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第五日目 38

38

 


 下船準備のため、各クラスごと整列した。海がないでいたせいか、誰も酔った人がいなかったのは……なにせ立村くんが無事だったんだから……よかったって思う。具合悪くなる前に寝ていた人が圧倒的に多かったってのもあるだろうし。A組から順番にタラップを降りていくと、やっぱり船の上と地上とは全然違うことが足の裏から伝わってきた。まっすぐ、揺れないし、頭がまっすぐしているって気がする。

「それでは、これからバスにクラスごと分かれて乗るからな。はぐれるなよ、まだ気を抜くんじゃないぞ!」

 菱本先生が気合つけるみたいに、がっと怒鳴った。他のクラスの様子を人の頭ごしに様子伺いしてみると、A組は狩野先生が真っ白い顔したまま天羽くんに何か話しかけているのが見えた。C組はゆいちゃんが元気良く

「さ、早くみんな並びな! 早くしないと迷惑するんだからね!」

とはっぱをかけているのが聞こえた。B組は難波くんがそっくりかえったままなあんもしないでつったってて、琴音ちゃんが背を丸くして女子たちに頼みごとしている様子が見えた。

 ──で、立村くんは。

 私の方をあまり見ずに、立村くんはいつものように

「じゃあ数えるから、悪い、肩触らせろ」

そう言いながら、男子たちの肩に手を置いて点呼を取っていた。もともと数字に弱い立村くんだから、いつもだったら「私がやったげるよ!」と言うんだけど、なんかそうしちゃ悪いような気がした。具合悪くないみたいだし、私は女子のことだけ考えていればいいよね、勝手に決め付けた。

「清坂、全員揃ったか?」

「はい、大丈夫です」

 半分作った感じで笑って答えた。なんか素直ににこっとする気力が、なかった。立村くんが少し間を置いて菱本先生の元へ足早に飛んできて、

「男子全員揃ってます」

 こちらはきっちりと礼儀正しく答えた。いかにも無理してるってところは、菱本先生相手なんだからしかたないとわかっているけれども、ほんとわかりやすい性格している人だと思う。

「そうか、じゃあ先にだ。A組から乗り込んでいくから、俺たちはまだ動くなよ」

 わかりきってること何言うんだろう。  

 立村くんと顔を合わせて、「ねえ」って言いたかったけど、言えなかった。

 さっき船の上で語ったことが、魚の小骨がひっかかったみたいに取れなくて、いやだった。

 ちらっと立村くんの横顔が私の目の端に映る。私の方を気にしてるんだって感じがする。

 ──変なこと、思ってなんかないよね。立村くん。

 A組の天羽くん、近江さんたちが筆頭となり、クラスメートを全員連れて移動し始めた。バスは船から降りて後、駐車場まで五分くらい歩くことになっている。船着場からバスで大体一時間半くらいかかる。途中休憩が入るけれども、結構遠いと感じずにはいられない。あと一時間半で、修学旅行も終わる。立村くんと夜中まで話し込むことも、もうできなくなる。  


 脳天気なのは菱本先生だけだった。他のクラス担任の先生や都築先生と何か意味不明な冗談を言い合っている。B組が移動して後、C組と続き、最後はD組だった。お昼少し前のせいか、もう車がたくさん海に向かって駐車しているのが見えた。きらきらと、車の青さや黄色さ緑さ、すべてが入り交じり光っていた。その一番奥に、四台のバスが留まっていた。

「清坂、お前も疲れただろ、少し寝ろ」

「大丈夫です!」

「もう語り合うのも疲れただろ」

 いやだ、この先生何言ってるんだろう。私だけじゃなくて立村くんも反応しているのがその証拠だった。

「いやあ、青春は実にエネルギッシュだなあと、人生の先輩としてそう思うわけだ、なあ立村」

 まずい、いつものパターンだ。立村くん、これだまたすねてしまう。菱本先生に対してのみ、どうしてこんなに意地っ張りなんだろう。私もあまりこういう風につきあいのことでやんわりからかわれるのって好きじゃないけど、立村くんの過剰反応を見るとばかばかしくなってしまいうやむやにしてしまいたくなる。

