第五日目 34
34
羽飛がでかい荷物を抱えて美里と待ち合わせ場所へ向かった後、私はユニットバスの戸を開け、もぐりこんだ。まずはトイレを済ませて、髪の毛直して、ちっとはべっぴんさん……これ羽飛の口癖ね……になれるかな、と努力して。さっき羽飛が私に持ってきてくれたカップを洗って、口をゆすいだ。確か「消毒後」とか書いた袋に入ったままだった。間接キスなんてこと、ないかな。
──やっぱり、必死さが違うよね。
鏡に向かい、ちょっとばかり跳ね上がった頭のてっぺんを数回叩いた。なんか変なのだ。はてなマークが立っているみたいで、かなり間抜け。片手で水をすくい、髪の毛をひっぱってなんとか寝かせた。髪の毛乾いてないうちに寝ちゃったのが悪かったのかな。いつもだったら美里から、寝癖なおしスプレー借りるのだけども、羽飛にそれを求められないのもまた確か。
あ、立村なら持ってたかな。羽飛がふたりへ電話をした時に、ちょっと聞いてみればよかった。
女の子の身支度を整え、あとは予定通り荷物を持ってきてもらうのを待つだけだろう。
羽飛のことだしきっとうまく行くに決まってる。
美里もその辺はしっかりしてるもんね。
私は蓋をしめたままのトイレに腰かけて、大きく息を吸い込んだ。バスルームは扉を閉めると自動的に換気されるみたいで、ごおごおとうるさい音が鳴っていた。
──やっぱり、羽飛はそうなんだよなあ。
短めの髪の毛がかなりバスタブに残っていた。うちだったらすぐに水洗いして拾っておくんだろうけど、そんなことするのもばかばかしい。いくら羽飛の髪の毛でも、こっそり集めておまじないのなにかに使うような真似もしない。ここで確かに羽飛は寝ていた。それだけを確認するだけでいい。
本当だったら、私ももう少し焦ってどきどきするんだろう。だってとうとう、男子と同じ部屋で、一晩過ごしちゃったんだもの。なにもなかったけど、浴衣姿で二人きり、他の人にはたぶん言えないようなことまで話してしまった。そう、私の母さんの事情なんかも、ついついと。
たぶんこのあたり、菱本先生あたりはともかくとして、他の人は知らないと思う。
決して、恥かしいことなんかじゃないんだから、隠すようなことはなにもない、とも思う。
だけど、女子たちがやはり「ホステス」とか「水商売」とか「キャバレー」とか、そういう言葉に示す反応を想像すると、やはり言えない。本当のところはどうなのか、と言われても困るけれども、私はうちの母さんが家にいる時の姿しかわからないわけだし、変なこと言われても「それが?」としか言いようがない。説明できればまだ、あっけらかんと言えるのかもしれないけど、わからないんだからしょうがないじゃないの。
私なりに判断して、美里には隠していた。
特にあの、下ネタについては耐性のなさげな美里には。
けど、羽飛にはなぜかわからないけど、するっと話せた。
なんもいやな顔しないで聞いてくれた羽飛見てて、なんだかほおっとした。どうしてか、私もわからないけど、嬉しいことだからあまり勘ぐらなくたって、いいよね。
頬を両手で軽くはたいた。ぱっぱと叩くみたいにした。
実はまだちょっと寝不足なのかもしれない。目の下は隈が残っている。美里だったらこういう時、どうするんだろう? きっと水を懸命にぱちぱち目の周りにはたいて、「どうしよう、こんな顔じゃ外に出られないよ!」とか騒ぐんだろうか。少しは私も、美里の真似をした方がいいんだろうか。もし、羽飛に好かれたいのだとしたら。
そうだ、羽飛はやはりそうなんだから。
私のことよりも、美里のことが気になってしかたないんだから。
美里に電話をしていた時、羽飛は何度か、「何もない」とかいう言葉を口にしていた。
私も眠くて、実際どういう会話をしていたかは記憶に曖昧だけど、でも私と何もなかったってことを懸命に否定していたことだけはずっと伝わってきていた。もちろん、それは本当のことだし、そう言ってもらったほうがいいってこともわかっている。だけど、なにもあんな一生懸命に私と何もないんだってこと、強調しなくたっていいじゃないのさ。
考えすぎは立村の専売特許かもしれない。だけど、羽飛にはついつい、そう思いたくなってしまう。もしもあの夜、羽飛とふたりで川の地になって眠れたら、どんなことが起こったか想像してしまう。きっとふたりっきりで、もっと甘いこと話せたかもしれない。二年の夏に羽飛が一時的に付き合っていた下級生のこととか、最近やたらとラブレターをもらうことが多いらしいことの真実とか、南雲との一騎打ちの予定はいつなのかとか、それと、そうだ。キスは、未経験なのかなとか。
