第2章ー1 独ソのポーランド侵攻
第2章の始まりになります。
何故に、第二次世界大戦の勃発が、9月1日になったかだが、独ソ両国のギリギリの調整の末、というしかないのが事実だった。
1939年8月の時点で、いつ第二次世界大戦が起こってもおかしくない程、世界の緊張が高まっていたとはいえ、独はともかく、ソ連はすぐに第二次世界大戦に突入するまでの準備が整ってはいなかった。
第二次世界大戦が勃発した時点で、英仏はともかく、日本はソ連に対して、積極的に攻撃を仕掛けてくる、とスターリン率いるソ連政府は考えていた。
となると、ソ連政府は、それに対処するための準備をできる限り整えたうえで、第二次世界大戦に突入する必要がある。
具体的には、ソ連は、太平洋艦隊に所属する潜水艦をできる限り、外洋に出撃させておく必要があった。
特に、いざ、第二次世界大戦突入の暁には、ウラジオストック、ペトロバブロフスク=カムチャフスキーといったソ連太平洋艦隊の軍港は、日本海軍によって、機雷等によって封鎖されると考えられていた。
それに、ウラジオストックから出撃するソ連潜水艦は、太平洋に赴こうとすると、どうしても、宗谷、津軽、対馬の三海峡の何れかを通らざるを得ない。
この三海峡にしても、日本海軍によって、封鎖される公算が高い、とソ連海軍は考えざるを得なかった。
勿論、そう言った事態にできる限り対処できるように、様々な対策をソ連海軍は凝らしている。
商船を改造して特設潜水母艦等にした軍艦(中には補給専用と言っても過言ではない潜水艦まであった)を、予め太平洋に展開可能にしており、実際、第二次世界大戦突入直前に、展開させている。
(こういった軍艦の補給に、共産中国は便宜を図ることになっていた、)
とはいえ、潜水艦を出撃させておかないといけないことに変わりはない。
8月下旬、急激に第二次世界大戦突入の危機が高まる中、半ば慌てふためいて、ソ連太平洋艦隊の潜水艦部隊は出撃することになった。
それに、ソ連海軍の他の艦隊、具体的には、北方艦隊やバルト海艦隊所属の潜水艦にしても、そうのんびりと構える訳には行かなかった。
急激に拡大しつつあるとはいえ、独潜水艦部隊は、まだまだ数が揃っておらず、英仏と戦う際には、ソ連潜水艦部隊の協力が必要不可欠だったのである。
これらの艦隊所属の潜水艦も、急いで出撃することになった。
とはいえ、潜水艦の出撃にかまけていて、その間に、ポーランド陸軍の抵抗準備が整っては、独ソ両国の陸軍の損害も、大きなものになってしまう。
独陸軍は、それこそ8月25日には、ポーランド国境を越えて進撃できるだけの準備を整え終わっていたことから、一刻も早い開戦を望んだ。
ソ連陸軍も、独陸軍に少し遅れたが、8月30日には、ポーランドの国境を越える準備を整えることに成功した。
こういったことから、独ソ両国の調整により、9月1日に開戦ということになったのである。
「いよいよ来るべきものが来たか」
ポーランド陸軍のレヴィンスキー中将は、来るべきものが来た、という覚悟を固めて、独ソ両軍が国境を越えたという情報を聞いていた。
ポーランドの地勢や国力上、独ソ両軍から挟撃されては、ポーランド軍に勝算は絶無だった。
国民からの信望を失わないため、ポーランド軍主力は、出来る限り抗戦しつつ、ルーマニア国境方面に退却して、ポーランドから脱出する。
ポーランド軍の一部の部隊は、カルバチア山脈等を拠点にゲリラ、遊撃戦闘を展開する。
これが、レヴィンスキー中将が中心になって立てたポーランド軍の抗戦計画だった。
「さて、どこまで抗戦して、退却できるだろうか」
レヴィンスキー中将は、想いを巡らせた。
敵の独ソ両軍は強力だ、我が軍は苦労するだろう。
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