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第五日目 37

37

 


 立村くんと南雲くんが甲板に出たあと、私とこずえ、あと貴史も一緒に反対側の甲板に向かった。本当の言い方わからないけど、とにかく反対側。船のしっぽの方だった。どんどん遠のいていく陸地がまだかすかに揺らいでいるのが見えた。どんどん、薄くなっていく。

 うちの学校の生徒しかこの船乗っていないから、見かける奴はみんなブレザーにネクタイ、襟元の赤いリボンにブレザーとスカートばっかりだ。全部じゃないけど、海を眺めておしゃべりしている子の中に、女子同士の群があまりいない。それよりもむしろ、

「しっかし、うちの学校中学のくせに、カップル比率高いよねえ」

 こずえがしみじみと言う。片手にはポテトチップスの缶を持って、貴史に差し出している。  

 食い気にはあっさり負けてしまう貴史は、五枚くらいざくっと摘み取った。すぐばりばり噛んだ。

「サンキュ、ほんと、古川の言う通り、なあ」

 なにをお互い頷き合っているんだか。バスの中で私にしつこいくらい、

「ねえ、どうだったの、結局、どこまでやったの?」

 と聞いてきたくせに、肝心要の自分たちのことはちっとも教えてくれない。

「別に、ただお菓子食べながらテレビ観て、寝ただけだって、美里たちとは違うの!」

 だもの。ちっとも違わないと思うんだけどな。だって貴史、こんな風にこずえからお菓子、さりげなくもらって食べたりする奴じゃなかったものね。私は別としても、こずえに対してはもっと、用心深く振舞っていたんじゃないかって思う。これは私が貴史の親友として思うことだけども。本当のところなんてわかんない。とにかく私の眼からみて、貴史とこずえだって十分「カップル」になっちゃってるんじゃないかって思うのだ。

「あのさ、羽飛、とりあえず例の問題なんだけどさあ」

 こずえはまた、顔をほころばせながら貴史の隣にくっつく。貴史もまんざらじゃないんだろうな、私にするのと同じようにして、またポテトチップスの缶へ指を突っ込もうとする。ひょいとこずえがその手をよけるように引っ張り、

「おいおい食わせろよちっとくらいいいだろうが!」

と笑いを交えながらやりあっている。

「ああ?」

「ただ今、愛を語り合っているであろう、あのふたりについて」

「愛?」

 語り合いたいのはこずえのほうじゃないの? 水しぶきがしゃきしゃき響いている。下の方からモーター音ががたがたいう。私たち三人以外はほとんどが、「カップル」ばかり。いいよ、どうせだったら貴史とこずえ、あんたたちだってこの中に入ればいいんだから。ふたりの話なんてほとんど聞いていなかった。私は海を眺めているカップルのうち、知り合いがいるかどうかをまずはチェックすることにした。顔と名前がわかっているだけではだめ。知ってて、どういう恋しているか、そのくらい最初に情報もらってないと面白くない。


 真っ正面で掌サイズのスケッチブックを開き、一生懸命何か描いている男子と、その側の女子ふたり。厳密に言うと私たちと同じ三人組だ。ただ、そのうち二人の事情というのを私は知っているから最初に目が行ってしまう。

 ──小春ちゃんかあ。

 修学旅行中、私も顔を見かけるたびに手を振ったりしたけれども、もう評議委員時代の小春ちゃんは戻ってこなかった。かすかににっこりするけれど、すぐにうつむいてしまう。私たち、女子評議と顔を合わせるのもつらいのかもしれない。天羽くんにされた酷いことを考えると当然なんだろうけれども、どうして関係のない私たちにまで、遠慮するんだろうと思うとなんだかいらっとする。身勝手なんだけど、別に私たちは小春ちゃんのこと、いじめようだなんて思ってないのにだ。立村くんが昨日、小春ちゃんと一緒に、杉本さんへのお土産を買ったと言っていたけれども、それだって私たちに声をかけてくれればもっといいもの探してあげられたかもしれないのに。