「先生、もうやめてください。早く、C組移動してますよ」

「まあ待て、人生は長いんだ」

 各クラスの担任たちもみんな、自分たちのクラス生徒にくっついて、足早に乗り込む準備をしていた。都築先生がちらっと菱本先生に耳打ちしていたのを見かけたけれども、すぐにいなくなった。私たちD組連中だけ突っ立っている。ずっと船の中で立ちんぼしていたせいか、早く座りたくてならなかった。なのに、全然動く気配がない。

「……っと、そうだな、そろそろだな」

 何がそろそろなんだろう。後ろで他の連中がぶつくさしゃべているのが丸ぎこえだった。

「南雲、水口、ちょっと来い」

「へえ?」

 髪型が怖いくらい崩れていない南雲くんと、少しぼおっとした顔で「なあにい?」と答えるすい君の二人が後ろからのそのそ現れた。

「悪いがお前ら、先頭行け、立村、清坂、お前ら二番手で少し、いちゃいちゃしてろ」

 顔色変えた立村くんを私は無視することにした。ここで私がかっとなったら、立村くんに油を注ぐことになってしまう。ちらっと私の方を見たけど、幸い「いちゃいちゃ」する気はさらさらないみたいだった。南雲くんが、

「りっちゃん、すまぬ、この借りはいつか!」

 と明るく両手を合わせ、すい君が、

「この前、悪い」

 と妙に男子っぽい言葉で頭をこくっと下げた。 「なによこの前って」 言いそうになったけど、飲み込んだ。わかってる「あれ」のことなんて、もう思い出したくもないって、どうして男子、わかってくれないんだろう。立村くんが隣にいるのに、そんないやなこと、なんで言い出すんだろう。うつむきたくないのに、うつむいてしまう。

「ねーさんが、あのさ」

 いきなり何言い出すんだろう。なんだかすい君ってば、顔ににきびが一杯増えてほとんど月のクレーター状態じゃないだろうか。顔が真っ赤だった。私が全然聞きたがってないのに、すい君は続けて私にしゃべった。菱本先生にくっついて列が動き出しても止まらなかった。

「清坂にあやまらないと、受験勉強一緒にしないって言うからさあ、ごめん」

 顎にできた膿んだ白い粒をぽりぽりかきながら、すい君は余計な説明をつけてしつこく謝ってきた。立村くんが鞄を担ぎ直すようにして片方の口角をあげ、

「水口、しゃべるのいいから早く歩け。遅れるからさ」

 静かに話に割り込んだ。

「じゃあ、こんどねーさんに会った時、ちゃんと謝ったって言っといて」

「はあ?」

 言っている意味が支離滅裂。全然わからない。私は立村くんに首を軽く振って「これ以上話を膨らませないで」と頼んだつもりだった。けど立村くんには伝わらなかったようだった。南雲くんだけは私たち三人の会話に一切くちばし挟まないで、いかにも規律委員長ですって顔してまっすぐ歩いていた。へんなの、南雲くんの最愛なる彼女、彰子ちゃんの話が出てきてるていうのに、気にならないんだろうか。

「どうして彰子ちゃんに言うのよ、よくわかんない」

「だって、そうしないとさ」

 すい君はやっぱりクラスの赤ちゃんなんだって、再確認した次の瞬間だった。

 彰子ちゃん、大切な秘密は、すい君に言っちゃだめだよ。

「ねーさん、僕と同じ高校に行ってくれないって、言われたもん」  


 ──ちょっとちょっと、どういうこと?

 ──彰子ちゃんが、すい君と同じ学校って? 

