第5章ー9
そんな会話を、石原莞爾中将とアラン・ダヴー大尉がしていた頃、土方歳一中佐は、パリに置かれている自由ポーランド軍総司令部を訪問していた。
土方中佐は、ポーランド、ワルシャワで勤務していたことがある。
自由ポーランド軍総司令部の看板を見ると、あの思い出深い街並みが、独軍の手によって破壊しつくされた結果、最早、存在しないことを思い出してしまい、土方中佐の胸に深い悲しみがよぎって仕方なかった。
自由ポーランド軍総司令官であるヴワディスワフ・シコルスキ大将は、土方中佐を歓迎した。
「良くぞ来てくれた。日本海兵隊6個師団が来られたことは、100万人の味方が来たような想いだ」
「我々は、10万人程しかいません。過分なお言葉です」
「そんなに謙遜することはない。日本海兵隊は精鋭で知られた部隊ではないか」
シコスルキ大将と、土方中佐は会話した。
「自分は、国防相も兼ねているので、実際に戦場で指揮を執ることはない。実際に戦場に赴く最高司令官は、レヴィンスキー大将になる」
「エーリッヒ・レヴィンスキー大将ですか」
シコルスキ大将の言葉に答えながら、土方中佐は、想いを巡らせた。
10年程前は、共に少佐だったのに、向こうは出世したものだ。
自分も早く大佐には、なりたいものだな。
「君は、優秀な人材だと聞いている。よろしく頼む」
「ポーランド解放のために微力を尽くします」
シコルスキ大将と土方中佐は、型通りの挨拶を交わした後、色々と話し合った。
自由ポーランド軍総司令部から帰ってきた土方中佐を、石原莞爾中将は待ちかねていた。
「帰ってきたな。こいつが、今度ガムラン将軍の副官兼日本海兵隊との連絡士官になったアラン・ダヴー大尉だ」
石原中将は、金髪のフランス陸軍大尉を、土方中佐にいきなり紹介した。
土方中佐が、注意深く見ると、どことなしに面立ちが日本人のような気がする。
ダヴー大尉は、土方中佐の考えを察したのか、自分から話し出した。
「かつて、日系義勇兵の一人として、スペイン内戦の際、土方中佐の父上には、お世話になりました」
綺麗な日本語だった。
土方中佐は、思わず敬礼してしまい、ダヴー大尉が、慌てて答礼する羽目になった。
「それにしても、お若い。お幾つですかな」
「23歳です。1917年生まれなので」
「ほう」
ダヴー大尉と話しながら、土方中佐は想った。
息子、土方勇が見習うべき士官のようだな。
石原中将が口を挟んだ。
「こいつは、優秀な奴だ。うちで、大尉として迎えたいくらいだ。実父はヴェルダンで戦死したらしい」
「そうですか」
土方中佐は答えながら想った。
息子の義弟の岸総司中尉とかとも、話が合いそうだな。
「息子とかと、友人になってもらえたら、幸いです。息子は、1918年生まれですので、先輩の軍人として、色々と教えてください」
「スペインでお世話になった土方伯爵の孫の指導が、自分に務まるとは思えませんが」
土方中佐の頼みに、ダヴー大尉は謙遜した。
「何を言う。あの時、スペインで共に戦った日本海兵隊の軍人で、お前が勇戦敢闘したことを認めない奴はいないぞ。もし、認めないという奴がいたら、そいつを、わしが叱ってやる。それはともかく、良い話だ。後で、お互いの都合がついた時に、土方中佐の息子とも会えばいい」
石原中将が、口添えした。
「それでは、お言葉に沿いたいと思います」
ダヴー大尉は答えながら想った。
ガムラン将軍の言葉は、間違っていなかった。
思った以上に、この世界は狭いようだ。
次から次へと日本海兵隊員の知り合いができる。
ひょっとしたら、自分の実父の手掛かりがつかめるかも。
自分に兄弟はいるのだろうか。
そんなことまで、ダヴー大尉は、つい、考えてしまった。
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