第一日目 3
3
辛気臭い寺とか庭園とか、あんまり興味がなかったし、やっぱり朝一番ずっと乗り物に揺られてきたというのもあって、俺はさっさと寝たかった。修学旅行で熱出してひっくりがえる寝るなんて、去年の我がクラス男子評議委員のようなことを第一日目からしたくなかったのだがしゃーない。部屋割りだけ確認して、俺はさっさと自分の部屋へと向かった。だいたい、四時半くらいだった。
「美里、どうしたんだよ、顔めっちゃくちゃじゃねえの」
やたらとうつむき加減で女子たちの集まる部屋へ流れていく美里に声をかけた。
「どうせ私は不細工ですよーだ」
ずいぶんと簡単なお返事だ。あいつにしては珍しく、バスの中でひどく酔っていたようだったし、相当しんどかったんだろう。立村がひたすら車の中で寝つづけているのに較べて、美里は目が開いてるからなあ。隣の古川がずいぶんかいがいしく面倒を見ていたようだ。すれ違いざま俺ににやっと、
「あんたの幼なじみのことは心配しなさんなって! それよか羽飛の相棒の方、どうすんの」
──相棒? ああ、あいかわらずだっての。
「お前の弟のことか?」
俺は親指を立ててやった。
「相変わらず死にかけた顔してたよねえ、我が弟も」
「立村はいつものことだろ、驚くことじゃねえよ」
古川なんかとたらたら話をしていてもしょうがないので、まずは荷物を置くことにした。
修学旅行第一日目はいわゆる普通の日本旅館に泊ることになっていて、大部屋にて男子十五人がまくら並べて寝る派目になる。ちなみに二日目はクラス別ではなくそれぞれ委員会の連中とか他クラスの連中とかと固まって部屋を取り、三日目はまた同じクラス内にて五人くらいずつ。最後の夜は最愛……大嘘…… の立村とツインルーム。朝一番の連絡船に乗る都合上、どうしても港の近いビジネスホテルに泊ることになったのだそうだ。裏情報は当然、評議委員長立村上総からのものだ。
クラス男子全員がそれぞれ、自分の場所を自己主張していた。さっさと布団を敷き始める奴、いきなりかばんをひっくりがえしてポテトチップスやらチョコレートやらかましている奴、あと膝を抱えて一人物思いにふける奴、それぞれだ。俺はというと、さっそく布団を畳んだまま真ん中においておいた。十五人だ。相当のもんだ。早いうちに場所取りをして置いたほうがいいだろう。立村はまだ来ていなかった。車の中ではあいつも青い顔をしていたし、まずは地面がゆらゆらしない状態になるまで待っているのかもしれない。
「でさ、昼に話してたことなんだけど、立村本当に持ってきたのかなあ」
「持ってこないわけねえだろ」
最近、やたらと大人っぽくなったと評判の水口要……通称「すい君」……が話し掛けてくる。一年前はねしょんべんが直らないとかで、宿泊研修に参加することすらためらっていた奴だってのにだ。入学したての頃からつい最近までさんざん女子のマスコット扱いされていた甘ったれぶりが、三年に入ってからいきなり消えてしまったのには俺たちも驚いた。もともと成績がいい奴だってのはわかっていたけれども、俺たちのしゃべるスケベな話題にしっかり割り込んでくるようになった。
「あの頃はすい君も可愛かったのにねえ」
と淋しそうに感慨をもらしているのは、以前、すい君の最愛のお姉さんだったクラスの保健委員、奈良岡彰子氏。まあ、中三にもなって「ねーさんねーさんてばあ」とすりすりされるのも、女子としてはやってらんないんでないかと、俺は思うが。
にやにやしながら俺に話し掛けるすい君。こいつ、単に色気づいただけなんだと思う。
「立村だって男だ、その辺はよっくわかってるだろ。だからだよ」
「けど立村って、エロな話に入ってくることないしさあ」
──確かにな。
あいつの性格は俺もよく知っているからその辺は曖昧にしてやろうと思った。
「ま、評議委員長さまのことだ、それなりに考えもあるだろうよ。それよかすい君、ちょい来い」
俺はすい君の小耳に毒を吹きかけてやることにした。
「お前、この四日間、がまんできるか?」
「がまん?」
立村だと「がまんって、何をだよ?」ととぼけるんだろうが、すい君はその辺堂々としている。奴に見習わせたいところだ。
「布団の中でな、噴射しねえようにしろよ」
「そんなこと言うなよ」
なになに、こいつ過去のねしょんべんのことだと思っている様子だ。違う違う。
