第1章-1 第二次世界大戦への道
第1章の始まりです。
そんなことを土方勇が、新妻の千恵子との間でやっている間にも、世界情勢は崖を転がり落ちるように悪化していく一方だった。
枢軸国側の独ソ中、連合国側の米英仏日波満韓、更に中立堅持を内心で決めている伊西土、等々、各国の政府の首脳は、1939年8月において、どの国が、最初の世界大戦の第一弾を撃つことになるのか、と考えを巡らせる有様になっていた。
1939年8月当時、ヒトラー率いる独政府としては、極めて真っ当極まりない穏健な要求をしていた。
ダンツィヒ、更にいわゆるポーランド回廊を独に速やかに割譲せよ、とする要求を、独政府は、ポーランド政府に突き付けていたのである。
これらは、ズデーデンと同様に、当然の独領であり、英仏米日等の各国政府が、この要求に対して、口を挟むのは、独政府にしてみれば、内政干渉だった。
また、ソ連政府も、日米満(厳密にいうと蒋介石率いる満州国政府を、ソ連政府は否認しているが)各国政府に対して、(ソ連政府からすれば)穏健な要求を突き付けていた。
(共産)中国に対する不当な日本の侵略を止めて、満州国を否認し、日本は軍を日本本国(言うまでもなく、朝鮮半島からも)にすべて帰還させよ、等々の要求を突き付けていたのである。
なお、ソ連政府が、日米満各国政府に、8月に入って、このような要求を突き付けてきたのには、言うまでもなく他の事情もあったからだった。
モンゴル、いわゆる外蒙古領内において、反共民族主義を唱える運動が活発化し、更に武装した反政府勢力と化しつつあった。
これは、満州国とソ連間における各種の国境紛争(有名なのがノモンハン問題)への事実上の報復として、満州国政府が支援を行っていたもので、その背後には言うまでもなく日米韓の各国政府が絡んでいた。
更にソ連領内のいわゆる少数民族、宗教勢力に対して、ソ連からの分離独立の使嗾も、日米満韓各国政府は隠密裏に行うようになっていた。
表向きは、民族、宗教の自由を大義名分とし、少数民族、宗教への不当な弾圧は許されない、全ての民族や宗教は、対等、自由であるべき、という主張である。
だが、これによって、もたらされるものは何か?
言うまでもなく、ソ連の完全崩壊だった。
このような日米満韓の動きの背景事情まで探り出したソ連政府は、モンゴル国に対する不当な干渉であり、更に我が国を崩壊に導くものだとして、強硬な抗議を行うと共に、上記のような要求を突き付けてきたのである。
なお、このソ連政府の要求に対し、満州国は無論のこと、日米韓全ての政府が、不当な要求だ、として拒否する意向を示していた。
モンゴルに対する不当な干渉等、行っていない。
ソ連の崩壊等、夢にも企んではいない。
ソ連政府が持ち出した証拠等、全てねつ造されたものだ、というのが、日米満韓各国政府の主張であり、そのような言いがかりには応じられない、と反論した。
とはいえ、そのような日米満韓各国政府の動きは、ソ連政府を苛立たせるものに他ならなかった。
ミュンヘン会談の際のしおらしい態度は、(実際にそうだったが)単なる時間稼ぎだったのか、とソ連政府は確信するようになった。
更に、共産中国政府からは、モンゴルを経由しての武器援助無くして、中国内戦の勝利は困難という指摘もなされており、そのことも併せるとモンゴル情勢の悪化は、ソ連政府の懸念材料になっていた。
(共産中国への海を介した武器等の援助は、日本海軍によって、かなりの部分が既に封鎖状態にあった。)
だが、ソ連政府は、第二次世界大戦の第一弾を撃つ決意は、スターリン書記長の躊躇いから、中々できなかった。
そして、独政府が、第二次世界大戦の第一弾を撃つことになる。
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