第一日目 7
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とにかくこういう場合、パニック起こしている当人をなだめるより、ちゃんとなだめてくれる人を探すこと。そっちの方がベストだと私は思っている。だって美里の泣き喚き方といったら半端じゃなかったんだから。ほんっと、赤ちゃん状態。効く耳なんてどこに置いてきたんだか。しかも理由が「生理」だなんて簡単に口に出せない内容ときたら、いくら美里の大親友羽飛貴史とか、いとしのダーリン立村上総なんか、当然うちの担任菱本先生になんて声かけられやしない。だからといって女子の友だちに応援たのもうったって、美里が今までしてきたことから考えると、そう簡単に味方になってくれるとは思えないし。いやいや、せっかくみんな、部屋の中で楽しくエッチな話に盛り上がっているはずなんだから、邪魔すること自体だめだめだ。
──女子に言わないでって言ったってねえ。
──無理よ、無理。ほんっとに困った子なんだから!
「じゃあちょっとここで大人しくしてなよ。風呂、入らないの?」
首を振ってまたしゃくりあげつづける美里。このまま誰かに見られたらもう、修学旅行始まって以来の恥さらしになってしまう。さすがに友だちとしてそれはかわいそう。
私は美里を軽く押し返すようにして、さっき通った廊下へと戻った。使える人っていったら、やっぱり、天下の保健の先生、これしかない。
大人の使えるところを利用しなくっちゃ、子どもとしてもったいない。
「せんせー!」
もちろん、呼びかけたのは都築先生だけのつもりだった。お姉ちゃんタイプのあの先生、ナプキンをもらいにいった時もそうだけど話がわかる。元気な女子たちには人気があるんだけどな。美里も都築先生だったらそんなにいやがったりしないんじゃないかな。もし殿池先生しかいなかったら万事休すなんだけれども。C組アマゾネス軍団の担任といえば、そうとう迫力ある先生かと思われがちなんだけどそんなことない。なんかぶりっこしたまま歳だけくってしまったっていう、勘違いかわいこちゃんおばさんだ。そんな人に付きまとわれたら美里だってうっとおしいだろう。
「どうしたの?」
戸を開けても声がしないんで、しかたなく部屋まで膝をついた。やっと振り向いてくれたのは、都築先生だった。奥の方でなぜか髪の毛を丁寧にお下げに編んでいるのが殿池先生。だからいい歳なんだし、古きよき時代の女学生ごっこするのはやめなっていいたい。同じこと考えていたかどうか知らないけれど、都築先生は「なんかねえ」とちらっと見ながら私の方へとにじり寄ってきてくれた。
「ちょっと、先生来てほしいんだけど、だめ?」
「え、ええ?」
いきなり困った顔をされてしまった。どうやらタイミングが悪かったらしい。どうしたんだろう。けど切り出さずにはいられないので早口でささやいた。「あの、実は、清坂さんがね、ちょっとお風呂場のとこで泣いちゃってて、手に負えないんだけど。さっき男子たちにエッチなこと言われてからかわれて、それと『あれ』がごっちゃになっちゃって、もうパニック状態なんです。だから」
あれれ、都築先生妙にうんざりって顔をしている。気持ちはどっか別のところって感じだ。
「泣いちゃっててって、でもお風呂に入れば少しは落ち着くんじゃない? 少し一人にしてあげれば大丈夫よ」
私は両手を顔に当てて、美里みたいに泣きじゃくるまねをしてみせた。すぐに外した。
「見てればわかるって、とにかくすごいって」
「あらら」
「いくらなんでも『あれ』のことだから菱本先生にも言いたくないし、もし言ったら美里に縁切られるし、頼みの綱ってことでお願いにきたのになあ」
私が都築先生だったら、これくらい頼み込めば素直に頷いてくれるだろう。一緒に来てくれるだろう。そう思っていた。都築先生は立ち上がり、一度二度足をもぞもぞさせた後、
