第一日目 5
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風呂場のことは一切思い出したくない。食事の時に菱本先生にしつこいくらいむかつく言葉を並べたてられたのも聞いてない振りをして乗りきった。なにはともあれひとまず終わったとこで、僕は評議連中男女問わず集合をかけることにした。旅行前からもう決まっていることだったし、それほど話し合うこともないのだけれども、一応自分らが「青大附中の評議委員」であるプライドを保つために必要かな、ということでだった。
清坂氏だけはそのまま寝せておくことにした。
なにせ、夕食すら食べるのが辛いということだったから。
他クラスの奴から「あれなんじゃねえの?」とささやかれたけれども、「あれ」ってなんだ?ということで流した。いろいろ事情があるんだろう。
古川さんにも、
「今日は美里をほっといたほういいよ」
と、若干命令じみた言い方で言われた。姉さんの言うことには逆らえない。
男子四人、女子三人で旅館の中庭に集合。まあここ最近の男女仲の悪さを考えて、早めに切り上げようと思っていた。僕が一方的に、
「とりあえず女子の方なんだけど、体調悪い人とかいるようだったら、俺たちの方でも協力するから言ってほしいんだ。酔い止めとか胃薬とかみんな俺が預かっているから。それからさ」
適度な事務連絡だけして、やたらとにらみ合っている連中を解散させて終り、のはずだった。素直にひっこんだはずだった。なのにだ。
──まずいな、この流れ。
蚊が飛び交ってる廊下前、なんでだろう。女子ひとり、男子ふたりでにらみ合っているってのは困る。B組の女子評議は先生に捕まったらしくいなかったけれども、C組の女子評議と、なぜか更科が矢を放ちあうような格好で立ち止まっている。少なくとも愛の告白めいた雰囲気ではない。
──霧島さん、すごい目してるなあ。
アマゾネスC組の女子評議といえば、気性の激しい女子たちをまとめていることで有名だ。見た目華奢に見える霧島さんのどこにそんな力があるのだろうと、みな噂しているけれども、評議三年やっていたらだいたい見えてくる。大抵の女子評議がらみ事件の首謀者はこの人だ。ここ数回、本当に頭が痛くなること、増えている。
「いや、あれは自然に伝わったことであって」
「自然に、そういう詳しい情報がなぜ伝わるの?」
穏やかに聞こえる霧島さんの言い方だけど、僕にはわかる。一メートル以内に近づいたら感電しそうなほどに憤っている可能性大だ。更科もさらさらの髪の毛を一本、二本と抜くようなしぐさをして、雰囲気をお笑いにしようとしている。わが身を守りたいのだろう。気持ちはわかる。
「男子にはわからないかもしれないけど、女子にとっては死にたいくらい恥ずかしいことなのよ。それを男子たちのネタにするなんて、最低すぎる」
「俺はたまたま、話を聞いただけなんだよ。たまたま、先生のところに行って」
「聞いたなら聞いたでしかたないけど、どうしてそれを男子に話したわけ」
なにか失言やらかしたのだろうか、更科。
「だってさあ」
僕がふたりの側に立って全部話を聞いていることなんて気付いていないんだろうか。更科の奴、すっかりあせって足をもじもじさせている。ジャージズボンのポケットをまさぐっている。
「俺、聞いたことの半分も理解できなかったしね。それ、他の奴から聞いてみたかったんだ」「嘘。知らないわけないじゃないのよ」「だって、わからないことは、ちゃんと聞いたほうがいいって、うちの先生、いつも言ってるだろ?」
どうやらC組評議同士での小競り合いがあったらしい。二年冬のビデオ演劇「奇岩城」以降、いろいろな出来事がきっかけで三年評議の男女仲に翳りが出てきたのは重々承知だ。特に霧島さんが女子たちの代表として男子たちにつっかかってくるのも、目立ったことだったし僕もたまに説明させてもらったりしている。三年に入ってからはほとんどの問題が片付いたこともあって落ち着いた状態となったはずだった。
少なくとも、修学旅行前までは。
「更科どうしたんだよ」
霧島さんには視線で、できるだけ優しくみえるような感じで顔を向けた。僕の顔を見たとたん霧島さんは、唇をかみ締めるようにして口を引き締めた。
「立村くんには関係ないわよ。C組同士のことよ」
「いや、厳密にはD組関係のことだと思うけどな」
脳天気な返事を僕には返す更科。向こうの反応ありと読み取ったのか自信ありげだ。 ──D組?
