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第一日目 8

 

 奴が部屋に戻ってきたのを見た段階で、火山噴火警報が俺の中でちかちかしていた。D組男子部屋の連中がみな、美里のことでやらしく盛り上がっている中、立村は背を向けたまま浴衣に着替えた。いきなりどこから持ち出したのか、いや持ってきたんだかわからんものを床に軽く突きたてた。一応立村の隣は俺が寝ることになっていたんで、少々びびったのを認めないわけにはいかない。もとい紫色の組紐を握り手のところに施した、おもちゃのちゃちな小刀だった。木製の懐刀、よく悪代官に手篭めにされそうになった女子殿が、「近づいたら死にますわよ」とばかりに自分の咽下へつきたてる、あれだ。そういえば旅行先研究で習ったっけ。ここの地域は木材が有名で、木製の民芸品が有名だとか。長い木刀を買っていったある男子が、しっかり菱本先生に取り上げられ「修学旅行が終わるまで預かっとくぞ!」と怒られたのを俺は見ている。となるとたぶん、売店でたった今、手に入れたのかな。

「いいか、今から俺に話し掛ける奴は」

 立村が切れたら怖い、とは俺も前から知っていたけれど、声が震えそうなくらい激している、というのは初めてかもしれない。もちろん奴の性格根っこは大人しいくそ真面目野郎だし、それを崩すことはない。けど、なんていうかな。水の入った風船を限界まで膨らまして、ちょっとでもつついたら水浸しになって大騒動、って感じのエキサイト状況だった。腹の中であいつ爆発させるからな、何もかも。

「相手かまわず、これでぶん殴るからな」

 ──ぶん殴る、ときたかよ。

 突き立てたまな板程度の木製小刀……しつこいようだが、絶対おもちゃだ。しかし殴られたら確実に痛い……を立村は枕の脇に、おっそろしく静かに置き直した。さっきまで水口の奴が、「なあ、立村ってさあ、清坂があれだって知ってるのかあ?」とか「あれだったら、妊娠しないからチャンスだろ、狙ってるだろ、避妊なしで」とか、頭痛くなるくらいエロネタを叫んでいたのだが、さすがに退いたらしい。みな、素直に黙りこくった。

 襟元をかっちりと締め付け、帯も俺たちよりはかなりきつく結んでいるみたいだった。修学旅行中は絶対ジャージを着たくないというのが、立村なりの反抗だとか。よくわからん。でもまあ、今夜は暑いしジャージよりは浴衣の方が気持ちよく寝れそうだから、俺もしっかり浴衣のお付き合いをさせていただいたけどな。D組男子一同の総合意志で、「なんでいきなりお前怒ってるの? 立村」ってものが浮かび上がっていたのは俺なりにも感じていたんで、

「あ、あのさ、立村」

 声をかけてみようとした。瞬時、

「黙れ」

ときたもんだ。俺もさすがにびびった。にらむ目つきが尋常じゃない。漫画じゃないけど炎が宿っているようだ。目に力が入っている。

「今、お前らが俺に何を聞きたいのか、言いたいのかは十分承知している。夜、何を俺に聞きたいかとかそんなこともな。けど、言っとくけど、そのことで俺は一切、返事をするつもりなしだ。話す気もない。言うなら勝手に言ってろ。だがな」  片膝を布団の中にすべらせ、もう片方の膝を立てた。小刀をもっと深く、立村は握り直すしぐさをした。牽制って奴だ。

「そのことでもし、クラスの連中が女子に対して変なこと言ったところ見つけたら、俺は本気で『弾劾裁判』開くからな。覚悟しとけ」

 ──立村、お前どうしちゃったんだ?

 ──まさかやばい薬とか飲んでねえよなあ。

 ひそひそ声については一切釈明せず、立村は俺たちから背を向けた。横たわり、ご丁寧にも小刀をしっかり胸に抱きしめ、一切動かないまま眠れる物体となった。

 普段だったら、「おい、立村、お前何様のつもりなんだ?」と一発のすのがお約束なんだろう。いくらクラス評議委員で、しかも評議委員長様のお言葉。反発したっておかしくない。けど、なんか部屋の連中は顔をそれぞれ見合わせた後、しずしずと立村から離れた場所にグループを作って、ひそひそ話をしはじめた。女子っぽい雰囲気だがそれもまあ、仕方ないだろう。気まずい雰囲気を何とか取り持とうとするのが立村なんだが、今日は俺が担当になっちまったらしい。しかたない、言うしかない。