「ごめんね、これからどうしても、用事があるのよ。すぐに戻るからまず、お風呂に一緒に入れてあげて、少し落ち着かせたほうがいいと思うのよ」
──どうしたんだか、先生。
妙に都築先生は頑なだった。早く解放してよ、と言わんばかりだった。どうしたんだろうこんなにあせって。さては誰かと密会するんだろうか。一瞬妄想「青潟大学附属中学教師同士の愛と憎しみ」劇場を繰り広げた隙に、都築先生はスリッパをさっさと履いて、言い残し去っていった。なんとなくだけど、おっぱいをちょっと抱くような感じで手を置いていたのは私がスケベなせいだけかな。
「殿池先生がいるから、先生に頼めばいいわ。こういう時一番頼れる人だしね」
──何言ってるのよ! 教師でしょうがあなたってば。
思わずかっとなりそうだった。言い返せないのが悔しかった。年齢からしたらやっぱり、あそこの万年ぶりっこおばさんの方に軍配が上がるに違いないもの。筋は通っている。けどだ。
──やっぱり私がくっついていった方がいいのかなあ。大人って使えない時はほんと使えないよね。
「どうしたの? 古川さん」
迷っていた私が馬鹿だった。
全部髪を太いお下げ編みにこしらえた、殿池先生が、だいぶたれた目とほっぺたを、しゃがみこんで私に近づけてきた。化粧っけないから本来の年齢よりはるかにふけて見える、なんてこと言えない。
──美里、ごめん、最悪のパターンよね。
美里の立場からしたら、全身が血と汗の匂いでいっぱい、下着は汚い状態の自分を他人に見られたくないって気持ちでわけわかんなくなっているんだろう。私以外の人には誰にも知られたくないって神経質すぎるくらい神経質にわめくのも、女子同士だものわからなくはない。
でも現実問題、私ひとりでなんとかできるものでもないような気がしていた。結構私だって、ひとりでいろいろと片付けることができるタイプだ。ちゃっちゃか自分の荷物、弟の荷物、父さん母さんの荷物、全部まとめてしまい「さ、あとは寝るだけ」とひっくりかえる、そういう感じが私だろうと思う。けど、やっぱり私の手に余るなあってことは世の中たくさんあるわけで、そういう時はちゃっかり他の子や大人に頼み込んで手伝ってもらう、そういうのも必要じゃないかって気がしている。そっちの方がうまくいって、相手がじゃましなくって、結末がハッピーエンドだったら文句なしってとこだ。今回のことも、なんとなくそうじゃないかなって気がしていた。
私が初めて「あれ」になった時は小学校四年の昼休み、短パンで鬼ごっこしていたら、男子に「あ、古川尻染みついてるぞ」とからかわれ、即、保健室へ。まだ四年だと性教育なんてやってないし、そりゃあ驚いた。とりあえず全部、保健室の先生にお世話になり、生理用のパンツに履き替えて家に帰った。ただ、私の場合周りの男子たちがぼんやりだったのと、女子たちもまだその経験がなかったこととかもあいまって、次の日には自慢げに「私、とうとう妊娠できる体になったのよ! すごいだろー」と言い放ってしまった。周りからは恥ずかしいという声はなく、ただ純粋に「すげー、なにそれ」という質問の嵐だった。
もっとも五、六年に上がると生理が始まる子たちもかなり増え、男子たちも色気づいてきていろいろからかってきたり……今のすい君みたいに……するので、私にもそれなりの羞恥心ってやつが芽生えてきた。今じゃあさすがに、クラスの中で「私さあ、アレでさあ、痛くってさあ」なんて言えない。羽飛がいない時ならかまわないけど、やっぱり、いると、ためらう。私も恋する乙女なんだから。
「あ、あの」
この先生いったい何考えているんだろう。都築先生は素直にジーンズ姿だっていうのに、殿池先生の格好ときたら、花柄の水色ワンピースだ。夜に着るもんじゃないよねって感じだった。
「清坂さんが、どうかしたの?」
笑顔は嘘っぽくないのだけれども、なんか押し付けがましさを感じるのは私だけ?
