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第四日目 27

27


 食事が終わり、琴音ちゃんとすれ違った時廊下で、

「美里、ごめんね」

 小さい声で謝られた。二言三言で話をつけたくなかったので、私も立ち止まった。少し日焼けしたようなほっぺたが真っ赤で、なんだかひょっとこのお面にそっくりだった。

「噂のこと、私気にしてないよ」

 まずは最初に安心させたほうがいいかなって思った。

「琴音ちゃんもいろいろ周りから噂されるかもしれないけど、私がそんなことないって言っとくから大丈夫だよ」

「誤解させちゃって、ごめんね。私、ただ」

 いつも思うのだけど、琴音ちゃんはどうして人を見上げるような顔をするんだろう。顔色を伺うような態度で、言葉の折々に私の目がどっち向いているかどうかをチェックしようとする。むかむかする。なんでかわからないんだけど、いらいらしてくるのは私だけじゃないと思いたい。

「旅行終わったらでいいよ、詳しいこと教えてもらうのは」

 ここでヒステリー起こしてしまい、「やっぱり美里も普通の女子なのね、やだねえ」って噂されるよりは、ここで少し落ち着いて見せたほうがいいに決まってるもの。昨日、こずえに怒られたけれど、でもこういう時、他の女子たちのようにぎゃあぎゃあわめいて顰蹙買うのだけはいやだ。

 たぶん、他の女子たちはみんな楽しみに待ってるんだろうな。

 私が琴音ちゃん相手に、大泣きしちゃうところを見たいんだ。

 立村くんに噛み付いてひっぱたくところ、きっと楽しみたいんだ。

 そんなところ、どんなことあっても見せたくないもの。


「私、一年の頃から立村くんのことが好きだったんだ」

 寝耳に水。

「けど、立村くんに私なんかおよびじゃないってわかってたの」

 ふうん。

「だから、悔しくなかったんだ。美里を選んだのは当然だって思ったの」

 どきんとする。

「だって私、立村くんにふさわしくない顔なんだもの。だから最初っから、あきらめてたんだ」

 けどなんで今更。

「修学旅行、最初で最後、一度でいいから立村くんに本当の気持ち、打ち明けたかったの」

 で、立村くんはどう答えたの?

「やさしかったけど、即答だった。美里がいるし、最初から私は評議の仲間以上じゃないって。だから、友だちとしてこのままでいいって」

 

 私はこれ以上琴音ちゃんの告白を聞きたいと思わなかった。

 だって最初からわかっていることだったから。

 ありえないことだって思っていたから。


「いいよ、琴音ちゃん。気付いてあげられなくてごめんね。私、琴音ちゃんの前で」

「ううん、でもこれですっきりしたんだ。美里。私これで立村くんへの気持ち、すぱっと断ち切ることできたから。後悔してない」

 相変わらず上目遣いで背を丸くするようにして、琴音ちゃんは私に数回頭を下げた。ぺこぺこ。こめつきばった。

「これからは評議委員会で協力するって、ちゃんと伝えたから。美里、立村くんに本当に思われてるんだね」


 ──本当に思われているのかなあ。

 こずえと一緒に泊まる部屋に戻り、シャワーを浴びるかどうか迷った。夕食中もほとんど立村くんと話ができなかったし、なんだか消化不良、おなかの中がたぷたぷした感じだった。食欲がなかったのはきっと、昼ずっとお菓子ばっかり食べていたせいかもしれない。

 ──けど、私に一言くらい断ってくれたっていいじゃない。

 ──私だって、もし琴音ちゃんが立村くんのことを。

 そんな心狭い人間じゃないって言いたかった。私だって、立村くんと両想いになるまではいろいろ悩んだし、なったらなったでいろいろあったし。琴音ちゃんの気持ちがわからないわけじゃない。もしこっそり、私に打ち明けてくれたら一度くらい、ふたりっきりで話をさせてあげたってよかったのに。