霧島さんには悪いけど、D組からみだったら僕が間に入らざるをえない。自分の経験上、「D組がらみ」の問題では何事もなく納まった経験がこれまで一度もない。因果なクラス、かつ因果な立場だ評議委員長というのは。
「おせっかいかもしれないけど、なんかあったのか?」
「うん、実はさあ」
どうやら更科の奴、言いたくてうずうずしていたらしい。またいつもの小学生ぽい目つきで僕を見上げ、次に霧島さんをにやりと見つめた。
「霧島の言うことによるとさ、俺がたまたま聞いた話を、うちの男子連中に話してしまったことが悪いことだったらしいんだよね。単に、わからないからどういうことなのかって聞きたかったのにさ」
「やめなさいよあんた!」
「だってこれってさ、D組の話だろ? それに立村もそのあたりはこれから知っておいた方がいいと思うんだ。だって周りの人たちだって迷惑するしさ」
「あんた常識持ってるの! やめなさい」
心なしか、霧島さんの声には泣き声が混じっている風に聞こえた。無理強いはできないけど理由は知りたい。
「いや、無理やり聞くつもりはないよ。ただ、あまりにもあんまりだったらと思ったんだ。うちのクラスの奴で誰かのことか?」
さっき霧島さんが「女子にとっては」とか、女子限定のような発言をしていたことを考えて、たぶんうちのクラスの女子に関することだろう。ああ、面倒だ。できればああいう女子関連のことは清坂氏に全部任せたいところなんだ。ああいうのって、本当に清坂氏は上手なんだ。僕が言ったらきっと馬鹿にされてしまうようなことでも、清坂氏が指示をするとするするとまとまっていく。たまに古川さんから、「美里も敵作りやすいからねえ」と愚痴を聞くこともあるけれども、それはそれだろう。相棒としては最強の人だ。
「うん、ほらあいつのこと」
「更科!」
──まずい、やられるぞ更科。
腕を捕まれた瞬間、更科も次に何が待ち構えているかすぐに勘付いたらしい。
「た、助けてー!」
声はちゃんと調節済みだ。先生たちに聞こえたら別の意味で面倒だ。両手で更科の手首を握り締め、霧島さんが思い切りひねろうとする。下手したら折れる。とにかく割って入るしかない。僕は霧島さんの手を和ませるように叩いた。いやらしくならない程度に、気をつけている。
「だめだって、話を聞かないと先に進まないんだし。別に俺、話聞いても他の奴になんて言わないからさ。ただ、うちのクラスいろいろ問題抱えているから知っておきたいだけなんだよ」
なだめるように、穏やかに話すのが僕のやり方だ。前評議委員長・本条先輩だったらここで思いっきり一喝し、「いいかげんにしろ! なんでも腕力で片付けようってのはな弱虫のやることだっつうんだよ!」とわめくんだろうが。僕にはできない。
「だめなの、絶対に、だめなの」
大抵、霧島さんはこのあたりで頷いて手を離してくれるはずなのに、今は違う。僕と目を合わせてすぐに逸らし、また更科の両手首を後ろに回してひねろうとする。もっと本気で抵抗すれば、あっさり離れるだろうに更科もなぜやられたまんまにしているのだろう。「いてえ、やめろよお」
いきなり後ろに背の高い奴の気配あり。
「今、後ろに規律委員長、通るぜ」
──青大附中のシャーロック・ホームズだ。
霧島さんの真後ろに、浴衣姿をはだけて着こなした難波だった。メガネをかけたまま、懐手で肩を揺らしていた。
「思い出したくないだろうなあ、あそこまであっさり振られたらなあ」
「難波!」
次の瞬間、更科よりも難波の方に攻撃ターゲット変更となったのは、きっと難波の読み違いだろう。遠慮なく霧島さんは、難波の腰に巻かれていた帯を一気に解き放った。見たくもない水色のトランクスと浮き出たあばら骨が、僕、霧島さん、更科の前にさらけ出されたわけだ。
「あら、着てたの」
あわてて前をかき合わせる難波を憎憎しげに見つめるのは霧島さんひとりだった。僕と更科はすでに部外者になってしまっているんだと、改めて思った。
「また始まるよな」
「ああ、派手にならないうちに、片付けような」
D組女子のどうたらこうたらは後回し。まずは現在天敵同士となったB組男子評議VSC組女子評議の対決を見守ることにした。人の少ない廊下だったのが幸いだ。やっぱり評議だけに声は低めて、後ろ通り過ぎる奴には単なるたむろと思われるように。
「あれ、りっちゃん、どうした」
難波の言うことは本当だった。なぐちゃん……現規律委員長・南雲秋世が、完璧にドライヤーで前髪を固め、びしっと浴衣を着こなしてさらっとスリッパの音響かせつつ去っていった。霧島さんはしばらく無言のまま、うなだれたままだった。
──なぐちゃんに振られた女子は別に、霧島さんだけじゃあないのにな。
この辺、二年の冬までは禁句だったのにだ。複雑な関係だ。
「いいかげん女子は男子に従って大人しくしていろと言っているだろう」
──また始まったよ。
更科と僕は顔を見合わせた。何度も言うようだけど、二年の三学期から始まった難波の嫌味、同じ男子としてもいらいらしてくるものがある。
「だいたい、今まで俺たちがずっと我慢してきたから、女子たちも自由に動き回れたんであって、女子たちのしでかした後始末を立村とか俺とかが片付けるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ」
──難波、お前手伝ってくれたか?