「例えばな、夜明け方、かとない夢の中でさ、きれいなお姉さんがやってきて、いろいろしたりするだろ? 気持ちよく目覚めてみたら、あらパンツがぐっしょりこってこと、ねえか?」
すい君はにこりともせず聞いていた。反応が予想よりも少しずれているのが気になる。
「そんなへましないって。ちゃんと絞るために、立村は持ってきてくれたんだろ?」
さすがすい君、クラス成績トップ。頭の回転は速い。
──立村もその辺、露骨すぎるくらいはっきり言えばいいのになあ。
もともと三年D組の男子部力関係というのは、リーダーが俺、すい君、あと南雲秋世の三グループに分かれている。気持ちよく十五人が五・五・五と振り分けられているのは偶然とはいえ、すっきりしている。立村は結構いいこきふりの評議委員だからその辺どのグループともうまくやっているけれども、俺の場合どうも南雲グループとそりが合わない。一年の頃からいろいろあって、しょっちゅう殴り合いしそうになる。残念ながら対決したことは一度もない。大抵立村が割って入るからだ。もっとも南雲も規律委員長。決して腕力勝負を堂々とやらかすことできない立場であることは確かなんだ。この時ほど俺は、自分が委員会に入っていなかったことを後悔する時はない。旅行中はできるだけ、大人しくしていてくれと立村に頭下げて頼まれた以上、あまり波風を立てたくないのも、また事実だ。
南雲グループは窓際の一角をしっかりと陣取り、トランプ広げて盛り上がっている。何が楽しくて「ぶたのしっぽ」やっているんだか。
──立村、当然南雲にも例の話、通しているんだろうなあ。
すい君が興味津津だったことについては、立村が戻ってきてからすぐに説明すると言って置いた。寺の境内で正座している時に話を聞いたぶんだけ教えてやった。全員が顔をそろえていて、かつ持ち物検査が行われる前に分配しておきたいというのが立村の本心らしい。そりゃあそうだろう。評議委員長様がまさか。
──エロ本持っていて絞り上げられるってのは、やだろうなあ。
小心もののあいつはさぞや、神経ぴりぴりさせてるんだろう。
──あいつ、どんな女の写真集持ってきたのかなあ。
きっと本条先輩が勧めてくれた代物だろう。一年の時からそうなんだが立村とはあまり、エロ本とかスケベな話とかで盛り上がることはない。聞き出したいのは俺の本音でもあるんで、無理やり引っ張り込もうとするんだが、妙に恥ずかしがって逃げられてしまう。
そんな立村がだ。
今回三年D組男子一同のために、女性グラビア写真集を持ち込んでくれたというこの事実。
他の奴らは知らんが、俺としたらすっげえ進歩だと思う。
あいつ、やっぱり一皮むけたな。いろいろな意味で。
「立村、おせえぞ」
たぶんすい君と同じ理由・目的で待ちかねていた部屋の奴が、戸口へ声をかけている。立村登場だ。
すっかり疲れはてた顔をしている。まだ第一日目だってのに。いまさら軟弱さを罵ったってなんにもなんないんで、俺の隣に来るよう畳を叩いて合図した。すぐ気が付いて、肩掛けかばんと手提げをぶら下げ上がって来た。
「またお前さあ、菱本先生とやりあってきたのかよ」
まずはガムを分け合って噛む。手刀を切って受取り、立村は片膝立てて頷いた。
「今回はもうどうしようもないしな」
「宿泊研修の時みたいに派手なこと、できねえか。そりゃそうだよな」
反論しないところみると、かなりこいつ、ぼろぼろだ。
「今、風呂場、評議の連中と一緒に見てきたけどさ」
いきなり関係のないことを口走り始める立村に、俺も、一緒に座っていた別の奴数人も顔を向けた。
「大浴場なんだよ」
いや、そりゃあそうだろう。だってここは普通の日本っぽい旅館だ。ホテルなんかと違って各部屋にシャワーなんてあるわけないだろうが。立村は肩を落とし、今度は両膝を抱えはじめた。こういう時の奴は、ひたすら内に内にと引っ込んでいって、言い方を間違えると永遠に戻ってこないかもしれないので、くちばしを挟まないでおくようにしておいた。必要な相槌だけ打ってみる。
「いいじゃねえか。広々していて。泳げるし」
「普通、いやだろ、ああいうとこで風呂に入るのってさ」
──やっぱしそうか。
この性格、二年半つきあって来たけれども、全然変わっていやしない。
「立村、お前なあ、いいかげん大人になれよ」
近くにいたほかの連中とも顔を見合わせて、俺はしっかりと言ってやった。
