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第四日目 31

31

 

 しどろもどろになりながらも、頭の中でなんとかまとめた。

「あのさ、清坂氏。もしも、もしもなんだけどさ」

「はっきり言っていいよ。怒らないから」

 それ保証してもらえそうにないから言っているのにな。僕はもう一度息を整えた。膝を抱えるようにして、顎のところをとんがっているところに乗せた。

「これから先、もしかしたらまた俺は、清坂氏を怒らせるようなことするかもしれないけど、でも、そういうのとは違うから」

「そういうの、って何?」

 応清坂氏に「これから先、俺は男子たちと轟さんとで評議委員会を回していくから、口出ししないでほしいんだ」と伝えるだけなら簡単だ。実際、天羽たちの求めているものったらそれだけなんだから。それの方がいいと、納得している僕もいる。だけどそれを伝えたとたん、清坂氏がどれだけ傷つくか想像できない僕じゃない。うまくいい言葉がないものかと思案している最中だ。

「ほら、なんというかさ、清坂氏をおっぱらいたくてしていることじゃないんだってことだけ、信じてほしいんだ、うん、ただそれだけ」

 かえって怪しまれるんじゃないだろうか。僕はしばらく頭をひねった。いい方法ないだろうか。

「おっぱらわれるなんて思ったこと、一度もないけど」

「いや、そう、そのさ」

 完璧どつぼにはまってしまったらしい。僕よりはるかに頭のいい人なんだから。「つまり、立村くんは、これから先、私に口出しするなって言いたいの?」

 そのとおり、なんて誰が言えるか。僕は膝を抱えたまま、黙った。

「そうなんだ、そうだろうなって思ってたけど」

「え?」

「だって、旅行中男子たちいつも言ってたもんね、私たちに口出しするなってさんざん文句言ってたもんね。私に、じゃないけど、ゆいちゃんに。小春ちゃんにもそう言ってるようなものでしょ」

 まあ、確かに。返事のできない言葉を僕は何度もかみ締めた。

「じゃあどうすればいいの。私、立村くんのしてほしいこと、教えてくれればなんとかするのに」

「してほしいこと?」

 もちろん、旅行後においてだ。「今」じゃない。また勘違いした部分が反応しやがる。杉本じゃないけれど、「男子はみな馬鹿ばっかり」というのも頷けなくはない。真面目な話している最中に、本能に引っ張られるんだもんな。

「けど、そうだよね。私がすること、あんまり、嬉しいことじゃないんだよね」

 タオルを抱いたまま、しょぼんとうなだれる清坂氏。

 こんな気弱になったところを見たのは始めてだった。

「そういうわけじゃないよ」

「小春ちゃんのことも、杉本さんのことも、そうなんでしょ」

「いや、あの」

「ゆいちゃんを評議から降ろした方がいい、と思ってたりするんでしょ」

 困った。完璧に悩むところだった。

 清坂氏がはたして、霧島さんの事情をどのくらい知っているのか見当がつかないというのもある。天羽たちが言うには、すでに教師連中の辺りで情報が流れているのだから、ばれるのも時間の問題じゃないかということらしい。だから、知っている連中でなんとか情報が洩れるのを食い止め、不必要な噂が広まらないように、自然に片がつくようにしたいのだという。自然に片がつくとは、すなわち「霧島さんが満足して青大附中を卒業し、別の学校へ進学する」ことを意味する。僕からしたらどう考えても丸く収まるとは思えないのだが。だって、霧島さんは青大附高へ行きたいんだろ? 無理矢理行かされるなんてそんな殺生なこと、誰が望むかって。僕が公立を受けなおせといわれるのと同じじゃないか。 たぶん女子たちにばれたら……清坂氏にと言った方がいい……絶対に怒るに決まってる。

 清坂氏にとって霧島さんは仲間なのだ。一緒に評議委員会でやってきた同志だ。

 成績上の理由という、動かしがたいものがあったとしても、まずは引き止め作戦を実施するだろう。先生たちの情に訴えるやり方でだ。もしくは杉本の時のように、直接ぶつかっていくように仕向けるか。でも、無理だろうと最初からわかっていて、別の学校に進学した方がいいと周りが判断しているのだったら、それに任せた方がいいような気もする。男子連中はそう判断している。長期的視野からして。女子の場合は目の前しか見えないというのが欠点なのかもしれないと今思う。杉本のことだってそうだ。もし杉本の想いを煽り立てたりしなかったら、あのまま交流グループの一員として自然な形で関崎と再会することができただろう。自分のクラスから追い出されて、掃き溜めクラスのような「E組」に追いやられることもなかっただろう。

