プロローグー3
土方勇が、そのことを思い起こしていたのは、自分としては僅かな間だったが、妻の千恵子からしてみれば、長い間だったらしい。
勇は、千恵子が怪訝な視線を向けていることに気づいた。
「何か気になることを思い起こしたの?」
千恵子が、思い切って尋ねてきた。
「いや、軍務のことでね」
全くの嘘ではない。
千恵子に全くの嘘を吐くと、すぐに見抜かれる。
これまでの付き合いから、そう覚えている勇は、少し本当を混ぜた嘘を話した。
実際、アラン・ダヴーは軍人だから、軍務のことと言うのは、全くの嘘ではない。
「そう」
千恵子は、それ以上、突っ込むつもりは無いようだった。
「食事の時くらい、軍務のことは忘れて、お願いだから」
「そうだね」
千恵子の言葉に、勇は、そういわざるを得ない。
だが、内心では更に想いを巡らせた。
結婚前から、千恵子との間に、秘密が出来てしまった。
更に、このことは、義弟の親友、岸総司にも話せない秘密だ。
村山幸恵が、千恵子や総司の異母姉らしいことは、自分を含む、幸恵、千恵子、総司の4人の間で、暗黙の了解事項ということになっている。
だが、アラン・ダヴーのことは、同様の暗黙の了解事項にはならないだろう。
何しろ、祖父の話からすれば、アラン・ダヴーの母は、当時、多くの男性と寝ていたらしい。
そんな母から産まれた子を、弟だと、千恵子も総司も(更に言うなら幸恵も)認めないだろう。
それに冷たいようだが、自分の家の外聞にも関わってくる。
土方伯爵家の妻の異母弟、自分の義弟は、街娼が産んだ子だ、というのは、余りにも外聞が悪い。
千恵子と結婚するまでに、その外聞(千恵子は庶子だから、将来の伯爵夫人には相応しくない)の処理に苦労する羽目(もっとも、その大部分は、林忠崇侯爵や祖父の圧力で消せたが)になった勇は、冷たいと思われようとそう考えざるを得なかった。
勇は、そこまで考えたが、取りあえずは、千恵子との食事に話を戻すことにした。
「まあ、この味も悪くはない。二人で、共に食事をする中で、味のこととか、調整していけばいいさ。今は2人しかいないしね」
勇は、思い切り話を切り替えることにした。
「そうよね。今は2人だけだものね」
千恵子も、勇の気持ちを汲んだのか、明るく言った。
土方伯爵家の跡取りとはいえ、所詮は、勇は、海兵隊少尉の身に過ぎない。
祖父、土方伯爵が住む日野の家には、使用人が複数いるが、周囲からの目を考えれば、勇が千恵子と住む官舎に、使用人を置くこと等、思いもよらないことで、官舎では夫婦二人暮らしをすることになっていた。
(もっとも、勇の実家、土方伯爵家からの財政援助で、官舎住まいとはいえ、勇が新婚生活が営めるのも事実だった。
海軍兵学校を卒業したての新人少尉の薄給のみでは、新婚生活はきつかった。)
「でもね。1年も経たない内に、3人暮らしになるかもよ」
千恵子は、いたずらっぽく笑いながら、続けて言った。
「何しろ、私の父は、子作りが早かったからね。私も、その血を承けているのだから」
「はは」
千恵子は、それ以上は言わなかったが、言外の意味を察した勇は、軽く笑った。
だが、背中が冷や汗で濡れるのを覚えた。
千恵子の父は、本当に子作りについては、早いとしか言いようがない。
2年の間に、しかもそんなに関係を結ばない内に、4人(?)の女性の間に、子どもができたのだ。
千恵子に至っては、1度限りの関係でできたという。
それを想えば、自分にしても、既に千恵子の胎内には、ということになっていても。
さっきまで、アラン・ダヴーのことを考えていた為か、勇は、そこまで考えを、つい、進めてしまった。
千恵子に自分の内心が読まれているのでは、とまで勇は考えた。
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