その辺はつっこみたいところだががまんする。霧島さんが口を開きかけ、指をつきつけようとしたところを難波はきざっぽく前髪をかきあげた。悪いけどやめたほうがいい。額、今のうちから巻き上がっていることを僕たちは知っている。
「ビデオ演劇であれだけ天羽が嫌がっているのになんで女子は、西月を無理やりレイモンドに押し込もうとしたんだ? 男子たちからしたら天羽が最初から社交辞令で西月の機嫌とっていることなんて見え見えだったんだぞ?」
「そんなこと教えてくれなかったじゃないの!」
このあたりは僕も共感するけれど、言い方をもっと考えるべきだと思う。
「見ていればわかるだろ? 最初から天羽の奴、西月がいそいそと寄り添ってくるなり、すぐ俺とか更科とか立村とか読んで、絶対一対一にならないようにしていただろ?」
「そりゃあ評議委員同士だもの、当然気を遣うじゃない」
「はあ? あれだけ露骨に嫌がられてて、逃げられていたのにか?」
青大附中のシャーロック・ホームズ様は相変わらず鋭いところをつく。確かに「奇岩城」事件については現三年女子に責任があると思う。僕も一度だけど、清坂氏にきついことを言ったことがある。A組評議の天羽が、二年時まで評議の相棒を務めてくれていた西月さんへ、女子たちの陰謀によりむりやり告白させられ、記念にビデオ演劇の主役カップルを押し付けられたという事件。もっともあれは天羽にも問題があった。難波は最初から気付いていたらしいけれども何にも言わなかったし、僕は全くあのふたりが仲良しだということを疑うことすらしなかった。更科だけがなんとなく、違和感ありありな顔をしていてそちらの方が気になった程度だった。女子たちが誤解してもしょうがないといえば、しょうがない。ただ、ビデオ演劇の撮影が進むにつれて天羽が重たい顔をしてため息をついているところは見かけた。西月さんがドレスをまとって「ねえねえ、天羽くーん、ねえこれって、レイモンドっぽいかなあ? 私に合うと思う?」と甘ったるい声を出してくっついてきた時、一瞬だけど顔をゆがめたのを見たこともある。そのあたりで愛想尽かしをしたんだろうと僕は思っていた。真実は全く別のところにあったことを最近になって知ったけれども、その辺は今のところノーコメントにしておく。
はっきりさせておくことは、天羽と西月さんをくっつけようとした黒幕が、目の前にいる霧島さんだということだろう。西月さんがどういうことを考えていたか想像つかないけれども、女子同士いろいろ相談したんだろう。清坂氏も一枚かんでいたらしいし、同期の女子たちはその点団結力があったから、当然のことながらいろいろ策を練ったのだろう。僕も動きがあることくらいは知っていたから見守る程度にしていた。もし、早い段階で本当のことを知っていたらと考えるたび、歯を食いしばりたくなる。悔しい。
「嫌いなら嫌いってはっきり言えばよかったのよ! なにもあんな場所で露骨に傷つけてしまうことないじゃない。そのあとでなに? いきなり今の彼女を評議にするなんて、天羽が何考えているかわかんないけど、私たちからしたらふざけるなってことよ! それを責めるのがどこが悪いのよ!」
霧島さんは完全に論点を間違えている。難波にそれを突かれたらしょうがない。
「俺はなにも、天羽のことをいきなりかばっているわけじゃないのにな。最初からもっと、きちんと女子たちが西月と天羽の繋がりをチェックしておけば、不必要にカップル誕生大作戦なんてやらずにすんだんじゃないのか」
「それはもう十分あやまったじゃない。いまさらなにぐちぐち言うわけ」
西月さんがその後、振られたショックで口利けなくなり、しばらくの間霧島さんも相当落ち込んだようだ。清坂氏からいろいろ聞いている。難波と更科からしたら西月さんのことはともかく、霧島さんの様子が変わったことには「天罰なり」と思っているらしい。
「そうだな。けど女子たちがやらかしたことはそれだけじゃないよな」
