第6章ー27
(義)弟がそんな考えをしているとは知る由もなく、岸総司中尉と土方勇少尉達は、ベルゲンからオスロへの進撃を行っていた。
ベルゲン近郊の空港を確保した日英米軍は、空軍機も活用できるようになっており、ノルウェーにおいて完全に航空優勢を確立しつつあった。
こうしたことから、オスロへの進撃を行う日本海兵隊は有利に進撃できてはいたが、やはりある程度は問題が生じていた。
「燃料が後方から順調に届けばな」
「それよりも修理部品が届かないといけませんよ」
4月20日の夜、土方少尉は、部下とやり取りをしていた。
ベルゲンから敗走した独軍は、土方少尉らの見立てによれば、オスロにいる友軍との合流を策したらしく、オスロへとひたすら向かう有様だった。
こういった戦況から、臨時海兵軍団長を務める石原莞爾中将は、零式重戦車を部隊の先頭に立ててのオスロへの急進撃を行うことにした。
だが、余りの急進撃は様々な問題を引き起こした。
最大の問題は、日本海兵隊に蔓延する補給不足、物資の不足だった。
物資が何もかも不足する有様だったのだ。
最も弾薬は、敵と交戦しない限り不足は表面化しないが、それ以外が問題だった。
例えば、糧食は、現地での購入に多くを頼る有様だった。
(皮肉にも、現地購入の方がノルウェー国民の厚意もあり、最終的には安くついたという説もあるが。)
特に燃料と修理部品が問題になった。
燃料は部隊が前進する限り、特に付きまとう問題である。
何しろ後方から道路の渋滞を避けつつ、先頭の部隊に届けないといけないという問題が付きまとう。
また、戦車が最大の問題を引き起こすが、それ以外の自動車等にしても、進撃途中でも故障が多発するという問題を引き起こしてしまう。
そうなると、修理部品が必須という問題が引き起こされる。
こういった問題に、オスロへの進撃を行う日本海兵隊は悪戦苦闘する羽目になったのである。
そのため、石原中将としては、1日60キロの急進撃を行いたかったが、平均すると1日40キロ余りしか進めず、内心で歯ぎしりする想いを石原中将はする羽目になった。
だが、ノルウェーで日本海兵隊を迎え撃った独軍にしてみれば、贅沢な悩みにも程があった。
何しろ独軍は、戦車どころか自動車も無い徒歩歩兵で、戦車を伴い自動車化された日本海兵隊を迎え撃つという困難な戦闘を強いられたからである。
そして、追い打ちを掛けるように、基本的に空を舞うは日米英軍機のみという現実があるのだ。
4月25日、日本海兵隊が迫っているのを察知したオスロを防衛する独軍は、こういった事情から、ヒトラーの死守命令を無視してのオスロからの全面撤退、アーレンダールやクリスティアンサンへの全部隊の転進を決断する。
ヒトラーからは、オスロを死守している間に増援部隊を送るので、何としても死守せよ、もし守り抜けないと判断した場合には、オスロをワルシャワと同様にするように、という命令が出ていたが、オスロを防衛する独軍はそれを無視したのだ。
(実際問題として、オスロを防衛する独軍には、オスロを破壊するだけの爆薬が準備できておらず、ヒトラーの命令はそもそも実施不可能だったという説も強い。)
そもそも合流不可能なナルヴィクに上陸した部隊を除くノルウェーに侵攻した独軍は、ここにアーレンダールやクリスティアンサンへ集結し、独本土(細かく言えば独の占領下にあるデンマーク)への撤退を策す状況になったのである。
そして、日本海兵隊やノルウェー軍は、ノルウェーに侵攻してきた独軍をノルウェーから撤退させるために、アーレンダールやクリスティアンサンへと進撃することになる。
ここに独のノルウェー侵攻作戦は最終段階となった。
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