「いいじゃねえの、見られたってな。みんな似たようなもんしか持ってねえよ」
見る見る立村の顔が真っ赤になっていくのが見ていて面白い。きっとこいつの先輩たる本条さんも、こういうところが笑えてならなかったんだろうなあ。悪いが俺の知っている同学年の連中で、この程度のネタを振ってこんなに赤くなる奴、そういない。
「それとも、お前、まだあれが生えてねえとか?」
「うるさいな! そういう話じゃないってさ」
そうとう焦っていると見た。他の奴らの微妙な反応を観察するのもまた楽しい。「生えてる」とか「似たようなもん」とか俺が口走ったことによって、なんか、気になるとこへちんと点火してしまったみたいだ。
「違うってさ。羽飛、なんで俺が集団で風呂に入るのを嫌がってるか、わかってないだろ」「だから、まだお前自分の持ち物に自信ないんだろ?」
正しいことを言ってやっているのだが、あいつ認めようとしない。慌ててまた早口に言い募る。
「毎年、修学旅行ってすごいらしいんだ。特に第一日目、男子風呂では必ず、誰かが防水用のカメラを持ち込んで、ひとりひとり写真を撮るんだってさ。本条先輩が教えてくれたんだ。みんなが桶に入っている時はいいさ。けど、着替えの時から身体を洗っている時から、さらには写真の質を高めるために、全員両手を上げて中に入らせるんだってさ。手ぬぐいで隠すことも厳禁なんだとさ。信じられるかよ」
「けど本条先輩はそれ、やったんだろ。たぶん堂々と見せつけたんだろうなあ。ご立派な奴を」
一瞬立村は黙った。何か考えたのだろうなきっと。
「本条先輩は別だよ。そんなことよりも俺が言いたいのは、なんであんな趣味の悪い習慣を、教師連中はやらかすのかなって思うわけだ。しかもだよ、お前ら知らないだろ」
ささやかに優越感を感じている立村らしい。小声で早口で聞き取れないけれども、
「風呂場で撮った写真をどうすると思う?」
「どうするって、映っている写真をあとで俺たちが買うんだろ。青春の一ページってことで」
「そんなんじゃないってさ!」
戸口から誰かが来るのでないかとばかりにびくびくしている奴の様子が笑える。もう一度振り返り確認した後、
「あれ、現像したらみんな、先生たちの間で回しあって品評会するんだってさ。信じられるか? 誰のあれはどうだとかあいつのものはどうだとか、大きいとか小さいとかいいとか悪いとか。酒の肴になるんだってさ」
「はあ?」
立村の口走ることはよくわからない。風呂写真を品評会って、単に「修学旅行の思い出写真展」みたいなコンクールに出すとかその程度じゃないのだろうか。ま、すっぽんぽんの野郎集団なんてちっとも見て楽しいものだとは思わんが。もしこれが鈴蘭優ちゃんのシャワーシーンだったらまた考えないことも……とにかく、気持ち悪いの一言につきる。
俺からしたら意味不明なんだが、一緒に聞いている連中の一人がずいぶんマジな顔で尋ねてきた。
「俺も、その話聞いたことある。立村、やっぱり、それってあるのか?」
「本条先輩によると、あるらしい」
頷きあう二人に、俺も割り込んだ。
「あのなあ、立村。ちょっと俺の頭では理解できねえんだけどさ。品評会ってなんだ? ここか?」
股間を指差して聞いてみた。頷く立村。
「風呂場だったら丸見えだよなあ」
もう一度頷く立村。今度はもうひとりの奴も一緒だ。
「先生たちの間で回しあって品評会って、それこそ誰がどのくらいでかいとかちっちぇえとか、毛が生えてるとか生えてないとか、皮がむけているとかむけていないとか、そういうことか?」
いつのまにか他グループの奴らが無言で俺たちグループの会話に聞き入っている。トランプを叩き合っていた南雲らもこちらを見ている。
「ふうん、自分のもんに自信がねえんだなあ、先生連中もさ。まあいいじゃん立村。年とったらなかなか立たなくなるっていうのも聞いたことあるしなあ。それだろきっと。まあいいじゃん。見せ付けてやろうぜ」
「羽飛、お前ってさ」
いらだちを露骨にさらしながらも、途中であきらめたんだろう。立村は言葉を飲み込んだ。
「……いや、なんでもない」
ま、そこが立村らしいといえばそうなんだが。果たしてこいつ、美里とどこまでいったんだろう?と俺は無意識に下世話なことを考えてしまうわけだ。
──こいつを、美里が、襲うのはいつなんだろうなあ?