また何かを訴えようとする霧島さんに難波は、はだけたゆかたをかきあわせつつ続けた。
「西月のことがほとぼり冷める間もなく、今度は杉本を煽り立ててなにやってるって感じだよな。立村がさ、必死に水鳥中学生徒会と交流会やって、困ったちゃんの西月と杉本をセットで交流会グループに押し込んでな、ふたりの立場だけでも作ってやるかってやってたんだぞ。それなのにな、杉本を煽り立てて水鳥の副会長を追っかけまわすように仕組んだのも、霧島、お前だろ。女子って馬鹿もいいとこだって思ったよなあ」
──言い過ぎだぞ、難波!
割って入ろうとしたが、手首を押えられて断念した。更科の奴、何にやにやしているんだろう。天羽たちのことならともかく、なんで他学年の、よりによって杉本のことまで引っ張り出すんだろう。むしょうにいらいらしてきた。
「あんた人を好きになったことないからそういう勘違いしたことが言えるのよね」
──霧島さん、まずいよ。勘違いしているのはそっちだよ。
男子と女子の会話ってどうして、こうもかみ合わないんだろう。
「おかげでせっかく別グループでやろうってことになっていた交流会計画も、評議の方でやるようにって先生たちからのご沙汰さ。本当だったらお前らの大好きな杉本と西月ふたりを核にして、評議とは別組織で進められる予定だったのにさ。交流会グループはいつのまにか、学年の困った奴を集めるためのサークルになってしまったというわけだ。ま、俺たちからしたら評議委員会でまとめた方がずっと楽だしいいけどな。女子たちが黙って俺たち男子に全部ハートも何もかも任せてくれれば、全部うまくいったのにな。そういうところ、どうして頭が働かないのか、俺は理解に苦しむぜ」
片手を振り上げようとした霧島さんに向かい、難波は帯をくるくる器用に締めながら、「で、今度は更科をつるすわけかよ。どういうことがあったか知らないが、更科が本当のことを聞いて、わからないことを同じ部屋の奴に聞き出そうとして、それがどこが悪い」「だってそれは、更科がとんでもないこと言うからよ!」
──はっきりその理由言ってしまえばわかりやすいのに、霧島さんも。
割り込むタイミングが計れない。たくさんしゃべっているのだけど、ふたりとも最大倍速スピードを出してわめいているから、聞き取るのがやっとだ。しかもその声、潜めているからなおさらわかりづらい。とにかく天羽のこととか杉本のこと、過去の女子チームの失点事実をすべて洗いざらいわめき散らしているってことだろうか。
──杉本の件については、頷けなくもないよな。
一テンポ遅れて、僕も心中、頷いた。
杉本梨南……一学年下の、もとB組評議委員。彼女が評議を降ろされたということについては、いろいろな事件やからみがあってしかたがないといえばしかたないことだった。僕なりにも考えていることはあったけれども、ただこのまま杉本を傷つけたままにしておきたくなかったというのもある。難波のいう通り、僕は水鳥中学との交流会を絡めたかたちで別グループの交流会チームをこしらえ、その中に杉本を加入させることを計画していた。すでに天羽との破局事件でA組評議を降りることになっていた西月さんも杉本の面倒を見てくれることについては賛成してくれていた。だから、いきなり杉本が水鳥中学の副会長に一目ぼれして、恋の暴走をしなければ、難波の言う通り丸く収まっていたはずなのだ。
この件については、僕も清坂氏相手にしばらく文句を言っていた記憶がある。
悪いが、三年女子評議をこの時ばかりはかばえなかった。
やっぱり男子と女子とでは、感じ方が全く違いすぎる。水鳥中学との交流会を杉本たちに仕切らせる予定が、先生たちの一存で評議委員会に差し戻され、結局難波の言う通りになってしまったわけだ。
──あれさえなければ、杉本はクラスから追い出されないですんだのにさ。
──「E組」送りなんて、体のいいやっかいもののごみ捨て場扱いされているんだ。なのに、なんで、あんなことしたんだよ!