「いえ、あの、その」
どもるしかない。そういえばC組評議のゆいちゃんが言っていた。
──殿池先生、男子たちを応援するようなことを言っていつのまにか女子の目的を通してしまうんだ。すごいよねえ。
確かに。C組は女子の方が圧倒的に力を持っているけれども、ぼおっとしたタイムトリップタイプの担任が心配で、周りが盛り上げなくちゃと焦っている、そんな感じなんじゃないだろうか。ねちっこくも笑顔で、さらに詰めてくる。
「さっき、お風呂場にいるって言ってたわよね」
「はい」
全部聞かれていたのだろうか。信じられない、地獄耳。
「どこにいるのかしら」
──かしら、なんてお嬢さまぶりっこしているのが気持ち悪いって!
おぞけが立つけれどもしかたない。私は美里に心の中で謝っておいた後、肩を思いっきり落として廊下へ出た。これが美里への「ごめんなさい」のつもりなんだけど。にこやかな殿池先生はわざわざ、自分用の真っ赤な花柄布製スリッパを取り出し、しっかり履いてお風呂場へ先頭切って走り出した。ああ、たぶん修学旅行中美里、口利いてくれないな。
廊下で何人かの女子が美里の様子を見ていたらしくひそひそ声で何か言っていた。さすがに美里も人前ではしゃくりあげるのをこらえていたらしく、タオルとポーチを抱きしめたまま風呂場の前で立ち尽くしていた。さっさとお風呂に入ってれってさっき言ったのに言うこと聞かないんだから、困ったもの。殿池先生は五メートルくらい離れたところでいったん止まった。私が追いつくのを待っていたみたいだった。
「お風呂、まだみたいね。そうよね」
独り言みたいだったんで、私は頷くだけにしておいた。
「古川さん、悪いんだけど、清坂さん用の浴衣、手付かずのがあれば持ってきてもらえないかしら」
また、「かしら」だ。もぞもぞして気持ち悪い。
「それと、もうひとつ、お願いなんだけど」
なに頼むつもりなんだろう。私に向ける笑顔が妙に人懐っこすぎて、重たいんだけど。
「風呂敷でもなんでもいいの。清坂さんの着替え包むものがあれば、それも持ってきてほしいの。あとは大丈夫よ」
──なにが大丈夫なんだか。
つくづく、恨みたくなる。どこぞの誰かとデートに出かけたであろう……この辺は妄想だけど、そういう理由でもないと納得できない……都築先生を。しかたなく言われた通りにするため背を向けた私は、後ろで声をかけている殿池先生の様子をちょこっとだけうかがった。
「清坂さん、大丈夫よ。お風呂、まだね。じゃあ、、こちらの部屋へいらっしゃい」
背中をさするようにして、殿池先生が美里を片腕で抱くようにして誘うのが見える。
──美里ももっとしゃんとしなよ!
言いたくなる。振り返った私のにらみつける目を見て、またしゃくりあげた後、うなだれて小股に歩いていった。ずっとさすり続けている殿池先生の手、気持ち悪くないんだろうか。普段の美里だったら言うだろうにな。「あの先生、なんか歳に合わないぶりっ子って感じで、気持ち悪いよね」と。そう言わないで素直になっているってのが、どうも私には気に食わない。
先生の言うことは絶対なんだからしかたない。私がD組女子部屋に戻ると、十三人の女子連中が私を興味津々、といった顔で出迎えた。そりゃそうだろう。美里が部屋を出て行くところからして、疑惑ありげだったんだから。みな詳しい事情、そりゃあ聞きたいでしょう。私だって状況が状況でなければ素直に話すけれども、そういうわけ、いかない。
「あのさ、美里どうしたの?」
この言葉は仲良しなグループの子。この子には後で話してもいい。
「清坂さん、さっきおなかおさえてたよねえ。どうしたの」
こちらはちょっと美里と反りの合わないタイプのグループ。この辺には内緒にしとこう。
「さっき男子たちが話してたの聞いたんだけどさ、清坂さん風呂場の前で泣いてたってほんと?」
こちらも美里と一回どんぱちやったことのある子だ。やめておこう。
もし別グループにしっかり女子たちが住み分けされて、それで固まってるのだったら「実はね、美里あれになっちゃってちっとばかり、情緒不安定なのよねえ」と話すこともできるだろうが、今はなぜか全員、布団の上でジャージ姿、膝を抱えている。きっと美里のことでネタ、盛り上がってたんだろう。
けど、言えないよ、本当のことなんて。