 そうなのだ。立村くんだって、好きでもなんでもない女子を冷たく突き放す人じゃないってわかってるもん。人を傷つけることを極端に恐れる性格だって知っている。だからひどい言い方で琴音ちゃんを振ったりしないと思っていた。彼女としての私が、そう断言する。  だから私に言ってくれればよかったのだ。


 私はぼんやりと窓の向こうを眺めていた。本当だったら今夜は、全員で蛍狩りをする予定だったのに。クラス女子の何人かは、蛍を見つめながら好きな男子に告白するんだと心に決めていたらしいけれど、残念ながらそれもお流れになってしまった。理由は単純で、「夕方から大雨が降るから」。きれいな夕焼けがめいっぱい空に広がっていたのに、どうやらそれは雨の前触れだったらしい。明日の朝一番でバスにのり、すぐに連絡船へ乗り込み、青潟へ帰る。

 ──立村くんとちっとも話、していない。

 ほんとはそれが何よりも楽しみだったのに。

 いつも一緒にいるんだから、なにもって言われるかもしれない。けど、うるさい親の目を盗んでふたりっきりで歩くのと、まったく他人の目を気にしないでおしゃべりするのとではまったく違うってこと、どうしてわかんないんだろうって思う。立村くんと付き合っていることをうちの親たちはあまりよく思っていない。貴史と仲良くしてればいいじゃないっていつも言う。立村くんの礼儀正しさを見せ付けられているから表立って文句はいわないけれども、陰でこそこそ「品山の子は、レベルがねえ」なんて話をしているの、知らないわけないじゃない。そういう差別意識って大嫌い! 貴史にもいっつもそのこと話していた。けど、そんな親たちの意識を平気で跳ね返せるほど、子どもは強くないのだ。だったら、そんなの無視できる場所で思いっきりおしゃべりしたい、そう思うのがいけないわけ?

 まさか旅行一日目に、あれになっちゃうなんて思ってなかったし、せっかくふたりきりで歩く予定だった三日目も結局は貴史に愚痴聞かせるだけだったし、最後のチャンス四日目も琴音ちゃんに邪魔されてしまった。近江さんと一緒に楽しいおしゃべりができたのは収穫だけど、でもやっぱり、違うのだ。

「外は雨だね」

「船酔いしやすい奴が約一名、いるね」

 こずえが歌うようにつぶやいた。

「ほたる見たかったな」

「しょうがないよ。雨なんだもん」

 意味がつながらないことくらい、よっくわかっているけど。でも。

「立村のこと考えてるんでしょ」

「違うの、蛍のこと!」

 見たかったのは確かなんだから。窓にぶつかる白いしずくがつるつる滑り落ちるのが見える。立村くんと貴史が同じ部屋だというのは知っているけれど、男子ってこういう時に見つめあったりなんてふつうしない。

「まあいっか、女同士でしっぽりと語り合うのも悪くはないよね」

「そうよね」

 こずえはさっさとシャワーを浴びていた。さっきまでほかの女子たちとおしゃべりに行って、また戻ってきたところだった。私と違ってこずえは、他の女子たちと話をうまく合わせることができるから、敵が少ない。それで助けてもらったといえばそうだけど、でも私のことをさんざん遠慮なくばかにするのはやめてほしいなって思う。悪意なんてさらさらない子だから気持ちはなんとかなるけれど。

 私もシャワー浴びようかな。それともお風呂に入っちゃおうかな。最後だし。

 のりがぱりぱりにくっついた浴衣を枕もとから取り出し、私はしばらく足を投げ出した。

 