この辺については、清坂氏に十分八つ当たりさせていただいたので、もう言う気はない。なによりも難波、お前の方こそいいかげん八つ当たりやめたらどうなんだろうか。第一、あいつがわめいているほどに、女子たちからダメージを個人的に受けていないはずだ。僕をうまく補佐してくれたのはわかるけれども、難波や更科たちには特別何も女子たちは迷惑をかけていないはずだし、それほど憤る必要もないように思われる。
どっちもどっちだ。もうやるだけやってから後片付けしよう。決めて、僕と更科は一歩引きながら様子を見やった。先生たちが来たらすぐに割って入るつもりだった。一番の面倒起こす奴というのは、実いうと教師連中だ。
「更科が何言ったというんだ?」
にんまりと笑いつつ、前髪をかきあげる難波。だからやめろって。
「だから、それは難波に関係ないことでしょう」
「立村には関係あるはずだろ。D組のことなんだからさ」
僕を指差す。思わず僕も頷く。
「だったらなんで男子にばれたらまずいのか、よくわからないだろうに。別に俺たちは女子の厄介ごとに巻き込まれたくないしな、関わりたくないけどな。けれども男子たちが普通に話していることを無理やりドラマチックにして大騒ぎするのはもう止めろよ。犠牲者は天羽ひとりで十分だ」
「犠牲者ですって!」
声がとんがり、響いた。まずい。こんなところでけんかされたら今度こそ本当に誰かくるぞ。指で「しーっ」と何度も合図する僕たちふたりをよそに、今度は霧島さんの反撃だ。「さんざん女子を傷つけておいてなにが犠牲者よ! もともとちゃんと天羽が小春ちゃんを傷つけなければ私たちだってこんなことしないですんだんじゃないのよ。杉本さんだってただ、水鳥の人が大好きだから告白させてあげてよかったねですませたかっただけじゃないの。それに何も私たち聞いてないわよ。交流会グループのどうたらこうたらなんて。そうよ、立村くん、あんたも悪いのよ!」
きた、とうとう火の粉が飛んできた。ここで難波に加勢してはいけない。穏やかに、あくまでも冷静に。僕なりに小さく首を振り、敵じゃない合図をする。
「俺が、やっぱり悪かったかな」
「あたりまえよ!」
──だから怒るなよな。
黙らせるにはどうしたらいいか、難しい。ただ霧島さんもすぐに冷静さを取り戻したのか、ささやき声に戻してくれた。
「美里にばっかり指図して、ぜんぜん他の女子たちを頼りにしてくれないじゃないの。三学期に入ってからずっとよね!」
「いや、それはやはり立場上しょうがないかと」
仲悪くなった女子たちに無理難題なんて言えないじゃないか。
「私たちだって評議委員会のために一生懸命尽くして、盛り上げたいって思っているのにいつのまにか男子たちがかたまって、みんな処理しちゃうじゃない!」
「今までだったらそうしたかったけどさ、ただ、やはり力仕事とかいろいろ動くことが多くて、やはり」
しどろもどろになりながら言い訳する。でも女子は鋭い。僕が無意識のうちに女子たちを避けて男子評議を頼りにしていたことを、見抜かれているってわけだ。西月さんのこと、杉本のこと、やはりこれ以上女子評議たちにつっぱしられるのが怖い本音も無きにしも非ず。まずい、これからは気をつけなくちゃいけない。
「また、私たちが何するかって怖がっているんでしょ。杉本さんを活躍させたいってことが立村くんの計画だって最初からわかっていたら、私たちだっていきなり暴走させなかったのに。全部どうして隠すのよ。だから困るんじゃない」
「あれは女子たちだけじゃないよ、他の奴にも隠していた計画だったから」
ごめん、これは嘘だ。男子評議には「奇岩城」撮影最中にちょこっとだけ話した。
「私たちって信頼されてるんだって思ってたから今まで一生懸命やってきたんじゃない。それを今になっていきなり、馬鹿にされたり差別されたりするなんてひどいじゃない」
「差別なんてしたつもりないけど、もしそう思われているんだったら、ごめん」
頭を下げた。とにかく黙らせないととんでもないことになりそうだ。なのに難波だけは場の空気を読むことすらしやしない。火に油を注ぐって奴のことだ。