 仮に、霧島さんを評議から降ろす形を取ったとする。裏工作がかなり必要だし、成功するとはとても思えない。でも、更科が自信満々に「それは大丈夫!」と言い放っていたところみると、勝算ありなんだろう。天羽・更科コンビの頭の中は僕にもわからない。だけど、霧島さんが大喜びでその提案を受け入れるかどうか?とはとても思えない。侮辱されたと怒鳴るかもしれないし、周りの応援以前に自分の方から殿池先生へ訴えに行くかもしれない。それだけの行動力のある人だ。 

 それに、いったい後釜誰にすればいいんだ?

 轟さんが言うには、「一応、候補者はいるわよ」とのことだけど、僕には全く見当がつかない。

 第一、あの霧島さんを差し置いて、周りの顰蹙を買いながら、喜んで評議委員会に入ってくる女子がいるとも思えない。もちろん、近江さんはさておいてだ。

 天羽・更科の意見については、僕も女子と同じく無理なんじゃないかと正直、言いたい。

 こんな修羅場、もう抱えたくないよ。

 でも、長い目で見れば、霧島さんのためには先生たちの判断の方が正しいのではと思う、やたら大人びた僕もいるわけだ。ゴムの伸びきった状態でついていけない青大附高に進学するよりも居心地のいい学校に進んだ方がきっと楽だろうし、楽しいだろう。僕がもし同じ理由で公立中学へ戻れ、と言われたらたぶん反抗するだろうから、そんな白々しいこと言いたくはないのだが。

 そうだ、自分の立場だったら絶対嫌なことばっかりだ。天羽たちがしようとしていることは。

 でも、第三者からすると、一番いいことなんだってことが見えてくる。

 女子たちの意見に賛同できない部分が、やっぱり僕にもあるわけだ。男の視点ってところなんだろうか。霧島さんが青大附属にこのまま残っていた方がいいのか、それとも出ていかせたほうが良いのか。友だちとしてそのまま引き止めておくことが善なのかどうか。本人の意思を無視してでも動かした方がいいのか。答えは僕なりに出ているけれども、それをしていいかどうかがわからない。自然に任せて、霧島さんひとりがすべての出来事を受取り、周りはそれを見守ってあげる、それがベストなんではないだろうか。どうやっても変えられないことならば、せめてこれ以上傷つけないようにつかず離れずにいるとか、いろいろ女子だって霧島さんの側でしてあげられることはあるだろうに。

 ──やはり、清坂氏と決戦は、避けられないか。

 僕は覚悟を決めた。切り出した。


「霧島さんのことについては、まだ全然決まっていないことだしさ、俺もどうしたらいいか正直なところわからないんだ。一応噂は聞いたけど、真実じゃないかもしれないし、今の段階ではしゃべりたくないんだ」「どうして?」

 ちくりと痛い切り返しがきた。

「だから、本当のことじゃないかもしれないし、もしそれが噂でさらに流れたら」

「私のこと、信用できないの?」

「信用できないんじゃなくて、嘘かもしれないことをこれ以上、俺もしゃべりたくないんだ」

 ここまで言い切って、やはり、と思った。清坂氏の眼が釣りあがっている。手に抱えているタオルを膝の上でぎゅうぎゅう押している。ちらっと紐のようなものが見えたのだけども、見ないことにしておいた。慌てて目をそらしたので気づかれていないと思うけど。

「もちろん清坂氏がそういうこと言いふらす人じゃないってことは、俺だってわかってるよ。けど、もし俺がそのことを噂にせよなんにせよ、しゃべってしまったら、そういうことが本当のことになってしまうかもしれないって思ってさ。ほら、言霊ってあるだろ」

 無理矢理引き出した言い訳だけど、清坂氏は頬と口を少し和らげて頷いてくれた。

「そうだね、言霊だね」

「俺が噂で聞いたことは、正直言って、絶対本当になってほしくないことなんだ。だから、あえてここで他の人にしゃべって膨らませたくないんだ。霧島さんにせよなんにせよ。けど」

 息を吸った。さっきちらっと覗いたタオルの下の部分でまた、全身が熱くなってくる。真面目な話していれば落ち着くと思っていたのに、なんでこうも身体は非常識なこと考えるんだろう。