美里の親友として、この辺の仁義は通す。
「いや、ちょっとね、具合悪くなっちゃったみたいなんだよね。美里。だからちょっと、別の部屋で休んでるんだ。なんでもないってば」
そう言いつつも、二十六の瞳にしっかり見つめられている私の立場。しっかり風呂敷か紙袋を探し、美里の布団からのりの効いた浴衣を引っ張り出し、ついでに赤い帯も持っていく。これって、何かがあったんだとしか思えないだろう。そうだろうそうだろう。
「こずえ、どうしたの? 美里、別の部屋ってどこ? 私も手伝おうか?」
もうひとり、こちらは美里応援派。唯一事情を知る彰子ちゃんがその子の肩に手を置いて、いきなりトランプを取り出した。私には笑顔だけ。たぶん南雲がなめるように愛しちゃっている天然の彰子ちゃんスマイルを振りまいて、
「美里ちゃんにはあとで様子、私見てくるから。トランプやろうよ! 負けた人は一曲歌いましょ!」
と、無理やり真剣勝負のトランプ大会に引きずり込んでしまった。女子たちは基本として、音痴が多いから、負けたくないだろうなと思う。関係ないけれど二年時のクラス対抗合唱大会でさんざん馬鹿にされたのは、うちのクラスだ。まったくもってもう。
──彰子ちゃん、サンクス。
あとで美里にも謝らせないとね! 「ぶたのしっぽ」用にぐるっとトランプを丸く広げた彰子ちゃんへ両手を合わせ、私は必要なものを全部持ち、行くべき場所へ行くことにした。ほんと、女子同士のお付き合いは面倒極まりない。
廊下を通り、たぶん美里が連れ込まれているであろう部屋へと向かった。
途中、やっぱりというかなんというか、羽飛がD組男子部屋の入り口で待ち構えていたのにはちょっとあきれたけれども。私の顔を見るなり、軽く手を挙げて呼び寄せるしぐさをした。私のことではそんなこと、全然しないくせに。美里と鈴蘭優のことだけは別みたいだ。
「なによ」
もう向こうは私の気持ちを重々承知で、その上で振ってくれちゃっているんだから、隠し立てすることはない。
「美里のことでしょが」
羽飛は浴衣姿だった。よくわからないけれど男子たちは大抵、ジャージで寝るって聞いていたんだけどな。背が気持ちいいくらい伸びていて、やっぱり惚れてしまう。三年になってからいかにもスポーツマンっぽい雰囲気が漂ってきて、うーん、帰宅部なのがもったいないって思ってしまう今日この頃だ。ほんと、バスケ部に入ればもてもてなんだろうけどな。「なんか騒ぎだってな」
「立村から聞いたの?」
彼女が恥ずかしさで死にそうになってるのに彼氏の風上にも置けない奴だ。成敗してくれる、と思ったらあっさり否定してくれた。
「違う。全クラスの男子連中が知ってるってな」
「うそお」
口が埴輪になってしまいそうだった。私の持っている美里用の着替え浴衣をちらっと見て、「あいつ、泣いてるのか」
「どうせ知っているんだったら言うことないんじゃないの。あんたが心配なのはよっくわかるけど、この辺は女子でないと片付かないことだから、そっとしておいてやんな」
「それならそれでいいけどなあ、古川、ただな」
あたりをちろちろ見渡し、くそ真面目な顔で私にかがみこんだ。これ、私だけのためにだったら「ハッピー!」って踊っちゃうのに。ああ、美里でなくちゃ、こういう気持ちにさせられないんだねきっと。一瞬、こいつの大好きなアイドル「鈴蘭優」に魔女っ子バトンで変身できたらなって、叶わぬことを考えちゃった。
「『生理』ってそんなに泣き喚きたくなるほど、痛いのかよ」
「はあ?」
羽飛じゃなかったら、すい君と同じように耳を引っ張り上げて、「あんた時と場合を考えなよ、こういう話はね、ギャグと一緒にするもんなんだって。こういうしゃれにならない時に聞くと一気に暗くなるんだわよ」と、最後股間に蹴り一発決めて終わるのだけれども、そういうわけには行かなさそうだ。私が、できない。
「あいつが泣くなんて、よっぽどのことだぞ」
──やっぱり、美里のことだけは、心配してるんだ。
ちろっと、心のどこかが痒くなった。
いつも見ない、聞かない、知らない振りして羽飛に話し掛けてきたけれども、きちんと話をしてくれたりするのは美里と立村がらみのことばっかりだった。私のこと、個人的話は全然、興味持ってくれない。
「あんただって性教育男子の部ちゃんとやったでしょが」
