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第四日目 32

32

 

「縛ってって、なんで?」

 立村くんの真剣な目に、おちゃらかすことなんてできなくて、でもどうしてそんなこというのかわからなくて、私はそれしか返事を返すことができなかった。

「だから、怖いだろ、俺もそんなこと、したくないから」

 ずっと唇をかみ締めるようにして、膝をかかえた窮屈な格好で座りつづけていた立村くん。ゆいちゃんのこととか、評議委員会のこととか、そういう硬い話ばっかりしていたのに、どうしていきなり変なこと言い出すんだろう。これがもし貴史とかだったら、「なあにさ、あんたばっかじゃないの、監禁ゲームでもするつもり?」とか言ってからかうんだろうけど、立村くんにそんなこと、言えるわけがない。だから聞きかえすしかできない。きっと、真面目は返事が返ってくるだろうから、それに答えを返すしかない。

「怖いって、どうして?」

「そんなこと、言わないとまずいのか」

 少し乱暴な口調になったけど、すぐに気がついてくれたのか、すっとうつむいた。膝と膝の間に両腕を挟み込むような格好になり、立村くんはもう一度からだを竦めた。

「だって、言ってくれないとわかんないよ。私、前から言ってるよね。立村くんがどうしてほしいか、どうすればうれしいか、そういうこと、ちゃんと言葉にしてくれないと伝わらないんだよ」

「けどさ」

 言いかけて、すぐに黙り込んだ。立村くんって困った時はすぐにこうやって口を閉ざしてしまう悪いくせがある。いつも私、泣かされていた……んじゃなくて、腹がたってならなくなったものだった。だから何度も「立村くん、どうして言ってくれないの!」って文句ばっかり言っていた。

「私、立村くんのこと、絶対嫌いにならないって前から約束してるでしょ」

「それとこれとは違うだろう」

「違わないよ、立村くん、さっきから変だよ。なんでそんな窮屈な格好して座ってるのか、どうしていきなり縛ってくれなんていうのか、私、ちっともわかんないもん」

 立村くんは私の顔から視線を逸らし、ぎゅっと唇を噛んだままでいた。その後、背を向けた。

「ごめん、やっぱり眠くなってきたから、横になっていいかな」

「だめ、こっち向かなくちゃまずいよ。もし先生たちが覗きにきたらどうするのよ!」

 口に出してみて、すぐに解決策を発見した。今後ろ向きになっている立村くんの寝姿、なんかこずえにそっくりだ。

「じゃあ、なんか飲み物出すね。サイダーあるんだ! 冷蔵庫に入ってるかなあ」

 ちょうどいいところで、喉が渇いていたのを思い出し、私は冷蔵庫へかがみ込んだ。真四角の白い冷蔵庫を開けてみると、大丈夫、ネクターとサイダーが一缶ずつ並んでいた。立村くんにはサイダーをあげよう。冷たくなったサイダー缶を取り出し、まだ手錠待ちしている立村くんの手に握らせた。

「これで、いいでしょ」

 私に目を合わせずに、立村くんはひとこと、「ありがとう」とぶっきらぼうに答えた。貴史みたいだった。ここんとこだけ。


「あのさ、清坂氏」

 ふたり、黙ってまずは喉を潤した。なんかわからないけど、からからに乾いていた。お風呂から上がって何も飲まなかったからだろうな。立村くんは一気に半分くらい飲み干していた。口を手の甲で拭いて、

「なあに」

「もう、大丈夫なのか」

 言葉を濁すような感じで、やっぱり私と目を合わせたくないような顔をしてうつむいている。膝、伸ばせばいいのに。缶を両手で握りしめたまま、か細い声で私に尋ねている。顔あげればいいのに。言っている意味が最初わからなくて、聞き返した。