なんとなくだけど、羽飛はキス経験あるんじゃないかな、って気がしていた。
これは私の直感だけど。
それ以上はどうかわからないけど、なんか立村を含む男子連中に比べると、落ち着きがありすぎる。真面目に聞いたら「おーそうさ! 俺は毎朝、優ちゃんのポスターにちゅーしてるさ!」と開き直られそうなのでやめておいた。私の目からみると、あとキス経験者は南雲かな。ひとりふたりじゃないと思う。彰子ちゃんもあいつの魔の手……南雲には恨みなしだけど……にかかったのかな。あのぷりぷりした唇を南雲めもし奪いやがったら……とひとりでエキサイトしてしまいたくなる。
ただ、初体験はまだかな、ってのも直感でなんとなくわかる。
だってもし、羽飛が経験していたら、あの場で「据え膳食べない」訳がないもの。
せめて、キスくらいはしてくれないわけ、ないもの。
鏡をもう一回覗き込んだ。なんか冴えない今日の私。
羽飛も、この顔みたら、食べる気なくしたのかな。ああ、旅行が終わったら美里に教わって、こっそりメイクの方法教えてもらおうっと。
──けど、じゃあ、立村は?
美里のダーリンがどうしていたのか? このあたりは私も想像がつかない。
羽飛の電話状況によると、「全くその気なし」らしい。だけどわからんよ。私と羽飛のカップルに比べて、あの二人曲がりなりにも一年間付き合ってるからね。キスくらいは済ませても、私は驚かない。ってか、それくらいしなよ、って言いたくなる。あの立村がどういう面して、美里の唇に食いついたかを考えると爆笑もんだけどもだ。どこかの映画女優さんのセリフで「鼻がぶつかりあわないの?」という言葉が有名だけど、立村のことだ、鼻を骨折するくらいぶつけて、美里に鼻の先撫でられてたりして。あのふたり、ほんと、シュチュエーションを想像するだけでも楽しいわ。
他人のことだったらいくらでも、楽しめるのに、なんでだろう。私自身のことになると、なにも手も足も出なくなってしまうなんて。小さい部屋で一人きりでいると、考えたくもないことばっかり、浮かび上がってくる。そうだ、結局羽飛は、美里でないとだめなんだってことが。
わかってないわけじゃなかった。
いくら羽飛と美里が「大親友」と言い張ったって、私の目には「両思い」としか映らなかった。立村と美里が付き合い始めてからも、目は慣れなかった。本当だったら、最大のライバルだった美里があっさり別の男子に走ってくれたからラッキーって素直に思えたのに。なんだか違和感ありありの状態が続いていた。
もちろん美里は、立村のことが本当に、それこそ本気で好きなんだ。
どんなに野次馬たちから「あんな奴のどこいいのさ!」と馬鹿にされたって、全く心揺るがない様子見ていたら、誰だってわかる。これって女子にとってはすごいことなんだから。美里くらいのルックスと元気な性格のふたつが揃っていたら、それこそ男子の交際申し込みは殺到すること請け合いだ。さすがに最近は、立村が評議委員長になっちまったこともあってなりを潜めているけれども、かなりの男子たちが指をくわえてみているらしいという噂も耳にする。その一方で美里に敵意を抱いている女子たちからすると、「彼氏があの立村」だというのは最大のつっこみ場所だ。立村なんか美里でなければ付き合いたいなんて思う子、まずいないだろうし。頭もいいのか悪いのかわけわかんないし、はっきりした言い方しないでうじうじしているし、それに暗い。話をすれば悪い奴じゃないとわかるんだろうけど、でも恋愛対象にはならないってタイプだ。一部では、杉本さんが評議委員会にいた頃に異様なほど面倒を見ていたのを聞いて、「だから立村は、美里よりも杉本さんの面倒を見ていたほうがいいのよ!」という声も挙がっていた。このあたりは私も、まあ、そうだな、と思わなくもなかった。私自身のためにはできれば美里と立村のカップルが壊れないでほしかったけど、立村サイドからしたらたぶん、それが自然だろうとも思えてならなかった。美里がもし、立村に告白するのがもう少し遅くなったとしたら、きっとこの四角関係も今のような状態じゃなかったんだろうな。
いつもだったら目をそむけていたいことばかりだ。
立村と美里が自然と、彼氏彼女になっていってそれなりに仲良くなっていって。本当だったらもっと嫉妬したっておかしくないのに、ついつい応援したくなってしまうのはどうしてか。
──私が、あのふたり、本当にカップルなんだって、思えないからなんだ。
何か無理矢理どきどきものの展開に持っていかない限り、あのままのような気がする。
思いっきりどかんとなにか、しなくっちゃ。
けど、もしもだ。もしも美里が立村と、いたしちゃったとしたら?