「まあしゃあねえだろ。立村も明日になったら少しは機嫌直すだろ? じゃ、俺たちだけでオールナイトフイーバーしようぜ。おやすみなさいましってな」

 しかたないんで、青大附中D組影のリーダー……と人は言う……の俺が間を取り持つことになった。眠れる物体小刀付きが一瞬、あお向けになりぱっちり目を開いた。俺と目と目、見詰め合ってしまった。話し掛けても絶対返事しない、というのは約束どおりだったけれども、視線で柔らかいものがすうっと飛んできた。「感謝!」って返事っぽかった。

 立村とは三年目の付き合いだ。奴のサイン、見逃すような俺じゃない。

 ──やっぱしお前、美里に惚れてるじゃねえの。ったく、めんこい奴。


 まず南雲グループが窓際の椅子とテーブルを占拠した。立村のことなんてすっからかんに忘れたみたく、ひたすらレコードの話ばかりしている。よおわからん。気に入らないのは南雲の奴がしっかり、一切乱れないかっこうで浴衣着ているとこだ。この部屋内で、浴衣着ているのが俺と立村、あと南雲だ。なにきどってるんだかと南雲に関しては言いたくなる。しかも帯、手馴れたみたいにしっかりひし形っぽく結ばれているのが謎だ。俺なんて適当に二回縛っただけだってのにだ。そんなの関係ないんで俺たちも、立村からできるだけ遠くに避難すべく、壁寄りの布団に陣取った。残り、立村の脇あたりでエロ話に盛り上がり始めたのが水口グループ。絶対聞いてるぞ、立村は。弾劾受けても知らねえぞ。

 しゃべる声はどんなにちっちゃくしたって丸ぎこえなのは仕方ないことだ。本当だったらカモフラージュにテレビの音だけつけておきたかったんだが、なんと百円入れて三十分しか見られないというしけた代物。二年の宿泊研修だってもっとましだったぞ! と俺は叫びたいところだが、現状を受け入れるしかない。三グループの会話に、聞きたくねえのに耳を側立てながら、俺は同じグループの連中と噂に興じることになった。女子みたいなことだが、やっぱりいない奴がネタになるのはしかたないこった。立村、覚悟しろよ。今夜はとことん、お前について、聞こえるように、ネタにするからな!


「なんであんなに切れるんだ? 立村の奴」

「まあなあ、奴も、惚れてる弱みってものがあるんじゃねえの」

 俺たちのグループはとにかく、立村と美里の二人を素直に応援してやっている。男と女のべたべたしたことなんて本当はどうだっていいし、南雲みたいに女をとっかえひっかえして、今は奈良岡のねーさんに夢中という節操なしは別としてもだ。なんか恋愛って匂いのあんまりしない立村と、男子連中とは妙に話が盛り上がる美里、取り立てて叩く必要もない、ってのが本音らしい。やっかみはなぜかない。俺以外みな、下の学年で彼女を見つけているってのもあるのかもしれないあ。いいのさ、俺は優ちゃんに操を立てるのさ。

「羽飛もなあ、もう少し妥協してだなあ。鈴蘭優なんかどこがいいんだ?」

「お前、やっぱり生身の女に関心のもてないかわいそうな奴だとか?」

 誤解されたくはないんで、答えておこう。

「ねえわけじゃねえけどさ、めんどくせえ」

 ついでに、我が心の恋人、鈴蘭優ちゃんのプロマイドを生徒手帳から取り出してやる。新曲だって完璧に歌えるぞ。修学旅行でできるだけ金を使いたくないのは、優ちゃんの最新LPが来月出るからなんだな。二千五百円というのはかなり懐痛いが、愛のためだ仕方ない。

「お前鈴蘭優一筋なのはわかるがなあ」

 Tシャツをぱふぱふさせながら、俺に聞いてくる奴ありだ。おおなんでもこい。

「たとえばさ、榛野七草はるのななくさとか、お前好みじゃねえのかよ。鈴蘭優なんて、いっちゃあなんだが、ただろりろりしてるだけだろ? もっとさあ、胸がつんとしてさあ、スタイルよくてさあ、色っぽい感じの子ってだめなのか?」