 驚いたのは私だけじゃない、立村くんも同じだった。

「おい、なんだよそれ、同じ高校って青大附高じゃないのか?」

「ううん、違うよ」

 こういう時に大人が割り込んで止めるもんじゃないの。頼みの菱本先生は二メートルくらい先で、おっきな声で洋楽のヒットソングを歌っている。南雲くんの背がぴくっとしたようだけど、かすかにうつむいてそれ以上口を挟んでこない。

「すい君、青大附高に行かないの?」

 成績学年トップのすい君が進学できないなんてこと、絶対ない。青潟大学には医学部がないから、もしお父さんの仕事を継ぐんだったら他大学に進むかもしれないけど、でも高校は一緒なんじゃないんだろうか。運良く他の子たちはあまり私たちの会話に関心を持ってないみたいだった。彰子ちゃんがどうして帰ったのかについてはいろんな噂が飛び交っていたけれども、本当のところを誰も知らないままでいる。もう少し知りたいって気持ちも、確かにある。

「行かない、かもしれない」

「しれないって、じゃあ行くとしたらどこに進学するんだ?」

 立村くんがさらに話の核心へ駒を進めていく。私も聞きたい。少しずつ声を潜めるよう小声で尋ねる。

「水口くん、将来お医者さんになるんだよね?」

「もちろん!」

「じゃあ青大附属じゃいけないの?」

「さあ」

 全く見当がつかない。はぐらかしているわけではなさそうだった。

「じゃあどうして彰子ちゃんが同じ学校に行くの?」

 すい君が大きく口を開けて説明をしようとした。

 振り返ったのは南雲くんだった。

「水口、いいかげんにしろ!」

 あの南雲くんの口から出たとは思えない太い怒鳴り声。一瞬、後ろに続く男女連中がぴたっと足を止めた。ひとり菱本先生だけが先頭を歩いているのが間抜けだった。

「まだなんも決まってねえことをだ、嘘八百ずらずらと並べやがって! そういうのは決まってからにしろって言っただろうが!」 

 慌てて立村くんが割って入る。立ち止まるなって風に南雲くんの背中を軽く片手で押して、

「とにかくさ、清坂氏に謝ったってことは、今俺がちゃんと確認したからさ。とにかく早くバスに乗ろう。ほらなぐちゃん、とにかく歩こうよ」

 不承不承、南雲くんは肩を怒らせたまま大股に歩き出した。少しうつむき加減で、近くに石ころなんかあったらバスの留まっているところまで蹴飛ばせるんじゃないだろうかってくらい、がしがしと歩き続けた。立村くんだけが手を南雲くんのバック肩紐に当てて、特に何も言わないで背中を押していた。やっぱり南雲くんの事情、立村くんは知っているんじゃないだろうか。すい君も南雲くんに怒鳴られてしゅんとなったのか、私にそれ以上何も言わないでとぼとぼ菱本先生のあとを追いかけた。


 空は少し薄く白いもやみたいな雲に覆われていた。空の青さがうすく透けて見えるので暗さは感じない。でももしかしたら青潟の方は雨かもしれない、そんなふかふかした雲が進行方向に向かって膨らんでいた。旅行中は昨日の夜を除いていいお天気ばっかりだったのに、終わるやいなや大雨が続くなんてことないかな。帰ったら天気予報だけ見ておこう。目の前にだんだん橙色のストライブ模様が入ったバスが近づいてきた。行きに乗ったのと一緒のバスだった。確か一日目、私、車に酔っちゃったんだよな。大丈夫かな。思い出して思わずむかむかしそうになった。今日は睡眠不足だし、立村くんのことばかり心配してられない。

「清坂氏、大丈夫?」

 顔を上げてみると、立村くんがかすかに口許をほころばせるような感じで私を見つめていた。

「なにが」

「いやなんとなく」

 立村くんが私のことを気遣ってくれてるんだって、いつもだったら喜んでしまえるのに。やはりさっきの話が心のどこかに淀んでいる。

「大丈夫、なんでもない」

 きっとした感じで言い返してしまったかもしれない。また落ち込みそうだった。


 何がショックだったんだろう。

 絶対に認めたくないことを、私の直感で感じ取ってしまったことかもしれない。

 立村くんが、私に対して、そういう意識を確かに持っていたんだってこと。

 いつ、怖いことになっていても、言い訳できなかった夜だったってこと。

 知らない振りして向こうむいてたけど、立村くんはずっと、私をそういう目で見たくてならなかったんだってこと。

 もちろん、貴史の言うように、私が悪かったのかもしれない。私が立村くんと一緒にいたいって言ったから、そういう気持ちを無理矢理我慢させるはめになってしまったってことなのかもしれない。謝ってしまうのはなんか納得いかなかった。でも立村くんが私に何もしなかったってことは、それだけ大切に思ってくれたことなんじゃないかって気もする。船の上での言葉も、素直に受取ればそれなりに、私のことが好きなんだって事に繋がるのかもしれないし。だけど、どうしても頷けない。