 小春ちゃんはスケッチブックを持っている男子に、直角に背を向けていた。海を見つめている。薄い雲がふんわり掛かっている青い空と、重たいゼリーみたいな海と。もう一人の女子がその男子へいろいろと指を指したり、頭を撫でたり叩いたり、よくわからないことしている。一言で言っちゃうと、「からかってる」ってこと。小春ちゃんはその様子もあまり関心なさそうに、黙って反対側を見つめている。

 たぶんあの男子、小春ちゃんのことが好きで好きでならないという、下着ドロの片岡くんだろう。立村くんは、「もう罪は償っている」みたいなこと言ったし、それは正論だなって思う。だけど、もしそういう相手が彼氏だったとしたら、これから先小春ちゃんはずっと女子たちから軽蔑されてしまうってこと、気づかないんだろうか。本当に小春ちゃんが好きなのは天羽くんなのに、「あんたはこれで十分な人なんだ、下着ドロで満足しろ」とか言われてしまったようなものなんだから。女子にとってそれって、致命的な傷だって、どうして男子気づいてくれないんだろう。

 私は小春ちゃんの視線の向こうを追った。ずっと、唇を結んで、切なげに見つめている先はきっと天羽くんがいるような気がしたからだった。小春ちゃんが本当に見つめたくて、受け入れてほしい相手ってひとりしかいない。けどそれが届かないことを知っているからなおさら切ないって、どうしてわかってあげられないんだろう、天羽くんも、立村くんも。


 望遠鏡にお金を入れると五分間遠くの陸地を眺めることができる。おもちゃみたいなものをどうしてそんなに使いたがるんだろう。天羽くんはやっぱりそこにいた。見た目はずっとがっちりしていて男子って感じなのに、やってることが妙にガキっぽく見えてしまう。こういうところが天羽くんの人気の源でもあったんだな、って思うけど、今は素直にそう感じられなくなっている。嫌いな女子には遠慮なく、「嫌い」って言ってしまう天羽くんの姿が、時折怖いって感じる。同時に男子同士でそんな天羽くんを持ち上げている、評議委員会にも。

 なんでだろう。私、やっぱり、変になっちゃったのかな。

 隣にはめんどうくさそうな顔してやっぱり近江さんがいた。昨日私と話していた時とは違った顔していた。眠そう、といえばいいのかな、それとも退屈っていうのかな。かなり大人っぽい雰囲気だった。私と一緒に、

「ねえ、清坂さん、三番の新人漫才師、結構将来性あると思わない? 名前、覚えておいてね。いつか有名になった時には清坂さんにも教えてあげるから!」

とか言って、ずっと笑い転げていたあの人とは思えない。天羽くんとは感じるところが一緒だから、付き合っているのだって言うけれど、観た感じなんか信じられない。

 ずっと小春ちゃんの視線を追っていたけれど、あれだけじいっときつい眼差しを送られていて、あのふたりが気づかないわけないと思う。同時にまだスケッチブックを握り締めている片岡くんという男子も。だけど、みな知らない振りしている。小春ちゃんだけひとり、ぽつんと立ち尽くしている。誰も、振り向いてもらえない、無視されたまま、ただ見つめている瞳。

 ふつうの私だったら「可哀想な小春ちゃん」と思えただろうにな。

 今の私は、やっぱり不気味、と感じてしまう。どうしてか、わかんない。


 そのうち、小春ちゃんをもうひとりの女子……さっきまで片岡くんをからかって遊んでいた、背の高い子だった。確か、泉州さんだったっけ?……が無理矢理腕を取るようにして、片岡くんの隣に並ばせた。小春ちゃんは嫌がらないで、ただ黙って言われるままになっていた。