 ちなみに質問発した奴の彼女は、まさにそのタイプだ。美里に胸の厚みを分けてやりたいもんだって子だ。言ったら双方に半殺しとなるだろうから、あえて言わねえが。

「ほら、清坂に似てるだろ?」

 清坂、って苗字に過剰反応している奴がいる。当然、あの水口だ。南雲もちらっと俺の方を見た。眠れる浴衣物体は特段何も動きなし。でも聞いてるだろう、奴の性格だと。

「似てるかあ?」

 昔、美里が付き合っていた奴が「お前は榛野七草に似ている」とか言ったらしい。まあ、やたらと目がおっきくて、唇がおちょぼなところは似てるといえなくもないが、けど美里は裸にしても楽しくないぞ、きっと。やめとけやめとけ。胸も榛野七草はDカップだってことだし、ついでに言っちゃあなんだが尻もかなりでかい。美里なんて色気さらっさらないし、どこがって俺は思うわけだ。

「立村もなあ、今回のことでかなり動揺しているみたいだなあ」

「一緒に、あれになっちまったって感じだよなあ」

「ばあか、ってことはあいつ実は女だったとか?」

 盛り上がるんだけどすっげえばかばかしい話にうつつを抜かす俺たち。

「いや、やっぱし『女』になっちまったんだろ? 清坂の奴も」

 さっき古川が、「きたないものを見なくちゃいけないから、美里は動揺している」みたいなことを言っていた。古川は正直、嫁の貰い手ないんじゃないかってくらい激しい猥談をかます女子だが、それは鋭い言い方だと俺も思った。ひとりで抜いている時に出る臭い液体、そういうもんを一日中女子は見なくてはならないってことが正しいのならば、だ。洋服とかやたらと女子っぽいものに興味ありげな美里が、大泣きしちまうのもわからなくはない。

 あぶない、普通の声トーンで話続けていたら、絶対「眠れる物体」にぶん殴られる。

 俺なりに気を遣って、もう少し立村から離れられる場所に座りなおした。あぐらをかいて裾のところをすかすかさせた。トランクスが見えるのは別にかまわない。さっき風呂場で中身まで見せびらかしたあとなんだしな。

「部活の後輩でさあ、清坂にちょっくら惚れている奴がいるんだわ」

 思わぬ爆弾発言。さあどうする立村。まだ寝たままか? 俺なりに発言を求められている以上、火を煽り立ててやりたい。いくぞ。

「そりゃあ物好きな奴だなあ。性格知らねえからなあ、そんなこと言えるんじゃねえの」

「そこに寝ている誰かさんも、物好きなのか?」

 一年の三月に美里の奴、卒業する先輩に告白されたらしい。これも古川からの情報。

 もちろん立村命だったあいつは、あっさり振ったらしい。それが美里だ。

 上から下からさらに中からも、ほんとに好かれておめでたいこった。

 まあ、美里はもてても立村以外目に入ってないから、関係ないか。

 

「俺なりに奴がなぜあんな動揺したかを想像するとだ」

 せっかく美里の話をうまく別ネタに持っていこうとしたのに、無理やり蒸し返す奴がいる。ああそりゃあそうだろう。女子の「生理」って俺もよくわからねえもんな。いくら保健の授業で習ったとはいえ、毎月尻から血が出るなんて、女子が全員「痔」になるなんて悲惨だなあと思った程度だった。冗談で小学校の頃から、「修学旅行であれがこなければいいね」なんてからかったりしていたんだが、その時の美里は「あんたもおねしょしなければいいよねえ」だった。小学四年までねしょんべんの直らなかった俺には、否定できないお言葉だった。

「たぶんあいつ、まだ付き合ってすることしてねえんじゃねえの?」

 ──付き合ってすることって、なんだよ。

「手を出してねえよなあ。たぶんな」

 これも俺が確認したことじゃないからわからない。ただまあ、立村も奴なりに考えてはいるらしく、ふたりっきりのクリスマスパーティーを自宅で開いたり……なんてったって手作りの料理を全部用意したってんだから、相当力が入っている……、時々デートなんかもしちゃってるわけなんだから、何もないってわけではないだろう。俺の知らんところで、ちゅーとかしても不思議じゃない。ただ、美里がもしそういう経験した場合、今までのパターンだと俺が一発で見抜く。立村は隠しとおせるかもしれないが、美里はやっても無駄だ。顔に「私は立村くんと……しました」って言葉が書いてあるようなもんだ。残念ながら、美里の演技が上手になったんでなければ、そういう文字は見えない。

「その理由ってのが、まだ清坂が『女』でなかったからってことだったらどうする?」  ──「女」でないって?