 今、この瞬間も、立村くんはいやらしいことばかり考えているのかもしれない。

 ──そんなことないよね、絶対ないよね!

 ──私のこと、いやらしい目でなんて見ないよね。

 絶対しない、って力強く言ってくれたけど、あんなに必死に言い訳するところ見たらかえって怪しまずにはいられなかった。いつもの立村くんらしくなかったから、なおさらだった。もし貴史みたいに

「まさかお前と一夜明かした程度で、けっ、そんなむらむらしてたら世話ねえよ、ったく風呂早く上がれよったく!」

ってかましてくれたら、きっと今みたいに余計なこと考えないですんだんだろう。

 私を信じて、めいっぱい、本当のことを語り尽くしてほしい、それだけ。

 お互い違う意見かもしれないし、もしかしたら評議委員会でまたけんかになっちゃうかもしれないけど、語り合うことさえできればきっと繋がっていける。それが一本の綱だから。立村くんが好きとか嫌いとか、そういう「恋」に関心もてないことはもうわかってる。昨日の夜のように、本当に言いたいことをすべて、話してくれるだけでいいのに。そんないやらしいこと、触ったり触られたり覗いたり覗かれたり、そんなことじゃない。どうして男子にはそれがわかってもらえないんだろう。語り尽くせないうちに、あと一時間半で旅行も終わってしまう。終わったらまたうるさい両親たちから

「あの品山の男の子はねえ、気をつけたほうがいいわよ。たあちゃんじゃあなんでだめなの?」

ってねちねち嫌味を言われるから、こんなに長い時間おしゃべりなんてなかなかできなくなっちゃう。それに。

 ──琴音ちゃんだって、もしかしたら。

 もう琴音ちゃんの気持ちを立村くんは知っているはずなんだから、いくら振ったとしても決して邪険にすることはないだろう。私という彼女がいたとしても、立村くんは関係ない。評議委員としてこれからもお付き合いしていくだろう。たぶんああいう性格の子、立村くんは苦手だと思うけれど、でも、そういうところ優しい立村くんだから、どうなるかはわからない。

 今の空みたいに薄いガーゼのような雲が伸びているのが、明日からの学校生活。

 隣同士でぐっと側に寄り添って、ずっと語り合うことすら、もう難しくなってしまう。

 こんなに側にいたいのに。してほしいことが違いすぎる。私には、立村くんが本当にしてほしかったこと、何もしてあげられないし、してあげる気もない。立村くんは私がしてほしいこと……全て語り尽くすこと……を、全然してくれない。

 何もお互いに、あげられない。こんなに近くに、四泊五日、一緒にいたのに。

 胸が詰まって、顔を上げるのがやっとだった。立村くんが不安げに私から目を離さないでいるのだけが視界の片隅に映っていた。


「おい、あれ」

 目の前にいたすい君が立ち止まった。南雲くんもバスの真横で静止した。立村くんが一テンポ遅れて続いた。後ろの男子女子たちの声がまだそれぞれのおしゃべりのまま続いていたが、ふと、途絶えた。

 すい君の視線がすうと、バスの車窓一枚に留まり、「あ、あ」と二度発した。 

 お口が埴輪状態だった。つられて私も視線を追った。そこにいた人の名を呼ぶ前に、誰かに突き飛ばされそうになり私はよろけた。すい君よりも一歩早く、足の長い南雲くんが前に出たからだった。