「ほら、小春ちゃん、観てやんなよ、片岡の奴、ずっと描いてるんだよ!」

 一方的に泉州さんがべらべらしゃべりまくっているのが聞こえる。

「あんたさ、私が持っていけっていった色鉛筆、使ったの?」

「使ったよ、そんな大きい声、出すなよ」

「馬鹿だねえ、で色塗ったの?」

「塗ったよ、暇だったし」

「よーし、じゃあここで大公開ってわけよね、ほら片岡、なあに恥かしがってるのさ、貸しな、一番見てもらいたい子に見てもらいなよ」

「あ、ああ、だめだよ、泉州さんああ、まずい、ちょっと」

 さっと取り上げて、一枚一枚楽しそうにめくっていく泉州さんは、小春ちゃんの肩を抱くようにして、ぬっと見せてあげていた。指差して小さい声でひとつひとつ説明している。後ろで、鉛筆を片手に

「あ、早く返してよ、返してよ」

と騒いでいる片岡くんを軽く肘鉄くらわせると、泉州さんはにやにやしながら小春ちゃんにスケッチブックを押し付けた。一ターンして離れ、小春ちゃんと片岡くんふたりだけにした。

「ほらほら、片岡、あんたもいいかげん男なんだから言うこと言っちゃいな」

「あ、泉州さん、あの」

 言葉は途切れた。小春ちゃんがこくりと頷き、片岡くんに小さなスケッチブックを閉じて渡したからだった。そこのところの片岡くんの顔ときたら見ものだった。もう言葉が出てこないんだもの。近くでないから確認できないけれど、足ががたがた震えていそう。まっすぐ小春ちゃんに向かって、卒業証書を受取るような緊張した顔して、

「あ、あの、どれか、気に入った絵、あったら、うちで、塗るから、教えて」  

  ずっとどもりっぱなし。しかも、片岡くんという人は震える……確認してないけど……手で一生懸命返してもらったスケッチブックをめくり、そろそろと、

「これ、いいかな、あと、これも僕、いいかなと思うんだけど、書いて、気に入ったら」

 ──とにかく小春ちゃんにプレゼントしたくてならないのね。

 私の肩をぽんと叩くのはこずえだった。もう私以外のギャラリーさんたちもみな、小春ちゃんと片岡くんを巡る謎の会話にささやき声と笑いを携えて集まってきたようだった。天羽くんたちだけはいなかったけど、A組の男子の数人が「ひゅーひゅー!」と口笛を吹き、手を打ち鳴らした。からかってるのかな、と思ったけど違うみたいだった。

「よっしゃ、片岡、がんばれ!」

「そうだそうだ、西月さんよ、もう少し優しくしてやれよなあ」

「ほんとほんと、ここまでしてくれる奴、普通いねえぞ」

 男子ってほんと、馬鹿なのかなんなのかわからない。

 この時小春ちゃんはうつむかないで、その男子たちにこっくり頷いて、片岡くんのスケッチブックを開きながら指差ししていたけど、どんなに悔しい思いしてたなんて誰も考えられなかったんだろうなって、思う。女子たちの反応みればそのくらい、見当つくじゃないの。みんな、顎上げて見下すような顔して、笑ってるじゃない。もし私が立村くんのことでこんなことされたら、思いっきりひっぱたいてやるけど、小春ちゃんはそうしたくなるほどきっと片岡くんのこと好きじゃないんだから。天羽くんと約束したからしかたなく、がまんしなくちゃいけないのに。

 なんか、涙が出てきそうだった。こずえが私の顔を横から覗き込んだ。

「どうしたのさ、美里、妙にセンチメンタルだねえ」

「なんでもないけど、別に」

 余計なこと言うから、貴史も反対側から私の顔を覗き込んできたじゃない。面倒なんだから。

「あのなあ、お前、人様のことより自分のことだろうが。ちっと来い。真面目な話だ」

 一番真面目な話が似合わない奴が、貴史、あんたよ。


 貴史は私とこずえを連れて、反対側の甲板へ移動した。立村くんたちいるかと思ったけど、いなかった。どうしたんだろう。南雲くんがこれからどう動くかについては、さっきこずえと話をして、「たぶん大丈夫よ」って結論に達したけど。もともと南雲くんと仲の悪い貴史にはそんなんでは終わらせたくないのかもしれない。先生にはばらさないと思うんだけどな。なんとなく。