「美里、轟さんと話したの?」

「話したよ。なんでもないんだって」

 さすがに、琴音ちゃんが本当に立村くんのことを好きだったことは話さなかったけれども。

「ほんとにほんと?」

「うん、本当だって」

 私が力強く言うと、こずえもしかたなさそうにうなづいた。

「よかったよねえ。立村、ああ見えても押されると弱いからねえ」

「見た目からして弱いわよ。もし少しでも好きな子だったらよろめているかもしれないし」

 こずえはにやりと唇を上げた。

「ははん、彼女として自信あり?」

「ないから言ってるの。私のことを選んでくれるかどうかわかんないもんね」

「よかったよね、ゆいちゃんじゃなくて」

 どきんとした。なんだかいやあな感じだった。雨音がばばばっと響いてくるみたいだ。

「琴音ちゃんだってゆいちゃんだって、立村くんが好きだったらしょうがないけどでも」

「でも、相手になんてする気、さらさらなかったってことなんだ」

「わかんないけど、ね」

 私はテレビのスイッチを入れるため四つんばいになって手を伸ばした。いきなりお尻の片っ方をはたかれた。

「痛いっ!」

「ぺんぺんしてあげる! 何年ぶりかなあ。おしりぺんぺん」

「そんな悪いことしたことないから、経験ないもんね!」

「大嘘つき! けど美里のお尻、ちょっとボリュームアップしてなあい?」

 どうせこずえはスレンダーでお尻がきゅっと締まっているから、プロポーション自慢したいんだろう。やだなあ。

「どうせ私、こずえみたいにやせてないもんね!」

 つけたテレビには、歌のベストテン番組が映っていた。貴史の愛する「鈴蘭優」が音程の外れた声で「第三位」にランクインした「初めてってなあに?」を歌っていた。歌詞が白い文字で画面に流れている。この子確か中学一年だったはずだけど、ずいぶんどきどきものの歌歌っているんだって、今気付いた。

「いやあん、『はじめての夜のこと、思い出にしたくないの』って、もろ、あれだよねえ。鈴蘭優の事務所ってこの子をどういう風に位置付けたいんだろうねえ」

「知らないけど、貴史はショック受けてると思うよ。あいつあれでも清純派好きだもんね」

 ちょっといらっときてたせいか、こずえの心をずきんと言わせそうな言葉を口走ってしまった。まずいまずい。

「いいのいいの。夢と現実は違うもんね。あいつもきっと、いつか肉体派に目覚めてくれるって、ね、美里」

 どうせ私は肉体派と関係ないもんね。胸のとこを軽くなでた。ちっとも、膨らんでない。

 しばらくふたりでベストテンのランキング曲を口ずさんだりしていた。


 菱本先生がノックしてきたのは、だいたい十分くらい経ってからだった。一応最後の見回りってとこなんだろうか。

「清坂、古川、どうした、ゆっくりしてたか?」

「先生、美里がずっとむくれてるんですよー! ほたる、見られなかったって」

「そんなこと言ってないじゃない!」

 私だってほたるほたるって騒いでなんかいないのに。別に入ってこられても見られてまずいもの持ってなかったし、そのまんまベッドから足をぶら下げたまま待っていた。菱本先生も機嫌よさげに部屋の中へ入ってきた。

「お前も今回はいろいろ大変だっただろうが、まあ、これも青春だな」

「いろいろすみませんでした」

 確かに私が散々クラスに大迷惑かけたことは事実。謝っておいた。

「古川にあとでおいしいものおごってやれよ。それとだな、お前に一応話しておいたほうがいいかなあ」

 椅子を引っ張り出して菱本先生は両腕を組んだ。コサック踊りの格好にちょっと近い。

「なんですか?」

「立村のことなんだけどなあ」

 また何かやらかしたんだろうか、そう思ってしまうのは、前科持ちの「彼」だから。どきまきしたところ見られないよう、足を組みなおすだけにした。

「なんですか?」

「あまり野暮ったいこと言いたくないんだが、やはりお前ら、中学生だろ? 中学生らしくいろいろ悩んでるんじゃないかなと思ってな。先生というよりも、人生の大先輩としてだ」

 やだ、もう先生たちにもばれていたんだろうか。ふわっと顔が赤くなるのがわかる。

「付き合う付き合わないとか、できたできないとかいろいろ騒いでいるようだけどな。そういうどろどろしたことで悩むよりも、もっと軽く、楽しく、男女付き合い楽しむってのはできねえものなのかなあと思ってな」