ふつう、女子に対して考えることじゃない、か。
俺と清坂美里……三年D組女子評議委員でかつ、立村の彼女……が、いわゆる「幼なじみ」で、かつ性別はなれた大親友だということを、この三年間でやっとクラス連中に染み込ませたような気がする。別になんだっていうんだ。立村と俺がしょっちゅうつるんでいて、たまたま美里が立村に惚れて、たまたま俺たちが三人で行動することが多くて。なにが楽しくて「三角関係」なんて言われるんだか。ま、これは俺が今だにマイアイドル・鈴蘭優ちゃんに熱を上げているからといえばそれまでだ。悪かったな。さっさと手で触れてもみもみできる彼女を作れとは、美里からもしつこいくらい言われている。
「貴史もねえ、いいかげん、誰かと付き合いなよ。ほんっと、みんな大変じゃないの」
「優ちゃん以上の美少女がいるかっての」
「この、ロリコン!」
「もう優ちゃんも今年で中学一年だぜ! 一年と三年で付き合ってる奴いるじゃねえか。どっこがロリコンだっての」
どうせこいつだって立村にお熱なんだ、人のことは言えないわけだ。この二年間、立村とも修羅場はあったし、一度は美里もはっきりと別れ話を切り出されたことがあると聞いている。その仲裁に入った俺としても胃が痛かったけども、今となったらそれも「青春の一ページ」だ。現在のこのふたり、見ていて目に毒ってくらいいちゃつきまくっていらっしゃる。 一緒に帰るのは……俺が一緒にいるのはほとんど、空気って感じだからだろう……当然としても、評議委員会の用事かなにかでしょっちゅう肩並べあっているし、たまに目と目で会話するようなしぐさをしたりもする。究めつけは去年のクリスマスイブ、しっかり二人っきりのデートを立村の自宅で行ったとかいう話じゃないか。
美里曰く
「なんにもしてないもん!」
だが、男が惚れた女を目の前にして、何もしないですむもんか。立村のポーカーフェイスをつつきたかったけれども、残念なことに我が家の家庭事情も絡んで、今だ内緒のまんまだ。ちくしょう。
でも、俺としては美里にやっかむ気はさらさらない。
そこがたぶん、他の奴らには理解できないんだろう。
うまく言えないんだけど、立村と美里というのは、見た目いちゃつきカップルに見えるんだろうけども、「評議委員」でなくなったとたん、すとんと元に戻ってしまいそうな、そんな感じがする。
立村もたまにつぶやいている。
「俺って付き合いって意味が今だ、わからないからな。清坂氏には悪いことしているかもしれない」
と。二年付き合ってきてそれはないんじゃないか?とどつきたくなるけれどもそれはあいつの性格だ。しかたない。ただ、めちゃくちゃ下半身の欲望に囚われて美里を押し倒したいと思ったことはないらしい。美里がしょっちゅう機嫌悪くしゃべっている。
「私と立村くん、何にも、ほんっとに何にも、ないんだからね!」
もし、「評議委員」から降りてふたりがどうなるのか、と考えると結局「友情」しか残んないんじゃねえかという気が、俺にはする。友達としてはすっごくいい奴なのかもしれないし、そういう態度を取りつづけていられるけれども、果たして、エロ本を読むのと同じ気持ちになれるのかと考えると疑問なわけだ。これはすべて、俺の直感だし、立村にそんなこと聞いたらたぶん、半殺しにされるだろう。美里にちょっかいだしたら、首しめられるだろう。
だったら、俺の方で「友情」っていうものの正しい形をしっかり見せ付けてやって、あいつらふたりには「友情」以上の何か、すなわちスケベな方面へ進んでいただきたい、と思う次第だ。
今のところ、鈴蘭優ちゃん以外の女子に食指は動かない。
「じゃあ、りっちゃん、これからたぶんメシ食い終わった後ですぐ、持ち物検査やると思うからさ、今のうちに分配してしまおうよ」