「な、南雲、ずるいぞ!」

「うるせえ!」

 すい君も一歩遅れたものの、すぐにちっちゃい身体と足ですすすっと、バスのヘッドライトをおなかでするようにしてすり抜けた。

「邪魔だっての、いいかげん邪魔するんじゃねえっていってるだろうが!」

「やだよ、先に通せよ!」

「誰が通すかって!」

 乗り込む寸前の会話はどう聞いても、かっこよさが売りの南雲くんに似つかわしくない言葉ばかりだった。なんだか貴史っぽいやんちゃな言い方だった。


 後ろですぐに腕を取って支えてくれた人がいた。

 誰かはもう、振り向かなくても気づいていた。私は振り向かずにそっと、言いかけた名を呼んだ。

「彰子ちゃん、だよね」

「そうだな」

「なんだか、貴史みたいな言い方してるね、南雲くんって」

 立村くんは答えなかった。黙って彰子ちゃんの笑顔が掠れてうつる窓ガラスを眺めていた。やがてその窓ガラスが、南雲くんとすい君の手によって開かれ、にょっと三人の顔が覗いた。さすがに彰子ちゃんはびっくりしているみたいだけど、怒ってはいなかった。怒っているのはすい君だけのようだった。

「ここ僕だよ、僕が座るんだよ!」

とか自分の席は彰子ちゃんの隣なんだってことを必死に主張したがっているみたいだった。側で大きな声あげて笑いこけているのはわが担任、菱本守先生なり。三回、ぱん、ぱん、ぱんと手を打って後、

「ま、そういうことだ。めでたしめでたしだな。こりゃ」

 目の前に黒いちょっと怪しげな車……上にスピーカーがくっついていて、日の丸のマークがでかでかと張り巡らされている車だった……が停まっていた。その中から、サングラス姿の男の人が菱本先生に向かって何度も頭を下げていた。


 すぐ質問を浴びせたい私を片手で制するようにして、立村くんは静かな口調で尋ねた。

「先生、奈良岡さんはなぜ、戻ってきているんですか」

「そんなことはお前らには関係ないことだろう。それよりお前らも早く乗れ」

 まずい、やっぱり最後の最後で立村くんやっちゃうよ。怒っちゃうよ。私はすぐに腕を引っ張った。私がなだめないと誰も立村くんを押える人がいないんだから。そう、去年の宿泊研修みたいなことになったらろくでもないことになっちゃう。立村くんは全く微動だにしなかった。私の方なんか全然感じないって顔していた。

「奈良岡さんのことはどうでもいいのですが、今、南雲と水口を予定通りのバス席に着かせることは不可能だと思います。僕もそうさせる気はしません。ですから一つ提案させてください」

 ちらっと、私のつかんでいる手を見た。外したりはしなかった。

「これから帰りのバスの席順を、それぞれ仲のいい友だち同士で固まって座るという形にしてもらえませんか。最後の最後だし、たぶん南雲たちもそれの方が落ち着くと思います」

