第3章ー2
とはいえ、米国が参戦したとはいえ、余りにも米国は遠い。
更に、部隊を動員して、編制するのにも、時間が掛かる。
日米両国の政府、軍は協議した末、来年春を期しての反攻を決断せざるを得なかった。
(なお、満韓両国共に、この決断に対しては、国土が直接、ソ連軍に荒らされている以上、内心ではかなり不平を漏らしたが、日米の協力がないと、ソ連に抗戦できない以上、日米の決断に従わざるを得なかった。)
「予め、決めてあったとはいえ、辛いなあ」
日ソ開戦後、参謀本部勤務から、梅津美治郎陸相の指名により、関東軍(後に、シベリア総軍となる)司令官として、急きょ、現地に赴任した小畑敏四郎中将は、ぼやく羽目になった。
「ポーランド軍の方が、もっと辛いことをやっていることを考えると、マシと割り切るしかないか」
蒋介石率いる満州国政府からは、何とか、満州国の領土を守って欲しい、と猛烈な圧力が掛かってくる。
だが、その要請に素直に応じては。
「実戦力が3分の1では、どうにもならん。貴重な戦力を無駄に失うだけだ。できる限り、民間人を保護しつつ、将兵の損耗を迎えながら後退していく。取り合えず、朝鮮半島は死守し、金州以西と万里の長城以南も、反攻拠点として、断固、死守する。それ以外の土地は、ソ連軍に明け渡すしかないな」
それが、小畑中将の作戦方針であり、(小畑中将が主導したものだったが)日本の参謀本部が、日ソ開戦以前にまとめた基本方針に合致するものでもあった。
そのため、小畑中将率いる関東軍司令部としては、ひたすら後退するしかなかった。
虎の子ともいえる日本の機甲師団にしても、満州には存在しない。
全て日本本土から派遣する必要があった。
「我が方の戦力が整わない以上、黒竜江省油田や鞍山製鉄所等までも放棄するのは、本当につらいが、仕方ない。だが、我が方に、充分な戦力が整ったら、別だ。数倍にしてお返しする」
関東軍司令部で、幕僚達を集めた会議で小畑中将は、主張した。
だが、その一方で、内心の一部は冷めていた。
それらは、幾つもの米国の大企業が大きく噛んでいる。
そして、黒竜江省油田や鞍山製鉄所を失うことは、それらの大企業にとって、大損害になる。
米国の財界は、満州へのソ連侵攻を黙認できない筈で、日本への援軍を早く出すように、米の政界に働きかけるだろう。
ともかく、米国というお金持ちが助けてくれないと、我が国と満韓だけでは、ソ連を食い止められない。
ソ連の侵攻を食い止めるには、米国を本気にさせる必要があるのだ。
小畑中将は、そう考えていた。
実際、米国は、本気になりつつあった。
更に、一人の男の存在が、満州戦線を動かそうとしていた。
「わしを、満州に派遣してくれ」
当時、フィリピン軍元帥として、マニラにいたダグラス・マッカーサーは、米国陸軍省に対し、半ば命令していた。
「わしの軍歴の中で、第一次世界大戦当時、日本軍の下で働いたのが、今でも心の微妙な傷になっている。今度は、日本軍の指揮を執りたいのだ」
ウッドリング陸軍長官は、マッカーサーの言葉に、苦笑いをせざるを得なかった。
「20年前のことを持ち出すかね」
副官に、ウッドリング陸軍長官は、半ば揶揄するように言った。
「全くですな」
副官も同意した。
第一次世界大戦末期、日本海兵隊の林忠崇元帥を総司令官として、日英仏米白の五か国の軍によって、ベルギー解放軍が編制された。
マッカーサーは、この当時、その隷下に入って戦っている。
そして、勝利を収めはしたのだが、日本の海兵隊提督の指揮下で戦ったのが、未だに微妙に引っかかったままなのだ。
「ま、希望は叶えてやろう」
マッカーサーは、米陸軍中将として現役復帰を認められた。
マッカーサー将軍の想いについて、少し補足します。
第一次世界大戦当時の状況からして、日本海兵隊の林忠崇元帥海軍大将の指揮下に、自分が入って戦わなければならなかったことは、マッカーサー将軍も、重々承知はしています。
ですが、有色人種にして、日本海軍提督の指揮下で、米陸軍士官の自分が、本職の陸戦の指揮下に入らなければならなかった、というのは、素直な気持ちになれない訳です。
(それに時代も時代です。
公民権運動が、史実の米国で盛んになるのは、1960年代になってからで、それまでは有色人種差別は当然、という雰囲気に、史実の米国はありましたし、この世界の米国も、そう変わらないのです。
だから、有色人種の海軍提督の指揮下に、陸戦なのに、陸軍士官のあいつは入った奴だ、という陰口をこの世界のマッカーサー将軍は、ずっと周囲の米陸軍士官から叩かれていたのです。)
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