「だから、具合もう、悪くないのかなって思ったんだ」

 きっとあれのことだ。急に口の中に残ったネクターがどろっとしてくる。さっきお風呂に入った時確認したら、だいぶ終わっていたので大丈夫だと思うけど、いくら立村くんでも、そんなこと聞いてほしくなかった。だって答え方、わからない。

「うん、平気」

「それならよかった」

 立村くんは両手の指を絡め合わせたまま、数回缶を握り締めるような仕種をした。

「俺って馬鹿だから、もしかしたら清坂氏に、酷いことしたかもしれないけど」

「ううん、してないよ、平気」

 琴音ちゃんのことなんて、気にしてない、そう言おうと思った。けど、そんなこと言ったらかえって気にしているって顔に見えてしまうかもしれない。本当に琴音ちゃんのことなんて、どうでもいいって思ってるんだから、ちらっとでも想像されるのはいやだった。立村くんはやっぱり目を私に向けずに、ぼそぼそと話しつづけた。

「けど、もしさ、もし、さっきのことのように、清坂氏が一番傷つく立場にいて、清坂氏にとって一番いいことを選べるとしたら、俺はそれを支持するから。それは変わらないから」 

 さっきのゆいちゃんに関する話をしているんだろうか。少しだけびびっとくるものがあった。

「誰も、傷つけないようにして、うまくいかせるってこと、やっぱり無理なんだろうな」

 ──そんなこと言われたって、私わかんないよ。

 胸にひりひりするものが走るのは、どうしてなのかわかっている。

 だから知らん振りしていたかった。

 立村くんもきっと気がついていないのかもしれないけど。

「無理だよ。誰かが必ず傷ついちゃうよ。それは、しかたないことだと思うよ」

 ちょっと冷たい言い方を返してしまった。


 あの立村くんが、精一杯私へ言葉を伝えようとしてくれる。それがどれだけ大変なことか、わからないわけじゃなかったし、それはそれでいいと思っていた。だけどきっと立村くん、気がついていない。「誰も傷つけないように」って言葉は裏を返すと、私を含めたほかの人たちもみんな救いたいってことなんだから。私だけ、ってことじゃないんだから。

 ──私、いつになったら立村くんの特別になれるんだろう。

 きっと、ゆいちゃん琴音ちゃん小春ちゃん、みんながピンチになった時に、立村くんは評議委員長として権限を駆使して、プラスに向かうようにしようって努力するだろう。私の時もきっと。だけど、立村くんは私だけが助けを求めていて、他の人たちがどうでもいいって時、一番に助けに来てくれるんだろうか? なんかそのあたりがあやふやに思えてならなかった。

 ううん、違う。きっと大切にしてくれるって思いたい。

 二日目の朝、バスへ荷物を運んでくれた時だってそう。

 彰子ちゃんから聞いた話。男子たちに「もし余計なこと言い出したらぶっ殺す」とか言って、木刀の短剣をかざしてみせたとか。

 本当だろうし、それがどれだけ嬉しいかってことも、わかっているつもり。

 だけど、いつも思ってしまうのだ。

 きっと他の人たちが苦しんでいる時も、この人はそうしようってするんだということ。

 私だけが特別なんじゃないってこと。

 ──ううん、いる。立村くんにとっての特別がいるよ。

 立村くんの横顔をのぞきこんでいるうちに、つい、意地悪な言葉が滑り落ちた。

「杉本さんに、お土産買った?」


 ずっとうじうじした感じでうつむいていた立村くんが、ふうっと顔を上げた。目が覚めてすっきりしたって感じだった。

「買った。そうだ、買ったよ、忘れるとこだった」

 ──やっぱりね。 

 どうして「やっぱり」なのかわからないのだけど、私は思わず呟いた。

「どこで?」

「ホテルの売店で」

 なんてしけたとこで買ったんだろう。一番のお気に入り一年女子なのに? じりっと気持ちが擦れるような音が聞こえた。

「何買ったの?」

「俺が買ったんじゃなくて、ええと、西月さんに選んでもらったんだ。そうだ、そうだ」

 何一人で頷いてるんだろう。私相手にずっと、落ち込んだ顔したりひざ抱えて妙なこと言い出したりした時とは違う。全く違う表情で、頼みもしないのにしゃべりだした。声も明るいのはどうしてなんだろう。私の顔をしっかり見ながら、ちょっぴり笑ってくれたのだけが救いだった。