 凛とした声。背をぴんと伸ばしていた。私は立村くんのブレザー袖から手を離しぶらんとぶら下げた。立村くんは続けた。

「発車時刻に間に合うよう、すぐに二人ずつ組を作らせます。後ろの水口だけ補助席だして奈良岡さんの側に座らせてあげてください」

 菱本先生の眼をじっと見すえたままだった。

 だんだん状況がつかめてきて騒ぎ出す後ろの男子たちが騒ぎはじめている。立村くんの「いきなりのバス席順変え」の提案に名にこれって気持ちなのかもしれなかった。

 貴史の声が混じってないのは、さっき立村くんと約束したことをたがえる気がないからだろう。

「おお、奈良岡あ、復活かあ!」

「彰子ちゃん、どうしているの? 戻ってきたの?」

「ちょっと、南雲、すい君なんであんたら!」

 最後のひとことはこずえだった。こずえはきっと、立村くんと約束したことなんてすっからかんに忘れてるんだろう。

「先生、南雲たちのために、今回だけお願いします」

 ぐっと唇をかみ締め、立村くんは九十度しっかり腰を曲げて、頭を下げた。


 ──彰子ちゃんの隣に、みんな行きたがってたんだ。

 ──それ知ってて、立村くん、だから。

 私だって立村くんと友だちになって……途中彼女になって……長いから、だいたいどういう気持ちでそんなことを考えていたのかは見当がついた。このまま「修学旅行のしおり」通りの席順とした場合、男子は男子同士、女子は女子同士、それぞれペアになって席に座ることになる。だから普通だったら、南雲くんと水口くんがふたり、彰子ちゃんの近くに行きたくてもあきらめざるを得ないことになってしまう。私からしたらそれだっていいじゃない、と思う。だってあさってからまた学校でいくらでも会えるんだし、今こだわらなくたっていいじゃない。だけど、普通よりも人の気持ちをすくい取れる感性の立村くんは、「今、彰子ちゃんの側にいられること」を求めている南雲くん、すい君の想いを守りたいって思っている。

 彰子ちゃんがどうして、帰りのバスだけ一緒に乗り込むなんて、そんな不経済なこと考えたのかはわからない。

 そして彰子ちゃんがどうして途中で修学旅行を抜けたのかも、今だ謎のままだ。

 先生に頼まれたから、よけいな詮索しないようにしているけど、でも不思議なことには変わりない。

 南雲くんたちもどこまで彰子ちゃんの事情を知っているのか、私にはわからない。

 だけど、立村くんはきっと、南雲くんたちがどれだけ彰子ちゃんのことばかり考えてきていたのかを、見抜いていたんじゃないのかな。今すぐ会いたい相手のために、命賭けたい相手のために、って、その二人を何とかして応援してあげたいって思ったんでは。私にはそこまでしたいと思うだけの感覚がよくわからない。たぶん、一生そう感じることはできないだろう。 

 ただ、そう感じている人を、好きでいることは、できる。

 たとえ、私には、何もしてくれなくて、してあげられなくても。  


 菱本先生は日の丸黒車の人に、立村くんよりも半分度数の少ない角度……大体四十五度……で頭を下げた。

 立村くんの頭にがしっと手を当てた。軽くかき回すような仕種をした。露骨に嫌そうな顔をしたけれど、すぐに元のきりりと引き締まった顔に戻した立村くん。がまんしてるってことがよおくわかる。

「そうか、そうか。じゃあ時間がないからな、すぐに組み分けしろ」

「わかりました。ありがとうございます」

 もう一度礼をした後、立村くんはD組のみんなに片手を振りながら合図をした。

「今の話の通り、これからバスに乗るに当たって、バスの中の席を二組ずつ、それぞれがそれぞれ仲のいいもの同士にまとまって座ってください。男女同士でもいいですし、もちろん男子同士女子同士でも構いません。とりあえず、早い者勝ちなのですぐに固まってください」

 即座にこずえのすっとんきょうな声が飛んだ。

「なによ立村、ずうっと男子前、女子後ろって固めてたくせに、いきなりってこと? ったく面倒なこと、したがる奴よねえ」

「古川さん、あなたはですね」

 次の瞬間立村くんは、つかつかとこずえの腕を取ってすばやく男子列の貴史の側に追いやった。ふうっと女子同士のグループから溜息が洩れる。どきんとする。私は動けずにいた。

「おい、おい、立村、俺がなんで古川とペアなんだ? お前、どうするんだ? あと美里もさ」

「一時間半、楽しく盛り上がっててください」

「ちょっと、あんた、じゃあ立村、あんた美里はどうする気なのよ!」

 男子たちが状況を把握できないのが見て取れる。私も同じだった。立村くんはすばやく他の男子女子を見遣ると、

「とりあえず、早い者勝ちで席を取らせてもらいます。すぐにペアを作って、即乗り込んでください。見つからない場合はしかたないんで、グーとパーのじゃんけんでまとまってください。では」