「美里が全男子のネタになるようなことだとは聞いてねえぞ!」
──やっぱり、あんたも美里なんだ。
すっごく美里が私にとっていい子だから、黙って聞いていられるけれども、もし羽飛に熱を上げている他の女子だったら決していい気はしないと思う。羽飛が言うには、美里こそ自分にとって一番の仲良しだし、男子の親友……のようには見えないけど……の立村の彼女だし、女子の仲でも特別な位置にあることは知っている。「恋愛感情」とは別なんだっていつも何かの降りには話している。けど、ごみみたいにそんな分別できるものなのかな? 恋愛感情って。私には、みな同じにしか見えない。美里がなんとなく、他の女子たちから一線引かれた態度をたまに取られる理由の一つには、そこんところもあると思うんだ。
「まあねえ、確かにしんどいことはしんどいよね」
羽飛にエッチねたをかますのは抵抗があるけれど、しかたない。
「てかね、おなかが痛いからじゃないんだわ。美里がパニクってるのは」
「じゃあなんだ?」
「私もわかんないけどね」
しかたない。さらに下ネタ好きの古川さんとして、羽飛に聞いてやろう。
「あんた、初めての精通っていつ?」
「立村に聞くことと同じこと、聞くよなお前」
──お前、だって。
なんとなくどきんとする。
立村もそうだけど、羽飛も答えない。男子も言いたくないんだろうな、と思う。
「それってさ、私も青大附中の性教育しか受けてないけどさ、きれいなもんなの?」
「きれいって古川もずいぶんすげえこと聞くよな」
「きれいかきたないか、どっちかって聞いてるのよ」
すい君だったらあっさりと「パンツ夜中でも履き替えなくちゃいけないからめんどうなんだあ」と言うだろう。実際そう言っていたのを聞いたことがある。羽飛は思いっきり顔をしかめ、片手を腰にやった。背中を向け、また私に向いた。
「きれい、じゃあねえよなあ」
「でしょが。美里も同じなのよ」
私はさらに畳み掛けた。
「ただおなか痛いんだったら胃薬飲めばいいのよ。ただね、生理ってのはなんてっか、あんたらの精通とおんなじく、きれいなもんじゃあないわけよ。人に見せられるもんじゃあないわけよ。羽飛さあ、あんた、夢精して白いねばねばマヨネーズがくっついているパンツ、人に見せられる?」
あらら、私もすごいこと言ってる。口をあけかけている羽飛には悪いけど、私だってさっきの美里の態度には少なからず傷つけられているんだから。少しは責任取りなさいよ。
「古川、お前さあ」
「まあ男子だったら昼間にそういうことってめったにないだろうから、あまり気にしないかもしれないけど、女子の場合は大変なのよ。授業中も、バスの中も、お風呂の中も、みんな汚いもんを見なくちゃいけないわけなんだもん。基本的に女子は汚いもの嫌いだからね。美里だってそんなもの見たらそりゃあパニくるわよ」
理解したのかどうか知らないけれど、羽飛は首を二回、三回と回した後、私を見た。
「すげえわかりやすい解説、サンキュ」
ほんとにわかったんだろうか。私は黙って羽飛が部屋に入っていくのを見届けた。
まだ都築先生は帰ってきていないみたいだった。やっぱり誰かとデートなんだろうか。
「ありがとう、古川さん」
美里はいなかった。どうやらシャワーを浴びているらしい。小部屋の方で水音がかなりしていた。私が持ってきた手提げ紙袋を手渡すと、殿池先生はそそくさと美里の着ていたジャージ一式を袋に詰めた。
「あ、たぶんナプキンは持っていると思います」
「あらよかった。それでね古川さん。今夜、清坂さんはこの部屋でひとりで寝たほうがいいんじゃないかと思うのよ。そのあたり、菱本先生にも話しておくから」
あちゃあ、それはまずいよ。思わず口を開きかけた。
「少し彼女も、動揺が激しいみたいだから」
それは私だってわかってるって。この先生、いったい何考えているんだろう。修学旅行、そりゃあいろいろ美里が大変なことになっているのはわかっているけれども、友だち同士で夜中語り合うことを楽しみにしてるかなんて全然気付いてないんだろうな、この先生。
「あのけど、都築先生だっていると思うし」
「ああ、都築先生はね、別部屋で泊ることになっているの」
ええ? つまりなにか? 都築先生ってもしかして、もう殿池先生とバトルやらかして部屋を替わったとかそういうわけなんだろうか?
