第6章ー20
「義弟として誇らしく思うな」
義弟の岸総司中尉の言葉に、暖かみと共に揶揄が含まれているのを察した土方勇少尉は、苦笑いをしながら返すことにした。
「そういう岸中尉の初陣は、どうだったのですか」
「うん。お前と同程度だったな」
岸中尉と土方少尉は、苦笑いを交わしながら語り合っていた。
4月13日の午後、陸続とベルゲン港から上陸してくる日本海兵隊の一員の中に、岸中尉はいた。
それを目ざとく見つけた土方少尉は、義弟の岸中尉と、隙間時間に話し合おうと試み、話し合っていた。
土方少尉は、ベルゲン港近郊への上陸作戦に際して、戦車小隊長として、実際の戦場経験を初めて積むことになっており、実際に戦場の洗礼を受けた身だった。
初陣の若手士官として、それなりに失敗をしてはいるが、致命的な失敗はしておらず、直属の上官ともいえる岡村徳長中佐からは、
「まあ、親友の息子で初陣だから、大負けに負けて及第点を付けてやる」
と声を掛けられていた。
実際問題として、自分の搭乗する戦車も含めて4両の戦車を率い、土方少尉は、上陸作戦からベルゲン港制圧まで戦い抜いたのだが。
独軍の主力対戦車兵器である対戦車銃PzB38/39は、それこそ車体前面の機関銃口の部分しか、零式重戦車の装甲を貫通できないといっても過言ではない有様だった。
そして、集束手榴弾による半ば自爆特攻作戦が、最も有効な対戦車作戦というのが、この時の独軍歩兵の実態という哀しい現実があったのである。
そのため、車体前面の機関銃口を貫通した対戦車銃の銃弾による重傷者を1名出しただけで、土方少尉は初陣を終えることができた。
皮肉なことに、日本海兵隊は、スペイン内戦に参加することで、(自らの用いる対戦車兵器も含めての話になるが)世界最高峰の対戦車兵器への対策に習熟しており、それを生かして準備を整えていたという現実があった。
この当時、最も有力な対戦車兵器となると、対戦車砲だったが、快速の歩兵戦車を基本として、万能戦車となるべく開発された零式重戦車の装甲は恐るべきものだった。
75ミリ級対戦車砲に、射距離500メートルから正面装甲は耐え得ることという条件で零式重戦車は開発された。
また、側面、後面共に37ミリ対戦車砲に射距離100メートルで耐えうることも求められていた。
実際、やや傾斜していることもあり、独軍の37ミリ対戦車砲では、零式重戦車の後面でさえ、200メートル以下の射距離からの射撃でも破壊できなかったという回想が、日独双方で確認できる。
そして、ノルウェー侵攻作戦に投入された独軍において、37ミリ対戦車砲以上の対戦車兵器は無いといっても過言ではなかった。
勿論、独軍歩兵が努力をしなかったわけではない。
例えば、何とか現地調達したガラス瓶を使い、急造の手投げ火炎瓶を作成して、対戦車兵器として活用したという記録が複数遺っている。
しかし、零式重戦車には、余り効かなかった。
零式重戦車は、これまでの戦訓から、塗装を最初から砲塔上面以外は省略しているのが当然とされていた(砲塔上面には、上空支援に当たる友軍機からの誤爆を避けるために、しばしば日の丸を描く等の明認方法を施していた。)。
戦車の塗装に使うのは、基本的に耐水等の観点から(日本を含めて各国ともにそうであったといっても過言ではなかったが)油性塗料が用いられており、火炎瓶から発生した火災が塗料に引火した例が多発していたことから、それを回避するために、無塗装が基本とされていたのである。
更にエンジン部等には、金網を張るという火炎瓶対策が、零式重戦車には施されていた。
このため独軍としては事実上、特攻戦術を使うしかない有様だった。
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