まずないだろう、立村の性格だったら。それに美里はつい五日前、あれになっちゃったばかりだ。いくら妊娠しない時期だとわかっていても……けど、わからない。好きな女子とふたりきりになったら、必ず手を出して当然だって雑誌にも書いてあった。羽飛は手を全然出してくれなかったけどそれは、好きな女子じゃなかったからだろうな。それに下半身の要求はすごいらしいって聞くけど、それって中学生じゃまだ早いよ。高校生になって足にすね毛が生える頃でないと無理だよきっと。
ふたりきり、というシュチュエーション。全く可能性がないわけではない。
美里がもし、そうだったら。
初めて、経験しちゃってたら。
女子ってその日の朝、どういう顔してるんだろう。
男子もその時、どうしているんだろう。
立村には軽く突っ込んでやれるかもしれないけど、美里にそれはできそうにない。
なんだか気分が悶々としてきてしまった。要するに私は、美里にやきもち妬いてるんだ。
三年前からずうっと。普段の私だったらそんなこと思わないのに。きっと、このバスルームに落ちていた、髪の毛のせいだ。
物音がした。うっかり顔を出して先生とご対面なんてなったらしゃれにならないので、物音させず黙って座っていた。すぐにこちらの方へ向かう足音。誰だかすぐにわかったけど、動かない。「古川、古川、開けるぞ」
「サンキュー!」
無事、物々交換は終わったみたいだ。ありがや。私のかなり大きな鞄を大事そうに抱え、そっと差し出してくれた羽飛。なんだか遠慮がちだったのがちょっと意外だった。
「うわあ、完璧、やるじゃあん」
「やばかったんだぞ、ったく、俺に感謝しろ!」
羽飛の格好はもう完璧、制服姿だった。浴衣はベッドの上に投げっぱなしだった。私はありがたく受取ると、すぐにバスルームへ篭って着替えすることにした。鞄のチャックを開けてみると、美里の気遣いかきちんとたたんでくれているのがわかった。靴下も入ってる。全部荷物まとめてくれたなだなってわかる。やっぱりこのあたり、女の子らしい美里に軍配上がっても、しょうがないかな。全部着てから髪の毛をもう一度直した。よかった、靴も入ってる!
身だしなみが整ったところで私はバスルームから出た。ブレザーを着込み、朝のテレビニュースを眺めている羽飛。なんだか眠そうな顔だった。後ろに回って軽くぽんぽんと叩いてやった。「ああ?」と意味不明な言葉を呟く羽飛に、私はお得意のマッサージをしてあげた。
「さっきのお礼、ありがとうね」
「あ、ああ」
照れてるのかな? 少しは意識してくれたんだろうか。じゃあもっと気合入れて揉んじゃうぞ。
「美里はこういうこと、してくれないでしょうが」
「お前、感謝の気持ちを表すのはありがたいんだが、もっとやりかたあるだろう」
とか言いつつも、羽飛の奴全然、いやがってないのがわかる。嬉しいなあ。
「ところでさ、美里の様子どうだった?」
やっぱり気になるのでまずは質問してみた。答えによっては指先にかなり力が入るかもしれない。あまり過敏反応しなくてもよさそうな調子で羽飛は返事した。
「仲良くやってたみたいだぞ」
「え、やってたって、やっぱりい?」
「んなわけねえだろ、しゃべっただけみたいだ」
「ふうん、だけど密室で二人っきりって何があるか、わからないよねえ」
ちっとも私だって信じてないくせに、つっこみたくなってしまう。
「立村に限ってんなことねえよ」
不機嫌そうになったんで、これ以上つっこみを入れるのはやめた。羽飛の背中を思いっきりぽんと叩いて、
「さ、感謝終り! あとは立村と連絡取るからね。電話貸して!」
「そうだな、遅刻作戦だな」
まずは羽飛を先に部屋から出す。荷物をぐっちゃぐちゃにして詰め込んでいた羽飛は面倒臭そうにあくびしていたけれども、私を手伝わせてくれないんだから自業自得だ。私はトランクの詰め替えとか得意なんだから任せてくれたっていいのにさ。忘れ物確認はきちんとした。たぶん、何にもないと思うし、ふたりっきりでいたような証拠も隠したはずだ。
「じゃあ、あとでよろしく!」
「成功を祈る」
妙にかっこつけるような調子で羽飛は呟き、私の方を全く見ずに出て行った。せめて一度くらい、ひょいっと私に向かってウインクして「君の瞳に乾杯!」とか言ってくれたっていいじゃないの。いやそれって、ないものねだりかもね。
しばらく私は様子をうかがっていた。計画で行くと男子が全員部屋を出てその後ダッシュで廊下を駆け抜けエレベーターに乗る、言ってみればこれだけだ。たぶん先生たちは先に集合場所に下りているだろう。けどあまり遅いと様子に戻ってくるかもしれない。このホテルの客室、カード式の鍵だし外からは開かないようになっているからすぐにばれることはないかもしれないけど、用心に越したことはない。
廊下の物音を神妙に聞く。
──おいおい、お前寝てねえの?