脳天気な声が部屋に響いた。みな聞き耳立てて静まり返っていたってことだ。
南雲がポケットに手をつっこんだまま腰を二回ほどあやしく振った。
「あ、ああ、そうだな」
「俺もりっちゃんも立場的にばれるとまずいしさ。やっぱり女子には知られたくないしさ。これからまず風呂だろ? まずこうしない?」
俺たちの陣地に入ってくんな!と思うものの、立村が手招きしているんだからしかたない。俺は隣にいた金沢に話し掛けて会話を盗み聞きする振りをした。俺の態度にちょっと悪いと思ったのか、立村も片手を立てて「ごめん」みたいなしぐさをした。
「とりあえず部屋の中で十五人、まず円陣を組むんだ。その時にみな、おしくらまんじゅうみたいなかっこうでさ、内側に背中を合わせるんだ。そうやって、背中に本を挟む」
──なにそんな意味不明なことやるんだよ、じゃかあしい。
「本を受取ったらまず、円陣の内側にひとりだけ振り返る。背中合わせの状態でひとりだけが自分の好みのページをちぎるんだ。これはりっちゃんも言ってたけど、自分の好みでいいよな。なんならりっちゃんが先に取ってもいいよ」
「いいよ、そんなの」
──あいつの趣味がばればれじゃねえのか? その写真集。
「ちぎり終わって、自分のポケットに写真を入れたら、隣に渡す。渡したら次も同じく、一人だけ後ろを向いて、人に見られないように本の写真を選び、ちぎって、ポケット。隣へ渡す。これの繰り返し。こうやってくと、万が一誰かが来ても、円陣の中に本を隠して言い訳すればそれですむだろ?」
──このくそ暑い時に押しくらまんじゅうやりたがる奴もそういないと思うぞ、南雲。
「あとは残った背表紙を、ほら、そこにある花瓶の中につっこんでおくとかトイレの中に隠しておくとかいろいろやれるだろ? 明日外に出かけた時にごみ箱に捨てればいいしさ。どう? このナイスアイデア」
──ナイスでも全然ねえじゃんよ。
わかっている。俺が南雲に対して過剰反応しているってことは。
こんな普段の俺らしくないことをするなんて、妙だと周りの連中がよく言うもんだ。
けど、どうもこいつ、何かあると俺の気に障ることばかり言いやがる。別に俺をいじめようとしているわけではないんだろうけども、クラスの中でもなんでも、どうしてかわからねえけれどもだ。
「それいいな。じゃあ今さっさとやろうか」
立村も立村だ。さっきまでぶうたれていたくせに、いそいそとかばんに手をかけてかき回し始めるってわけだ。なんでだろうか。この安易なのりは。俺がいくら「あーしろこーしろ」と温かい言葉を投げかけてやっても全然動かねえくせして、だ。
ああ、ほんっとにむかつく奴だぜ。どいつもこいつも。
しゃあないんで俺は、やっぱり隣にいた金沢をつつき、ちょこちょことしゃべることにした。
「なあ、お前、絵を描く時さ、ヌードモデルって使うだろ」
こいつは絵に関して天才と呼ばれている。すでに一年の段階で、金沢の描いた絵がどこぞの展覧会にて高い評価を受け、時々どっかの会社に頼まれてそれなりのものをこしらえていると聞いている。俺もまんざら絵が嫌いではないんで、その辺いろいろと気になるのだ。
「使ったことないよ」
きょとんとして答える金沢。
「けど、写真は使う時ある。デッサンとかなにかで」
そりゃあそうだろう。やたらとでかいおねえさんたちのすっぱだかが誉めはやされる美術の世界。俺にとっては少々趣味が疑問に思えるが……だってあれ、うちの母ちゃんの風呂上りにしか見えねえもん……正々堂々、裸が見られる数少ない機会じゃあないだろうか。
「ほらほら、じゃあみんな、尻突き出しておしくらまんじゅう型に腰掛けろや」