「もしそうなった場合、俺は評議委員長として自分なりの判断を下すつもりなんだ。あくまでも仮にそうなったら、ってことだけどさ」「評議委員長、として?」

「うん、全体を見て」

「立村くん、こっちを見て」

 はっと顔を上げると、清坂氏が再び目を硬直させて僕を見つめていた。唇は真一文字、だけど少し泣きそうにまぶたがしばたいている。

「今の話、ゆいちゃんのことを話さないって立村くんが決めたのはわかった。そうだよね、やなことをこれ以上ふくらませたくないって気持ちわかるもん。言霊、って私もわかるよ。一度言っちゃったら、必ず何かが続いちゃうってあるもんね。いやなこと考えたら、全部自分に返ってきちゃうんだってこと、私だってわかってる。だからそれはいいの」

 そうか、追求されないですみそうだ。少しほっとしたのも束の間、

「だけど、立村くんが評議委員長だとしても、人間でしょ、青大附中の三年でしょ、十五歳でしょ」「いや、まだ今は……」

 九月まではまだ十四なんだよな、と改めて自分の弟的立場に溜息つきたくなった。

「先輩だって、先生だって、人間だもん。大人かもしれないけど、人間だから間違いがないってこと、絶対ないと思うの。ひとつの意見をすべて正しい、と決め付けるのはよくないと思うんだ。もっといろんな意見があるだろうし、みんなの意見を取り入れて、まとめていくのが評議委員長なんじゃないの?」

「もちろん、その通りだと思う。清坂氏の言うことは正しいよ」 その通りだ。と僕も思って、天羽に言い返したのだ、そしたら「お前、だけど全部の意見取り入れるって不可能だぞ。上に立つ長ってものはな、責任を取るってことが大切なんだ。お前が最終的にきちんと結論だして、女子ども、いや男子どもにも文句言わせねえってのが必要なんじゃねえのか?」と説教されてしまった。今は確かに僕も、そう思う。

 いざって時に自分ひとりで決断した責任を取れるかどうか、なんだろう。本条先輩もことあるごとに言っていたっけ。僕が評議委員長に内定される前も、先輩たちからいろいろ反対意見をもらっていたらしいけれども、「俺の後釜は立村以外考えてません。あいつがへまやらかしたら、その時は俺がすべて責任取ります」とか言ったらしい。そういうことなんだろう。今の僕をみたら本条先輩、どういう責任の取り方してくれるんだろう。

「だけど、最終的に決断するのは、やはり俺になると思う。その時、もしかしたら俺は、清坂氏や女子たちの意見を選べないかもしれない。それはわかってもらえないかな」

 曖昧模糊な言い方だけど、それが一番近いと思えた。

「わかってる。全ての意見を聞いて、みんなできちんと話し合って、その上でってことよね」「そうもちろんそう。その上でだ」

 言いながら、そうではないという突っ込みをしたくなる自分に気がついた。もし女子たちの意見をそのまま取り入れて、話し合いをしたら最後、勢いであっという間に飲まれてしまうんじゃないだろうか。女子たちの迫力に飲まれてしまい、冷静な判断が出来なくなる、というのが天羽たちのご意見だ。確かに霧島さんのように噛み付かれて結果、というのもなんだかなと思う。前もって裏で手回しをしておき、意見を整えて、その上で多数決を取るとか、そういうやり方でないとやっぱり厳しいんだろうか。

「それならいいの。もちろん決まったらちゃんと納得しなくちゃってわかってる。けどね、立村くんの出した意見がどう考えてもおかしいとか、なんだか不公平だとか、そういう風に感じたとして、それを無視することって、正しいと思う?」

 言葉に詰まる。清坂氏は続ける。

「選ばれた意見を支持しなくちゃいけないのは、決まっちゃったらしかたないよね。でも、どう考えたっておかしいということが選ばれたりしたら、その時はちゃんと私も『おかしい』って言わないといけないと思うの。それを押しつぶすようなことされたくないの」

「うん、それはそうだよな、わかってる」

「立村くんわかってないの!」

 いきなり清坂氏がいきりたつかのように立ち上がった、僕が膝を抱えている椅子の側によって、見下ろすようにした。また膝を抱得なおさなくてはならなくて、僕は身を竦めた。「わかってるわかってるって言わないでよ! 私だって、立村くんと意見が一緒になるなんて思ってないよ。だって違いすぎるもん、考え方とか、感じ方とか。私だったらそんなこと全然ないよ、ってこと立村くん気にしちゃうもの。私だったらはっきり言って正解だって思うこと、立村くんは飲み込んじゃう性格だもん。それが間違ってるとは思わないよ。だけど、立村くんがそうやってたら、ずっと損しちゃうってことも、私からは見えてるの。うちの女子たちだって、立村くんが一生懸命頑張ってること気づかないで馬鹿にしてるんだもん。そんなの変だと思うよ。それでもいいって立村くんいつも言ってるでしょ?」