 小走りに私の側に寄ってきた立村くんは、私の手をしっかりと取った。

「先に乗り込みます。あとは羽飛と古川さんに任せます」

 それだけ言い残し、他の三年D組連中にちらっと視線を投げた後、立村くんは私をバスの入り口まで引きずっていった。


 握り締められた手首の感触は、がっちりしていた。逆らえないくらいの強度を持っていた。もし昨夜、本気で私にこわいことしようとしていたら、きっと逃れられないほどの腕力かもしれない。全身が熱くなる。言葉が出ない。車の柵のところを鞄ぶつけながらすり抜けた。足をひっかけそうになった。立村くんが支えてくれるのを感じる。腕が少し軽くなったような気がした。荷物を持ってくれていた。

「俺が行きのバスで座っていた、先頭の席に座ろう」

 車酔いしやすい人専用の、揺れない席だ。

「清坂氏は、窓際に座ってほしいんだ」

「え?」

「絶対酔わないから、経験上」

 立村くんはそれ以上何も言わず、私の鞄を自分の鞄と一緒にかかえ、タラップを上がっていった。  


 南雲くんたちは一番後ろの長いす席に、彰子ちゃんを間に挟む形でしっかり座り込んでいた。やがてD組連中が貴史とこずえの指示によりそれなりに組み分けされて乗り込んできた時には、もう誰も文句を言わせないような三人の世界が出来上がっていた。これを崩せっていうのは、かなり酷なことだと私も思う。

「南雲、お前、最愛のハニーに対してのひとことをどうぞ!」

「もう、最高っす!」

 照れもせずさりげなく言い放つ南雲くん。きっと彰子ちゃんはいつものようににこにこしながら、

「あきよくん、みんながあきれちゃうよ。ほらほら、すい君もそんなに拗ねないで。いい子にしてた?」

とか語りかけているんだろう。彰子ちゃん大好きなふたりならば、それも当然と言える。

  だけど、私と立村くんは?

 全然、似合わない。立村くんの方からひっぱってくれたことなんて、これがほんとに初めてだった。


 立村くんの言った通り、貴史とこずえはうまくグループ再編を素早く取りまとめてくれたようだった。そんなに時間はかからなかった。私たちの後から乗り込んできたコンビのほとんどは男子、女子同士だったけれども、中にはいつのまにかなぜこうなったの?というような男女カップルも混じっていた。きっとこずえ辺りが気を利かせて、くっつけてあげたのだろう。

「立村、とうとう年貢の納め時って奴か? もうめろめろだなあ。さては何かあったのかよ」 

さっさと先頭の席に腰掛けて、男子たちの冗談めいた冷やかしを受け止めるのに、慣れていなかった。貴史とこずえが一番最後に菱本先生と乗り込んできた。ふたり、結構いい雰囲気だ。楽しげにあちらこちら指差してにやにやしている。年貢の納め時は貴史、あんたのことよ。

 私たちの顔を見て、何か言いたそうだったけど、先生に先手を取られてしまい仕方なくついた。私たちとは反対側の席だった。宿泊研修の時と同じ位置だったけど、あの時は私と貴史、こずえと立村くんの組み合わせだった。初めてバスでの二人席。立村くんと肩と肩、近くで座ったことって、今回が初めてかもしれなかった。  立村くんと貴史の間へ補助席を出し、菱本先生がどかっと座った。

「単刀直入に聞こう、立村、とうとう恋人宣言か?」

 菱本先生のにやけ顔、貴史、こずえのピースサイン、後ろでざわめく男子たちのひゅうひゅう声。包まれて私は身動きが取れなかった。先生の冗談めかしたからかいに、いつもだったら立村くんは「いいかげんにしてもらえませんか!」と噛み付くだろう。それともクールに無視するか。身が固くなる。いつもここで切なくなるのが私のくせだった。

 視線を一切向けないまま私は膝のところを見つめていた。エンジンがかかってまたバスが揺れる。

 立村くんは唇をしっかり結んだまま、軽くすうっと息を吸い込んでいた。呼吸の数もわかるほど、今は近いところにいる。

 ──そんなこと、してくれるわけないじゃない。だって立村くんは。


「そう考えてもらって結構です」

 立村くんの答える声が、確かに聞こえた。


─終─  


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