 どう答えればいいんだろう。また身体が熱くなってしまう。けど動いたら動揺しているのがばれてしまう。こずえが代わりに話し相手になってくれた。

「先生、男と女の仲にくちばしはさむもんじゃないって! たとえ担任でもバツ!」

「いやいや、なんというかなあ。俺なりの経験もあってな」

 うつむいて聞き流すふりをした。

「大人になると、人を好きになるのもいろいろ面倒なことが多いんだ。好きになるはいいが、相手にされないとか、無視したらヒステリー起こされるとか。まあ一筋縄ではいかないもんだ。今の時期、好きになるななんて言えないが、もっと大切なことがあるんじゃないかって俺は思う」

「勉学にいそしめっていう白々しいことですか?」

 こずえにまぜっかえされた。

「そんなことを言ったって、お前らがうなづくわけないだろう? 俺も古川たちとおんなじ歳の時はそうだったぞ」

「じゃあなんですかって」

「お互いを大切に思うことを、まずは覚えるほうがいいんじゃないかってな。いや、俺もお前たちとおんなじ歳の頃はな、ガキそのものだったからさんざん女子をからかったり、スカートめくりしたり、関心もってほしくてパンツいっちょで踊ったりしたもんだ」

 見たくないな。顔を思いっきりしかめてしまった。こずえはのりのりだ。

「わあ、今でもやってるの? 彼女の前で」

「ばーか、んなわけないだろ。そういうとこが大人なんだよ」

 いきなりまじめな顔をしてにらまれた。

「けどそんなことばかりしていた男子はな、ちっとももてなかった。かわいそうなくらいもてなかった。かえって女子に嫌われてしまう悲しい運命をたどっちまったな。けど、そういう形でしか男子たちは、『俺に関心を持ってくれー、プリーズ!』という言葉が出せないんだよ」

「わああ、ばっかみたい!」

「ほんと!」

 思わず声が出て、三人で笑いあった。

 男子って、ほんと、ばっかみたい。

 菱本先生はさらに話を続けた。


「男の俺が、いくら担任とはいえ、こういうことをゆっくり話す機会はないと思うけどな。お前たちたぶん、男子たちがスケベなことを話し掛けたり、いきなり緊張したり、いろいろしちまったりするのを見て軽蔑してるのも当然なんだと思うんだよ。男子は男子なりにもちろん、身体の成長もあったりして悩んでいるんだが、まだ女子にそれを理解してくれってことは言えないなあ。気持ちはまだガキんちょのまま、けどなあ。ほんと想像つかないと思うけど、身体の変化でどうしていいかわからないんだよ。これからゆっくりと俺も、担任としてだけでなく、男の先輩として男子どもと話をしていく。簡単なことじゃないしな。なにせ男は女よりも大人になるのが時間かかるんだ。気持ちの方がな」

「ふうん、だからすい君みたいにえっちいなこと言うんだ。ガキだねえ」

 からから笑うこずえ。どうして笑ってられるのかわかんなくて、うつむいた。

「清坂、いろいろつらかったな。恥ずかしい思いさせたのはかわいそうだったな」

 ──そう言われる方が恥ずかしいって知ってた?

 菱本先生は「まだガキだから」とか言って男子をかばっているけれど、私からしたらそういうことを平気でいう当のご本人がまだまだ幼いんじゃないかって思う。

 ほっといてくれたら一番いいってこと、気付いてないんだ。

「これからもし、清坂のことをからかう奴がいたら、その時は俺でもいいし、殿池先生、都築先生どちらでもいい。助けてくれってSOSを出してほしいんだ。なんてっか、俺は男子の代表として謝ったり相談に乗ったりすることしかできないがな。とにかくみんなを守ってやりたいって気持ちだけはめいっぱい持っているんだ」