完全にクラスの男子一同、南雲に仕切られてやがる。立村が大人しく言うこと聞いて俺の隣に座り膝を抱えた。片手にはなぜか、「およばれの時・上品な訪問着着付け」とか書かれている、大型の本カバーがかかっている本一冊。見るからにこれ、カモフラージュだとわかる。修学旅行に何が楽しくて、着物の着付け本なんて持ってくるってか。
「お前、先に見せろよ」
肘でつついてやる。今まで俺もこいつがどういう写真を好んでいるのか教えてもらったことがない。やっぱりここが立村だなってとこで、うつむきながらはにかんでやがる。やたらと前髪をかきあげている。答えを待っていてももったいないので、俺はさっさと片手からひったくった。俺だけじゃない、興味津津だったのは。隣の金沢、後ろの水口、その他大勢が俺の後ろから覗き込むようにして本のページを追った。
「へえ、立村って、こういう趣味かよ」
「そういうんじゃないよ。前に本条先輩からもらったから」
スケベネタの出所はいつも、「本条先輩」からだ。先輩が卒業してしまった以上、もう使えないな、かわいそうな立村よ。
「おばばばっかりだなあ」
別の奴がささやきかける。もっともだ。もっともおばばといってもだいたい二十歳近くじゃねえかって感じなので、うっかりうちの姉ちゃんたちに聞かれたりしたらぶんなぐられるだろう。
「刺激的じゃねえじゃん」
「お前あまり、欲求激しくねえんじゃねえの」
言いたいことをいいまくっているわがクラス三年D組男子連中。立村は一切無視すると、一緒に覗き込んでいる南雲へ目で「なんとかしてくれ」的サインを送っていた。俺に頼めと言うに。南雲もわかってるんだろう。膝を打つようなしぐさをすると、
「じゃあみんな、超スピードで片付けてしまおうぜってことで。りっちゃん先に自分の分、破っとく?」
物言わず首を振る立村。そりゃあそうだろう。自分のお気に入りが誰なのか、一発でばれるのはいやだろうよ。
「じゃあお先に俺からな」
全員おりこうな顔して、背中をくっつけ合い、後ろ背で本を回していく。
一通りめくってみたところ、それほど使い込んでいるという感じもしなかった。ただ、一ページだけやたらと折り目がついているところがあったのが気になった。別にものすごくやらしい写真ではなくて、どこかのお寺さんの庭みたいなところで横たわっているきれいなお姉さんという感じの写真だった。はっきり言おう、美里とは全然似てやしない。かなりのショートカットで、「私、家族のために身を売りにやってきました」と言いたそうな顔をしていた。
──へえ、立村ってこんなタイプ好みなのかあ。
男子たるもの、その辺気付かないわけがない。一応そこらへんは俺の好みでもないので、もう少しはじけたモデルさんのいる写真を頂戴することにした。わざとらしくそっぽを向いている立村はあいかわらず膝を抱え、南雲相手に
「これから風呂に入ることになるんだけどさあ、また菱本先生がさあ」
と俺にさっき話していたのと同じ愚痴をこぼしている。南雲はあんまり突っ込みをしないタイプらしく、
「修学旅行だけは学校側が全権握ってるからなあ」
と同情こめたコメントをしていた。別にいいだろ、見られたって。
一通りみな、無言で南雲の指示通り、円陣の真ん中で必要な写真を全部破りとり、最後に立村の元へ回ってきた。俺が思うにたぶん、十四人の好みにあったものがあったとは思えなかった。やっぱり「おばば」が多すぎるもんなあ。
すっかりうすっぺらくなった「上品な訪問着の着付け」本を手に取り、立村は、
「じゃあ残りの分、足りない奴はみな分けた方がいいと思うけどさ」
とか細くささやいた。
「お前の分は?」
「いいよ、そんなの必要ないし」
心なしかあいつ、元気なさそうだった。