「だから、私ひとりだし、清坂さんひとりくらいだったら大丈夫なのよ」
殿池先生はにこやかに微笑んだ。この顔がまだ私たちと同年代だったら、可愛いとも思われるんだろうけれども、四十過ぎていると思われる身体つきと骨ばった腕、たれた頬。これは気持ち悪い以外の何者でもないだろうな。かわいそうな美里。勝ち目、ないね。
紙袋に詰めた衣類を先生は素早く口閉めをした。
「ここの旅館ね、コインランドリーがあるから、すぐに洗濯できるのよ。しかも自動乾燥機までついているんだもの。便利よね」
「洗濯するんですか」
てっきりそのまんま持って帰るんだと思っていた。先生は首を振った。
「やはり匂いが、どうしても気になってしまうでしょう。大人だったら香水とかオーデコロンを振り掛けるという手もあるけれど、さすがにそれは校則違反でしょ」
まあ、それはそうだと思う。
「下着もジャージも全部洗濯して、さっぱりしたらだいぶ気分も変わるわよ。そうだ、せっかくだったら古川さんも一緒に洗ってあげようか?」
遠慮させていただきます。楽しそうに世話焼きに勤める殿池先生を観察するにとどめた。またシャワーのある小部屋へ向かい、「清坂さん、下着も一緒に持っていくから。大丈夫。今夜中には全部乾くからね。それと着替えはこちらの新しいもの使ってね。それと、ナプキンは二枚、つないでとめたほうがいいわよ。お布団はひいておくからね」
──この人、やっぱり変だよね。
私も相当、世話焼き女だと思うけれども、殿池先生のしてくれていることって美里の喜ぶことなのかどうか、わからない。
「じゃあ、せっかくだし、古川さんも清坂さんが上がったら、ハーブティーを飲んでいきなさいね。飲んだことある?」
ありませんって。
「ちゃんと専用の急須とお茶碗も持ってきたのよ。気を取り入れるためにはガラスとかプラスチックよりも、ちゃんとした陶器の方がいいのよ。風水ではそうみたいなのよ」
──風水って、この先生、いったい何考えているんだか。
私がぽかんと口を開けている中、殿池先生は嬉々としてティーパックを取り出した。
美里が髪の毛に櫛を太く通した状態でシャワーの個室から出てきた。私の持ってきた浴衣に着替え、赤地に白い刺繍をほどこした帯を締め、殿池先生に向かい一礼した。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「古川さんに、あやまってあげてね」
私がむっとしている顔しているのに気付いたんだろう。いきなりうるうる目になっちゃった。
「こずえ、ごめんね。私」
「いいっていいって。それよかさ、殿池先生がお茶出してくれるって」
ほんとはもう一言二言文句言ってやりたいけれど、また泣かれたら手におえないもんね。
ハーブティーというのは私も飲んだことがなかった。名前だけは聞いたことがある。ピーターラビットのお母さんが、おなかを壊したピーターラビットに作ってあげるおかゆの原料ということくらいは知っている。美里なら詳しそうだ。
「あんた、ハーブティーって知ってる?」
「うん」
言葉少なだった。
「今夜、ここに泊ってくの。ま、それのほうがいいかもね」
少し考えて私もそう思えるようになった。だって、たぶん女子部屋の中でも美里があれだってことは知れ渡っているはずだもの。どうせ明日になったら男子にもばればれだってことが判明するんだし仕方ないといえばそれまでだけど。なにせ羽飛にも聞かれたんだから。「もう、戻れないよね」
「まあいいじゃん。明日は明日の風が吹くって!」