 顔を上げてきっぱりと「それだったら今すぐ男子たちに、いやらしいこと言うのやめさせてください!」って言いたかったけれど、口を開けなかった。

「先生、もういいじゃん。あのさ、悪いけど先生たちの発想ってさ、もろ男子的なんだもん。今、美里に受け入れろったって無理よ無理」

 こずえはテレビ番組をニュースに切り替えた。ちょうど明日の天気予報が入っていて、青潟地区の天気は曇りマークが示されていた。海、荒れるかな。

「こういう時はね、先生。知らん振りしてもらうほうが一番いいんだって! それよか私もこの機会に先生へ質問があるんだけど、いい?」

「おう、なんだ古川」

「もしかしてさ、ほたる見物の時間が空いたから、クラス全員の部屋を回って熱く語り合っていたりするわけ?」

 はっと気がついた。そういえばそうだ。さっさとみんな自分らの部屋に戻っておしゃべりしたり帰り準備をしていたわけだけど、夜十時以降は男女問わず他の部屋訪問禁止となっているはずだ。本当だったらもっと他の子たちとおしゃべりしたかったんだけども。そろそろ九時半だった。消灯時刻なのかもしれないけれども、男の先生が女子の部屋を訪問するというのは、ちょっとおかしいと思う。

「まあそういうことだ。男子連中をまず先に訪問してきてだな。いろいろ語り合ったぞ」

「ふうん。そうかあ。この機会に深く、熱く、語りましょうってこと? じゃあ私たちが一番最後?」

「ご名答、古川、お前そういうことに関しては鋭いなあ」

 菱本先生は大きくうなづき、こずえの頭をがしがしとなでた。いやがらないでこずえもされるがままになっている。

「だったらひとつ質問。先生もいい歳なんだから恋愛経験も豊富なんじゃないかなって思うんだけどね」

 せっかく熱く語ろうとしている相手を無理に押しのけることはない、ってのがこずえの考えなんだろうな。私もふだんだったらそう思えるんだろうけど。

「もしも、彼女に浮気されたとしたらさ、先生だったら相手にどうしたいか聞く?」

 息を飲み込んだ私を、たぶんふたりは気がついていないようだった。だってずっと笑いつづけていたもの。

 ──浮気じゃないけど、どうするの。

 菱本先生の答えはあっさりしていた。

「そうだなあ。時と場合にもよるが、もしも古川と同じくらいの歳でそういうことがあったらだ」

 言葉を切った。

「まずは話をするなあ。だってなあ。いろいろ事情があるかもしれないだろ? 別の男と付き合いたいのかもしれないし、ただの勘違いかもしれないし。ほら、親戚のおじさんと歩いていただけだったとか、たまたまそのおじさんが若かったので彼氏と勘違いしたとか。まずは本当のことと気持ちを聞く。それがわからないとこちらも怒りようがないし、な」

「私たちと同じくらいの歳ならそうかもしれないけど、今では? 現在、二十九歳の男性としては?」

 かなりつっこむこずえ。頭をかきながら菱本先生は、照れ隠しに一笑いした後、

「大人になると、人間関係にも複雑怪奇な糸がからんでくるもんだ。素直に聞けない時も、ないとはいえないなあ。本当はさっさと事実関係を証明して、その後で片をつけるのがいいんだろうが、ある程度様子を見て知らん振りしておいた方がいい時もあるさ。だが、それはあくまでも大人になってからの話だ。今の段階でそんなみみっちいことするよりも、まずは正面からぶつかってみるのもいいんじゃないのか? と俺は思う」

「ははーん、先生って、結構正面突撃で痛い思いしたことあるんじゃないのー?」

 すっとんきょうなこずえの声にまたがはは笑いする菱本先生。

「まあな。だけどそれで後悔したことは、一度もないぞ」

 ほんとだろうか。こずえの突っ込みを上手に交わしつつ、菱本先生はしばらく、「中学生の恋愛」と「大人の恋愛」について熱く語りつづけた。

 最後に付け加えた。

「いいか、古川、あと清坂。中学時代の恋愛はな、なにはともあれ『語り合う』ことが一番大切なんだぞ。スケベなことばかり考えてしまうのも仕方ないといやあしかたない。だが、それに集中するのは大人になってからで十分堪能できるもんだ。それよりもまず、男子と女子、互いの違いを理解するために、とことん本音で話し合え。勉強の邪魔になるから恋愛するなと、俺は口が裂けても言えないが。好きだという感情があるのなら、まずお互い、どういう気持ちを持っているのか、どういう思いで生きているのか、それをぶつけ合うのが一番大切なんだ。恋愛ドラマみたいな話は、大人になってからいやってほど経験するんだからな」

