第4章ー6
そんなやり取りを義理の祖父と孫がやっている間にも、ソ連対日米満韓の戦争は続いていた。
「畜生、あの世で李舜臣提督に合わせる顔がない」
韓国海軍の第101号駆潜艇の艇長である金大尉は、第101号駆潜艇に乗り込み、韓国沿岸航路の対潜活動に取り組みながら、そう嘆く日々を送っていた。
昨年9月の開戦以来、韓国海軍は、ソ連海軍の潜水艦部隊を相手に苦戦を強いられている。
金大尉のような現場レベルでは、素直に日米海軍の支援を求めるべきでは、という声が高いが、プライドだけは高い韓国海軍の上層部は、韓国沿岸航路の死守は、自国の海軍で何としても賄う、と主張している。
確かに自国の沿岸航路さえ、海軍は護れないのか、と非難されたくないのは分かる。
だが、それによって、現場が苦戦を強いられ、犠牲を出すのでは、堪ったものではない。
金大尉の乗りこむ第101号駆潜艇にしても、相方の第103号駆潜艇を失い、第101号駆潜艇の乗組員全員が、復仇を誓う有様だった。
しかし、戦果が挙がっているとは言い難い。
ソ連海軍の潜水艦部隊で、小型、余り遠距離航行能力のない潜水艦は、どうやら、日本沿岸から韓国沿岸を主な狩場に徐々に変えつつあるようで、新年以降、日本の日本海沿岸航路の被害が減少する一方、韓国沿岸航路の被害が増えている。
これは、米陸海軍航空隊や米海軍の来援により、余裕ができた日本海空軍が、日本海沿岸航路の警戒を強化しつつあり、更にウラジオストク軍港等の機雷封鎖を試みるようにさえなったためだと考えられている。
韓国海軍にとって、本当に厄介な戦況だった。
「早くウラジオストク等を、我が軍が占領してくれませんかね」
第101号駆潜艇の乗組員の一部、副長の朴中尉らは、そういうのが口癖になりつつあった。
ウラジオストク軍港等のソ連海軍の潜水艦部隊の基地を占領すれば、ソ連海軍の潜水艦部隊は根無し草になり、役に立たなくなる。
そして、ウラジオストク軍港等は、韓国からそう離れてはいない。
韓国陸軍が努力すれば、そして、ウラジオストク軍港等まで進撃し、占領すれば、戦局は一度に好転することになる。
朴中尉らは、そう言っていた。
だが、現実は非情だった。
昨年9月の開戦以来、韓国陸軍は、総動員されており、1940年1月現在、12個師団余りに編制されていた。
そして、8個師団が、韓ソ国境に展開し、2個師団が鴨緑江方面に展開、残りの2個師団余りが予備として控えているという状況にあった。
本来からすれば、鴨緑江方面に韓国軍をもっと向けねばならないが、そちらは日本軍が反攻の為に主力を向けており、韓国軍は、韓ソ国境に主な部隊を向けることができた。
そして、ソ連軍は、韓国軍に対処するために3個狙撃師団、及び1個戦車旅団を向けていた。
単純に考えれば、韓国軍の兵員数は2倍余りであり、優勢裡に韓国軍は戦えるはずだった。
しかし、韓国軍は哀しいまでに火力が不足していた。
戦車に至っては、日本海兵隊のお下がりのお下がり、第一次世界大戦の遺物、ホイペットやルノー戦車を第一線で運用せねばならなかった。
こんな戦車では、ソ連のT-26軽戦車にさえ、韓国軍は歯が立たなかった。
そのため、韓国軍が進撃を試みたら、ソ連軍が圧倒的な火力で阻止し、逆に、ソ連軍が反撃を試みるのに対しては、韓国軍が肉弾で阻止するという一進一退の戦況が、国境沿いでは起きていた。
ソ連軍は、まず満州を完全に制圧し、その上で朝鮮半島への侵攻を試みるという作戦を立案しており、現時点での韓ソ国境については、韓国軍の侵攻を阻止できればよいと割り切っていた。
そのために、韓ソ国境では、上記のような戦況になっていたのである。
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