第6章ー24
ノルウェー上空の航空優勢を独空軍は失い、独海軍の水上艦艇はほぼ海の底とあっては、独陸軍の将兵をノルウェーに幾ら送り込んでも、ノルウェーの制圧は困難で、却って独軍の傷を深めるだけというのが、独軍首脳部にも分かりつつあった。
そして、ノルウェー軍の動員が遅ればせながらも進み、日本海兵隊がベルゲンからオスロへの進撃を進めつつあるとあっては、ノルウェーを独が制圧することは、ますますもって困難としか言いようがなかった。
「余はノルウェーからの退却を断じて許可しない」
とヒトラーが、独軍首脳部に幾ら命じようとも、現実問題として、それは無理なのが、ヒトラー自身にも段々と分かりつつあった。
「最後の一弾まで撃ちつくしたら、ノルウェーにいる独軍の部隊に対して、独本国(実際には独占領下にあるデンマークも含む)への転進、中立国であるスウェーデンへの脱出を許可する」
最終的には、ヒトラーは、独軍首脳部からのたび重なる説得に負けて、終に上記の命令を出すのだが、それはまだ今少し先の話であり、ノルウェーに侵攻した(細かく言えば、沈没した艦艇から脱出し、地上部隊と合流した独海軍将兵や、墜落した独軍機から生きて脱出することに成功した独空軍の将兵も含む)独陸軍の将兵は、大量の血を流す羽目になる。
4月14日朝、ベルゲンからオスロを目指して進撃を開始した日本海兵隊は、1日約40キロという快進撃を行った。
これはノルウェーの国民が、日本海兵隊を味方だとして、歓迎してくれたため、後方を気にせずに進めるという状況から起こったことだった。
オスロを目指している海兵隊の一員である岸三郎中尉にしてみれば、夢のような戦場だった。
かつての中国での戦場では、住民の多くが面従腹背という有様だった。
中には公然と敵意を向けられることもあった。
総司令官である岡村寧次中将の命令により、物資を提供する等の慰撫工作に努めたが、全くの徒労なのではないか、という想いさえする有様だったのだ。
それなのに、ここでは。
「ポンド紙幣を持ってきて良かった。思ったより安く買えた」
補給担当の顔見知りの主計士官がほくほく顔をしながら言っている。
「何を買った」
「新鮮な野菜を農家から買えた。さすがに生鮮食品は運べないからな」
岸中尉が尋ねると、その主計士官は笑いながら言った。
「それはありがたい」
岸中尉も顔をほころばせた。
そして、想いを巡らせた。
中国だったら、まず買えなかった。
いや、下手に売ってきた物を買ったら、毒入りということさえあった。
だが、ここではそんなことはないみたいだ。
ノルウェーの住民は、自分達に素直な笑顔を向けてくれている。
中国とは全く違う。
岸中尉は、ノルウェーという戦場に来たことに喜びさえ、つい感じてしまった。
とは言え、やはり日本とは種類は違い、味も違う。
岸中尉や土方勇少尉達は、微妙な顔をしながら、ポトフに入っているある野菜を食べていた。
「外見はカブのようだが」
「味はカボチャか、ジャガイモか、と言ったところだな」
岸中尉達は、首を捻りながら食べる羽目になり、ある炊事兵から、
「新鮮な野菜が食べられるのに文句を言うのか。文句のある奴は食わんでいいぞ」
と凄まれる羽目になった。
この野菜、実はルタバガというアブラナ科の野菜だった。
日本だと北海道等で作られており、土方勇少尉の祖父、土方勇志伯爵は子どもの頃に育てたことがある。
だが、土方伯爵がこれを見たら、
「孫がこんなものを食べる羽目になるとは」
と嘆いただろう。
土方伯爵にしてみれば、ルタバガは家畜の飼料用だった。
だが、欧州(特に北欧)では、ルタバガは野菜や(最悪の場合)主食としても食べられるものだったのだ。
ところ変われば、品変わるということで、ルタバガを貶める等の意図は全くありませんので、念のために申し添えます。
(例えば、ゴボウは、日本では普通に食用ですが、太平洋戦争では、食習慣にない捕虜に食べさせたために、捕虜虐待の戦犯として最高刑で死刑になった例まであったとwikiでは書いてありました。)
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