「南雲くんのことだったら、たぶん立村くんがうまくやってくれると思うよ。評議委員長と規律委員長同士だし、たぶん」

「違うって、美里、そういうことじゃないって」

 こずえがまぜっかえした。

「あとはさ、羽飛、ちゃーんと言って聞かせてあげてよね。美里きっと、立村にどうしようもなく苦しい思いさせたはずだし、ね!」

「古川よ、お前ももう少し、その言い方気をつけろよなあ」

 やれやれって顔で貴史はこずえに頷いた。なんだかやはり、一夜でこれだけ雰囲気が変わるのって、何かがあったんだとしか思えない。もうこずえは貴史に告白南十回もしているんだけど、肝心要のご本人がつれないだけなんだもの。チャンスがあれば、もしかしたらって思うのも無理はないよね。でも、貴史とこずえだなんて、想像つかない。

「じゃ、まずは例のふたりを探しに行ってくるからね!」

 こずえはさっき泉州さんがやったみたく、くるっと一回転し、バレリーナっぽく優雅にお辞儀をしたあと、ばたばた足鳴らしてさっき来たほうへもどっていった。


「なによ、私なんも悪いことしてないんだもん!」

「美里、いいか、こういうことはな、本当は立村から習えって言いたいんだがなあ」

 少なくとも、私はこずえ以上のこと、きっとしてないって断言しちゃえる。  立村くんに聞いたって同じだと思う。ちょっぴり、腕のところ触れたりしたけど。ほら、手首を縛ってって言われた時にちょっとだけ。でも、それだけだもの。

「お前、立村とふたりでいる間、あいつが何考えてるか、想像できんのか?」

「できないけど、言ってくれたからそれでいいじゃないの」

「へ、あいつ何言ったって」

「あんたには関係ないじゃない」

 噛み付くのもなんとなくめんどうくさかった。貴史相手だからかもしれない。

「美里、じゃあ聞くがな」

 貴史は鼻の下をぼりぼり掻いたあと、顎を引き加減にしてひとこと尋ねた。

「ちゅーくらいは、させてやっただろ?」


 ──ちゅー?

 ねずみじゃないんだから、なんて受けないギャグは言わない。

 無意識のうちに私は貴史の足を右の靴先で蹴り飛ばしていた。

「いってえ、お前海に蹴落とす気かよ!」

「あんた、何スケベなこと想像してるわけ?」

 こっちだってある程度、加減はしてやったのだ。感謝しなさいよ。

「貴史、あんたもまた、変なこと考えてるわけ?」

 わめきたい、だけど、周りには他の生徒もいる。聞かれたらまずいから叫べない。

 全身が鐘になったみたいにがんがん鳴っている。

「ばあか、何勘違いしてるんだよ、ちょっとこっちさ来い!」

 腕を無理矢理ひっぱられ、海と向かい合わされた。かたんと揺れた足元からの響き、モーター音で少し言葉が聞き取りづらい。

「あんた達だって似たような状態だったくせに、なんで私たちが」

「あのなあ、ったく、だからなあ」

 腕をしっかりひっぱってふたりくっつきあった。なんだか誤解を招くツーショットだった。たぶん私たちも、カップルだと思われてる。違うってわかってるのはお互いだから別にいいんだけど。なんかおかしい。

「お前ら一応つきあってるんだろ? 俺と古川とは、違うだろ?」

 そりゃそうだけど、けどなんにもなかったもの、しょうがないもの。私は貴史の顔を思いっきり睨み返した。なんだか面倒くさそうに大きくあくびしてるのが妙にむかついた。

「じゃあ、お前、なーんも立村に、させてやらねかったのかよ」

「当たり前じゃないの! 立村くんだって変態じゃないんだから」

「あのな、美里」  大きく肩を怒らせ、両手を手すりにつけたまま腕立て伏せをした後、貴史は脱力した。

「だったらさっさと部屋に帰してやれよな。お前、後で立村に謝っとけ」

「なんで謝らなくちゃいけないのよ! 話したくらいでなんで」

「俺がもしだ、優ちゃんと二人っきりで泊ったとしたらと考えてみろ、何してるか想像つかねえのかよ」

 絶対ありえない仮定をなぜするんだろう、貴史って。貴史は続けた。

「美里がやってたことってな、腹空かせた犬におあずけを一晩食らわせたようなもんだぞ。いつ、噛み付かれても文句言えねえぞ。もしお前がやばいことになってたとしても、男子は誰も同情しねえぞ、わかるかよ」