「ここについてすぐ、売店に行ったんだ。うちの母親と、あと関係の人とかに買わないと半殺しに遭うのが目に見えてるからさ」

 まあね、立村くんのお母さん、怖い人なんだもんね。貴史が見かけたことあるって言ってたけど、すっごくべっぴんさんなんだって話は聞いたことあるよ。怖い人なんだよね。

「食べ物でいいかな、と思ってさっさと買いためたら、たまたま西月さんがいたんだ」

「小春ちゃんが?」

 ひとりでいたんだろうか小春ちゃん。自分のことで頭が一杯だったせいか、小春ちゃんがこの旅行楽しんでいたのかどうか、全く気にしないでいた。ちょっぴり自己嫌悪を感じてしまう。甘いはずのネクターがちょっぴり苦くなる。今夜小春ちゃんは、ゆいちゃんと一緒の部屋に寝泊りしているはずだ。どんな話してるんだろう。ううん、ゆいちゃん、また一方的に小春ちゃんにしゃべりかけているのかな。明日きちんと話かけてみよう、そう決めた。

「ひとりでいたから、話し掛けてもいいかなって思ってさ。ほら、西月さん、杉本のことめっぽう可愛がっているだろ。なんとなくキーホルダーとかそのあたり弄っていたから、聞いてみたんだ」

「杉本さん、どういうのが好きなのかなって?」

 どうして私に聞かなかったんだろう、というのは僻みだから飲み込む。

「そう、無理に筆談しなくても、話しかければそれなりに身振り手振りで話も通じるからさ、西月さんも杉本のことよく知ってるし、結局二人でお金出し合って、少し大きめの手鏡を買うことにしたんだ。千円くらいのを」

 なんとゴージャスなんだろう。っておどろいたらいけないかな。立村くんの好みは和風。私もそういうのが好きなんだと思い込んで、去年のクリスマスにはちりめんのくしゃくしゃっとした緑色のハンカチをもらった。

「どういう感じなの?」

「プラスチックなんだけど、黒地に黄色い満月と、あとほたるが飛び交っている様子が描かれているんだ。そうだな、金沢の書く絵になんとなく似ている雰囲気」

 大体イメージが湧いてくるってのが不思議だ。金沢くんの書く絵は、どこか上品で女の子受けするところがあるんだ。私も好き。立村くんは絵がわからないなんてコンプレックス持っているみたいだけど、私と同じ好みのとこあるんだって、嬉しくなった。

 でもそうか。立村くんと小春ちゃんが選んだということは、誰がお土産として持っていくんだろう。やっぱり小春ちゃんだろうな。評議委員会から出されて『E組』送りになってから、杉本さんは立村くんに対してめっぽう厳しく接するようになった。それは当然だと私も思う。立村くんもどうしてそうされるのがをよおく考えるべきじゃないかって思う。この旅行が終わったらすぐ、水鳥中学生徒会のみなさんと合流会をやる予定なのに、杉本さんには一切参加させないようにするって約束しているらしいのに。そんな酷いことされて、怒らないわけないじゃない。そっとしてあげればいいのに。旅行前も小春ちゃんと近江さんとのことでごたごたがあって、立村くんてば私じゃなくて杉本さんを無理矢理、弾劾裁判の付き添いに連れていった。杉本さんだって迷惑だったろうになって、ほんと可哀想に思っちゃったのは私だけだろうか。