 なんか生々しいなあこいつら。尻から血ってことだけで、「女」になるかならないかってことになるのか?

「やっぱしさ、やるには、『女』でなければならねえだろうし。ま、羽飛みてえにロリコンなら」

 言いかけたのをやめさせるには俺の腕力と優ちゃんへの愛で十分だ。

「いてえ、本気だすなやな、腕ひねっちまうんじゃねえの」

「優ちゃんのどこがロリだって言うんだっての」

「だってお前想像つくか? 鈴蘭優が生理だってとこ」

 こいつら命知らずだな、としか言いようがない。思いっきり電子あんま格好でマッサージしてやろうかと思った。

「や、やめろって! 羽飛本気出すなな」

「冗談やめとけって」

 俺が二本の足を持ったまま、ぶうらぶうらと揺らしてやると、口へらねえ奴はまだまだ危険な言葉を発してくる。

「いやなあ、羽飛っていくらでも選り取りみどりに見えるのになあ、もったいねえなってなあ」

 ──なあにが選り取りみどりだよ。

 俺は奴のまたぐらにしゃがみこみ、軽く突きを入れてやった。もちろん、しゃれでだ。急所刺激で悶絶させなんかしない。

「俺の大切なところをなにするんだ羽飛あ! こ、こいつスケベもいいとこ。おおい、立村、評議委員長さま、助けてくれよお」

 もちろんおふざけだってこと、立村も寝ながら感じているんだろ。一切動かない。


 しばらくアホなことをしあって、たまには軽くプロレスの技かけあったりして、夜はふけた。俺なりにいろいろと考えるところもあったのだけれども、修学旅行の夜に意味不明な堅いこと言ってもしょうがない。立村が一切動かないところとか、他のグループ連中がだんだん我を忘れて盛り上がりはじめているところとか、特に水口の奴が美里をはじめとする女子たちのプロポーションチェックと例の写真集の検証についてでかい声で叫んでいるところとか。うるさいはずなんだが立村は全く起きようとしなかった。八割の確率で立村の奴、絶対布団の中で目を開けていると思うんだけどなあ。

「わりい、ちょっとくそしてくるわ」

 ポテトチップスを食いすぎたのか、腹の調子が悪い。

「ほおお、とうとう旅館にて初うんちっすか」

 出すものは出しておいた方がいいってことだ。男子にとって個室で気張ることってかなり神経質になるのはわからなくもないのだが、なにせ長丁場だ。無理なんかせんほうがいい。ただし備え付けのトイレでってのは俺もさすがに、何されるかわからないんで……覗かれる、トイレットペーパー投げ込まれる、実況中継される……身の安全を図って風呂場近くのトイレに行くことにした。

「じゃあ、お前らも無理すんなよ!」 

 気合入れて声をかけ、少々張った腹を押えつつ俺は廊下に出た。やっぱりA、B、C組みな男子連中、盛り上がっているってことが廊下からもわかる。時間を考えるとそろそろ先生連中の身回りが始まるので、このあたり気をつけねば。

 

 ──美里、なにやってるんだよ。泣くんじゃねえよったく。

 女子の部屋前を通る。さっき古川がしゃべっていたことからすると、そうとう美里も精神的に参っているらしい。いわゆる「生理」の初めてって奴がきちまって、ぱにくっているって話だ。まあ、きれいなもんじゃないっていうんだったらわからないこともないが、立村に八つ当たりしてどうするってんだという気もする。

 ──相当、からかわれたかばかにされたかのどっちかだな、立村。

 俺が古川の話を聞く前に、水口たちが「あのな、清坂な、はじめての『初潮』とかで大泣きしてるんだってよ」と楽しげに教えてくれたもんだから、もうD組の男子連中だれも知らない奴なしって状態だった。まあ俺だって、古川につっこまれるまでもなく三年間青大附中の保健体育は授業受けていたし、知らんわけじゃあなかった。すんません、満点だったもんなあ。その個所は。

 けど、他の女子たちが……特に夏、水泳でプールに入る日……とかに、ずっとサイドでジャージ着たまま眺めている姿を見たりしていると、それなりにいろいろ、想像しちまったりもする。ああ、やっぱり、血が出てるのかなあと、まあスケベなことをちらっと考えないわけじゃあない。その女子たちが妙に腹を押えて苦しそうにしているのを見ると、やっぱり女子はめんどくせえなあと、自分が男子に生まれたことを感謝したくなるってわけだ。 小学校時代のガキだったらともかく、まさか今更水口のように盛り上がって騒ぐこともないんじゃねえかと思う。