 人のこと言えないくせに、何言ってるんだろう。むかっとくる。

「じゃああんたたちはなんだったのさ! こずえとふたりっきりで、なんもなかったでしょうが!」

「それは俺が風呂場で寝たからだ!」

 いきなり仁王立ちで開き直るのはやめてほしかった。頭の中がうまくまとまらない。貴史が何言いたいのかがちっともわけわかんない。

「とにかく、謝っとけ! 美里が昨日なーんもさせなかったってことは、あいつにとっちゃ、地獄だったんだからな」

「なんで男子がそういう気持ちになったら、そうさせてやらなくちゃいけないのよ! そっちの方が絶対変よ!」

 もうがまんできない。どうせモーターの音で聞こえないんだから叫んだっていいじゃない。


「貴史、あんたさ、男子がそういう気持ちで私になにかしたがってるって時、じゃあって受け入れなくちゃいけないって言いたいわけ? そんなの絶対変だよ。そんなの自分でうまく我慢すればいいことじゃないの。私は普通に話をしたいだけで、向こうだってそういう風にしゃべってくれたのに、なんで私が謝らなくっちゃいけないのよ!」  

  そうだ、立村くんだって、ふたりっきりだったからこそ、いろいろ秘密の話してくれたもの。

「しゃあねえだろ、あいつだって男なんだからそういうこと、考えたっておかしくねえだろ」

「だけどそんなの関係ないよ、男子ってだから馬鹿!」

「馬鹿で悪かったな! お前もしやられてたらどうするつもりだったんだっての!」

「もちろん悲鳴あげてたに決まってるじゃない!」

「あのな、お前、自分の相手でもか!」

「当たり前じゃない! 嫌なことは嫌ってこたえなくちゃ、嘘でしょ!」

「男だって男の都合ってのがあるんだぞ!」

「そういうのは我慢するのが男でしょ!」

 まずい、視線が私たちに集中してきている。こずえもいつのまにか貴史の背後にまわっている。そんなに「男の都合」ばかり要求するんだったら、これから貴史がなにされるか教えてやんないから。両腕の脇の下にこずえが手を差し入れて、「こちょこちょこちょ」と擬音付きで、

「あんたたち、いちゃついてる暇あったらさ、様子見した方いいよ。ただ今立村、しっかり南雲につるされてるよ」

「ふ、古川、おい、や、やめろ」

 勝手に身悶えてなさい。私は貴史にふいっと背を向けた。こずえが来た方の通路へ向かい、立村くんの姿を探した。すぐに追いかけてきた貴史たちを立ち止まって待った。口をひんまげてまだむくれている貴史と、にやにやしながら指を指すこずえ。やっぱりあんたたち、お似合いのカップルじゃないの。

「ほら、南雲としゃべってるっしょが」

 こずえが耳打ちするのを振り切り、私は壁に寄りかかってなにやら話をしているふたりの様子をうかがった。私の後ろには貴史もきていた。うるさいったらない。

「あの野郎」

 あの野郎が立村くんなのか南雲くんなのかはわからない。両方だろう。

 貴史を思いっきり睨み、まずは隠れた方がいいかなってことで甲板までまずは引き上げることにした。ずっと立ちっぱなしだけど、うっかり座ったらすぐ寝てしまいそうだった。お互い、ほとんど寝てないってことは承知ずみ。そういえば立村くん、しっかり寝てたみたいだ。具合悪くなってないとこみると、体調もいいんだろうな。