 杉本さんのことを考えていると、ついいらいらしてしまう。

 変わった言葉遣いと、無表情で男子に対してきつい以外は、すごくかわいいいい子なんだけどな。

 立村くんってば、ところどころ笑い声を立てながらしゃべっている。なんだか泣きたくなった。


「それでレジに行って、割り勘で払って包んでもらっていたんだ。そうしたらさ、なんだか背中に変なものを感じたんだ」

「変なものってなに?」

 まさか、私がドッベルゲンガーになって取り付いたとか? なんか冗談みたいなことを言いたくなった。立村くんがあまりにも楽しそうだから。そんなに小春ちゃんと一緒にいるのが楽しかったんだろうか。いや、思い遣ってあげてるだけだってわかってるけど。

「うまく言えないんだけどさ、ほら、視線を感じるっていうのかな。授業中、絶対当てられないようにってうつむいていたら、頭の上がちりちりしてきて、頭を上げたとたん先生に名指しされるって。それに近い」

「なんだかわかるよそれ!」

 私も頷いた。経験、おおいにあり。

「変だなって思って、振り返ってみたらさ。売店の通路の方でひとり、ジャージ姿で俺を睨みつけてる奴がいるんだよ。誰だろうって思ってこちらもじっと見てたら、いきなり背向けて走り出したんだ。西月さんは気がついてなかったみたいだったし、俺も何も言わなかったけど、ただ怖かったな。誰かにこれ、言いたくてなんなかったんだけど、言う機会なくてさ」

 一人で受けてるのはやめなよって言いたかった。けど、どうしてこんなに楽しそうに笑うんだろう。睨まれて恨まれてるって可能性だってあるのに。

「どういう男子? どこのクラス? またけんか売られたらどうするのよ」

「あまり見覚えないんだ。俺、人の顔覚えるの苦手だからさ」

 それにしてもほどがある。

「じゃあ特徴、言ってみてよ。背はどのくらいだったの?」

「俺とほとんど変わらないんじゃないかな。背は同じくらいで、大人しそうな顔してて、そうだな、水鳥中学のほら、佐川っていただろ、ああいう感じ」

 一度しか会ったことがない相手だったけど、だいたいそれだけで見当がついた。小春ちゃんに関係する人ったら、あの「彼」しかいない。

「立村くんさあ、ほんっと、人の顔覚えるのって苦手だよね」

 私も思いっきり笑ってやりたくなった。

「その男子、たぶんA組の片岡くんだよ。絶対そうだと思う!」

「片岡、って確か英語で最近俺の次に入っている名前の、奴か?」

 やっぱり英語学年トップとしてはそちらの方での認識が強いんだって改めて思った。

 もっと有名な事件がたくさんあるっていうのに。立村くんのお父さんは「週刊アントワネット」の記者だっていうけれど、もう少し息子たるあなたも、学校内の事件のこと気にしなさいって言いたかった。

「ほら、小春ちゃんに毎日薔薇の花を持って通って、想いを伝えたっていう、ロマンチックなあの男子よ。それと、あの」

「ああ、そうか」

 また立村くんはうつむいて、小声で呟いた。

「それなら話は通る。怒るはずだよ、無理ないな」

 一年の時、プールの授業中に女子の下着を盗んで捕まり、つい最近自分からその罪を認める発言をした彼のことだった。立村くんはどうだか知らないけど、私たち女子はみな「危険人物」として片岡くんのことを認識していた。近寄られるのも汚らわしいって思っていた。ゆいちゃんも怒っていた。「なんであんな下着ドロなんかと小春ちゃんがくっつかなくちゃいけないのよ!」って激昂していた。私も小春ちゃんに、そこまで落ちることはないんじゃないのって言ってあげたかった。小春ちゃんとこの旅行中ほとんど話をする機会がなかったのは、なんとその片岡くんと一緒に歩いたり、行動したりしているところを見かけていたからだった。小春ちゃんが言葉を失ってうつむき加減でいるのを、片岡くんらしき男子は懸命に鞄もったり、道案内したり、話し掛けたりと一生懸命に何かをしていた。きっと小春ちゃん、天羽くんにそういうことをしてもらいたかったんだろう。けどそれは叶わない。だからって、「下着ドロ」にそういうことしてもらって、うれしいんだろうか。私だったら、絶対いやだ。小春ちゃん、どういうつもりであの片岡くんって子と一緒に行動しているんだろう。このままだったら一緒に、馬鹿にされるってことわかっているはずなのに。

