第4章ー17
西住小次郎大尉の本音としては、自分も100式重戦車に搭乗したかった。
とはいえ、陸軍上層部が、100式重戦車を鴨緑江方面に投入した理由も分かるだけに、本音を叫びにくい心境にあった。
100式重戦車が、何故、金州方面に展開している機甲部隊に投入されなかったのか?
まず、第一に輸送問題だった。
100式重戦車を輸送するのに、鴨緑江方面なら関釜連絡船等を活用することで、鉄道貨物として、日本本土から速やかに運び込むことができるのに対し、金州方面なら、日本本土の港と大連港と、二度、港での積み下ろし作業が必要になる。
この積み下ろし作業の手間が、まず問題となった。
第二の問題が、機甲部隊は、既に99式戦車に全戦車を更新済みだったことだった。
99式戦車は、その形式名から分かるように、文字通り日本陸軍の最新鋭戦車である。
全ての戦車乗りが、まだ乗り換えて1年も経っていない状態だった。
こんな新型戦車に乗り換えたばかり、しかも、ソ連軍の戦車と優位に戦える戦車を、何で乗り換えないといけないのか、と機甲部隊の上層部、佐官以上の面々が考えるのも無理は無かった。
そして、既述の開戦以来、悪戦苦闘してきた部隊への褒賞、精神的支えとしての面での問題である。
よく戦ってくれた、新型戦車を与えよう、という想いを陸軍の将官級の多くがするのも無理は無かった。
こうしたことから、金州方面の部隊に、100式重戦車は1両も無かったのである。
だが、金州方面に集められた日本陸軍の1000両以上の戦車部隊は、機甲部隊は99式戦車、それ以外の歩兵師団の戦車も97式戦車で揃えられており、質的にはソ連軍戦車を圧倒していた。
更に航空優勢も、日本側が確保していた。
海兵隊が実戦で血を流すことで勝ち得た地上支援のノウハウを、日本陸軍は、海兵隊から提供されることで自家薬籠中の物としており、緊密な地上支援により、快進撃を行うことができた。
本来からすれば、金州方面の最前線が突破された時点で、後方に配置されている予備部隊を前線に向かわせることで、ソ連軍は日本軍に反撃を試みるべきだった。
だが、ソ連軍は後方には、治安維持用の部隊を置いているだけで、いわゆる予備部隊は払底していた。
というか、治安維持にも一苦労する現実があった。
ソ連軍にしてみれば、糧食は現地調達で確保可能と判断されていた。
何故なら、満州国の統治になってから、満州国は食糧輸出国になっていたからである。
そのために、後方からは、弾薬、燃料が優先して輸送されていた。
そして、満州国の民衆は、共産主義革命の為に、進んで食料をソ連軍に提供してくれる筈だった。
しかし、当の満州国の民衆にしてみれば、ソ連軍は侵略者、略奪者に過ぎなかった。
このために、民衆の反ソ行動が、満州内では蔓延しており、ソ連軍は治安維持に苦労していたのである。
そして、日本軍の反攻作戦を、南満州の民衆はもろ手を挙げて歓迎した。
強制的に作らされたソ連軍の陣地の詳細を、満州国の民衆は、日本軍に情報提供することもあった。
また、後方で破壊活動を行う者もいた。
こういったことから、日本軍は快進撃を行うことができ、僅か2週間余りで、奉天まで進撃して占領、鴨緑江方面の部隊と金州方面の部隊は、手を握ることができた。
では、日本軍が、奉天を占領していた頃、米軍はどうしていたのか?
「我々のボーイズには、今の戦争のやり方を一から教育してもらう必要がある。江田島に、フリーデンダール将軍を送り給え」
ルーズベルト大統領は、頭を抱えて、ウッドリング陸軍長官に指示を下した。
そして、マッカーサー将軍は、フリーデンダール将軍を目の前に立たせて、罵倒を浴びせていた。
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