第2章ー13
11月17日夜、ワルシャワの地下水道網の一角で、何とか生き残っていたポーランド首都防衛軍司令部の会議は開かれていた。
「よく、ここまで戦ってくれた。心から礼を言う」
フォン=ボック大将は、今まで生き残っていたポーランド首都防衛軍司令部の幕僚達に、頭を下げながらそう言った。
「いえ。ポーランドの軍人として、当然の務めです」
「将軍こそ、色々と思うところがおありでしょう」
生き残っていた幕僚達は、口々にそう言って、フォン=ボック大将を力づけた。
実際問題として、この時点で、ポーランド首都防衛軍は、既に消滅している、と言われても仕方のない状況に陥っていた。
ポーランド首都防衛軍総司令官であるフォン=ボック大将が掌握している兵力は、1個師団どころか、1個連隊に満たない有様だった。
勿論、孤立して、ポーランド首都防衛軍司令部と連絡が取れないまま、抗戦しているポーランド軍部隊が他にいるのは、現状から言うと、間違いない話だった。
とはいえ、それらをかき集めて、合算しても、2個連隊を超えるのが、やっとだろう。
それに対し、現在、独軍がワルシャワ攻略に投入している兵力は、消耗した末に、再編成の為に後退した部隊を除いても、20個師団は軽く超えている。
ポーランド首都防衛軍に協力するワルシャワ市民も、容赦のない独軍の攻撃の前に、相次いで死んでおり(独軍は、ポーランド兵やワルシャワ市民を、既に一切、捕虜にしなくなっており、負傷して投降してきたポーランド兵やワルシャワ市民は、全員、即時、処刑されていた。)、ワルシャワ攻防戦が始まる前には、120万人以上は居た筈のワルシャワ市民は、今や10万人も生きてはいなかった。
ポーランド首都防衛軍司令部にしても、生き残っている士官は、最早、3分の1を切っている。
それ以外の士官は、前線視察等の際に、戦死していっていたのだ。
「これ以上の抗戦は無意味だろうが、独軍は、ポーランド首都防衛軍については、一切の降伏を受け入れないそうだ。余程、裏切り者の私が、憎いらしい。本当に済まない」
フォン=ボック大将は頭を、再度、下げざるを得なかった。
これ以上の抗戦は不可能と判断し、独軍に対して、投降を申し出たのだが、ヒトラー総統の直命で、投降は一切、受け入れられない、軍人として死なれてはどうか、という返答が、先程、独軍から来たのだった。
こうなっては、ポーランド首都防衛軍としては、降伏など、出来よう筈が無かった。
「最後まで、ポーランド人として戦って、死んでいきましょう」
幕僚の一人が、笑顔で、フォン=ボック大将に声を掛けた。
「それに、ワルシャワは建て直せますよ。その為の方策を講じたではないですか」
別の幕僚も口を挟んだ。
独がポーランドに宣戦を布告した直後、ワルシャワ市民の一部(そのほとんどが乳幼児とその母親達だった。)は、ワルシャワ市街の膨大な写真と共に脱出している。
この戦争が終わった後、ワルシャワ市街を、元通りに再建できるように。
フォン=ボック大将は、それを思い出した。
「あの子達には、とんだ重荷を背負ってもらうことになるな」
「あの子達は、言ってくれますよ。喜んで、この重荷を背負います。と」
フォン=ボック大将と、幕僚達の末期の会話は、どこか楽しげに聞こえるものだった。
「それでは、最期まで戦い抜くか」
「将軍の仰せのままに」
フォン=ボック大将の言葉に、幕僚達は声を揃えて答えた。
11月20日(?)、ポーランド首都防衛軍司令部は文字通り全滅し、フォン=ボック大将以下、全員が戦死を遂げ、ここにポーランド首都防衛軍の組織的抵抗は終結した。
そして、ワルシャワは陥落し、ワルシャワ市民は全員死んだ。
本文中の11月20日(?)ですが。
ポーランド首都防衛軍司令部では、誰一人生き残っていないことから、正確な日時が不明であることから、そう描きました。
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