第2章ー3
とはいえ、ポーランド軍は、ポーランドの国土をそう易々と明け渡す訳には行かなかった。
ポーランドの国民の多くから、政府、軍は競うように国外に脱出したと見られては、ポーランドの国民から失望されることになり、下手をすると、独ソ両国に、ポーランドの国民の多くが協力するという事態が起こることになりかねない。
つまり、ある程度は独ソ両軍に抗戦した末、抗戦不可能な状況となったので、政府、軍は捲土重来を期して国外に脱出した、と国民の多くに見られる必要があった。
とはいえ、それが困難な路なのも、確かな話だった。
1930年代後半、徐々に世界情勢が悪化する中、ポーランド軍の事実上の総司令官を務めていたリッツ=シミグウィ元帥は、独ソ両国からの侵攻があった際等に、如何にポーランドを守るか、ということを、ポーランド軍の優秀な参謀将校達を集めて、本格的に研究させることにした。
そして、そのグループのリーダーに、独ソ両軍の内部事情にまで通じていることを理由に、リッツ=シミグウィ元帥によって指名されたのが、レヴィンスキー中将だった。
レヴィンスキー中将達のグループが検討する限り、独ソ何れか単独のポーランド侵攻作戦ならば、持久戦闘を展開した末に、英仏軍の来援により、良ければ勝利を、悪くても痛み分けによる平和を、ポーランドが勝ち取ることは不可能ではない、という結論になった。
だが、独ソ両軍が共同してポーランド侵攻作戦を展開する、という最悪の事態になった場合、英仏軍の来援が速やかにあったとしても、ポーランドが守り抜けるのか、というと。
レヴィンスキー中将自らが、
「そんな最悪の事態に対処して、ポーランドを守り抜くというのは、不可能だ」
と匙を投げる有様だった。
そして、今、起きている事態は、その通りの事態だった。
「しかし、教科書通りの攻撃だな」
レヴィンスキー中将は、9月1日に始まった独軍の攻勢を、そう客観的には評価せざるを得なかった。
独陸軍の主力は独本土から、東方へ進撃し、首都ワルシャワを目指す。
プロイセンに展開する北方支隊は、北方から首都ワルシャワを目指す。
そして、新たに事実上領土化したスロバキアに展開する南方支隊は、南方から首都ワルシャワを目指す。
正にプロイセン軍以来の独軍の古典的な殲滅戦理論に則った計画と言えた。
更に、東方からは、赤い津波と化したソ連赤軍の首都ワルシャワを目指した攻勢が、全力で展開されているのである。
ポーランド軍が、自らの国土を守り抜く等、どうにも不可能な有様なのは、明らかだった。
「相手が教科書通りに攻撃を仕掛けてくれるのなら、事前計画通りに防衛するか」
レヴィンスキー中将は、そう決断し、上層部に提言して、それは受け入れられた。
ポーランド軍の主力の徒歩歩兵の多くは、軽戦しつつ、徐々にルーマニア国境方面に交代する。
但し、山岳部隊は、カルパチア山脈を舞台にしたゲリラ戦を展開する。
ポーランド騎兵は、竜騎兵的な運用を基本として行い、騎兵の機動力で、戦線の後方に回り込み、後方部隊を歩兵として襲撃した後は、速やかに騎兵として後退し、独ソ両軍の進撃を妨害するが、最終的には徒歩歩兵と同様の行動を執る。
数少ない(最も装備する戦車のほとんどが、戦車と呼ぶには、おこがましい豆戦車だったが。)戦車部隊と自動車化歩兵部隊は集中して、首都ワルシャワ近辺に展開し、独ソ両軍に対して機動防御を展開した後、首都ワルシャワを枕に散る予定だった。
これは、ポーランド軍の大部分を国外に脱出させると共に、ポーランド軍は、最後まで国土を守ろうとしたのだ、という宣伝を行うためだった。
悲劇と言えば悲劇だが、やむを得ない悲劇だった。
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