 結局、菱本先生も建前ばっかり話しているような気がしたけれども、いやな気持ちはしなかった。私も素直にうなづいた。

「わかりました。先生、ありがとう!」

「これは他の女子には内緒だぞ、あともうひとつ、男子を扱うための秘密を教えて進ぜよう」

 こずえが受け取った。

「なになにそれ?」

 けど私に向けて放たれた言葉みたいだった。私もしっかり受け取った。

「男はな、おだてられるのが一番うれしいんだよ。うちの男子連中に何かさせたかったら、とことん誉めまくってみろ! びっくりするほど、本気出すぞ!」

 ──本当かな。

 立村くんをおだてて、何してくれるんだろう。部屋を出ていく菱本先生を見送りながら、私は少し考えた。


 こずえは少し乱れた浴衣の襟を合わせなおし、男っぽく帯を結び直した。

「いやあやっぱり、男の本音は男がよっく知ってるって本当だよね。ああ、せっかくだったら初体験の話も聞かせてもらえばよかったなあ」

「何言ってるのよ、やらしいこと言わないで!」

 私が菱本先生の言葉をすんなり受け取ることができたのは、きっといやらしい話がほとんど混じっていなかったからだろう。もちろん男子たちの好奇心について多少のオーバーな表現は出てきたけれども、いやな気持ちはしなかった。もしこれが別の先生たちだったら無意識に耳栓をしていたかもしれないけれども。

「まあまあそれは冗談。けどさあ、先生たちもこういうの好きだよねえ。一対二で語り合うんだもんねえ。男子たちの部屋を先に回ったということは、たぶん」

「貴史たちも回ってきたってことだよね」

 貴史と同じ部屋にいるのは立村くん。立村くんと菱本先生は長年犬猿の仲。決してほのぼのとしたムードでは終わらなかったに違いない。

「今ごろ、立村のご機嫌は悪いんだろうねえ」

「絶対そうよ」

 そろそろお風呂に入ろう。こずえはシャワーだけで済ませたらしい。私はやっぱりゆっくりたっぷりしたお湯につかりたい。ユニットバスの栓をしめて、お湯と水、両方の蛇口をひねった。あふれんばかりに水が勢いよく溜まっていった。この旅行中ほとんど手足を伸ばして入る機会がなかったし、生理も四日目でだいぶ出血が収まってきていたし、時間関係なくゆったり入りたかった。

「美里も、一度立村と話し合ってみたらどうよ」 「どうって、別にそんな話する必要ないもん」

「とかなんとか言っちゃって! 轟さんのこと、気になってしかたないくせにさ!」

「気になってないもん!」

 思いっきり怒鳴った。おへそのところがぴくっとするくらいに。

「私、他の子みたいに浮気したとかいやらしいこと考えていたとか、そんな風な目で立村くん見てないから大丈夫なの!」

「男はわかんないよ。本能だもんね」

 ぐっと息が詰まる。こずえは余裕ありありの表情で、大きな目をぐるぐる回した。

「今の菱本先生だって、男子の大先輩として語っていたじゃないのさ。中学生の恋愛はまず、語りあうことが大切なんだって! どう思っているか、どう感じているか、それをとことん語りつくすことが大切だって! 美里だってうなづいてたじゃないのさ」

「それはそうだけど、私と立村くんは」

 言いかけて、こずえにノンノンとさえぎられた。

「私もちょっと悪いことしちゃったなとは思ったよ。三日目せっかく美里が楽しみにしていたのにあんたのダーリンとのツーショット奪っちゃってさ」

 別に、あの時は貴史と話をしたかっただけだから、そうしただけ。こずえには悪いなと思ったけど。

「今日はきっとふたりっきりになるチャンスあるかなと思って誘ったけど、あんなことになっちゃったでしょう。私の想像なんだけど、立村きっと、美里に言い訳したくてならないんじゃないのかなって思うんだよね。轟さんの話よりも、美里が知りたいのはそっちでしょが」

