉がいきなり母親の姿になったのだから、驚くのも当然というものだろう。
「それは、ここはまだ開拓途中とはいえ死んだ後の世界だから、死んだときの記憶が残ってたりすると錯乱していきなり攻撃されちゃうこともあるしさ、まずは相手が攻撃しにくい姿で現れるんだよ」
お袋の姿をした何かが、少女のような可愛らしい声で諭すように言ってくる。なんだか複雑な気分だ。
「へえ、なるほど。それは合理的な...って、今なんて言った⁉死んだ後のなんちゃらって聞こえたんだが」
いまいち事態が呑み込めずにいる俺に、それは淡々と、しかしやや申し訳なさが滲んだように口を開く。
「うん、じゃあもう一度説明するね。ここは死んだ後の世界。あなたは死んで、この世界に送り込まれてきたの。まああなたたちの世界から見たら、ここは異世界ということになるわね。
今まではこういう風に死んだ人間を別の世界に移すようなことはなかったんだけど、最近になって神様が『面白そうだから』とおっしゃって、ランダムに異世界に飛ばしてるの」
捲し立てるようにべらべらしゃべりながら、最後のほうだけこちらの反応を伺うような、いたずらっぽい笑顔を向けてきた。
しかし姿がお袋なもんだから、何か気持ちが悪い。ていうかなんだその神様。理由が適当すぎるぞ。
「そうか。俺、死んだんだな...」自分の記憶と照らし合わせてみても、確かに死んでいる。トラックに撥ねられて、死んだのだ。さっきこいつは「記憶が残っていると錯乱する人もいる」といっていたけど、頭は驚くほど冷静だった。死んだのに。
「それで、あんたはだれなんだ?さっきの変わり身を見るに、人間じゃなさそうだけど」
さっきの話が本当だとして、はたしてこの世界の住人は人間なのだろうか。もしコミュニケーションが取れない相手だったらどうしよう。
不安がる俺をよそに「うん、お察しのとおり私は人間じゃないよ。名前はアイル。死んだ人を処理する仕事をしている、まあ一応、女神...かな?」とどや顔。
やめろ、その顔でウインクすんな。
「ちなみにこの世界の街の住人は一部を除いてみんな人間だよっ。言葉も通じるようにしてあるから、まずは私がこの世界の案内をしてあげる」もう何が何だか思考が追いつかないが、このままだと確かにわからないことが多すぎて路頭に迷うのが容易に想像できたので、俺は渋々後をついて行くことにした。
「ここはお花屋さん。ここの娘さんは親切だから最初に話しかけるなら彼女がおすすめ」
「鍛冶屋。変な鍛冶職人と不愛想な美人がすんでるわ」
「ここは病院。薬や投薬療法、HPの回復なんかもやってる、便利なところよ」
「それから冒険者ギルド。パーティーの募集とか公的なクエストの交付とかやってる、にぎやかなところだよ。冒険者が多く集まる場所だから、何かパーティーを作るのも生き残る術だと思うな」
そんな調子で、料理屋、銭湯、雑貨屋、釣り堀etc...。
さすがに街全体を案内してもらうことは出来ないものの、どうやら重要な店を把握しているらしいアイルに連れられ、いくつかの店を見て周る。
凄い。実にいろいろな店が充実している。感心しながら、一つだけ、どうしても気になる疑問を口にした。
「なあ、なんで街に誰もいないんだよ」
そう、今まで3時間ほど街中を探索していたが、時折犬や猫などの動物は見かけるものの、人間に関しては人っ子一人いない。
明らかに生活の痕跡は残っているにも関わらず、街は不気味なほど、静かだった。
「あー、」アイルが何やら困り顔で頬を掻いていた。しかしやがて意を決したような表情で「一応ね」と口を開く。
「一応ほら、私も女神な訳だからさ、下界の人たちに姿を見られるのはちょーっとまずいっていうか、規則に反しちゃうのね。だから、原住民の人たちには、私が作った仮想空間で眠ってもらってます!」
ふむ、なるほど。さっぱりわからん。わからんが、そこはかとなく悪いことをしているというのは伝わってくる。
「えーっと、つまり。今はみんな留守にしてるってことかな」
我ながらどうかと思うほどざっくりとしたまとめ方だが、アイルはぱあぁっと表情を輝かせ...輝かせたんだよな?顔がおばちゃんなのでそれと認識しづらいが、たぶんそうだ!
「そうそれだよ!わかりやすい!それで、まだわからないことある?ないならそろそろ私は天界に帰ろうかと思うけど...。そろそろ時間もないし」
そう言われて初めて、アイルの体が少し薄くなり始めていることに気がついた。たぶん下界にいられる限界なのだろう。
「えっと、じゃあ手短に。ここを抜け出すには、どうしたらいいんだ?」
俺のその言葉に、今まで柔和な笑顔を携えていたアイルが表情を険しくした。それこそ、俺を叱る時の母親のように。
「抜け出す?それなら普通に死ねばいいんじゃないかしら。一人で2度の転生は出来ないから、今度こそ魂が消滅するか、天国っていう何も生まれないし何もない空間で、終わりのない時間をただ暮らすことになるけど」
どこか棘のある話し方をするアイル。なるほど、ここで死んでしまえば後はないらしい。そこでふと、アイルは名案を思いついたように、にやりと笑った。
「あと、この世界のどこかに住み着いている伝説の竜を倒せば、ひょっとしたら現実世界に戻ったりできるかもしれないね」
「ひょっとしたら」「かもしれない」って、曖昧なすぎじゃないか。おちょくってんのか?
「その竜はね、伝説と呼ばれてるだけあって、恐ろしく強くてね。最近は次元を突き破って天界にまでちょっかいを出してきてるの。だからそいつを退治すれば、神様は割となんでも叶えてくれると思う」
...竜、強すぎじゃね?次元を突き破って天界で暴れる竜とか、聞いただけでも恐ろしい。
「なるほど。天界の住人に、下界の人間が恩を売るわけか」なんだかその理屈は、納得できる気がする。お偉方は下々の人間に借りを作ることを何より嫌うからだ。
「そういうこと。じゃあもう時間だから。何かどうしても困ったら。これで電話してね!」
そう言って俺に携帯電話のようなものを差し出し、結局最後まで母親の姿を真似ていたアイルは、姿を消してしまった。
俺はしばらくして気が付いた。何故か自分がジャージ姿であること、そしてこの世界で使える金やろくな装備を一切もっていないことに。
ちょっと待てえぇぇぇ!!一人叫ぶも、自分でもどうかと思うほどの悲痛さを乗せた声は虚しく空気に溶けていく。
どうすんだよ..、これ。