先生がお上品に淹れてくれたハーブティーを二人一緒に、すすった。苦い。お茶っていうよりも、これって薬だよ。漢方薬って奴だろうか。
「先生これ、毒入ってないよねえ」
「やっぱり古川さんには口に合わなかった?」
にっこりしたまま殿池先生はさらに、ビスケットを一箱広げてくれた。
「でもね、カモミールのハーブティーはね、神経を落ち着かせる作用を持つのよ。清坂さんも、これを熱いうちに少しずつ飲んでいくと、だんだん気持ちが穏やかになってくるのがわかるはずよ。今夜は、早く休んで、また明日元気におなりなさいね」
また汗をかきそうだ。隣でうなだれている美里を見ると、なんだか殿池先生の魔法にかけられたような顔をして、神妙に口に運んでいる。
「ごめんなさい、私、どうかしてました」
「初めてだもの、びっくりしてしまうわよね。でも、早いうちにこういう時、どうすればいいかを覚えておけば、明日から上手にできるでしょ。結果オーライ、万事よしよ」
──ほんとなんだろうか。
無理やり苦いお茶を飲み干した後、私はD組の部屋へ戻ることにした。
「美里、じゃあ明日呼びに来るからね」
「ありがとう、ごめんね」
しおらしい美里は伏せ目勝ちに、お礼を言ってくれた。この調子だと明日は大丈夫だろう。
部屋に戻った。女子部屋では「ぶたのしっぽ」が2グループに分かれて行われている様子だった。辛気臭い美里たちの部屋空気を忘れたいので、彰子ちゃんグループに混ぜてもらおうと座り込んだ瞬間、別グループの女子のささやきが耳に入りぞっとした。タイミング、悪すぎるって、美里。
「なんかさあ、おねしょが直らない人がまだいるらしいよ」
髪を指先で少しずつ丸め、ピンで上手に留めながら一人が言う。相槌打つのはもう一人。悪いけど美里とは仲良くない子だから私は無視を通す。
「ええ? 中学生にもなってまだ布団に地図なんて描いてるわけ?」
「だから、都築先生と一緒の部屋に泊ることにするんだって。適当に理由つけて。そいで真夜中に起こしてもらってトイレにいって、して、また寝るんだってさ」
「信じられないよね。けど、どこのクラスの子かなあ」
「知らないけど、あとで先生たちの部屋に行けばわかるんじゃない? たぶん、女子だよ」「うわあ、恥ずかしすぎるう!」
その噂は前々から聞いていた。小学校の修学旅行でもおねしょが直らない男子がいた。勇気ある告白を、現在色気づき真っ最中のすい君もしていたじゃないか。去年の宿泊研修中、しっかり菱本先生と立村に起こしてもらう約束してたって。
けど、今、あの部屋で一緒に寝ることになっているのは美里なんだけどな。
殿池先生の様子だと、美里以外あの部屋で寝る人はいそうにない。都築先生も別室に行ったということらしいから、噂の彼女はきっと、そっちで泊るんだろう。女子合わせて六十人いるかいないかなんだから、明日になったら一発でわかる。
──けどなあ、美里、誤解されてもしょうがないシュチュエーションだよなあ。
この部屋には戻ってこないだろう。今夜のとこは。そうなったら、美里とにらみ合いしているD組女子一部グループは今の話を美里に当てはめて考えるかもしれない。本当のことをちゃんと話して誤解を解いておけば別にかまわないんだろうけれど、「美里がさあ、生理になっちゃってパニくって泣いてひどくって、殿池先生のところでお守りしてもらう予定なんだ」なんて言ったら半殺しにされちゃうだろう。死んでも今の美里は「生理」だなんて二文字を口には出せない。
── 頭、痛い。どこまで誤解生じるんだか。だからあっさり「生理になっちゃったの」って告白すればよかったんだよ! まったく、手間の掛かる子なんだから! 美里ってば!