「そんなこと」

 言いかけた。首を振って言葉を捜した。うまくいえないけど、違うんだって言いたかった。

「それともなに? 立村からもしかしたら、別れ切り出されるかもって思ってた?」

「そんなことないけど、でも、しつこい女子は嫌われるに決まってるし」

 小春ちゃんが天羽くんにとことん嫌われてしまった事件を見たあとのことだ。私だって用心しているのだ。

「じゃあ、聞いてみたらいいよ。どうせ明日の朝になったら噂は広まってるし、学校に戻ったらまたさんざんしょうもない噂流されるよ。あのバスの中の事件みたいにね」

「立村くんが言いたがってないんだったら、それでいいの!」

 こずえに背を向け、シャンプーとリンス、下着一式を取り出し、準備をした。

「後悔しないの?」

 肩をすくめるようにして、こずえは私の肩に手をかけた。髪の毛を軽くくしですいてくれた。

「するわけないもん。他の女子たちみたく、付き合ってるから他の女子としゃべらないでなんていわれたら、男子は嫌がるに決まってるじゃないの!」

「そうやって、物分りのいい振りしようとしているから、美里はやっかまれるんだよ。他の女子たちにどう思われたっていいじゃないのさ。ずうっとおなかの中に溜めておいたら、爆発しちゃうよ」

「爆発したらしたでその時だもん、いいもん!」

 なんでこずえってば、私のおなかに飼っているいらいら虫にえさをやるようなこと言うんだろう。

「もういい、お風呂入る!」

 私は髪の毛を振り払うようにして、こずえに背を向けた。ちょうどお風呂も一杯になったところだし、実は秘密の楽しみを試してみる予定だったし。こずえがわざとらしく「はあー、もうやだよお」とため息ついているのを無視することにした。


 今回、こっそり楽しみにしていたこととは。

 よくアメリカの映画で出てくる、「泡いっぱいのおふろ」。

 旅行用品をそろえた時、たまたまバスタイム用品コーナーで見つけたのだ。

 水道の水が垂直にぶつかる部分に、数滴、緑色の液体をたらしておく。お湯を溜めると同時にぶつかり合う水のしぶきで泡がふくらみ、お風呂一杯にお湯がたまるころには泡いっぱいお風呂の出来上がりとなるわけだ。私も一度、自宅で試してみようとしたのだけれども、いかんせん家族の反対を押し切ることはできなかった。お姉ちゃんと妹は賛成してくれたんだけど、お母さんにきっぱり「水がもったいないでしょ! 誰が水道料金と電気代払うわけ?」却下されてしまった。

 だから今回、四日目のバスタイムがユニットバスということを知ってからしっかり計画を立てておいたというわけだった。ビニールのカーテンを湯船の中に入れたまま、そっと開けた。赤ちゃんの頭くらい大きな泡が、もこもこっとふくらみ浮かんでいた。私の大好きな花の香りで一杯だった。

 ──うわあ、ほんと、映画みたいなお風呂よお風呂!

 さっきこずえ相手に言い合ったことなんて、どうでもよくなってしまった。

「こずえ、ちょっと見てよ! ほら、お風呂見て!」

 浴衣を脱ぐ寸前にこずえへ声をかけた。返事がなかった。

「こずえってばあ!」

 ユニットバスの白いドアを開けた。顔だけ出した。さっきまでベッドの上で寝転がっていたこずえの姿が消えていた。

 ──どこ行ったんだろう?

 せっかく泡いっぱいのお姫さまバスタイムを、雰囲気だけでも味合わせてあげようって思ってたのにな。 

 たぶん女子たちの部屋へこっそりもぐりこみに行ったんだろうな。

 待っていてもしょうがない。せっかくこしらえた真っ白い泡も時間が経つと消えてしまうと説明書に記されている。

 ──残念でした! まあいっか。こずえにあとで自慢してやるんだ!

