第1章ー3
話を1939年8月時点に戻す。
ともかく、独ソ両国政府共に、自らは正当と考える要求を、相手国(独の場合は、ポーランドに。ソ連の場合は、日米満韓に)に突き付けていたが、相手国は共に拒否していた。
こうした中で、更に国際的に、正義の戦争だ、と思わせるような努力も、独ソ両国政府により、図られようともしていた。
ソ連の場合は、日米満韓各国政府の動きは、ソ連の民族、宗教対立を引き起こし、ソ連の崩壊を図ろうとするものだ、という主張、宣伝を行うことで、自国に正義があると思わせようとした。
独の場合は、(全くの事実無根だったが)ポーランド回廊に住むドイツ系住民が、ポーランド政府によって迫害されている、という主張、宣伝を繰り返した。
だが、第三国の市民の間では、ともかく、第三国の政府首脳の間では、独ソの主張は余り響かなかった。
何しろ、独ソ(更に言うなら共産中国)は、独は、ドイツ民族至上主義を唱え、ソ連は、事実上ロシア民族至上主義を取っており、共産中国は、中華民族主義を唱える有様である。
こうした中で、外国での自民族迫害等を非難するなら、まずは自国の襟を正したらどうか、というのが、第三国の政府首脳の多くの考えだった。
ともかく、このような状況は、独ソ両国と国境を接し、独ソ両国から挟撃される危険に直面しているポーランド政府にしてみれば、いつ、独ソの侵略が発動されるのか、という懸念を引き起こしていた。
1939年春、ポーランドは、独が使用するエニグマ暗号を一部解読することに成功しており、その成果を英仏米日各国に提供し、それによって、英仏米日各国も、1939年8月当時、エニグマ暗号を少しずつ解読できるようになっていた。
そして、その情報をある程度、共有することにより、最早、独は戦争に突入するつもりであり、独への譲歩は無意味、と英仏米日、及びポーランドの各国政府は考えるようになっていたのである。
(なお、この頃、ソ連の暗号は、解読されていなかった。)
1939年8月21日、ドイツとポーランド国境に向けて、独軍が移動しつつあることが、日本軍情報部の独のエニグマ暗号解読により判明した。
この情報の報告を受けた日本軍情報部の長官、前田利為中将は、直ちに梅津美治郎陸相や堀悌吉海相に、このことを報告した。
梅津陸相と堀海相は、このことを速やかに一部の閣僚間で協議することを、米内光政首相に提案し、米内首相もこれを了承した。
8月22日の日本での協議は大荒れになった。
日本軍情報部の情報分析により、独軍がポーランド侵攻の準備を整えているのが明らかになった旨を知らされた閣僚は、どう対処すべきか、喧々諤々の大論争を行うことになったのである。
「情報の出所は伏せて、独政府に警告を発し、このことを公表しませんか。我が日本政府は、独がポーランド侵攻の準備を整えていることを把握した。世界平和を維持することを考えれば、独はそのような行動を慎むべきだ、と」
老練な外交官出身の吉田茂外相は、葉巻を吹かしながら、そう協議の場で提案していた。
「しかし、下手をすると、独政府、軍が、自国の暗号を解読されている、と疑うことになるのでは」
堀海相は、公表案には消極的な態度を取った。
「確かに、その危険性はあるが」
梅津陸相は、吉田外相に半ば味方した。
「公表することにより、ポーランドは公然と総動員等、対独戦の準備を整えることができる。この方が重要ではないだろうか」
最終的には、米内首相が決断することになった。
「この際、吉田外相の提案を取る。ポーランドを見殺しにする訳には行かない。少しでもポーランドが善戦できるように努めるべきだ」
米内首相の決断が下された。
作中で描かれている一部の閣僚会議ですが、この世界における史実の五相会議と思ってください。
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