第6章ー1 ノルウェー侵攻
第6章の始まりです。
1940年4月、独は、陸海空三軍を連携させたノルウェー侵攻作戦を断行した。
何故、ノルウェーの中立を無視した侵攻作戦を、独は断行したのか。
21世紀において、一部の親ナチ、ネオナチ主義者等は、1940年4月当時、独は、英仏米日等によって、ノルウェー侵攻作戦を決断せざるを得ない状況に追い込まれてしまっていた、と主張している。
一方、歴史家の通説では、英仏米日等と、独ソ等のそれぞれの事情が、独によるノルウェー侵攻作戦を決断させた、としている。
この辺り、見る人によって、判断が異なるとしか、言いようがない事態ではあるが、以下、通説の見解に基本的に従って、ノルウェー侵攻作戦について述べる。
1939年9月の独ソによるポーランド侵攻により勃発した第二次世界大戦において、ノルウェーを始めとする北欧5か国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド)は、事前に局外中立を宣言している国家群ではあった。
だが、それは、各国の実情を無視した願望に基づく中立宣言、と言われても仕方なかった。
例えば、フィンランドとソ連の国境は、余りにもソ連にとって縦深が無い国境だった。
そして、いわゆるカレリア地方は、長年にわたり、(フィンランドが独立国になる以前から)ロシアとスウェーデンにとって、民族、宗教問題からどちらに帰属するか、深刻な争いがある地域であったのである。
こういった事情から、カレリア地方は、ソ連にしてみれば、正当な領土であるとして回復要求がずっとなされている土地であり、ソ連は、フィンランドの中立宣言は、我が国の正当な要求を拒絶するものだ、と最初から受け入れを拒絶する有様だった。
こういった事情から、いわゆる冬戦争が起こり、最終的に、フィンランドは、ソ連に屈服を余儀なくされてしまい、カレリア地方は、ソ連領となるのである。
ノルウェーにしても、ある意味、局外中立を保つのには、困難な事情が最初から存在していた。
スウェーデン北部の鉄鉱山から算出される鉄鉱石、それは、独が第二次世界大戦を戦い抜く上で、必要不可欠な存在だった。
そして、その鉄鉱石は、夏季はボスニア湾経由の海路が主な輸送路であったが、冬季(というより1年の半分以上)は、ノルウェーのナルヴィク、トロンハイムを経由して独へと運ばれていた。
つまり、英仏米日等にしてみれば、ノルウェーが自分達の味方になれば、独の戦争遂行に大打撃が与えられるのは、第二次世界大戦開戦前から、自明の事柄になっていた。
これは、裏返せば、ノルウェーが中立を放棄し、英仏米日等に味方することは、独にとって、断じて容認できない事態と言えた。
そして、1940年1月、ベルギーが英仏米日側と防衛同盟を締結したが、この状況を見て、オランダやノルウェーが、ベルギーと同様の態度を執ろうとしているという噂、情報が流れだした。
独政府、軍は、こういった情報に過敏に反応せざるを得なかった。
特に、独海軍が、この情報に対しては反応した。
独海軍は、それこそ第一次世界大戦終了直後から、第一次世界大戦の敗北について、様々な検討を加えており、敗北の一因として、スカンジナビア半島が中立であったためだ、という結論を得ていた。
第二次世界大戦が勃発した場合、速やかにスカンジナビア半島、特にノルウェーは、独の味方にするか、独の占領下に置かれなければ、独の敗北は必至である、とまで独海軍内部では結論されていた。
このため、独海軍は、第二次世界大戦勃発前から、ノルウェー侵攻作戦に対して、机上演習を繰り返していたという現状があった。
そして、この独海軍の主張が、ノルウェー侵攻作戦の一因となったのである。
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