 私は浴衣を脱いで、お姫さま気分で湯船に浸かった。ふわふわした泡を手ですくうと、すぐに溶けてぶくぶくした水に戻ってしまうのが物足りなかった。まずは思いっきり顔と髪に泡を乗せて、洗面台の鏡を覗き込んだ。ついでに鼻のところにも白い泡をつぶさぬように乗っけてみた。

 ──思いっきり、きれいになってやるんだ。

 家族で共同使用するシャンプーよりも高級な試供品を今回、初めて使ってみる予定だった。あと、額に増えたにきびを減らすことのできる化粧水も用意してきた。明日着る予定のブラウスも洗面所で洗っておこう。乾燥気味の部屋だからすぐに乾くんじゃないかな。余計なことを立村くんに聞くよりも、まずは自分の状態を最高のものにしておけばいいんだ。そうしたらきっと、気付いてくれるんだ。やきもち妬いてるなんて思われるよりも、そっちのほうが絶対いいもの。爪だってきれいに磨いておきたいし。大丈夫、大丈夫。

 言い聞かせながら私はもう一度、鏡を覗き込んだ。


 一度お湯を抜いて後、もう一度シャワーをたっぷり浴びた。せっかくの泡お風呂に入ってみたはいいけれども、やはりごしごし手ぬぐいかなにかで身体をこすらないと、垢が落ちた感触がない。映画では片足を上げて泡をたっぷりと乗せてポーズを取っている女優さんも、あとでこういう風に身体を洗ったりシャワー浴びたりしたんだろうか。時間が経つごとに泡も消えていき、最後は普通の石鹸水しか残らなかった。きちんと髪も洗い、リンスもして、私なりのお姫さまバスタイムは終わりを告げたというわけだった。ターバンみたいにタオルを髪に巻き、スキンケアもたっぷり行った。こずえ、そろそろ戻ってきているかな。女子同士だし恥ずかしいことなんてそれほどない。よくシャンプーのコマーシャルに出てくる女の人が胸のところまでタオルを巻いて、きゃっと小さな声を立ててお風呂場から出てくる場面を見るけれど、あれも一度やってみたいことのひとつだった。明日うちに戻ったら一気に現実の世界に引き戻されてしまう。こずえだったらその辺、ジョークで受けてくれるだろうし、浴衣の前に一度、試してみようかな。

 しっかり胸のところにタオルを巻き込むようにして、こずえに声をかけた。

「こずえー、いる?」

「いるよー!」

 ひとりでポーズ取ったってばかみたいじゃないの。

「お風呂から上がるよー!」

「どうぞー!」


 次の瞬間、私はユニットバスのノブをばしっと閉じた。

「なによっ!」

「ごめんねえ、美里。悪いけど、あとはお二人で語らってね! 私もやぶ用があるからね!」

 ──やぶ用って、何よ何!

 ドアを開け閉めした音が聞こえない部屋だってことに、今さらながら気付くのが遅すぎた。

 こずえが返事したからといって、こずえひとりしかいないと考えた私がばかだった。

 ──だって、なによ、なんでよ!

 もろ、私はバスタオル一枚を巻き、ターバン姿で突っ立っていたところを見られてしまった。

 さっきこずえが座っていたところには、浴衣姿の立村くんが口を半ば開いたままでいた。  私と目が合うなり、両足をベットに引き上げるようにして、ぎゅっと膝株を抱えていた。

「ふ、古川さん! まずいよ、まずいって!」

「あとはお二人お楽しみね」

 慌てて扉を閉め、浴衣に着替えつつ私は、なぜ立村くんがこずえと一緒にベッドの上に腰を下ろしていたのか、どうして立村くんだけがここにいたのか、頭の中で整理しようとした。だって、ここは女子部屋だ。女子しかこの部屋にいないはず。男子が四階に立ち寄ることだって禁止じゃないの。どうしよう、どうしよう。

 外へ出るドアを閉める音がかすかに聞こえた。一生このバスルームにこもっていたいって、本気で思った。

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