 気づかないわけじゃない。もちろん。でもそれはどうしようもないし、僕だってしかたないと思っていることだから。

「そんなこと言わないでよ! だから立村くんのいいとことかをちゃんとみんなに説明したいって思ったらいけない? 周りは多数決で立村くんが大したことない奴だって決め付けたかもしれないけど、私だけはちゃんと立村くんのいいとこ知ってるもん。だから決まった後でも言いつづけるの。それと一緒なの!」

 言葉が雨、剣のように突き刺さる。そんな突き刺さった経験ないけど、首からおなか、全身がちくちくしてきて苦しくなる。清坂氏の言葉はいつもまっすぐだ。だから、受取らなくてはといつも気を張ってしまう。

 熱気みたいなものが頬に当たってくるようで、また全身がどきまぎしてきた。

「もちろん立村くんがそういうことに決めた、って言うんだったら評議委員会の中では頷くしかないよね。だけど、評議委員会じゃなくたって別のところでなら反対意見出したっていいよね。だって納得行かないんだもん。せっかく反対だって手を挙げたのに、負けちゃったんだもの。だけど気持の上では全然納得してないんだったら、それを別のとこから違うって言いつづけることって大切だと思うの」

 息が苦しい。僕はうなだれ、膝をぐっと頬に近づけた。

「だから、私約束できないよ」

 清坂氏はきっぱりと言い放った。

「私、立村くんの考えがもし間違ってるって思ったら、ちゃんと反対する。それが立村くんに対しての、礼儀だと思うもん」


 ──そう簡単に受け入れてくれるわけ、ないか。

 天羽たちの意見に百パーセント頷くことはできないにしても、清坂氏を少し牽制しておく必要は感じていた。これから先、轟さんが手伝ってくれることについては今のところ、それほど問題もなさそうなのだけど、これから先のことを考えると不安がよぎる。

 僕なりに、やはり根回し作戦しないと、やはりまずいのか。

 うまい言い方が見つからず、僕はしばらく膝を抱えたまま、突き出た足の親指を上下させていた。返事を待っているような清坂氏の、部屋の中をうろつく様子になんとか言葉を見つけた。

「そうだよな、うん、清坂氏はそうだよな」

 繰り返した後、

「俺の判断の基準だけ、今の内に言っといていいか」

 絶対に譲れないものを、伝えておけばいいか、そう決めた。

「基準って?」

「つまり、もし真っ二つの意見が出てきた場合に、俺が何を基準にして決めるかってこと」

「なあにそれ」

「一番傷つく人が、将来一番救われる方法を、俺なりの判断で選ぶ。それだけは譲れない」

 清坂氏はわけのわからない顔をして、首をいち、に、とひねった。

「どういうこと?」

「具体的にはうまく言えないけど。今大変だとしても、将来その人にとって一番うまく行く方法だと思ったら、それを選ぶ」

「じゃあ、それがどうみても間違いだって思ったら、文句言ってもいいのね」

「うん、それはそれでしょうがないって俺も思う」

 近い将来、きっと意見がぶつかり合うだろう。僕なりにこれから、どういう風にしてそのぶつかり合いをうまくなだめていけばいいのだろうか。本条先輩だったらこういう時どうするんだろうか。しばらく物思いにふけりながら僕は、言葉を重ねた。

「でも、もし反対意見が出ても、一度俺が決めてベストだと思ったことは、とことんそれで進めるつもりだから、かなりぶつかり合ってももしかしたら、清坂氏と話が合わなくなるかもしれない。そうなりたくないけど、そうなったら、ごめん」

 確実に意見は分かれるだろう。僕がこの段階で頭に浮かべていたのは、霧島さんの高校進学に関わる評議委員選出問題だった。もしも清坂氏が、霧島さんのことを思う余りに「追い出さないで下さい運動」みたいなことをしたら、僕は全力で阻止するだろう。そうされた霧島さんの惨めさと、どう努力しても変わらない現実を突きつけられた時の衝撃を考えたら、そんなことできやしないと思うからだ。それよりも、もっと暖かく見送る方法を考えて、精一杯残りの日々を青大附中で過ごしてほしい、そう思う方が僕には自然だ。