 けど、古川もずいぶんすげえこと言うなあ。あいつ、嫁の貰い手、ねえぞって感じだ。  ──マヨネーズだぜ、マヨネーズ。

 あいつの弟、立村にめちゃくちゃそっくりで古川姉さんはいつも、立村に使っているスケベネタをかまして凍らせてやっているって話だ。きっと朝パンツ無理やり下げられてべそかいてるんだろうな。哀れなり。

 ま、古川がくっついているんだったら、二日目ご機嫌斜めだろうが、懲りないすい君にからかわれようがなんとかなるだろう。この辺、男子たる俺が心配することじゃねえな。  それに、今回いっちゃん驚いたのは立村の懐刀だ。

 自分の彼女がだ。まあああいうことになっちまって、やいのやいの言われるのは覚悟していただろう。

 たぶん、「そんなの関係ないだろ!」とか言って話を逸らそうとするんだと思っていた。奴らしいから。

 あとで美里の機嫌を取るためにいろいろ動くんだろうとも。けど、立村はやっぱり本気だったんだな。まじで戻ってきた時の目つきは、ぶっちぎれていた。その前に風呂場で裸同士のにらみ合いがあったし、さんざん身体のパーツ関連で菱本先生に批評されたりなんかしていたし、エキサイト指数が高かったのは頷ける。でも、なあ、あそこまでクラスの男子に言うとは。

 ──「俺の女にスケベなネタでつっこもうもんなら、しばくからな!」ってこと言ったようなもんだしなあ。

 まさか、立村がそこまで、とは。あいつもほんと、大人になったもんだ。風呂場で懸命にこそこそしながら身体のパーツ隠さなくたって、俺としては十分あいつを「男」として認めてやるさ。


 すっきり、と一仕事した後、俺は部屋に戻ることにした。

 美里の様子が気にならないこともないんだが、古川とふたりでいる時ならともかくも、女子連中と集まっている中にひとりで入っていくのは自殺行為だ。小学校の頃だったらともかくも、今じゃあ夜中、外で自転車の後ろにのっけて知らない街をぐるり一周なんてできやしない。

 少し汗ばんできたんで、襟元を緩めてみる。夏だったらきっと、うちわと枝豆、ビールは未成年のため禁止ってのりであぐらかきたい気分だろう。まだ一日目、もう少し気張ってみるか。真夜中まで。

「ただいま帰ったぜっと! ん?」

 スリッパの山にしゃがみこむような格好で、誰かがいる。

「どうしたんだよ、あら」

「羽飛、悪いけど、少しだけ話聞いてもらえないかなあ」

 ──ああ、明日のことだよな。

 金沢が黄色いTシャツとジャージ下姿で、俺の顔を見上げた。

 さっき風呂場行きがけに切り出した、あのことだろう。

 悪くない、なかなかこいつの度胸も気に入った。

「オッケー、ここでいいか」

「みんな、あの写真持って、議論してる」

 立村がみんなに千切らせたお姉ちゃん写真で、みんなが盛り上がっている間に金沢の事情も聞き取ってしまおう。

 俺は金沢のしゃがんでいる隣に、少し立てひざ気味にあぐらをかいた。裾をぱたぱたさせてみた。

「明日行く坊さんのところに、絵を届けるだけだろ?」

「時間的にはたぶん、それが精一杯だと思うんだ。けど、できたら」

「できたら?」

 金沢も鼻の下をこすりつつ、唇をぴんと張って、言い切った。

「このままこういう絵を描いてていいのかどうか、聞いてみたいんだ」

 ──はあ?

 とにかく、最初から話を聞かないと、俺の頭ではついていけない。青大附中D組は全体成績がめちゃくちゃいいわけじゃあないのだが、特別な才能ってものを見せつける奴らが非常に多い。懐刀を抱いて眠る自動語学翻訳機にせよ、スケベに目覚めた学年トップにせよ、はんぱじゃあない。俺ってやっぱり普通なんだろうかって情けなくなる。

「とにかく、最初から話せ。でねえと俺、ついていけねえよ」

 弱みを認めることができるのが羽飛貴史のよさだって頼む、優ちゃん、誉めてくれ!