「立村くん、小春ちゃんのこと、どう思う?」

 さっきまで杉本さんのことで頭が一杯だったのに、どうしてだか脈略もなく小春ちゃんの方に話を持っていきたくなってしまった。私もやっぱり、なんだか変かもしれない。立村くんがきょとんとした顔で私を見る。いっぱい、言い返さないと気がすまない。


「旅行の前の日に、立村くん小春ちゃんと天羽くんのことで、弾劾やったんだよね。その結果については私、何も言わないよ。だって立村くんが精一杯考えてやったことだってわかってるもん。だけど、これから先、小春ちゃんどうなるか考えたことあるの? さっき立村くんが言ってくれたことどおりに考えると、一番あの事件で傷ついてるのは小春ちゃんだよ。言葉も出なくなっちゃったし、それにあの、片岡くんって人と付き合うことになっちゃったんだから。それをどう考えるの? 一番傷つく人が、将来一番救われる路ってのが、それなの?」

 こっくり頷く立村くん。膝をいつのまにか伸ばしている。

「俺なりに、これがベストだって思ったんだ。もちろん、西月さんがどう思っているかはわからないけどさ。けど、その……片岡、だったっけ。俺が噂で聞いた話だと、A組でちゃんと今までの問題を解決して、周りからも少しずつ受け入れられていってるってことだし。もちろん西月さんの気持ちが落ち着くのはまだ先だろうけど、きっとうまくいくような気がするんだ。なんとなくだけどさ」

「けど、このままだと小春ちゃん、下着ドロとくっつく扱いになっちゃうんだよ!」

 声が出た。まずいって思ったけど、叫ばずにはいられない。

「だって、男子にはわからないよね。女子の下着を盗む奴が、どんなにお金持ちでも性格よくても、人間として認められないに決まってるじゃないってこと。A組の男子、あと天羽くんはその片岡くんって男子を、仲間として受け入れたかもしれないよ。だけど、盗まれた女子の気持ちってどうなるの? 被害者の気持ちって無視なわけ? そんなのずるいよね。私認めたくないよ。小春ちゃんだって」

「いや、西月さんは、自分からその片岡と一緒に歩くことを選んでいたわけだから。俺も何度か見かけたけど、ばい菌扱いもしてなかったし、たまに笑いかけてもいたみたいだし」

「そんなの男子にはわかんないよ! 立村くんもやっぱり男子なんだね!」

 悔しい。男子ってどうしてそうなんだろう。いったん謝って「みそぎ」をすれば、すべて許されると思ってるんだ。スカートめくりされて恥かしくて学校にいけない子とか、さっきの私みたいにお風呂上りを見られて慌てて隠れた子とか、そういう子たちの気持ち、ちっとも理解しようとしないんだ。私があの、あれになったことを、水口くんはさんざんはやしたててたけど、ああいうのもきっと冗談のうちだと思うんだろうな。きっと立村くんも、私に対しては特別扱いしてくれたけども、小春ちゃんに対しては「ああ、それでいいんじゃないの、下着ドロと付き合うのも悪くないんじゃないの」とか思っているに決まっている。