 もっとも、まだ噂に過ぎないことだし、僕がここで口にしなかったことによってもしかしたら、「噂」で消えてしまうかもしれない。だから、悪いことなんてできるだけ考えない方がいい。

「けど、それはその時のことだから」

 つけ加えた後僕は、もう一度清坂氏の顔を見上げてみた。犬みたいな感じだった。清坂氏はしばらく僕を細い目で睨んでいたけれども、ふうっと息をつき前かがみになった。

「そうよね、まだ決まってないことでけんかしても、しょうがないよね」


 轟さんとのことについては、余り突っ込まれなかった。それどころか向こうから「仲良くしてあげてね」と言われたのだから、それ以上泥沼にはまるようなことを口走る必要はなかった。

 それにしても、そろそろ戻らないとまずいだろう。

 机の上のデジタル時計を見ると、緑色の数字が「11:35」とアピールしていた。

 ずっと膝をかかえっぱなしだったこともあって、関節がくきくき痛い。

 かといって、ゆったり足を伸ばして座れるほどには、まだ落ち着いていないのもまた事実だ。

「立村くん、膝伸ばせばいいのに」

「いや、なんかこれの方が落ち着くんだ。心臓の音が聞こえて」

 なにを馬鹿な言い訳してるんだか。清坂氏は自分のベッドに座り、やっとタオルの中をバックの中に詰め出した。だいたいどういうものだか想像はつくのだが、見てしまうとまたとんでもないことになるのがわかるので、天井を見上げてごまかした。

「変なの」

 せめてテレビくらいつけてくれと言いたいけれども、今更という気もする。

 雨音が壮絶に窓ガラスへぶつかっている。風もあるんだろうか。明日、船揺れるんじゃないだろうか。この旅行中、一度も酔わないで済んだのに、最後でへろへろにされるんだろうか。なんだかやりきれなくなった。もう一度膝を抱え、部屋への戻り方を考えた。

 いくらなんでもここに泊りこむなんてことは、まずいだろう。

 今の時間帯だったらまだ、なんだかんだいいわけできるだろう。十二時くらいまでだったら、たまたま用事があったとか……いや、できないか。でも、シンデレラじゃないけれどもこの時刻を過ぎたら何が起こるかわからない。もし部屋で清坂氏と二人……なんてところを発見されたら、どんなに言い訳したってむだだろう。下の古川さんと羽飛だって同じことだ。いくらなんでもふたりっきりで夜を過ごすなんて、停学どころか退学にも匹敵する大罪だ。

 そのくらい、僕だって気づかないわけじゃない。

「どうしたの、蜘蛛とかいた?」

「いや、いないけど」

「喉かわかない?」

「大丈夫」

 短い言葉を数回交した。ずっと鞄をいじくっている清坂氏、何も、考えていないんだろうか。

「あのさ、清坂氏、そろそろ下に戻った方いいかもしれないからさ」

「え?」

 清坂氏が僕の側まできて、ベッドのマットレスの上に腰掛けた。裾をちらちらと直しながら。

「時間、やっぱりまずいだろうし」

「けど、まだ大丈夫じゃないの」

 さらっと答える清坂氏。そうだろう、羽飛相手にこういう風に語り合うってこと、日常的にしてたんだろうな。家も近いし、家族旅行もよくしたって話だし。もし僕でなければ、なんともなく普通に感じたことなのかもしれない。でも、今ここに座っているのは僕だ。羽飛じゃない。

「だって、ね。こずえだって貴史と話いっぱいしたいって思ってるしね」

「思ってるったって、もうこんなに時間経ったしさ」

「私と一緒にいるのが、いや?」

 思わずまた窒息しそうになった。喉だけじゃないまた全身が。

 ──なんでこういうことになっちゃうんだよ!