「俺たち男子評議が、女子たちの機嫌とってただけだってのに、それも気付かなかったのか。だから女子は馬鹿なんだ」
「機嫌ですって!」
まったく、こいつ本当に「青大附中のシャーロック・ホームズ」名乗ってていいんだろうか。勘の悪さ。名前を返上しろって言いたい。また広い額を見せつけながら、難波は懐手にして胸元を少し緩めた。視線を思わず逸らす霧島さん。やはり目をあわせづらいのだろう。
「『紳士たれ、淑女たれ』って校訓を馬鹿正直に守って俺たちは三年間来たって訳だ。レディー・ファーストはかまわない。女子は男子と違ってか弱い存在だから、大切にしてあげなくてはいけないというお言葉、確かに俺もそう思うさ。けど、付けあがって俺たち男子評議をさんざんこけにしたりするのはどうかと思うぞ」
「こけになんてしてないじゃないの。ちゃんと男子たちの協力をして」
さらに口を挟もうとした霧島さんに肉薄した。
「俺たちがしてほしかったのは協力なんかじゃないってこと、いつになったら気付くんだ!」
──まずい、それだけは言うなよ、何度も言うことだけどさ、頼むよ。
「男子たちのやることをくちばし挟んで使い物にならなくするんじゃなくて、ただ黙って見ていて、応援してくれりゃあ、俺たちは意地でもあんたたちをレディー・ファーストしてやったのに、そういうこと、どうしてわからないんだ!」
もう止める気もない。頭を抱えた僕に更科がささやいた。
「あとで教えてやるからとりあえず、この辺でお開きにしない?」
同意した。こともあろうに難波の奴、禁句その二まで口に出してしまう始末。
「だから霧島、他のC組女子にはOKしてもらえても、あんたにはお呼びがかからなかったんだよ。規律委員長さまにさ!」
禁句その二が難波の口から飛び出した瞬間、僕と更科は思いっきり奴の両腕を引っつかんだ。僕が右側、更科が左側。また襟元が緩んでずるずる、またまた半裸状態。霧島さんは冷静にその姿を眺めた。
「貧弱な身体ね」
もしかしたら彼女の方が激怒するかと思った。泣かれたらどうしようと思った。でも霧島さんは落ち着いた風に束ねた髪の毛を撫で、男子三人に告げ、背を向けた。
「あんた一生、童貞じゃないの」
なんか霧島さん、すごいこと言って去ったような気がする。しばらく呆然としていた僕と、立ち直りの早い更科、まだエキサイトしている難波。それぞれ落ち着くために、旅館玄関へと向かった。風呂場の側に紙パックジュースの自動販売機が並んでいる。このあたり溜まるにはちょうどいい。僕と更科、ふたりで何度も難波をなじった。
「だから、あれだけは言うなって前から言っただろ!」
「そうだよ、お前あそこで騒ぎになったら、二日目謹慎になっちまうよ」
「本当のことを繰り返したまでだ。どこが悪い!」
お互い意地ばっかり張り合っている。気にはなっていたけれど、お互い修学旅行の間くらいは大人しくしているだろうとたかをくくっていた。B組、C組、以前のA組、女子たちのパワーがすごかった。一、二年の頃は男子たちが女子たちにひっぱられるような時も多々あったし、あまりの行動力にむかっとくることがあっても「まあ、それはそれ、これはこれ」と流してこれた。でも、「奇岩城」ビデオ演劇撮影以降何かが変わったような気がする。もちろん女子たちの先走った行動はこれが初めてではないけれども、天羽がいきなり西月さんを露骨に評議委員会から追い出すという行動、これが男子たちの間になにか火をつけたらしい。
──今まで、できなかったこと、なんだろうな。
「お前が腹立てている気持ちはわかる。十分過ぎるくらいわかる。女子たちをおとなしくさせたいって気持ちも、すごくよくわかるよ。でも、あの場所で昔のこと引っ張り出してどうするんだよ。杉本のことはもう過ぎてしまったことなんだし、あいつも今はE組でうまくやっている。西月さんのことも、まだ詳しく説明していないけど天羽がちゃんとけりつけたんだ。だから、これ以上騒ぎ起こすなよ。わかってるだろ、『紳士であれ、淑女であれ』って」
