第4章ー20
夜戦は、日本軍、いや日本人にしてみればお家芸と言ってもよかった。
日本の軍事史を紐解けば、幾らでも夜戦が出てくる。
それこそ、平安時代末期の保元の乱にしてから、夜戦を行うことにより、後白河天皇側が勝利を収めたくらいである。
その後のいわゆる武士の世全てを併せるならば、夜戦を行った合戦の方が、夜戦を行わなかった合戦よりも多いのではないか、というくらい、日本では夜戦が当然だった。
(富士川の戦い、元寇、千早城の戦い、河越城の戦い、大阪冬の陣等々、枚挙に暇がない有様である。)
明治維新以降、日本陸海軍草創期からの歴史を見ても、日本軍の夜戦は数多い。
陸戦ならば、西南戦争での横平山の戦い、日露戦争における遼陽会戦時の弓張嶺の戦い、第一次世界大戦時のガリポリの戦い等がある。
海戦にしても、東郷平八郎元帥以下の音頭により、夜戦による勝利を、ずっと追及している有様だった。
こうしたことから、日本空軍にしても、(一流搭乗員の証ともいえる)技量甲の搭乗員に認定されるためには、夜間離着陸を伴う空戦行動可能なことを要求していたし、日本海軍航空隊に至っては、母艦搭乗員に正規に選ばれるためには、夜間発着艦を行ったうえで、戦闘可能な技量を要求していた。
(もっとも、戦局が進むにつれ、航空機材の問題も加わり、そこまでのことを、日本海軍航空隊は要求しなくなる。)
とはいえ、単発単座の99式戦闘機では、夜間少数機の空襲に実際に対処するのは、困難だった。
闇に紛れやすいような夜間迷彩塗装を行った四発重爆撃機を、目視により発見するのは困難で、地上からの無線誘導等が必要だが、単座機では、そういったことは難しい。
(一人の搭乗員が、航空機を操縦し、地上と交信し、周囲に目を配り、何役も兼ねる必要等があるため)
そのため、日本空軍は、新型の夜間専用機(戦闘以外に、偵察、爆撃に使うことも考慮されていた)の開発を検討しだしたことが、小畑敏四郎大将の下に、情報として届いている。
その一方で、明るい情報も届いている。
開戦以来の苦闘、ウラジオストク軍港への大空襲等により、ソ連海軍の潜水艦部隊の活動が低調になりつつあるというのだ。
更に、第二段階の反攻として、ハルピン以南を回復するための主攻勢と連動したウラジオストク軍港等への助攻が検討されている。
これが成功すれば、ソ連海軍の潜水艦部隊の根拠地は、ほぼ失われることになり、日米等による太平洋の制海権が確立することになる筈だった。
問題は、陸戦だな。
小畑大将は、会議に参加した面々の活発な意見を聞きながら、想いを巡らせた。
ロシア帝国時代以来、ソ連は量的には、世界最大の陸軍大国を、常に自他共に認める存在だ。
日米満韓の総力を挙げないと、ソ連陸軍への対処は困難だろう。
満州国領全体の回復も中々難しそうだ。
更に、共産中国軍の脅威もある。
おそらく、正面からの大会戦を挑むこと等、共産中国軍は、今のところは考えてはいまい。
当面はゲリラ戦を展開し、日米満軍を精神的に消耗させた上での反攻を策しているようだ。
本来なら、こちらから機先を制しての攻勢を展開したいところだが、ソ連軍への対処が優先である以上、そのような作戦を当面はこちらは行うことはできない。
この先、何年、戦争が続き、そして、どのような結末になるのだろう。
願わくば、日米満韓側の大勝利という結末を迎えたいが、それは遥かな道のりとなるだろう。
それまでの間、多くの軍人、民間人が亡くなっていくのではないだろうか。
それによって、多くの憎しみが産まれ、それが更なる憎しみを産み、という悪循環にならねば良いが。
そんなことを小畑大将は、考えるともなしに考えてしまった。
第4章の終わりです。
次から、遣欧艦隊と海兵隊を描く第5章になります。
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