 

 理性ってこういう時、どういう風に働いているんだろう。

 僕の顔を不思議そうに見つめる清坂氏には申しわけないけれど、なんとかこの場を離れないととんでもないことをやらかしそうな自分に気がついた。本条先輩がよく話していた通りの状態だ。いまもう少し、清坂氏が僕に寄ってきたら、何をしでかすか自分でもわからない。情報だけはたっぷり本やらビデオやら写真やらで仕入れているんだから、ハウツーは全て頭の中に入っている。だからなおさら、怖い。もし手を差し出されたりしたら、どうすればいいだろう。もし何かの拍子で裾がはだけたとしたら、どうなるだろう。生まれて初めて感じたこういう気持ちをどう処理すればいいのか、一応学校では教わっているのに、うまくできない。

「いやじゃないけどさ、やはり遅いだろ、それに校則違反だし」

「いいよ、誰も気付いてないもん」

「けど、朝どうするんだよ。着替えもないしさ」

「貴史に朝一番で持ってきてもらえばいいじゃない」

「向こうだって困るよそんなことさ」

「それより立村くん、そんな窮屈な格好しないで、こっちに座ったらいいのに」

 座れるかよ、何にもわかってないんだ。清坂氏はなにも勘ぐっていないんだろう。僕がただ真面目な顔をして言い張っているだけだと思っている。もしここにずっといたら、何されるかとか、想像なんてきっとしていないんだろう。それだけ、信じてくれているんだろう。僕がそういういやらしいことばかり考えているなんて、一瞬だって思ったりしないんだろう。 もちろん裏切るなんてことしたくない。胸から上の感情はそう言っている。だけど、それを押えられないもうひとつのものがうごめいている。最低な自分だとわかっていても、どういう風に言い訳すればいいかわからない。

「いいよ、帰る、古川さんに電話するよ」

「だめ! 盗聴されてたらばれちゃうよ!」

 清坂氏は頑なだった。

「けどさ、このままってわけいかないよ」

「いいじゃない。私がいいって言ってるんだもん!」

 振り返り、清坂氏をじっと見つめてみた。決して乱れた格好なんてしていないのに、僕の視線だけが何もきていない姿を蘇らせようとしているなんて、きっと、絶対、気づいていないんだ。

 この場で一気に空間移動できたら。いつか見た超能力者の力が、たまらなくほしかった。

「立村くん、私と今までこんなしゃべったことなかったよね? いつも、いっつも貴史やこずえたちと一緒だったよね? たまに外で会ったりしても、一目ばっかり気にして、何にも言いたいこと言ってくれなかったよね」

 清坂氏は僕の顔から目をそらさなかった。僕もそれをしないとまずいって思った。

「しょうがないよそれって。周りからいろいろ言われてるし、立村くんだって辛いこと一杯あるんだし。評議委員会だって忙しいし、私は役に立たないし!」

「立たないってことないよ」

「ううん、だって私を外して話し合いしたってことがそれでしょ!」

 その通りだと頷くしかない。

「今の話聞いて、それもしかたないなって思うよ。私、そうだよね、立村くんのしたいこと、邪魔してきたんだと思うもん。琴音ちゃんみたいに話してくれた方がいいんだったらしょうがないよね。だけど、私だって立村くんと話、してればもっとわかってもらえたんじゃないかなって気するの。いっつも貴史やこずえを挟んでしゃべってるだけだったら、なんもなんないじゃないの。だから、今夜とことんおしゃべりしたいって言ったら、どうしていけないの?」


 いけないわけじゃない。

 そうするつもりだった。

 もし昼だったら。外の喫茶店だったら。誰かがいる部屋だったら。

 どうして女子はそういうところ、分かってくれないんだろう。 

 今すぐ押し倒されたらきっと悲鳴あげるだろう。それでもいいんだろうか。

 僕は目を閉じ、一度膝に顔をうずめた。「清坂氏」と呼んだ。

「わかってくれた?」

「だったら、なんか縛るものあるか、紐とか」

「え?」

 脈略のない言葉で戸惑ったんだろう。清坂氏は僕の横顔を覗き込むようにした。背を向けたまま僕は、僕なりの答えを返した。背を向けたまま立ち上がり、裾をうまく重ねるようにしてごまかした。うまく隠れた。古川さんがたぶん使う予定だったんであろうベッドに背を向けたまま座った。

「わかった。清坂氏、悪いんだけどさ、今から布団に入ったら、俺の手首、思いっきり縛ってくれないかな」

「縛るっていったい」

 目を白黒させている清坂氏。

「そうしないと、怖いだろ。何されるか、わかんないだろう」

 うまく言えず、返事を待たず、僕はシーツをめくって足を滑り込ませた。

「俺もそんなことしたくないから」

 完全に身体が隠れて初めて、大きなほおっと息をついた。清坂氏がまだ無言のまま突っ立っている。足を伸ばしたところを見下ろして慌ててもう一度膝を抱え直した。膝の頂点で両手を組み、僕はお縄を頂戴する犯人のような顔で、その手を差し出した。

     

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