僕の中にも、どこか気持ちよく手で心をさすってくれるような感覚が残っている。たぶん、これが「共感」というものなのだろう。言いたいことが伝わるけれども、それを口にしたら一巻の終り、それがわかっているからあえて僕は何も言わない。でも、難波が霧島さん相手にわめき散らしたことを、僕ももしかしたら清坂氏に文句言いたかったのかもしれない。
「お前はいいよな、清坂がいるからな」
「だから、それとこれとは関係ないだろ!」
こういう余計なことを言わなければすべて丸く収まるのに、だ。
「つまり俺が言いたいのは、女子ともう少しうまくやってくれってことだよ。あの人たちだって西月さんが口利けなくなってから、ものすごく反省していたようだし、あれ以来僕たちに対してみな、一歩引いてくれるようになっただろ? 今までだったらどんどん女子たちパワーでつっきってしまうようなことだって、みんな僕たち男子評議にあわせてくれるようになっただろ?」
「ああそうだな。協力しなくなったよな」
投げやりに難波は告げる。
「ま、俺は男子校ののりのほうが好きだけどな」
「お前シャーロック・ホームズだったらもう少し頭働かせろよ!」
僕の方がだんだんいらいらしてくる。
「俺も悪かった。霧島さんの言う通り、女子に話し掛けづらくて、ずっと清坂氏にだけ手伝い頼んでいたのは悪かったなって思う。本音を言えば男子連中の方が気心知れてるしっていうのもあるけど、あれはほんと、俺のミスだ。旅行から帰ったらちゃんと、女子のみんな集めて協力をお願いするつもりでいる。けど、難波、お前があんなきついこと、そりゃ本当のことだってわかっているけど、でも言いまくったらせっかく協力してくれるって言ってくれた女子だって、怒るに決まっているだろ」
「だから俺は協力なんてしてほしくねえって言っているだろう」
前髪をかきあげようとして、ふと一本髪の毛が落ちた。
僕はおもむろに告げた。
「難波、とりあえずそのくせやめろ。額、上がってるぞ」
更科も頷いた。やはり言葉にして伝える必要があるってことだろう。素直に難波の奴、手を下げた。
「それに、どうして昔のネタ引っ張り出すんだよ。霧島さんと南雲のことって、本当に昔々、果てしなく昔のことだろ? 俺だって知っているくらいだから、ほとんど学校内の連中みんな知っていることだろ。そんな恥ずかしい過去をどうして」
「ああいう女子だから、南雲が振ったんだなってこと言いたかっただけ」
──それはまずいよ本当に。
ため息を吐いた。難波は心底、霧島さんを軽蔑しているらしい。
「南雲はもともと女子に人気があったから、よりどりみどりだっただけで、たまたま霧島さんがその他大勢だっただけだよ」
「けど、別のC組女子と付き合ってただろ? 霧島が付き合いかけた直後にさ」
痛いところを突いてくる。まさに、その通りだ。もっというならそのC組女子は振られてD組保健委員の女子に激しくお付き合いを申しこんだことも、周知の事実。
「詳しいことは南雲に聞かないとわからないけど、別に聞く必要のないことだろ。一年前のことだよ、もう終わったことだろうが」
まさに、鉄砲を手に入れた子どもみたいなことをしているわけだ。難波という奴は。風呂の湿った空気が漂ってくる中、僕は自動販売機に持たれて天井を見上げた。お手上げ、ってことだ。
「素直にさ、『あたしたちが見てるから、がんばって!』とか言ってくれるだけでいいんだ。女子ってのは。何も俺たちのやりたいことにくちばし突っ込んで、勝手に好き勝手なことやらかして尻拭いさせられるようなこと、俺たちはちっとも望んでいやしないんだ。どうしてうちの評議女子連中はそういうわかりやすいこと、わからねえんだろうなあ」
──お前の理想を口にしてどうする、難波。
難波が今時古い女子好みの持ち主で、三つ指ついてお迎えしてくれるような古風な嫁さん……彼女、ではない、彼にとっては嫁さんだ……を求めているのは評議連中みな知っている。一歩下がって仕えてくれるような女子なんて、青大附中にはまずいないだろう。霧島さんの捨て台詞「あんた一生童貞ね」も、しゃれにならないかもしれない。さぞ、評議女子の行動には腹が立ってならなかったことだろう。それはいい。ただ、どうしてそれを押し付けようとするんだろう。以前の難波はそんなところなかったはずだ。気の強い女子たちにも、「俺はクールなシャーロキアンを目指してるからな」とか気取ったことを言って笑いを取っていた。決して、今のような、罵りあいなんてしたがる奴じゃなかった。