「小春ちゃん、学校帰ったらきっと悲惨なことになっちゃうんだよ。いくらあの下着ドロって子が小春ちゃんのこと大好きでも、女子たちには思いっきり馬鹿にされちゃうんだよ。今まで小春ちゃんが一生懸命努力してきたことも、みんなに仲良くなってもらうために頑張ってきたことも、あの片岡くんって男子と付き合うことによって、帳消しになっちゃうんだよ! そんなの可哀想だよ。もちろん、天羽くんと近江さんはお似合いだからそれを壊しなさいって気、私もないの。あのふたりは仲良くしててほしいの。だけど、小春ちゃんが、そうだよ、小春ちゃんが一番傷ついているのに救われないって、あんまりよ。どうすればいいと思うの?」

「杉本が話してたけど、あの片岡って奴、人間としてまともだって話だよ。杉本の判断はかなりのところ鋭いところいってると思うし、あまり清坂氏が心配することないんじゃないかな」

「杉本さんの判断はどうでもいいの! 他の女子たちに馬鹿にされちゃう小春ちゃんのこと、どうしてもっと思い遣ってあげないのよ! あの下着ドロなんかに。いやらしい奴に、ってみんない馬鹿にされちゃうんだよ、なのに」

「清坂氏、それは違うと思う」

 きりりとした目で、いきなり立村くんがきっぱり言い放った。

 少し怒っているような口許と、まっすぐな視線。どきんとした。

「俺も、その片岡という奴についてはそれこそ、英語の試験でいつも二番なんだなっていうことしか知らないけど、知らないからこそこれ以上の悪口を言うべきじゃないと思う」

「けど、本人は認めたんだよね! 下着ドロしたってこと!」

「天羽はそう言ってたよな。けど、ちゃんと口に出したことで、すべてけりはついていると思う」

「そんなの男子の言い分よ! じゃあなに? そういういやらしいことした奴を、許せってこと?」

「片岡がその時どういう精神状態だったか想像つかないけど。けど」

 言葉をとぎらせ、立村くんは缶をぎゅうぎゅうに握りつぶした。柔らかい缶だったんだ。

「俺だって、そういうことをやらない保証はないんだ。男子だったら、特に」

 きりっとした眼差しに、突き刺された。頷かされた。言い返せなくて、突然背中に寒気が走った。

「どういうこと」

 立村くんの手がもう一度缶をふわっと守るようにふくらんだ。「そういう気持ちを押えられなかった片岡に問題があるとは思うし、罰を受けるべきだとは思うんだ。女子が許せないのも、俺は当然だと思う。だからそれを求めたりはしないけど、俺は責められない。それだけだ」

「それって逃げだよ。それってなに? 立村くんが将来そういう、いやらしいことをしてしまった時の言い訳を残しておきたいってだけなんじゃないの?」

 きつすぎる言い方かもしれないけど、ぶつけずにはいられない。

「私、立村くんに限って絶対、そんなことないって信じてるけど、今の言い方だったらそういう可能性もある、ってことになるよね。そんなこと、ないよね!」

 静かに立村くんは私を見つめ、横に首を振った。

「今の俺は、片岡のことを全く責められないんだ。だから、もう一度言うよ」

 手を伸ばし、立村くんは私にさっきと同じことを口にした。

「手首を、ハンカチでも紐でもなんでもいい、縛ってくれないか」


 考えたくなかった。

 ──まさか、そんなこと、ないよね。

 あの「下着ドロ」片岡くんの噂を聞いた時、私もぞっとした。あんな奴、女子の敵、どうして学校で追い出そうとしないんだろう。狩野先生甘すぎ、とか思ったものだった。そんな奴とよりによって小春ちゃんが付き合う羽目になるなんて、なんて世の中酷いんだろうって思った。