──やべえ、忘れてきちまった!
──あれ、捨てたのかよ。
──知らなねえよ。
男子たちの会話はほんとつまらなかった。もっと恋の話に燃えているんじゃないかとか、好きな子への想いとか、一杯詰まっているんじゃないかって期待してたのに残念だ。男子ってやっぱり、恋愛のことなんて二の次、三の次なんだろう。羽飛を例外としてみたわけではなく、みんなそうなんだろう。どんなに私が思いを込めても無駄なんだろう。
声を潜める格好で、私はベッドとベッドの間にしゃがみこみ、受話器を取った。電話をかけた。
「もしもし美里?」
──あ、こずえ、もう貴史出た?
少しご機嫌斜めかな、とも思ったけど、たぶん朝食抜き状態だからだろう。
「うん、もうたったと。だから美里ももうそろそろ動いた方いいよ。立村にも言っといて。女子たちがいなくなったらこっちに二回ベルを鳴らして、それから切ってって」
──けど、大丈夫かなあ。
側には立村がいるんだろう。語尾が柔らかかった。
「大丈夫だって。私が立てた計画、こけるわけないじゃないのさ。あんたの側にいる立村に言っといて。絶対、女子全員が出て行くまで待ちなさいってね」
──うん、わかった。
「それとさ、もう一つ聞きたいんだけどいい?」
──なあに?
「結局、あんたと立村、どこまで行ったの?」
怒るだろうなあ。ちょっとからかってやりたかっただけだけど、やっぱり美里の反応は予想通りだった。声のトーンが上がっている様子だ。どもっちゃうところが怪しいぞ。
──な、何よ! そんな変なことしてないんだからね! 話しただけ、話した!
なんだか羽飛と同じようなこと言っているようだけど、それはしょうがないか。あとで……船の中でこっそりと話すのも悪くはないかな。
──こずえの方はどうなのよ。
「どうも何もないわよ。なーんもないってね。あ、そこで妄想にむらむらしている奴に言っといて私と羽飛のことで明日以降の夜のおかずに使おうとしたってむだだよってね」
──そんな変なこと言わないでよ!
「じゃあ、あとはよろしく!」
立村とも打ち合わせしておきたかったけれども、あまり長話するのもなんなのでやめておいた。こんなとこだろう。指紋を調べるとは思えなかったけれど、シーツの端っこで受話器を拭いておいた。念には念を入れて、だ。
バスルームの中に隠れてだいたい十分くらいだろうか。二回、ぷぷ、ぷぷ、と鳴って切れた。
いつのまにか廊下は静まり返っていた。
集合時間まであと一分程度だ。もう動いても構わないだろう。
──さあ、いくか!
自分に気合をつけてみた。羽飛が持ってきてくれた荷物を肩に担いで、スカートのしわと髪の毛のくせを確認した。さあ、これからが勝負。一階上の立村にも念を送っておいた。届いているかわからないけど、
──あとはあんたがドジ踏まなければ完璧なんだからね! 頼んだよ!