 下が真っ赤なトランクスだってことを、俺は風呂場で確認している。で、今は真っ黄色のTシャツだ。やっぱり金沢の美的センスは派手だ。目がやたらと細くて一見陰気そうに見えるんだが、話してみるとそうでもない。メガネをかけていないのにやぶにらみっぽいのが少々、女子受け悪そうなところあるんだが、結構いい奴なんだよな、金沢は。女子のことなんかでの悪口言い合いに関わろうとしない。ストイックに絵、一筋。確か一年の冬休みに、大人と一緒の展覧会で賞をもらい、売れてしまったりしたという話を聞いている。立村曰く、「さすが天才画家」。天才かどうかはわからねえけど、金沢の描く絵はお上品というか、丁寧というか、こまやかというか。とにかく、目に見えたものとか景色を丹念に細い筆で描いていく。現代美術っていうか、どっかぶっこわれたガラクタを並べたりした絵とか、意味も無く真っ黒い紙を張りまくった部屋とか、そういうものが好きな俺とは正反対の好みだとは思う。けど、悪くはないなあ。職員室に飾られている「校舎風景」は、青大附中の教室の中で、一番きれいなとこばっかり捉えたものだった。こんな教室、普通ねえよ、って感じだ。

 才能は認める、すげえと思う。けど、俺の好みじゃねえ。ごめんな、金沢。

 そんな俺の本音は、とっくの昔に金沢へ伝えてある。だから遠慮ない。

「あのさあ、今年になってから、美術の先生、代わっただろ」

 せっかく、明日行く予定の寺坊主について教えてくれるんだと思ったら、金沢の奴、いきなり話を逸らしやがった。ああそうだな、代わったなあ。二年間お世話になった駒方先生がやめちまったからなあ。今はE組専属の先生やってるってことはここではさておいてだ。

「なんか、俺の絵って、いまいち受けないみたいなんだなって、最近思うんだ」

 ごめん金沢。今の美術の先生、武山先生っていうんだが、俺好みではあるんだ。

「この前の写生の時も、俺が描いた絵を見て、『もっと本気で描いてみろ!』って言われるしさあ。俺、絵には本気も手抜きもないけどさあ」

「好みだって、しゃあねえじゃんかよ。俺だってお前の絵、好みじゃあねえもんな。うまいって思うけど」

「そう言ってたな。羽飛も」

 言っとくが、俺はすべて金沢の絵を否定しているわけじゃあない。二年の宿泊研修中に奴が描いた文集表紙、「虫たちが覗いている宿泊研修の様子」、あれは面白かった。叢の陰からいろんな虫たちがドアップで、バレーボールに熱中している俺たちを観察し、話し合っているっていう怪しい絵だった。いつもの金沢が、ただそのまんまリアルに景色ばっかり写し取っているんでないとこが面白かったなあと思う。まあ、わらじ虫、コガネムシをえらく実物感たっぷりに描かれても怖いものがあるがそれもつっこまないでおこう。

「そういうアンチ金沢派な俺が言うのもなんだけどな、それぞれ好みがあるんだし、先生たちだってそれぞれだと思うけどなあ。今だって駒方先生はお前の絵絶賛してるんだろ?」  金沢は頷いた。けどすぐに首を振った。

「駒方先生の好みは、とにかく物がきれいで上品で、それでいてわかりやすい、そういう絵なんだ。だから、俺の絵は気にいってもらえたんだって、最近わかった」

 そうか、言われてみりゃあその通りだ。

「それで、この前の美術で写生した絵、落とされてさあ」

 ──落ち込むよなあ。わかる、わかるぞ金沢。

 まだ後遺症が残ってるってわけだ。俺としては当然、肩に手を回してとんとんと叩いてやりたい。

「あれは悔しいわなあ。気持ちは察するぜ」

 しばらく金沢はうつむいていた。唇を噛んで、細い目をさらに糸目にしていた。


 金沢が落ち込みのどん底に突き落とされた事件というのは、五月末の美術で、二時間取って写生を学校内にて行ったと言うあれだ。二時間いろんなところでみなグループ組んで、エンピツや色塗ったりやらで遊びまくった。好きな場所で描くことができるっていうのだから、これは二時間の休み時間と同じだ。悪いが俺が描いていたのは最後の十分間だけ。あとはひたすら腕相撲とかプロレスとかやって遊んでいたのは内緒だ。