 いくら男子がいやらしいこと好きそうだとしても、立村くんだけは別だと思いたかった。

 立村くんだけは、そういうことを決してしない人だと信じたかった。

 貴史が鈴蘭優にしか熱を上げないのと同じように。

 きっと貴史とこずえは、いやらしいことなんて決してしてないに決まってる。

 私にとって大切な人たちは、決して夜ふたりっきりになったからっていっても、いやらしいこと想像したり、スカートめくったり、抱きついたりしないはずだと信じていた。

 けど、立村くんは自分の言葉で、それをはっきり否定した。

 自分も、あの「下着ドロ」と同じ本能の持ち主だから、気をつけろって言っている。

 そんなこと、絶対ないって信じたいのに。


 考えるより先に、私は鞄の中を開いていた。背筋につつっと冷えるものが走り、背中を向けるのも怖くなった。立村くんがいい、って言ってるなら、そうしたほうがいいのかもしれない。

 ギンガムチェックの、手付かずのハンカチを見つけた。三角に折って、もう一度たたみなおした。細長い平方四辺形になるまで、たたみつづけた。

 これで縛れば、立村くんだって落ち着くし、私だって危険から守られるというわけだ。

 でも、本当だろうか?

「立村くん、本当に結んでいいの?」

「俺も、それの方がいい」

 そんなのってずるい。男子の逃げだ。

 不意に心が囁く。

 立村くんは最初からこんな感じで泊りこむ羽目になるなんて、思っていなかったに違いない。詳しい状況は私もわからないけど、たぶんこずえに丸め込まれたかなんかしたんだろう。何度か帰ろうとしたのも、こういう状況を逃れたかったからだろう。男子の衝動って想像を絶する、と雑誌にいろいろ書いてあったけど、立村くんだけは別だと思っていたからあまり気にしていなかった。でも、今の立村くんはまさに、そういう状態なのかもしれない。目の前の私を、押し倒したいとかそういう気持ちで一杯なのかもしれない。いくら顔を覗き込んでも、そういういやらしさは見い出せない。ずっと唇を噛んで、頑なに自分を律しようとしている姿、ずっと一緒にいたい、そう思えるものだった。なのにどうしてだろう。男子はどうして、そんないやらしい気持ちを捨てられないんだろう。私は絶対、そんなこと考えやしない人だと信じているのに、立村くんを。

 信じていたものを裏切られたくなかった。

 私は立村くんの腕に、赤いひも状のハンカチを軽く結んだ。そのまま、腕を両手でくるんだ。ベッドの上に転がっている空のサイダー缶を枕もとに寄せ、もう一度紐の部分から両手を押えた。

「立村くん、私ね」

 私の腕よりずっと細い手首。思いっきり握り締めた。

「私、立村くんを縛る資格、ないと思う」

 こんなにぐっと近く、立村くんに触れたのは初めてだった。ハンカチの下から伝わってくる熱いもの、なんでかわからない。ただ、離したら終りになってしまいそうだった。

「私、ひどいこと考えたり、傷つけたりしてると思うの。こずえにもこの旅行中、いっぱい怒られたし。それに、嫌いな女子を恥かかせてやりたいって思って、絶対許されないこと、しちゃったこともある。だけどね、私、立村くんの前では、恥かしくない女子になりたいって思ってたの」

「恥かしくないって、いったい」

 戸惑うような立村くんの声、掠れている。「私、立村くんがもし、そういうことしたら、たぶんその場で悲鳴あげると思う。立村くんに裏切られたって絶対思うよ」

 今まで耳に響かなかった外の雨音が、突然激しく鼓膜を打った。

「けど、私、立村くんがそういう人じゃないって信じてるから、そう、信じさせて」

 そっと赤いハンカチの紐を右手に丸めて納めた。

「でないと、私、立村くんにふさわしい女子に、なれなくなっちゃうから」


 立村くんはしばらく私のするがまま、身動きひとつしなかった。やがてゆっくりと溜息をつくと、

「うん、わかった」

 そっと私の手を外すようにした。うつむき加減で私の眼をじっとみつめ、

「どんなことがあっても、そんなことしない。約束する」

 そのまますうっと布団にもぐりこみ、身体にそれを巻きつけるようにして、瞳を閉じた。 

 立村くんの寝顔は真っ白くて、そして静かだった。

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