「大丈夫だよ、とりあえず立村くんがなんとかしてくれるよ」

「あいつが丸め込まれるだけだろうが!」

「貴史もいいかげん、南雲くん相手にやきもちやくのやめなよ、みっともない」

 だんだんカップル度よりも、同性同士の塊が目立ちはじめた。一生懸命記念撮影する場所を見繕っている子もいた。そういえば私、旅行中せっかく使い捨てカメラを持ってきたのにほとんど使ってない。

「そうだ、貴史、こずえ、ちょっと海バックにして立っててよ」

 ポシェットに小さい使い捨てカメラを入れておいたままでよかった。

「はあ?」

  反応してピースサインを送るのをしっかり、納めさせていただいた。  


 話し合いが終わったんだろうか。南雲くんが立村くんから離れ、向こう側の甲板へ向かった。立村くんだけが肩をがっくり落とすような格好で、突っ立ったままだった。

「ったくこんなくだらんことやらかしてる暇あったら、早く行けっての!」

 頭を思いっきりはたかれた。背中をどんと押すのはこずえの手だった。

「そうだよ、行きな、行きな」

 あとでこずえのためにだけ、現像しなくちゃなんないんだから、お礼ひとことくらい言ってくれたっていいのに。しかたなく私たちは立村くんの側へ寄った。振り向いた顔には、「疲れた」って書かれているようだった。やっぱり、南雲くんになにかいろいろ言われたんだろうか。私のことでいろいろと、なのかな。立村くんはいかにも無理って感じの笑顔を搾り出して、首を軽く振った。

「なんでもないよ、たぶん、大丈夫だから」

「大丈夫って、ねえ、立村くん」

 私の方をじっと見て、すぐにそらした。今朝部屋を出てから、まともに話をしていないのに。すぐに貴史に視線をそらすのはどうしてなんだろう。

「立村、あの野郎になに脅されてたんだあ? 言ってみろ! 別に俺ら悪いことしてたんじゃあねえからな」

 貴史もなにエキサイトしちゃうんだろう。わかってること今更言わなくたっていいじゃない。立村くんは貴史に「まあまあ、押えろよ」って感じに手で押えるような仕種をした。なのに全然話をしないのはどうしてなんだろう。いらいらしてきたのはこずえも同じみたいだった。私と貴史の間からぬすっと頭を出して、

「ったく、あんたはほんっと最後の最後までガキなんだから! 立村、いざとなったら全部あんたが責任取りなさいよ! ちょっと頭貸しな!」

 何されるかわからないわけないじゃない、何考えてるんだろう立村くん。馬鹿正直に首をかしげてこずえの方へうつむくような格好するのはやめなさいよって言いたかった。瞬時に立村くんをぶったのは予想通り。波の音にも負けないぼこりとした音が聞こえた。こずえ、本気出してる。そうとう頭にきてたんだなって思った。文句言えばいいのに、って言いたかった。


「南雲とは取引したよ」

 首を振って立村くんは頭の後ろに手をやりながら、いかにも「無理して落ち着いている」って顔しながら繰り返した。

「今日一日、もし南雲が何か言ったりやったりしても、俺たちは何も言わないでいる、ってことだけ。今日だけは大人しく、あいつのやりたいようにやらせてやってくれってことだけ。それさえ終われば、内緒にしてくれるって言ってるよ」

「あいつの言い分、素直に信じるのかこのぼけが!」

 なんて単細胞なんだろう。こういう時は私が割って入るしかない。いっつもこうなんだから。海風が髪の毛をぺたぺたさせてて気持ち悪かった。耳にかけながら知りたいことだけすぐに聞いた。

「ねえ、その、南雲くんのやりたいことってなに?」

「たいしたことじゃないよ」

 やっと私の方をまともに見てくれた。また目をそらしそうにしたから、首をかしげてもう一度じっと見つめてやった。唇を尖らすようにして、立村くんは「いかにも無理に冷静な」振りして答えてくれた。