 すでに俺たちD組の中で金沢の絵については、誰も異論を挟むものなんていなかった。それこそ「天才画家」としてみんな敬っていた。こいつも別に、鼻にかけることはなかったけれども、誉められるのは嬉しいらしく、リクエストにいろいろ俺たちの自画像なんかをプレゼントしてくれた。

 毎年そうなんだが、この写生授業にて飛びぬけて上手な絵を、美術の先生が選んで廊下に数枚貼る、というのが毎年のお約束となっていた。当然、今年も金沢が三年連続飾られるもんだと疑っていなかった。

「なんであいつが飾られるんだって感じだよなあ」

「わかるよ、なぜだか」

 口篭もりたいのも俺にはよーく伝わってくる。なんと今年飾られたのは、A組の片岡司っていういろいろな事情もちの奴だった。すげえ金持ちのぼんぼんで、一年の頃やらかした下着ドロ事件を認めて、女子たちからは今だに顰蹙を買っているって噂を聞いている。授業一緒になることなんてねえし、A組は遠いからどんな奴かわからないし。片岡本人にはあまり関心なんてない。けど、飾られた絵は確かに、すごいもんだった。

 だって、紫陽花の花をだぜ。油絵みたいな感じでチューブから絵の具絞って塗ってってるんだぜ。

 とにかくどぎつい色を使っている。目が飛び出るかと思った。うまく言えねえけど、金沢の絵が写真みたいできれいだとしたら、片岡の絵はインド料理屋のポスターみたいな感じだった。別名「サイケデリック」っていうんだか。

「駒方先生だったら絶対にOK出さないタイプの絵だな、ありゃあ」

「けど、やっぱり、すごいよな」

 金沢ってこういうとこがやっぱり、いい奴だなあと思う。

 こいつ、自分が絵の評価で負けたことをわかっていて、それでも相手のいいとこ、しっかり認めてるんだ。 

 話が飛ぶけど、立村もこういうとこ、しっかり見習えよって言いたい。

 鼻をこすりながら、金沢は目を少し厚めに開いた。

「あの、A組の奴の絵見て、やっぱり俺の絵って、つまんないんだなって思ったんだ」

「だあかあらあ、金沢、人の好みはいろいろあるって俺が言ってるだろ!」

「きっと、他の奴もみんなそれ、わかってるよ」

 わかってないわかってない。美術音痴の立村は絶対に。

 金沢は唇を尖らせながらさらにぐちぐちいい始めた。

「みんな、俺の絵って写真みたいできれいだって誉めてくれたよ。けど、写真みたいな絵って、写真にはかなわないだろ?」

「そんなことねえよ」

「あの、A組の奴の絵は、写真みたいじゃないよな」

「あんな紫陽花が咲いていたら、俺、怖くて寝れねえよ」

 ホラー映画じゃあるまいし。

「これから先、いろんな奴の絵を見ることがあるかもしれないけど、あのA組の奴、あいつの絵って誰もが一発でわかるような気がするんだ。どこに行っても、どこに出回ってても。けど、俺の絵はそうじゃないよな」

 声を震わせ始めた金沢。おいおい、泣くなよ泣くなよ。

「写真とほとんどかわんないなんて、つまんないよ。だからわかった。武山先生の言ってたこと」

 だからなんで泣くんだ金沢。俺、ちり紙もハンカチも持ってねえぞ!

「俺、個性がないんだよ」

 ふすまの影で、他の連中には聞こえないように意識しているのか、泣き声は立てなかった。


 ──あれだけ描けりゃあすげえじゃねえか、って問題じゃねえよなあ。

 不必要な慰めには意味がないような気がしてならないんで、俺は黙ってもう一回、裾を捌き直した。

 俺が金沢の絵を好みでないように、きっと武山先生もそうなんだろう。正直言うと、あのサイケデリックな片岡の絵は、俺にとってかなり頭に一発がちんとくるものだった。ちなみに立村の感想は「怖い」の一言だった。もう少し言うことねえのか、立村!