おかしい。なんだかあの「奇岩城」事件以来、半年経つけれども何か軸がずれてきている。
気が付いてはいたけれど、僕も別のことで手一杯、何もできなかった。
──二日目に時間見つけて、聞いてみたほういいかもな。
根は悪い奴ではない。本当は僕の頭回転が弱いところをしっかりとフォローして、先生たちや下級生たちに理論立てた説明をしてくれる、それでいていかにも「俺がやったんだすごいだろ」というようなのりを見せない、いい奴なのだ。どうみても今の言動に理論だてたものはないけれど。
「ところで、きっかけはなんだったんだったっけ」
しばらく僕の一方的訴えに耳を傾けていた更科が、唄うようにつぶやいた。元はといえば、更科が発端だった。すっかり忘れていた。難波も話を逸らすのは大賛成らしい。にやつきながら更科に尋ねた。
「お前、情報何、仕入れてきたんだよ」
「D組にも関係あるって言っていたよな」
大きく頷く更科。
「聞きたい?」
もちろんと頷く僕らふたり。
「じゃあ、もっと耳寄せて」
ウインクの真似をする更科。
言われる通り、三人固まった。ささやき声でゆっくりと説明されるまま聞いた。
──ほんとかよそれって。
「へえ、清坂ってまだ、だったのか、意外だなあ」
「お前もそう思うか? 俺もさあ」
「どうすんの立村、お前、チャンス到来じゃん。ちゃんとゴムも用意してあるし」 人の不幸をネタにするのはどうかと思う。ちゃんとこいつら保健体育の授業きちんと受けてきたんだろうか。いや、なによりもこいつら、自分がもし僕の立場だったらなんて言うつもりなんだろうか。ただ無言で通そうと思う一方、なんだかしゃべらなくちゃ落ち着かない自分もいる。
「あのな、お前たち、よく聞けよ」
とりあえず、大きくため息ついて説明することにした。こんなところ清坂氏に見られていたらたぶん、その場では張り倒されているだろう。素直にねっころがるしかない。僕は難波と違って、気の強い女子たちにはなれているのだから。
「いわゆる『あれ』だろ。女子たちのことだから余り言いたくないけどさ、『あれ』の時に下手なことを口走ったら、思いっきり殴られるか怒鳴られるかのどっちかに決まっているだろ」
「ふうん、立村も興味あったんだ」
「あるんじゃなくて、大変なんだよ!」
僕の頭に何が浮かんでいるか、想像つかないんだろうきっと。
「うちの母親、月に一度、とにかく大荒れに荒れる時があって、俺と父親ふたりでいつも嵐が去るのを一週間待っていたんだ。とにかく、片付け物がきれいに畳まれていないと怒鳴る。うっかりコップを割ったりしたら一大事、俺は一回昼ご飯抜かされたことがある。たまたまテストで七十点以下だった時、見せたら一日中部屋に篭って勉強させられた。共通点はひとつ、みなうちの母親の『あれ』の日だ」
「うちの母ちゃんそうでもないけどなあ」
無邪気な更科は首をひねっている。うらやましすぎる。
「だから女子は月一回必ず体育を休むんだな」
詳しい難波。やっぱりこいつは保健体育の授業しっかり聞いていたようだ。
「だから大変なんだよ。これから俺は清坂氏にうっかり変なこと口走れないってことだよ。そりゃあわかるよな。一ヶ月に一度一日中腹を下している状態なんだろ『あれ』って。それはかわいそうだと思うし、そりゃあ腹立つ気持ちもわかるよ。だけど、俺たちとしてはとにかく、『怖い』の一言なんだ。いいか、難波、更科」
僕はゆっくりと口止めをすることにした。わが身を守りたいだろう、お前らも。
「絶対、C組男子の中でこの情報はとどめとけ。もしばれたら、修学旅行何が起こるかわからないからな」
──清坂氏、かわいそうにな。
母さんじゃないけれど、きっと殺されそうなくらい機嫌悪いんだろう。とにかく『あれ』の間の母さんのすごさを知っている僕としては、どうか清坂氏が早く楽になってくれることを祈っている。しばらくはこちらから近づかないようにした方がよさそうだ。一日中血の腹下し状態が続いているなんて、男の僕だって気分悪くなるに決まっている。