「じゃあ俺がもらおうか。俺は元気まんまんだからなあ、一発じゃあ足りねえよ」
返事を待たずにひったくり、気になったさっきのページ・くらい感じのお姉さん写真を探したところ、やっぱり切り取られていた。写真としてはすげえきれいだったし、やはり年増好みっているんだろうなあ。立村、よかったじゃねえか。同じ好みの奴がいて。
写真集分配は滞りなく終わった。運が良かったのは、全部片付け終わった後に菱本先生が呼び出しに来て、
「じゃあお前ら、風呂の準備しろよ!」
と声をかけてきたことだった。ほんと、円陣を見られていたら一発でばれていただろうし、立村もただじゃあすまなかっただろう。
「立村、お前もちゃんと、大風呂に来るんだぞ」
よけいなことを言うのが菱本先生の悪いとこだ。いつもこれで立村はかっとなるわけである。その典型的例が一年前の「宿泊研修バス脱出事件」だ。
「うるさいってさ」
小さい声で、俺にだけ聞こえるようにつぶやき、立村は振り返った。
「わかりました。AからDの順番で入るんですか」
「そうだ。十五人くらいだったらまあ、湯船もゆったり浸かれるしなあ」
──思ったよか小さいのか。
俺は着替えの下着類とシャンプー、タオル、手ぬぐいをそのまんまくるんだ。
「一応、ジャージか制服かって言われているけど」
「俺は絶対、制服のままでいる」
立村の変わった性格その二。こいつ、ジャージとかの楽な格好が大嫌いなんだ。
本当だったら私服を持ってきたかったんだろうが、さすが修学旅行たるこの状況で、自分の趣味を押し通せなかったんだろう。哀れな奴。よくよく見ると、こいつやたらとワイシャツを大量にかばんへ詰め込んでいる。でかい荷物だとは思ったが、ほとんどこいつ、着替え関連ばっかり用意してきたってわけだ。女子でもあるめえし。
「それとだ、まさかそんなことをする奴はいないと思うが」
菱本先生はまたもや、立村をきりきりさせそうな一言を発した。
「風呂に入る時、海水パンツなんかを穿いて入る奴なんていないだろうなあ。ぶんなぐって、すぐに脱がせるからな」
一瞬静まりかえった三年D組男子の部屋。
絶対、対象者、いたに違いない。立村はうんざりした顔で無視をこいていたが。
「この機会だ。どのくらい友だちのたまたまが成長してるかとか、そういうのを裸の付き合いでじっくり見ておけよ。俺もなあ中学の頃、人よりも小さいんでないかって悩んでいたけどな、毛の生えるのも遅いと思っていたけどな。修学旅行とか宿泊研修とかで友だちのものを見たりして安心したりしたもんだ。成長の早い遅いはあるだろうが、みんな成長それぞれなんだから、裸のまんまでいろいろ話してみろよ」
両手を握り締めたまま、怒りできりきりしている立村の熱気が怖い。
こいつ、追い詰めたら何をしでかすかわからない。
「じゃあ、C組男子が入り終わったら連絡が入るようになっているから、みな部屋で待機しているように、いいな」
──ああ、立村すっかりご機嫌斜めじゃんかよ。
背中を向けているからきっと菱本先生には気づかれなかっただろう。かばんのもち手を握り締めるようにして、
「毎度のことながら、許せないことばっかり言うよな、あの人」
俺に言いかけて、すぐやめ、南雲に視線を送るのが俺にとっては「許せないこと」なんだが。
C組が全員入り終わった旨の伝達がきた後、D組男子一同は廊下へ二列に並び風呂場へ向かった。前の方でいやいやながらも立村が先導して歩いている。南雲相手にまたぐちっているんだろう。ほんと女々しい奴だ。
「あのさあ、羽飛」
