第3章ー7
実は、嶋田繁太郎連合艦隊司令長官が、空軍本部から辞去する際に、機嫌を直したのには、別の理由もあった。
1939年9月中旬当時、連合艦隊司令部(及び軍令部)は、第一航空戦隊と第二航空戦隊からの突き上げに、苦慮しているという現状があったのである。
この当時、連合艦隊は、麾下に第一航空戦隊と第二航空戦隊という、二つの航空戦隊を保持していた。
第一航空戦隊を構成するのが、「伊勢」、「日向」、「龍驤」の3隻の航空母艦である。
第二航空戦隊を構成するのが、「蒼龍」、「飛龍」、「雲龍」の3隻の航空母艦である。
(なお、「鳳翔」は、基本的に航空隊の錬成のみに使用されていた為に連合艦隊司令部直属として、扱われており、航空戦隊には、所属していなかった。
また、それぞれの航空戦隊には、いわゆる「トンボ釣り」のための駆逐艦も、複数が所属しているが、それについては、省略している。)
そして、第一航空戦隊は、第一艦隊に、第二航空戦隊は、第二艦隊に所属していた。
更に余談を付け加えるなら、この当時、第一艦隊は、いざという時には、艦隊決戦の主力となることを求められた艦隊で、全ての戦艦が所属していた。
第二艦隊は、全ての重巡洋艦(古鷹級4隻、妙高級4隻)等が所属し、艦隊決戦の際の補助戦力、また、敵国艦隊が遊撃戦等を行った場合に対処することを求められた艦隊だった。
第一、第二航空戦隊は、いざという時の、艦隊防空、敵艦隊攻撃等、様々な任務の為に編制されていた。
(あくまでも、ロンドン海軍軍縮条約締結以降、日本海軍が、日本が戦争に突入した場合に備える、という基本構想の中で考えられて、編制された艦隊においての考えである。
ロンドン海軍軍縮条約締結以前は、また、異なった考えで、第一、第二艦隊は編制されているが、本筋から外れるので、説明は省略する。
また、この後、高雄級巡洋戦艦や、大和級戦艦の竣工、就役等に伴い、更に、第二次世界大戦の推移の中で、日本海軍の艦隊編成は、大幅に変わっていく。)
だが、第二次世界大戦勃発と、(連合艦隊司令部等には知らされていなかった)様々な事情が、航空戦隊を翻弄しつつあった。
嶋田連合艦隊司令長官も含め、連合艦隊司令部からすれば、自分達が知らない間に、全ての航空戦隊は、欧州に赴くことが、決まっていたのだ。
「納得いきませんな。何故に、全ての航空戦隊は、欧州に赴かねばならないのです」
角田覚治第一航空戦隊司令長官と、山口多聞第二航空戦隊司令長官は、先日、雁首を並べて、異口同音に嶋田連合艦隊司令長官を突き上げていた。
「気持ちは分かるが、既に決まったことだ」
嶋田連合艦隊司令長官は、二人を懸命に宥めようとした。
「納得いきません」
角田、山口両提督は、揃って、顔を背けながら言った。
いざという際、日本海兵隊が、欧州に赴くことは、第二次世界大戦勃発以前に、日米(更に英仏)間の政府、軍の交渉によって、決まっていたが、秘密を保つために、日本海軍内部では、堀悌吉海相、住山徳太郎海兵本部長以外に、基本的にはその合意が知らされないままだったのだ。
(なお、二人とも、秘密を保つために、厳重な沈黙を開戦まで保っていた。)
更に、日本海軍本体が、それに相応の支援もすることも。
こうしたことから、第二次世界大戦勃発に伴い、日本海兵隊の欧州派兵が決まり、更に日本海軍本体も、それに呼応することが発表され、更に第一、第二両航空戦隊も、欧州への派兵が決まったのだが、自分達の頭越しに決められたことから、角田、山口両提督が、へそを曲げたのだった。
だが、ウラジオストクへの大空襲が行われるのなら、状況が変わる。
そう、嶋田連合艦隊司令長官は考えた。
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