「学校で整列している最中に、どうしても先に帰りたいから、そこのところだけ見逃してくれって、それだけだよ」

 ──あ、それだけなんだ。

 本当に、大したことじゃなかったんだ。

 思いっきり、拍子抜け。

 ずっと私はこずえや貴史に「大丈夫、大丈夫」と繰り返していた。立村くんと南雲くんは仲良しだから……下手したら貴史よりもずっと、かもしれない……、菱本先生にあのことを言いつけたりするようなこと、絶対しないって思っていた。けど、どこかで私、「もしかしたら」って気持ちがひっかかってきていたのかもしれなかった。だってこんなに、立村くんの言ったことでほっとしたことって、今までなかったもの。思わず泣けてきそうになって、慌てて目をぱちぱちさせた。こうすると笑っているように見えるんだ。まだ噛み付こうとしている貴史の足を軽く踏んで黙らせた。

「ね、貴史、よかったよね、それだけだったら大目に見てあげなよ。今日だけは!」

 効果なし。まったく頭が痛いったらない。他の男子にだったらこんな裏の裏を読もうなんてしないくせに、南雲くんに対してだけは違うんだもの。全く子どもなんだから、みっともない。

「あいつがそれだけで満足するかと思ってるのか? 立村、いいかげん気づけよ。お前もし、あのことがばれたらどうするんだ? 俺たちはいいけどな、いくらでも言い訳利くぞ、な、古川?」

「まあね、私たちはいつものことだからねえ」

「けど、お前と美里はどうするんだ? 言い訳できるのか?」

「できるに決まってるでしょ!」

 ったく、何勘違いしてるんだろう。だから立村くんが言ってるじゃないの。南雲くんがしてほしいのは、エスケープの準備をしてほしいってことくらいなんだから。それにエスケープするまでもなく、学校に戻ってすぐ解散だって決まってるし、そんなわあわあ騒ぐことじゃないじゃない。

 同じこと思っていたのは、私だけじゃなかった。やっぱりこずえは親友だった。

「まあまあ、羽飛、いいじゃんいいじゃん、いざとなったら立村にぜーんぶ、押し付けておけばいいのよ。朝一番、美里に会いに来ただけだってことにしとけば。南雲だって立村ひとりが罪かぶることになったら、一方的にけりいれたりしないよ。私たちだけと違ってさ。そうでしょが」

 ──なんだか、すごいこと言ってるよ、こずえ。

「とにかく、今日のところは絶対に、南雲の行動を見て見ぬ振りしてくれ。それだけ、頼む」

 立村くんは貴史に四十五度体を曲げて、しっかりお辞儀をした。とたん、一瞬くらっとしたみたいで、おっとっとって感じで一、二歩かに歩きし、貴史のシャツにしがみついた。やっぱり船酔いしたのかな? 何か言おうとして私は口を開きかけた。とたん、

「おいおい、お前、甘えるのはこっちだろ」

 私と目が合ったのは、貴史の方だった。にやっと笑ったように見えたのは、気のせいだろうか。立村くんがあいかわらず貴史の方ばかり見ている。貴史は立村くんの肩を片手でぐいと押した。ボールを跳ね返すみたいに、今度は私の方に立村くんがよろけて、そのまんま胸のところにぺたんとくっついた。大丈夫、胸は触られてない。いやらしくない。

「ほら、古川、こういう二人は無視していくぞ」

 ──貴史! あんたって!

 立村くんが慌てて姿勢を正し、私の顔を見て何か言おうとした。けど聞こえなかった。貴史とこずえはしっかりカップル態勢で私たちをにやにやしながら見つめていた。

「じゃあね、仲良くね、お互いに!」  

  学校だったら思いっきり怒鳴ってやるんだけど、今は船の上だった。

 前髪をかきあげるようにして、おそるおそる私の顔をうかがっている立村くんがいた。

 貴史とこずえがいなくなった後、周りは声の響かない距離のもと、男女カップルだらけだった。

 ──今が、最後かもしれない。

 立村くんと一緒に、思いっきり近くで話ができる機会は、船から降りたらこれっきりかもしれない。潮風の冷たさと一緒に、旅行中立村くんと一緒にいた時間の少なさが染みてきた。ふたりっきりの部屋の中でも、こんなに近くで感じたことなんてない。