必然、俺は別の奴とだべることになる。さっきからやたらと縁のある金沢に声をかけられた。こいつはどちらかいうと水口たちと同じグループで行動することが多いのだけれども、大人しい性格なのと、最近水口が目覚めてしまって激しい行動をとりたがっていることもあって、少しずれてしまったようだった。成長遅れってわけでもないんだろうが。
「さっきの写真、お前どんなのちぎった?」
いきなり聞かれた。しかたないんで俺は、ポケットにいれっぱなしの写真をちらっと見せた。
「そうかあ。立村って結構、写真の好み癖あるよね」
──気付いたのかよ。こいつ。
金沢の言葉にちょっとひっかかった。
「じゃあ金沢、お前はどんなのにしたんだよ」
「これ」
胸ポケットにきっちりと畳んだ写真を開いた。見開きで二ページ。緑色のバックで大体見当がついた。やたらと開き癖のついていた、あのページのお姉さんだ。哀愁のまなざしは金沢の芸術的感性をも捉えたらしい。一回しか見てねえのに、覚えている俺も俺だが。思わずため息ついた。
「立村の好みって感じかなあ」
──けど美里とは雰囲気違うぞ。
言うべきでないことは言わないでおく。
「そっか、これか。かなりのお気に入りと見たぞ」
「だよね。俺もこの写真が一番きれいだなって思ったんだ」
美術感性抜群の金沢が言うんだから、そうとうなもんだろう。
「で、もうひとつなんだけどいいか」
思いっきり小さい声で指を絡ませつつ、金沢は続けた。ずいぶん内緒ごと好きそうな言葉だ。
「なんだよいきなり。ずいぶん他人行儀じゃん」
「明日の昼なんだけどさ」
金沢が次に口走った言葉は、俺にとっては仰天そのもんだった。
「ちょっとだけ、他の人たちが食べている間、抜け出すことできないかなあ」
──抜け出すっていったい?
「いや、たいしたことじゃないんだ。二日目の予定は昼に、お寺で昼メシ食って、そのあとちょっとだけ見てまわって、ってなってるだろ。俺、そこの住職さんにどうしても会っておきたいんだけどさ」
──住職?
住職、ってことは、坊さんに会いたいってことかよ。
「菱本先生に言えばいいじゃねえか。親戚なんか? お前の」
「ううん、違う。ほんとは早いうちに気づけばよかったんだけど」
金沢は肩をすくめるようにして、他の連中に気兼ねしつつ話を続けた。
「あそこのお寺の住職さん、美術の世界ではすっごく有名な先生なんだ」
「美術の世界って?なんだそりゃ」
「けど、うちの学校ではあまり高い評価されてなくって、青潟でも異端っぽいこと言われててさ。めったに連絡が取れないって言われてるんだ」
けどお寺の坊さんってことは、仕事があるってことじゃないのか? 毎日お経を拝むとか、俺たち修学旅行の生徒を迎えたりとか。
「この機会に一度、会って絵、観て感想聞きたかったんだ」
雑に包んだタオルからトランクスの赤い柄が見え隠れしている。見られても平気って顔をしている金沢なんだが、しゃべることはずいぶん真面目っぽい。
「途中で抜け出してえのかよ」
「うん、できたら食事のあたりと、その前後、見学のあたりの十分くらいだけでいいんだ。持ってきた絵を渡すだけでいいからさ」
美術関連については俺もよくわからないんだが、金沢がかなり思いつめていたのは感じ取れた。
けど、このあたりはがさつな俺よりも立村の方がしっかり対処してくれるんでないだろうか。
「立村に頼めばいいんじゃねえの? あいつ、話わかるぞ結構」
「うん、わかってる、けどさ」
ほんっとにちゃっこい声で、金沢は立村の方を見ながら、
「あいつ、前科もちだろ。学校に目つけられてるよ絶対。立村を巻き込みたくないんだ」
──ったく、立村よ、お前のやらかしたことで、こーんなとこまで影響出てるんだぜ!
しかたない。俺は風呂が終わった後で、金沢の事情についてもっと詳しく聞いてみる約束をした。
もちろん、立村には内緒でだ。