 けど、それはそれで別だろうとも思う。今ここで、ぐしゅんぐしゅん鼻詰まらせている金沢の価値が減るわけでもないだろうし、駒方先生以外にもあいつの画才を絶賛する奴はたくさんいるわけだ。女子なんて「金沢くんの絵、宝物にするねー!」とかいって盛り上がっている。変な言い方だけど、女子向けなんだな、画風が。そういうところにアピールして、ついでに女子と仲良くなれば金沢にとってハッピーなんじゃねえかと俺は思う。

 けど、金沢の言う「俺、個性がないんだよ」という落ち込みについては、納得したくなるとこもある。

 確かに金沢の絵は、つまんない。これは俺の好みからしてそう、ってだけであって、あいつの分析している通り「写真みたいな絵」なんだな。構成が変わるとすげえおもしろくなる……例の宿泊研修用文集イラスト……のも確かなんだが、普段の金沢はほんっとその辺のどうでもいい景色ばっかり描いている。延々と続くバスの中から見える山々。ずっと眺めていると眠くなる、立村は例外的にバスに酔う、そんな絵なんだな。

「じゃあ、個性、出せばいいじゃねえか」

 だいぶ鼻のすすり上げが納まったところで、俺なりの意見を一言。

「俺も絵のことよくわからねえけどな、あのA組の絵のような真似、したらまずいのか?」

「してるけど、うまくいかない」

 あっそ、確かに画風。正反対だもんなあ。

「だからさ、俺なりに昨日、描いてみたんだ」

 やっと話が繋がった。その絵、今回の旅行に持ってきたってことなんだな。

「どんな絵だよ、見せろよ」

「今はだめだ。リュックの中に入ってる」

 残念。まあそりゃそうだわな。こんなところで公開したら、すい君らの餌食になるのは時間の問題だ。


 金沢の話は以上だった。

 明日行く予定の寺の住職さんは、どうやら金沢の大尊敬している画家さんらしい。その辺は俺もよくわかんないんだが、普段はお寺でお経をあげつつ、暇見つけて芸術的な絵を描いているんだそうだ。前からその人に一度、絵を見てもらいたいと熱望する金沢の気持ちはわからないでもない。けどそれならさっさと、定形外郵便筒型の入れ物に絵をつっこんで、送りつけりゃあいいのに。

「そんな、たくさんいるんだよ。絵を見てほしい人が。俺だけすぐにってことできないよ。よっぽどのことなくちゃ」

「けどなあ、お坊さんだって仕事あるだろうが。いきなりやってきて、すいませんが絵を見てくださいったって、普通は逃げるだろ」

「だからだよ。だから飛び込みで見てもらうんだ」

 ──よくわからねえなあ。

 漫画だと出版社の編集部に見てもらう持込みってやり方があるらしいけれど、金沢みたいな絵の世界でもそれって通じるのか? 「だってなあ、その坊さん、寺にいるかどうか、調べたのかよ。それこそ小坊主こき使って、お経上げている真っ最中だったらどうするんだ?」

「調べてない」

 ──アホか。

「金沢、まさかと思うけど、お前、準備ってしてねえのか?」

 いやあな予感がした。まさかとは思うんだが。ここまで思いつめておいて、まさかおい、ほんとに、飛び込みか?  俺の眼から視線を逸らし、まさにその通りって顔で、金沢の奴、うなだれた。

「立村にも相談してないって言ってたよな」

「修羅場になるだろ。去年の宿泊研修みたく。へたしたらあいつ、停学になっちまうよ」

「じゃあなんで俺にいきなり、今になって相談するんだあ?」

 あっさり答えられてしまい、退くに退けなくなってしまったのは、やっぱり俺の性格か?

「羽飛が、影のD組リーダーだろ?」


 こういう場合、一番頼りになるのは、怒らせたら怖い立村だってこと、誰もがよおく理解しているはずなのだ。  「宿泊研修バス脱出事件」さえ起こさなければ、こんな面倒な相談、全部奴が片付けてくれたんだ。

 前もって準備して、お寺の坊さんに電話するなり、抜け道を見つけたり、うまくしたら先生利用したりとか。

 評議委員長の裏技を酷使して、立村は全力で金沢の希望を叶えてやったに違いない。  それを何か? 何もそういうノウハウ持ってねえ俺に、「影のD組リーダー」として、同じことやれってのか?


「わあった。とにかく明日もっかい相談するか」

 やっと笑顔が戻った金沢に、俺は膝を打って立ち上がった。今夜はほんと、徹夜で相談だ。せっかくひきちぎったきれいなお姉さん写真には悪いが、しばらくかばんの中であはんうふんともだえていてもらおう。

 立村にもしばらくは内緒だ。奴の、停学回避対策だ。

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