 一呼吸おいて、私は立村くんの腕を掴んだ。

 今だけは隣り合いたかった。

 デッキの向こうを眺め、立村くんは私の方をちらっと見た。動かないで、私の隣にいてくれた。  


 あと二時間くらいで、旅行も終わってしまう。  ヒステリー起こしたり泣きじゃくったり、みっともないとこばっかり見せてしまった私だけど、立村くんはそんな私でもかまわないって顔して、ここに立っていてくれる。

 私のことをいやらしい目で見たりしないでくれた。手首をしばったりしなくたって、立村くんは私に変なこと、しようとしなかった。

 いつもだったら隠しておけた私の本性みたいなもの。

 ──生理になったり、ちょっとひどいこと言われたくらいで、あんなに泣いちゃうなんて。

 ──あんなの、ほんとの私じゃない。

 ──あんなみっともない私、立村くんに見せたくなかったのに。

 さらけ出してしまった自分。ほんとだったら鞄の中につめこんで、ぽいと捨ててしまいたかった。

 けど、立村くんは今私の側に、いてくれる。恥かしいことばっかりして、ほんとだったら無視したって構わない「彼女」のために、逃げないでいてくれる。ぐぐっと、胸が詰まった。

「ごめんね」

 いぶかしげに立村くんは、私を横から覗き込んだ。

「別に謝られることないと思うけどさ、なに?」

「あのね、立村くん」

「だから、なんだよ」

 ぎゅっと心臓のところが苦しくなった。ちょっぴり酔ったのかもしれない。なんだか泣けてきそうだった。私、何も立村くんにしてあげてない。いつもだったらずっと立村くんの役に立つようにって、評議委員会とかクラスの行事とかで動いていられたのに、旅行中はずっと足手まといのままだった。

「なんにもさせてあげなくて」

 何にもできない自分が情けなくて、悔しくて、思わず言葉が零れた。

「き、きよさか……」

 目をひん剥いてそんなに驚かないでほしかった。がくっと体を斜めにしてふらついた。私から一歩離れた。どもっている。私の方が焦ってるのがわかる。強気な私が戻ってきた。涙の代わりに気の強い私が、一気に叫ぶ。

「だって、貴史が言ってたもの! だって、がまんしてるのって、苦しいのにって。だから、ほんとは、そういうこと、すればよかったのかもしれないけど、けど、私、そういう人じゃないって立村くんのこと、思ってたんだもん。そう思ったら、いけない?」

 もし抱き締められてたら、もしキスされていたら、もし押し倒されていたら。  そんなこと絶対ありえないってわかってる。だから一緒にいられたんだもの。

 けど、それをしてほしかったとしたら、私はどうすればよかったんだろう。

「清坂氏、違う、違うって!」

 立村くんの声が一気に震えた。びっくりするくらい、大きな声だった。モーターの音でかき消されてて、たぶん他の人たちには聞こえなかったと思う。

「どう違うの?」

「羽飛が何言ったか知らないけどさ、俺はそんなこと、しようなんて思ってない。本当だよ。清坂氏が嫌がるようなこと、わかってるのに、そう思うの当たり前だろ!」

「そうなの? 本当なの?」

「当たり前だって! だから清坂氏、こんど二人きりになっても、俺は絶対に変なこと考えたりしたりしないから、安心していいから、本当に!」


 立村くんの目が震えていた。嘘なんて絶対言わないと言いたげで、沈着冷静な皮みたいなものが剥げていた。疑うな、絶対に信じてくれ、そう伝わってきた。  私は立村くんの瞳をじっと見つめた。

 言葉の奥でどこか、反応するちりちりしたもの。どうしてだろう。もしこずえに尋ねたら、

「あんたさあ、それは女子の直感よ。男子のエロチックな本能に反応した女の賢い知恵よ」

みたいなこと言いかねないだろう。

 立村くんが懸命に弁解しているのを、おなかの一番深いところで静かに観察していた。


 ──本当に考えてなかったら、こんなに言い訳しないよ、立村くん。      

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