あのどうしようもない軟弱委員長も、美里のためだったらもう少しがんばってくれるだろう。
廊下に出ると人はやっぱりいなかった。どの部屋も全部戸が閉まっていた。当たり前だけど。とにかく荷物を持ったまま、全速力で駆け抜けた。万が一、誰かが出てきたら大変なんだけども幸いそんなこともなく、エレベーター前にたどり着いた。下に向かうボタンを押し、じりじりしながら待つ。ここで女子が乗ってきたら一貫の終りなんだけどそれは私なりにシナリオ設定ずみ。「さっき頼まれて男子たち呼びに行ったんだ!」とか言えば大丈夫だ。私だってそのくらいのことはできる。美里にできないことを私がやったげたっていいじゃないのさ。私が羽飛にできることったら、せいぜいそのくらいなんだから。
エレベーターに乗り込み私は、乗り込んでいる人たちの顔を覗き込んで「おはようございます!」とにっこり笑顔で声をかけた。成功、間違いなし。
ロビーの真ん前、エレベーターから、歌番組の歌手みたいな顔して登場した時、一気に「おっせー」の合唱に迎えられた。腕時計を見ると集合時刻五分オーバー、三年D組の女子たちは全員揃っていた。誰一人怪しんでいない。ただし菱本先生を含む教師一同はかなりのお冠だった。予定通りとはいえ、怒られるのは嬉しくない。すでに美里は列の先頭に立って点呼を取っていた。ちゃんとおめかししていたみたいだ。ここで詳しい話をすると怪しまれるので、私は両手を合わせて「ごめんね」のゼスチャーをしておいた。なあにが「ごめんね」なんだかよくわからないだろうけれども。
「古川、どうしたんだ、ひと風呂浴びてきたのか、ったく女子はあ」
「ごめんなさーい! やっぱり先生、女子には身だしなみってもんがあるのよ!」
「遅刻厳禁だぞ、旅行終わったら罰掃除だぞ」
やだなあ、なんでこういうのりなんだろう。そそくさと女子たちの列に交じり合い、全員眠そうな顔をしている中に忍び込んだ。羽飛を探し、ちらっと目で合図したけれども、あいつ全然私の方を見ようとしなかった。舌打ちして、時計覗き込みながら、ずっとエレベーターあたりを眺めている。立村が来ないからいらいらしてるんだろう。けどちっとくらい私の方みて、「よくやった!」みたいなこと言ってくれたっていいじゃないのさ。なにさ、せっかく一夜を共にした仲なのにさ!
「おーい、清坂、あとは誰がこないんだ」
「ええっと……」
美里が口ごもるようにして、ちらっと私と貴史の方を見た。立村くんが、って言おうとしているんだろうな、理由がわかっているだけに、言えないか。
「評議委員長かあ。ったくあいつはあ」
菱本先生が舌打ちした時、目の前のエレベーターがしゅうっと開いた。
予定通り、怒られて、これで終りのはず、だった。私の計画通りだったら。
「すんませーん、先生、ちょっと一風呂浴びてきたわけで、かなり遅刻しました、申しわけないです!」
昨日とは打って変わって明るい口調の、気障男が一人。本人の申告どおり、奴の髪の毛はきれいにブローが決まっている。女子ファンたちのささやき声に包まれた中、もうひとりの地味な奴がその脇から幽霊みたいに顔を出した。まさに真っ白。おしろいはたいてきたかってくらいだった。
「なんだあ、南雲、規律委員長ともあろうもんが! 十分近く遅刻だぞ。こういう場合、お前だったら違反カード何枚切るんだ?」
「罰掃除、お任せあれです。もう一人、相棒もいるし。ぴっかぴかに磨きますよ! な、りっちゃん?」
私と美里、あと羽飛にきれいな三角形の視線を送った後、南雲規律委員長はぺこっと一礼すると、「さ、りっちゃん船の上で、掃除の段取り、相談しような」と立村の肩を叩いた。私たちに流し目したあの態度と、やたら勝ち誇ったあの表情、いったいなんなんだろう? 羽飛がぶっちぎれてないといいんだけど。おそるおそる羽飛の方を覗き見ると、予想通り物凄い目で南雲を睨みつけていた。美里が立村の方に話し掛けようとしてたけど、先生の手前かシカトされちゃったみたいだった。
立村が私たちの方を振り返った。一瞬だけ両目を閉じて、こくっと頭を下げた。誰もいなかったら思いっきりどついてやりたいところだった。いったいあいつ、最後の最後で何をしくじったんだろう。唯一、ご機嫌よさげな南雲はのんびりと他の仲間連中と言葉を交わしていた。すぐ側に並んでいる羽飛が仏頂面しているだけですんでるとこみると、私たちの一夜についての話をしているわけではなさそうだった。
「よーし、全員揃ったな! 最後の最後までお前らなんやかんややらかしてくれたなあ。まあいい、最後はきっちり締めるぞ、いいか、みなさん、どうもありがとうございましたってでかい声で言え、いいな!」
菱本先生は実に平和な人だと、つくづく私は思った。
最後の最後まで、ほんと、何が起こるかわからないって、私たちの方だってば。
これできっちり、どうやって締めれっていうの。